第三章(サンプルなので二章がなくても読めます)

 第三章 疫病菌、正体


〇発見


 一八四五年、アイルランドを未曽有の飢饉に陥れたジャガイモ疫病菌は、同年、アイルランド国立植物園にて育てられていたジャガイモから発見されました。

 第一章で記述した通り、発見されたジャガイモ疫病菌は、疫病を発生させる糸状菌として国に報告されました。しかし、その成果が正しく発揮されることはありませんでした。すでにアメリカや、カナダ、ヨーロッパ諸国を席巻したジャガイモ疫病菌ですが、その道程で発生するジャガイモの枯死には、様々な仮説が論じられていたからです。たとえば、汽車などの蒸気機関の煙、気候、ジャガイモ自体の問題、果てにはカトリック派への神罰であると、当時病気と微生物が結びつきがたかったため、病原の探索は明後日の方向へと向かっていました。

 その中で、植物園の学芸員たち、そして一人の聖職者が小さな微生物に目を付けます。

 その聖職者こそが、マイルズ・ジョセフ・バークレイ氏です。氏は神に仕える身としてありながら、頻発するジャガイモの疫病を天からの試練と一掃することなく、科学的に思考し、その目を一つの原因へと向けました。結果、数多の標本を植物園へ送ることで、ジャガイモ疫病菌の発見に寄与することとなりました。さらに、一八四六年には、ジャガイモ疫病菌に関する論文を提出することで、既存の仮説に抵抗する力となりました。

 ジャガイモ疫病菌の第一発見者、植物園の学芸員のムーアは、発見者でありながら当時生理的要因説を推そうとしたことがあります。しかしのちに、この生理的要因説を否定し、微生物の調査に戻りました。

 ここにもバークレイ氏は深くかかわり、標本とともに手紙を送り説得することで、ムーアを微生物の研究へと導きました。

 ジャガイモ疫病菌の発見より以前に、ベネディクト・プレヴォー氏は、コムギなまぐさ病という植物病と、微小な物質の因果を証明していましたが、当時はそんなもの忘れ去られていました。そんな中で、バークレイ氏の論文は大変画期的なものでした。

 氏は論文の中で、腐敗とジャガイモの因果に言及し、病斑がある場所にカビがいて、病斑のないつまり健康な植物にはカビがいないことから、腐敗によってカビが生えるのではなく、カビによって腐敗すると言い切ったのです。さらに、気象条件はあくまで病気を助長させる要因でしかないということを言及しました。これは主因(病原菌)、素因(植物)、誘因(環境)という三つの要素がそろわなければ病気は成立しないという、現在の植物病理学の考えに通じることでもあります。バークレイ氏は、それまでの迷信を打ち破り、植物病理学を開拓したのです。


〇アントン・ド・バリー


 バークレイ氏や学芸員たちは、いち早くジャガイモ疫病菌を発見しましたが、それらを病原菌として確かに証明することはありませんでした。

 病気と微生物を結びつける場合にはある法則にのっとる必要があります。それは「コッホの三原則」です。

 コッホの三原則とは、

 ① 特定の感染症に罹患した個体は、その病変部からの特定の微生物が常に、純粋に分離培養されなければならない。

 ② ①の微生物を健康な個体へ摂取したとき同一の感染症にならなければならない。

 ③ ②の病変部から、摂取したものと同一の微生物が純粋に分離培養されなければならない。

 という大まかに分けて三つの段階を踏むことで、微生物が病気の原因であることを証明する画期的な法則です。この法則は、一八八四年にまとめられ、現在でも通じる法則です。

 残念ながらバークレイ氏の時代は微生物学の発展途上期。コッホの原則は存在せず、これらを確かめる段階までにはいきませんでした。

 しかし、バークレイ氏らによる発見後、ジャガイモ疫病菌にはあまたの研究者がかかわってきました。その中でも特にアントン・ド・バリー氏はジャガイモ疫病菌の分類という重要な研究にかかわっています。

 というのも、発見されていたジャガイモ疫病菌が、現在の分類になるまではかなりの苦労がありました。

 ジャガイモ疫病菌は当初ボトリティス(Botrytis)というカビに分類されていました。その理由は、ジャガイモ疫病菌の形態です。生物の分類は、通常形などの外見的特徴から振り分けてゆきます。しかし、ジャガイモ疫病菌は卵菌という藻類に近しい生物でありながら、その特徴はカビに酷似していました。これは動物と植物ほどの違いがありながら、酷似した特徴を持つということになります。そのため、ジャガイモ疫病菌は菌類として扱われていたのです。

 全く異なる種と同類として扱われていたジャガイモ疫病菌ですが、しかしその正体を暴いた人がバリー氏でした。

 バリー氏は一八七六年にジャガイモ疫病菌にフィトフトラ インフェスタンス(Phytophthora infestans)という学名を与え、さらに分類するためにフィトフトラという属を作ったのです。

 バリー氏は、ジャガイモ疫病菌の分類以外にも、後の植物病理学に様々功績を残しています。現在では普遍的な、『共生』という言葉も氏が作ったとされ、その他多くの病原菌の研究にかかわりました。


