けつねどん&たぬきどん 🍜

上月くるを

けつねどん&たぬきどん 🍜





 インバウンドの復活で活況を取りもどしつつある東京の、とある下町の裏通り。

 古いビルに挟まれた狭い場所に「信濃蕎麦処 一茶亭」の色褪せた看板がある。


 埃だらけの曇ったショーウィンドウに、これまた古めかしいメニューのレプリカ。

 ロン毛やサイケデリック、パンタロン、ミニスカートが出入りしていそうなお店。


 年配者には懐かしい昭和そのもののような蕎麦店は間もなく取り壊されるらしい。

 現代の耐震基準に満たない中古ビル群とともに消え、更地は駐車場になるはずで。




      🎞️




 異界に行った常連客たちには、腕のいい主と客あしらいの巧みな女将の幻が見えるかも知れない店内で、夜ごと熱い論戦が繰り広げられていること、だれも知らない。


 深夜零時をまわるころ、それまで森閑としていた店内は、一気ににぎやかになる。

「きつねうどんとたぬきそば一丁!」「あいよ、毎度あり!」主人夫婦の掛け合い。


 使いこまれた厨房にはもうもうと湯気が立ち昇り、四卓の椅子席も、絣の座布団が並べられた二か所の小上がりも、近くのサラリーマンやОLさんでいっぱいの模様。


 ふわふわとろとろの玉子丼。

 分厚くてやわらかなかつ丼。

 名古屋コーチン親子丼。🐓

 天丼もまた天下一品で。🍚


 かけ蕎麦盛蕎麦天ぷら蕎麦。

 月見蕎麦にとろろのうどん。

 出しの利いたカレーうどん。

 ちょっと奢って鍋焼うどん。

 



      🦞




 大勢の客を一手に捌く小太りの女将さんと、枯れ木のような老体に藍のエプロンを巻いて職人技を見せる厨房の亭主の間で、お盆の蕎麦とうどんが湯気を立てている。


「ほい、おとなりさんよ、相変わらずノターッと寝そべってばかりで芸がねえなあ」

「そういうそっちこそ、はやく運んでもらわなきゃ、ぐじゅぐじゅになっちまうぜ」


「余計なお世話だよ。それより、おたく、上方じゃケツネって呼ばれてんだって?」

「それがどうした? そっちこそ、天ぷらのタネがねえからタヌキっていうんだろ」


「あれ、モノを知らんなあ、勇敢な坂東武者は下手なタネなんざ足手まといなのさ」

「阿呆くさ。大御所の仇名は古狸だったよな、そこへいくと太閤さんは細面でねえ」


 何百年も前の東西合戦を蒸し返した蕎麦VSうどん、まさに一触即発状態ですが、ちょうどそこへ女将さんのむっちりした腕が伸びて来てお盆をひょい……。(笑)




      🕵️‍♀️



 

 夜間はめっきり人通りが絶えるビジネス街に、ふとした拍子に昆布と鰹節の出しが漂う瞬間があることを知っているのは、鼻をひくつかせる地域猫と月と流星群だけ。


 でも、ある朝とつぜん駐車場が出現しても、かつてよく流行る食堂があったこと、戦争の空襲の恐怖、一面の葦の原で戦った戦国武者など、土地の記憶は残ったまま。





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けつねどん&たぬきどん 🍜 上月くるを @kurutan

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