3.出る杭は打たれる

 出るくいは打たれる。

 ちょっとしか出ていないくいも、見つかれば打たれてしまう。

 いや、それどころか、全く出ていないにもかかわらず、理不尽に打たれてしまうことだってある。


 しかも、打たれる量はくいによってまちまちで、不公平だ。

 出るのをやめると打たれなくなるくいもいれば、出るのをやめても打たれ続けてしまう可哀想なくいもいる。

 中には、堂々と目立つように出ているのに全然打たれていない羨ましいくいもいる。いわゆる“勝ちぐい”だ。


 “勝ちぐい”が言うには、「出過ぎたくいは打たれない」らしい。

 だが、“勝ちぐい”たちのその考え方は間違っている。自分たちが打たれていないから勝手にそう思ってしまっているだけだ。

 実際には、出過ぎてしまったせいでボロボロになるまで打たれてしまったくいが、たくさんいる。


 過剰に打たれると、くいは変形し、ボロボロになる。

 同じ方向から打たれ続けるのならまだマシなのだが、そんなことは滅多にない。普通は、あちこちいろんな方向から打たれてしまう。

 そして、打たれた方向のばらつき具合によって、くいの形が少しずつ変わっていくのだ。


 それから、当然だが、打たれるとかなりの痛みを伴う。

 打たれることでくいにもたらされるメリットは、一つも存在しない。


 それなのに、くいたちは、「出るくいは打たれる」の“出るくい”になることを求められる。

「出るくいになれ!出ないくいは土の中で腐る!」

と言われ続けているのだ。


 時々、出ようとする気のないくいが、無理やり引っ張り出されることがある。それだけならまだいいのだが、その後、勝手に“出るくい”と判定されて、過剰に打たれてしまうことだってある。


 こんな理不尽な状況だからか、土の中に逃げていくくいも存在する。“負けぐい”と呼ばれるくいたちだ。

 “負けぐい”たちは、そのまま土の中で腐っていくことを望み、戻ろうとはしない。

 たとえ戻りたいと思っても、戻れる可能性はほとんどない。一度土の中に逃げたくいは、既に腐っているとみなされ、

「腐ったくいは出てくるな!」

と言われてしまうからだ。


 また、土の中に逃げたいと思っているが、決断できずにいるくいもいる。

 土の中はジメジメしていて気持ち悪いらしく、そんな環境に耐えられるかどうか分からず、不安なのだ。しかも、そんな土の中で、自分が腐っていく恐怖にも向き合わないといけない。

 それに、一度土の中に逃げてしまうと、こちらにはもう戻って来れないということが分かっているから、なおさら決断を下せない。


 くいたちは、自分たちが打たれ続けることの意味について考える。

 これ以上打たれたくないが、“負け”を認めて土の中に逃げることもできないので、打たれ続けるしかないという苦痛——この苦痛に何らかの意味があると考えないと、くいは自分の精神を保てない。


 あるくいは、

くいは打たれて強くなる!」

という“名言”を言ったそうだ。

 この“名言”を信じているくいもいれば、信じていないくいもいる。

 別のくいは、こう反論した。

「打たれたから強くなったのではなく、元から強かったから打たれても大丈夫だったのではないか?そもそも強さを求める理由は何なのか?何の意味があるのか?」

 他にも様々な主張をするくいがいるが、真相は、どのくいにも分からない。


 しかし、くいたちにとっては、真相はそれほど大事ではないようだ。

 くいたちが求めているのは、少しでもいいから、打たれる恐怖、腐っていく恐怖、負けてしまう恐怖から解放されることなのだ。



 今日もどこかで、くいが打たれている。




 おわ🔨

   り

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ことわザ・ワールド ๑(ㅎ_ㅎ)๑ ダーニャン @kamirrra

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