〇ドメイン・界・門・綱・目・科・属・種


 こうしてバリー氏により、ジャガイモ疫病菌は「Phytophthora infestans」という学名がつけられました。これにより、ジャガイモ疫病菌はフィトフトラ属の仲間ということが一目でわかります。

 Phytophthoraとは、「Phyton」(植物)と「phtheiro」(破壊)の合成語です。その名に劣らぬ侵略力であることは、皆さんもご存じの通りでしょう。

 ジャガイモ疫病菌には、「疫病」という文字が使われていますが、これは植物の世界ではPhytophthoraz属による病害の総称です。通常、人間に対するはやり病を意味する疫病を、植物の病気に持ち出すとは、和名を付けた方の、この植物病の脅威を伝えたいという気持ちが伝わってきます。

 さて、生物はドメイン・界・門・綱・目・科・属・種という分類に振り分けられます。私たちもホモサピエンスという種のように、ジャガイモ疫病菌も当然どこかの分類にあてがわれるのです。

 それにのっとり、ジャガイモ疫病菌(Phytophthora infestans)を振り分けると、ジャガイモ疫病菌は、真核生物ドメイン、クロミスタ界、卵菌門、卵菌網、べと病菌目、ピシウム菌科、フィトフトラ属のインフェスタンスという種になります。

 重要な点は、クロミスタ界です。このクロミスタ界には、疫病菌以外にも、藻や藻類を含むグループです。つまり、どちらかと言えば植物に近い生物の集団になります。

 皆さんも、池や海で藻類を見たことがあると思います。彼らは緑などの色素を持ち、太陽の光を集めることでエネルギーを生産する、光合成の能力を持ち合わせています。

 そのような生物と起源を共にする卵菌は、遺伝子を調べたところ、一度、光合成能を持ち、独立栄養生物となりながら、その機能を捨て、寄生生活になった生物ではないかという痕跡がありました。光合成をおこなう独立栄養生物は、それらを摂食することで生きている、私たち従属栄養生物にとって非常に高度な生物に思えます。なにせ、自分の体内でエネルギーを作るのですから。植物などはそのような点から、健康的なイメージがあるでしょう。光合成は革新的な能力です。たとえば、光合成能を持つ原始的な生物、シアノバクテリアは古代の地球で二酸化炭素を消費し、酸素を生産することで現在の大気組成を作り出したという偉業を、光合成によって成しえました。そのような高度な技術を得ておきながらそれを捨てるなど、と思われるかもしれません。

 疫病菌が光合成の能力を捨てた、正確には失った理由はわかっていませんが、少なくとも光合成能を持たずとも生きていくことができたのだ、ということは現在ジャガイモ疫病菌が存在しているとい事実からも理解できます。なぜ光合成を失っても生きて行けたのか、その理由を愚行するならば、最大の理由は光合成のデメリットだと考えられます。

 光合成のデメリット、それは活性酸素種です。光合成が行われる葉緑体では過剰な光や、水や二酸化炭素の不足により活性酸素種を発生させてしまいます。この活性酸素種は非常に強力な毒で、植物が病原菌の撃退に利用したりもします。過酸化水素の除去には様々な工程が必要で、主な方法は酵素などですが、その酵素を生産する能力がなければ、自ら生産した過酸化水素によって死んでしまうこともあり得るのです。卵菌は光合成によるデメリットが大きかったため、この高度な技術を捨てたのかもしれません。(これらの仮説はあくまで私の想像であり、確かな検証をしたものではございません。)どんなにそれが偉大な技術であっても、デメリットを考慮し、一つの物事に固執しない姿勢は私たちも見習いたいですね。


〇水平伝播と収斂進化


 さて、ジャガイモ疫病菌の分類を見てお察しの方もいらっしゃるかもしれません。すでに述べたように、ジャガイモ疫病菌は菌類の仲間ではございません。

 菌類は、真核生物ドメインの菌界という分類に属する生物であり、クロミスタ界のジャガイモ疫病菌は全く異なる生物です。

 しかし、ジャガイモ疫病菌の発見者、モレ―氏やバークレイ氏が「カビ」とジャガイモ疫病菌を表現したように、ジャガイモ疫病菌は菌糸を伸ばし、植物に寄生します。その様子は菌類そっくりです。なぜ分類上ここまで離れた生物が、このようにそっくりな形態を持っているのでしょうか。

 その疑問には、二つの説が上がっています。

 一つ目が収斂進化です。収斂進化とは、鳥類の羽と昆虫の翅のように、別々の帰還でありながら似たような機能を持つ進化のことを言います。

 ジャガイモ疫病菌とカビ類は長い年月をかけ、別々の道を歩みながら同じ機能を持つ進化をした、という仮説です。仮に収斂進化であれば、いったいどのような外的要因で、このようなそっくりの形態を持つに至ったのか、大変興味がわきます。

