第2話

 ご飯200gに納豆、生卵を乗せて醤油をひと回し。納豆の蓋にはタレが入っており、半分に折ると中からトロっと出てくる。これで手が汚れることはなくなった。限界は、日常の本当に些細なストレスから突如顔を出すものだ。こうした小さな煩わしさは人生の磨耗に繋がる。早めに芽を摘むのが正解だ。深瀬は箸を取り「いただきます」と呟く。

 毎日毎日同じ味、だがそれがいい。対人関係で刺激を受けやすい自分の体は、それ以外の刺激から守ってやらなければならない。わかり切った食材が彩る単調な味覚は、シルクに包まれるような安心感を与えてくれる。こうすることで他人との時間も楽しめるし、人に嫌な思いをさせることもなくなる。常人にとっては余計なひと手間かもしれないが、特段の生き苦しさも感じない。体が慣れてしまったのだろうか。

 (明日とか暇そ?)

 大きな通知音と厄介なメッセージに深瀬はわざとらしく嘔吐く。神聖な自宅に届く突然の便りには、土足で踏み入られたような嫌悪感を覚える。

 数日前、バス停で突然一緒になった奥野からのメッセージ。明日は確かに土曜で予定は無いが、他人と過ごすかは用件によりけりだろう。''唐揚げにレモン''並に手垢のついたこのやり取り、非常に煩わしい。袋に捨てられた納豆の空箱を横目に「お前はえらいな」と嘆く。

 だがこれを無視した上で、学校で顔合わせができる程の度胸はない。深瀬は「情けねぇ」と声に出し小さく笑う。

 (何かあるの?)

 (夜暇だから、晩御飯たべない?)

 このような誘い、数年前の自分ならなんの迷いもなく断っていただろう。人と遊ぶ行為が嫌なわけでは無い。その過程で何かどじを踏んだら、と思考に一瞬ノイズが入るのだ。取り返しのつかないイメージを相手に与えてしまったら。それらに悪意を乗せて、第三者へ伝えられてしまったら。

 他にも中学の頃は、自分の顔写真をSNSにアップされるのが非常に不快だった。必要のないリスクを抱えているのに、危機を感じたら直ぐに取り払える権利を自分が有していない、という状況に恐怖を感じていた。

 あの頃の自分は神経症だったと思う。若さ特有のノリでその場を楽しめきれない自分に嫌気がさし、改善を試みた。個性で済ませてもよいのだが、深瀬には理想像があったのだ。

 学生にとって仲間の輪に入れないというのは、社会的な死をイメージしてしまうといっても過言ではない。「自分の存在なんて、誰も気にかけていない」という意識の刷り込みで多少マシになったが、今思えばそれも悲しいことである。

 (いいよ)

 割と早い段階で答えは決まっていた。結局自分は人より人生経験が少ないから、日常の些細な行動が特別になり不安に繋がる。改善のためには数を打ちまくるしかない。

 皆が笑っている場にいたいだけではない。愛想笑いが出来るようになりたいわけでもない。皆が笑っている時に、心から一緒に笑えるようになりたい。

 深瀬は目を閉じ、拳にギュッと力を込め覚悟を決めた。

 これから目指す理想の自分に、このひねくれた性格は連れていかない。爽やかに、大人っぽく。深瀬はじっくりと明日着ていく服を吟味し始める。

 あぁ、ここが俺の大学デビューか?もう西村を笑えないな。



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明日、君が死んでも泣かない 若葉たぬき @haruki-daigaku

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