第六話③ 初めての敗北
「ゴリラだ」
カイは、医務室のベッドに横たわりながらつぶやいた。
宮廷医師によると、鼻の骨折に加えて、壁に体を強く打ち付けたことによる打撲によって、全治一ヶ月以上はかかるとのことだった。
「ゴリラ、ですか?」
放課後、見舞いに来ていたハヤテが聞いた。
「だってあれ、戦いじゃなくて暴力じゃん! ゴリラだ、暴力ゴリラだよあいつ!!」
ハヤテは、驚きと衝撃が混ざった、「その発想はなかった!」とでも言うような顔でつぶやいた。
「ゴリラ……ですか……!」
「なぜ動物?」
ブラウがカイに聞く。彼も、カイの様子を確認するためにハヤテに同行し、保健室を訪れていた。
「例えだよ、例え! ……初めて負けちゃったな……」
カイは遠くを見ながらつぶやいた。ブラウはその様子が気になったのか、カイに問う。
「何故、それほどまでに気が沈んでいる?」
「え?」
「貴方にとって、今回の模擬戦はそれほどまでに重要だったのか?」
カイは、その問いに、これまでのベレトとの競争を思い返しながら答えた。
「だって、今まであいつと勝負することはあったけど、どれも引き分けで終わってたし。 『今回こそ勝ってやる』と思って……大丈夫、勝てるって……」
理由を話すと、カイは二人に背を向け、体を丸めた。全身に痛みが走ったが、それでも丸くなりたいとカイは思ったのだった。
予想以上に深刻な状態のカイを心配し、ハヤテは声をかけた。
「大丈夫です! 次にベレト殿と勝負する機会があれば、きっと勝てます!」
「そうかな……」
「私は、カイ殿を応援します! 必要ならば、次の勝負に向けて特訓もしましょう!」
「ハ、ハヤテ……ありがとう〜!」
カイは感極まって、目から涙の滝を流した。ハヤテのまっすぐな思いはカイの心に届き、カイは敗北の傷が少し癒えた気がした。
「ハヤテ・カザミ、間も無く面会時間が終わる」
ブラウに声をかけられ、ハヤテはハッとした。時計を見ると、面会時間として設けられた一時間をとっくに過ぎていた。
「もうそんな時間に……それでは、私たちはこれで。カイ殿、どうかお大事に!」
「うん、二人ともありがとな!」
ハヤテたちが医務室を出たのを確認すると、カイは再びベッドで丸くなった。彼らがいる手前、心配を掛けさせまいと明るく振る舞ってはいたものの、一人になると再び気が沈むカイであった。
「ちくしょー……」
カイの独り言は、静かな部屋にこだまするだけだった。
♦
「やりすぎだったんじゃないかな?」
ハヤテたちが見舞いに行っていた頃、エミールはベレトに話しかけていた。部屋に戻ろうとしたところを止められ、ベレトはぶっきらぼうに答えた。
「何がだ」
「カイくんの顔、思いっきり殴ってたよね」
「それがどうした」
エミールは、少し困ったような顔をした。
「カイくんが気に入らなかったとはいえ、やりすぎだったと思うよ。特に鼻、確実に折れたと思う」
「あのムカつくツラ、一度はブッ飛ばしたかったからな。やっと殴れて清々したよ」
ベレトは体を伸ばしながら、どこかスッキリした様子で答えた。
「そんなに? まあ、わからなくもないけどね」
エミールはベレトの答えに対して、苦笑いした。ベレトは、そんな彼をじっと見つめた。
「……どうしたの?」
「『わからなくもないけど』ね……。否定しないんだな」
「だって、本当のことでしょ? カイくん、元気なのはいいけど、ちょっとうるさいよね」
エミールは、肩をすくめながら答えた。
「他の二人は?」
「ハヤテくんはいい子だけど、真っ直ぐすぎて少し鬱陶しいかな。ブラウくんは物静かだから、一緒にいると落ち着くよ」
柔和な容姿からは想像つかない辛辣な口調に、ベレトは思わず苦笑いした。
「オマエ、見かけによらず結構性格悪いな」
それに対しエミールは、またも困ったように笑うのだった。
「君こそ、見かけによらず結構野蛮だよね」
ベレトは「フン」と鼻を鳴らし、自室の扉を強く閉めた。エミールも、続けて自分の部屋へ向かうのだった。
♦
数週間経ち、カイの体の傷はほとんど回復していた。しかし、模擬戦での敗北の衝撃から抜け出せず、心の傷は治るのに時間がかかっていた。
ある日のこと、授業が終わり自室に戻ろうとした時、たまたまベレトと視線が合った。その瞬間、『あの日』の記憶が蘇り、治ったはずの傷が痛み出した。
「……ッ!」
カイは思わず走り出した。まるでベレトから逃げるように。
気づくとカイは、北の塔の最上階──天文台にいた。
