死導員

高黄森哉

死導員


「はい! そこ右。ほら、右」

「わ、わわわ。右、右」

「そっちは左! こら!」


 キキー、とスキール音を鳴らし、車はストップした。


「ほら、エンスト」


 指導員は、責めるように指摘する。教習生である、青年は急いで、エンジンを入れなおした。エンジンの始動ボタン、というのも最近の車はボタン式が多い、を焦って押すと勢い余って突き指しそうになる。


「ちゃんと、クラッチを踏まなきゃだめじゃない」


 指導員は、若手の女性だった。青年が初めに受けたイメージと全く違い、彼女は、気が強い。彼女の、厳しい態度というより、むしろ高圧的である指導が、青年を焦らせ、振る舞いを矯正されるどころか、さらなるミスへ導くのだった。ミス・スパイラルだ。指導員の苗字は渦潮だった。


「あっ。ほら、また、エンストした。だから、クラッチは優しく戻さなきゃダメなの。はい、やり直し」

「あ、あ」


 青年は、ようやっと交差点を抜けた。その間にも、小言のような指導を、指導員は垂れ続けた。こっちは、いや、青年は、運転で忙しくて、それどころではないのにである。


「こっからは急こう配の下りだから、エンジンブレーキを多用するように。あっ。危ない!!」

「え、へ」

「ほら、あれ。あれ見なさい!」


 指指ゆびゆびする先に、小学生がいた。


「危険予測がなってない。ちゃんと講義を聞いてたの? そんなに出来ないなら、指指ゆびさし確認しなさいよ。赤ちゃんじゃないんだから、しっかりしなさい!」


 青年の視界は、涙でぎざぎざになった。下手な叱り方、次につながらない人格否定が、心に深く刺さっていった。少年の脳みそは、自責と指導で一杯になっていて、その先にある横断歩道に、気が向かない。


「危ない」


 青年はその金切り声が聞こえない。指導員はブレーキを踏み、車は横断歩道、ギリギリでとまる。それでもアクセルは作動しており、指導員は、ブレーキを必死に踏みつつ、なぜアクセルを踏み続けるのかと言いたげに、青年の顔をうかがうと、彼は頬に涙を伝わせつつ、茫然自失な表情を浮かべ、悲壮感を漂わせながら、正面を見据えていた。


「危ない! 漫然と運転しないの!」


 その呼びかけも、耳に入らないようだ。後輪は空転し始める。フットブレーキは光輪側が弱いために、後輪駆動の車なら、ブレーキを踏みつつも、エンジンのパワーを駆動輪へ、伝達することが出来る。暖められたタイヤは叫びながら白煙を上げ、ブレーキディスクは、地獄の唐紅からくれないに染まり始めた。


「こら! やめなさい!」


 半分絶叫のようになりながら呼びかけるが、反応がないため、しかたなく、エンジン傷める覚悟でサイドブレーキを引いた。しかし、サイドブレーキは壊れていた。それどころか、ガン、という音が響くと、ブレーキの反発がスカスカになった。普通のブレーキも壊れた。

 ブレーキから解き放たれた車が、周囲の白煙を切り裂き、スキール音を唸らせ、今まさに、横断歩道や自転車横断体を渡る、児童や自転車を跳ね飛ばした。カコーン、と子気味よい音がし、指導員が恐る恐るバックミラーを覗くと、信号機にストライク、と表示されていた。


「やめなさい!」


 強引にハンドルやブレーキから、青年の身体を引きはがそうとするが、まるで、固着してしまっている。指導員は真っ青になり、長い長い下り坂の終わりは、急な曲がりかどであり、そこを越えた先は崖であることを、クリアに思い出した。


「こら、信号を無視したら駄目でしょ!!!!!」


 それどころではないが、それぐらいしか、思いつかない。


 一つ、一つ、と赤信号をパスしていくたび、フロントウィンドウは、赤黒く汚れていった。ボンネットには、ちょうど、ジャガーやロールスルイスのそれように、赤子の首が乗っている。また、その赤子を乗せていたであろう、ママチャリはボンネットの上に、モヒカンのように刺さっている。さらに、その幼児の親は、まるでGTウィングの形をしてトランクに張り付いていた。具体的に、彼女の様子は、両手でトランクの端っこを掴み、さらに肋骨が魚の開きのように開放され下半身はない、といった具合である。どんどん、内臓が、その開きからぼとぼとと音を立てて、落っこちてしまう。また、フロントバンパーには、七人の児童で出来た、リップスポイラーだった。リムには、ハンバーグのパテに似た、エアロディスクが、


「何度言わせるの! アクセルから足を話せっ!!!」


 アクセルは真反対に強く深く、踏み込まれていく。車内には、尿の匂いが充満し始めた。指導員は失禁し、目を赤くはらしながら、泣いている。上も下も大洪水だ。その横で無情にも、青年はなにも言わず、アクセルを踏み続けている。


 ええい、なにくそ、これは呪いだ。


 指導員という立場だからといって、サディスト的に生徒をいじめることは、いけないんだ。ひしひしと感じていた、全国津々浦々に渡る講習生の怨念が、具現化したのが、この青年の正体で、だからこの物語は、すごい、、、道徳的なんだ。倫理的なんだ。だから、こういうことを、書いちゃっても、あいかわらず、僕は正しいんだ。


「助けてぇえええ。助けてぇえええ」


 それでも車は停まらなかった。ひょっこり人をボーリングしながら、おもわず対向車にはみ出して、だしぬけにバスを貫通し、うっかり音速を超えた衝撃波で、唐突に通りの人々を木っ端みじんにし、垂直にタンクローリーを切断しても、まだ車は勢いを失わない。ガソリンをまとった車は、空気との摩擦で発火し、火車と化した。でも、まだ止まらない。赤黒く燃える骸骨となっても、青年は足を突っ張り、アクセルを踏み続ける。坂道は終わり、遂に崖から飛びだすと、赤い筋が、夜空を駆けて行った。


 わわ、これ、流星。

 願わねば、願わねば。



 全国の指導員が優しくなりますように。

 全国の指導員が優しくなりますように。

 全国の指導員が ………………、、、



 

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死導員 高黄森哉 @kamikawa2001

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