 しかし、そのようなシンクロニシティを否定する説が、二つ目の仮説になります。

 それは、水平伝播です。水平伝播は、親から子という遺伝子の受け継ぎとは異なる、個体間で行われる遺伝子のやり取りです。例えば、医療従事者が恐れる薬剤耐性菌。あれらにも水平伝播が深くかかわり、偶然薬剤に耐えうる微生物が、その個体単体で増えるだけでなく、水平伝播により親子関係ではない他の個体と遺伝子を共有することで、薬剤の耐性を持った菌が増殖してしまうという恐ろしいことが起こります。

 水平伝播は細菌の間で起こることは有名でした。ジャガイモ疫病菌やカビは真核生物であり、そのような水平伝播は起こらない、起こったとしても稀、と考えられていました。しかし、最近では真核生物でも頻繁に起こっているということが明らかになりました。卵菌もその例の一つです。

 この水平伝播により、卵菌はカビと同様、植物に感染、寄生する能力を獲得した、と考えられています。


〇交配型


 ジャガイモ疫病菌は単細胞の生物です。単細胞、と聞くとどうしても体細胞分裂でコピーが増える生物、というイメージがわいてきます。ジャガイモ疫病菌もそのように増えることが可能です。しかし、単細胞の生物にも性別、のようなものがあり、他の性別と交配することで子孫を残すことも可能です。

 その性別を交配型、といいます。交配型は微生物の起源をさかのぼることにも役立ちます。ジャガイモ疫病菌が南米出身であることも、ただの憶測ではなく、この交配型の追跡で判明しました。

 人間が雄と雌で分けられるように、ジャガイモ疫病菌はA1とA2という性別に分けられます。通常であれば、このA1とA2が出会うことで遺伝子が結合し、新たな子孫が生まれるはずです。しかしジャガイモ疫病菌は交配相手をえり好みするようで、このA1とA2と同じ培地に入れ環境を整えてもなかなか子供を作りません。ではジャガイモ疫病菌はいったい誰と交配するのか、それはフィトフトラ属の他の種です。ジャガイモ疫病菌と異種のフィトフトラ属を同じ培地で培養すれば、交配の証拠である、大量の卵胞子を得ることができた、ということを、アメリカの植物病理学者、ジョージ・クリントン氏が発見しました。この他種間で生まれた卵胞子は雑種となり、母親とも父親とも異なる遺伝子を持ち合わせます。これにより遺伝子の多様性が生まれ、ときには両親の長所を受け継いだ恐ろしい植物病原菌が生まれる可能性も秘めているのです。

 さらに、この他種間の交配は、ジャガイモ疫病菌の遺伝子的な潜伏も可能にするのです。ジャガイモ疫病菌と他のフィトフトラ属との間に生まれた子は遺伝子的にはジャガイモ疫病菌とは異なる雑種の菌になります。もしも、ジャガイモ疫病菌を撲滅したことができたとしても、その雑種菌同士が交配することで、再びジャガイモ疫病菌が復活することもあり得ないことではありません。さらに雑種菌がジャガイモ疫病菌と異なる特性を持った場合、例えば感染する植物が人間が栽培する植物ではない場合、人間はそれらの雑種菌から害を受けないため、撲滅を掲げることなく、ジャガイモ疫病菌の遺伝子は人類という脅威から逃れることができるのです。

 一九〇〇年代、ヨーロッパで採取できるジャガイモ疫病菌はA1という系統でした。このことから、当初は、このA1系統がアイルランドジャガイモ飢饉を起こした犯人だと思われていました。

 しかし事はそう単純ではなく、ノースカロライナ州立大学のジーン・リスティノ氏が、十九世紀の標本から得られたジャガイモ疫病菌の卵胞子の遺伝子を解析したところ、このジャガイモ疫病菌がA2系統であることが判明しました。

 加えて、このA2系統は当初ヨーロッパでは見られていなかったはずが、一九八四年にスイスにて発生が確認されそれ以降A2系統が採集される場所ではどこでも発見されました。A2系統は、遺伝子に潜伏し、雑種菌が交配を進める中で復活したのだと考えられています。

 その後ジャガイモ疫病菌は一九九〇年代に、アメリカのジャガイモやトマトの流行病を引き起こしています。このときも、ジャガイモ疫病菌は大いに暴れ、農家が腐ったジャガイモの山の上で写真撮影をするというほど、もはや笑うしかない被害を発生させました。当時は、アイルランドジャガイモ飢饉が起きた時代よりも学問が発展し、農薬も開発されていたはずです。しかし、ジャガイモ疫病菌に効果があるはずの農薬は効かなかったのです。ジャガイモ疫病菌は交配により、薬害への耐性を得ていました。

 このような薬害耐性の獲得は現在も起こりえる話です。農薬会社は新しい農薬を、種苗会社は新しい品種を次々と開発しますが、それをはるかに上回るスピードでジャガイモ疫病菌は成長してゆきます。

 しかもそれはジャガイモ疫病菌に限らず、あらゆる病原菌が成長と進化の可能性を秘めており、病原菌と人類の戦いは終わることがありません。

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百万人を移住させた微生物 染谷市太郎 @someyaititarou

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