君の部屋で海を渡る

桑鶴七緒

君の部屋で海を渡る

3年ぶりの東京の空は相変わらず輝きすら感じないわらを被ったように沈んでいた。


私は休暇を使い、ある男友達に会いに来た。今日から彼の家に5日間泊まる事になった。


武蔵小金井駅の北口を抜けて徒歩で7分のところにある、待ち合わせ場所にやってきた。


古びた外観の中華料理店。中に入ると、店主の威勢の良い掛け声に驚いた。


「池ちゃん。こっちこっち」


男友達の悠くんは手を振って出迎えくれた。


「久しぶりだね。…てか、もう出来上がっているし。何杯呑んだの?」

「まだ3杯だよ。何か呑む?」

「ウーロン茶にする」


私は池脇恵那。彼の名は井山悠太。

5年前三鷹駅の改札口近くにあるコンビニエンスストアでアルバイトで働いていたきっかけで、友人となった。


半分くらい虚ろな目をしながら、酒が彼の身体にまどろむかのように浸透している。


「それで家に帰れるの?」

「そろそろ出ようか。大丈夫、歩いているうちに酔いが覚めてくるから」


30分経過して店を出た後、駅の南口を通り越し、20分ほど歩いて住宅街に入り組むように立ち並ぶ場所に彼のアパートがあった。


持参してきた荷物を部屋の隅に置き、ソファに座った。部屋の中は広くも狭くもない丁度良い広さだ。


お腹が空いたので近くのスーパーに行き弁当を買って、リビングで食べた。

彼は煙草を吸い始めると、冷蔵庫から缶チューハイを取り出した。


その後の会話はテレビに出ている芸能人の話で盛り上がったくらいだった。

就寝前になりある事に気がついた。


「布団、まさかないの?」

「敷布貸すからソファで寝て」


何という事だ。あれ程来るよと伝えていたのも関わらず、この2人掛けの幅の狭いソファで寝てくれなんてどういう神経をしているんだろうか。


もう少しツッコミを入れようかと振り向くと彼はベッドの中に入り直ぐさま眠ってしまった。


やれやれ。初日にしてこうか。仕方ない。


照明の灯りを消して、肌寒いなか敷布に包まり眠りについた。


翌日、彼は勤務先の介護施設へと向かい、合鍵を渡され部屋に1人取り残された。

スマートフォンを開き、暇つぶしにと新宿へ出向いた。


夕方の時間になり、自宅へ戻ると悠くんは先に帰ってきていた。


「何作っているの?」

「焼きそば。一緒に食おう」


出来上がった焼きそばは麺や具材がやや硬めだったが、それなりに食べれた。後片付けをした後、三鷹駅のコンビニでの話に花が咲いた。


「池ちゃん、こっちに来なよ」

「友達だよね?」

「男と女だよね。それがしたいからきたんでしょう?」


彼の神経が分からないまま、ベッドの隣に座って顔を見合わせた。


私の身体を抱きしめて、照明を消すと、彼は服を脱いできた。私も下着姿になると身体中を弄られてきた。


恋人じゃないからキスはなし。


彼に身を委ねるようにされると、避妊用ゴムをつけてきた。


「痛かったら言って」


身体の中に硬くなった一物が入ってくると正直気持ちよさなどそこにはなかった。


相手の意のまま揺すられる居心地は尻の奥に性感帯をくすぐるだけだった。2人で初めての交わりに同情などなく、彼が一方的にしたいだけの一夜となった。


2日、3日目は彼が夜勤でいなかったので、高校時代の友人らと会い、思い出や育児の話を中心に盛り上がっていた。


4日目の夜に、彼が夕食を作ってくれる事になった。

濃厚なソースがかかったナポリタンにシーザーサラダ。意外と美味しかった。

全てたいらげると彼は食べ方が動物みたいだと言い笑っていた。


先に浴室を借りてお風呂に浸かり、上がって居間へ行くと彼は煙草を吸っていた。


「悪い、煙たいよな。換気扇のところで吸う」


しばらく何本か吸った後に彼も浴室へ行った。


今日で泊まるのも最後だ。悔いという想いは無い。スマートフォンに実家の母親から電話がかかってきて数分話した後に切った。


ふとテレビの前に目をやると、腰にバスタオル1枚を覆って彼が立っていた。


「早く服着なよ」


私の座るソファの前にかかんで抱きしめられた。


「何?」

「今日はベッドで一緒に寝よう」

「…いい、よ」


手を繋ぎベッドの上に座ると、彼は照明を消して、私を押し倒した。


「帰ってほしくない」


彼は涙を流していた。


「悠くん。仕事、大変なんでしょう?」

「ああ」

「おいで」


彼を胸元に抱えて片手で背中を摩った。


介護福祉士の仕事も過労が尽きないという。

ただ彼はそれでも自分が選んだら道だからとことん向き合っていきたいと話した。


軽く唇を噛んで舌で舐めると彼は微笑んだ。

お互いの身体を重ね合わせ身を委ねるように彼が心の中に入ってきた。


脚で絡めた下半身をゆっくりと上下に動かして、次第に全身で揺すられていくと、2人の身体を乗せた一隻の舟は海原へと突き進んだ。

彼の重力でどんどん沈んでいく。


性感帯が頂点に達すると、再び水面に顔が浮かび上がり、沖へ座礁した頃には部屋の傾斜も元の位置に戻っていった。


「海が見えたよ」


彼は首を傾げたが両手で頬に触れて、私の額を当てるとキスをくれた。


翌朝起きた後、コンビニで朝食を買い、部屋で済ませた後に荷物をまとめた。


「気をつけて帰って」

「悠くんもゆっくり休んで。じゃあまたね」


玄関のドアを閉め、車が行き交う車道の脇の歩道をひたすら歩いて行った。


駅に着いて更に電車を2本乗り換えをして、空港へと辿り着いた。


飛行機の離陸後に雲の上から東京の変わらない霞んだ鋭利のような建物がぎっしりと埋まりつくしているように見えた。


私はあの部屋で海を渡った。

上手く戻れた時にはひとつ成長した彼の背中がたくましく思えた。


2度と戻れない彼の部屋。


今度は誰と、座礁するつもりなのだろう。

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