天文台はドーム状の天井に覆われ、吹き抜けからは帝国内だけでなく、その先の山々までも一望できた。
「何やってるんだろ俺……」
吹き抜けからの風に吹かれながら、カイは一人黄昏ていた。夕刻となり、空の色は澄んだ青からくすんだ橙へと移り変わり始めていた。
「もう夕方かー、夕日綺麗だなー」
カイは一人呟いた。本気でそう思っているのかわからないほどに、感情のこもらない声だった。
「はは……」
カイは、どこか虚しさを感じた。
その時だった。
「何か、悩み事かな?」
突然後ろから声をかけられ、カイは驚いた。
「えっ!?」
振り向くとそこには、白銀の髪の老人がいた。
まっすぐ伸びた背筋に柔らかな眼差しをしたその人は、アストラル皇帝・バルトロメイだった。
「皇帝、陛下、じゃなくて校長?? えっ、ええっ」
突然の大物の登場に驚き狼狽するカイを微笑ましそうに見守りながら、皇帝は声をかけた。
「君の呼びやすいようにして構わないよ」
「俺の!? ええと、じゃあ……ここ学校だから……校長……?」
バルトロメイ皇帝は、帝立アカデミーの校長も務めていた。カイの答えを聞いた『校長』は、優しく微笑んだ。
「では、ここでは『校長』と呼ぶように」
「は、はい……」
カイは、どこか安らぎを感じていた。入学式の時も、この人物の声は、彼に安らぎと心地よさを与えた。
「さて、先程君は一人ぼんやりと黄昏ていたが、何か悩み事でもあるのかな?」
「悩み……」
「君は、普段からベレト君と揉めていると聞いているよ。数週間前に模擬戦で彼女と戦い、負けたともね」
カイは『あの日』を思い出し、俯いた。そして、独り言のようにぽつぽつと話し始めた。
「……初めて会った時から、なんかムカついて、絶対負けられねー、勝ってやると思って。それで授業で毎回競争してきて、でもずっと引き分けで。模擬戦やることになって、今度こそ勝ちたいと思って、そしたら負けて……」
口にするのが段々辛くなり、カイはそこで話をやめた。カイは、思った以上に自分がショックを受けていることに気づいた。
「ふむ……」
校長は考え込んだ。カイは、偉大な皇帝(ここでは校長であるが)なら、心に響くような言葉をくれるのではないかと密かに期待した。
しばらくすると、校長は口を開いた。
「特に、悩むほどのことではないと思うよ」
「…………へっ?」
偉大さも威厳もない、予想外の返答をもらい、カイは思わず素っ頓狂な声を出した。
「負けたのだろう? なら、次は勝てばいいだけだと思うよ。君は確かに彼女と勝負がつかなかった。しかし、その時感じた悔しさや悲しさは、次への力になってくれたはずだ。今回は彼女の勝ちになってしまったが、それでも諦めずに挑戦すればいい、今までのようにね」
「ん? ……ん??」
言われてみれば、確かにそうだ。
カイは、これまでのことを振り返った。
どちらが先に課題の魔法を出せるか、どちらが先にパン100個食べ終えるか、どちらが先に早く走れるか──
カイはベレトに何度も勝負を挑み、何度も挑戦してきた。
絶対勝つ、という気持ちと共に。
「カイ君。君は、諦めない子だと信じているよ」
「…………」
校長の言葉は、カイの心を立ち直らせ、奮い立たせるのに十分だった。
「……はい! 校長、ありがとうございます!」
こうしちゃいられない──カイは、やらなければいけないことのために、急いで天文台を降りた。
校長は、カイの背中を見送りながら、夕陽を眺めた。
「人というのは、面白いね」
上を見上げると、橙色の空に無数の星が輝いていた。
カイは、教室を回りながら、目的の人物を探していた。一階に行くと、談話室の一人用の椅子に座るその人物を見つけた。
「ベレト!」
大声で名前を呼ばれたベレトは、苛立ちながら振り向いた。
「なんだクソ雑魚」
「クソじゃない! 雑魚でもない!!」
カイは深呼吸をし、ベレトの眼をまっすぐ見ながら、宣言した。
「……負けないから」
「は?」
「俺、負けないから! 次は、絶対勝つからな!!」
カイはそう言うと、自室に向かって走っていった。ベレトはその後ろ姿を見送りながら、一人困惑していた。
(なんだあれ? 今日一日しょげてたくせに、いきなり元気になった。『次は負けない』? 弱いくせに何言ってんだ?)
そして、ポツリとつぶやいた。
「……なんなんだアイツ……」
言葉とは裏腹に、その表情はどこか嬉し気でもあった。
アストラル物語 かふぇいん @mtmw2
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