オレオレ詐欺の向こう側

猫目 綾人

オレオレ詐欺の向こう側

俺は走っていた。

朝、まだ太陽の光に目が慣れておらず、体も気だるいにも関わらずだ。


なぜ、そんな状態なのに走っているのか?

それはヤバいからだ。


なぜヤバいのか?

まずは、それから聞いてくれ。


今の俺の人生は完全に右肩下がりだ。


数カ月前、借金の連帯保証人になっていた知り合いが失踪。借金を肩代わりして貯金はすっからかん。それでもまだ約150万の借金が残っている。更には高校を卒業してから勤めていた会社が倒産。俺は24歳にして路頭に迷うこととなった。


でも俺は、土木作業員に再就職することに成功し、数週間前からいそいそと働いている。これからは下がった右肩を元の高さまで修正し、順風満帆な人生を送るのだ。


しかしながら今日、俺は寝坊してしまった。

もし遅刻し、この会社に見放されたら非常にヤバい。ヤバヤバだ。


これが、俺がこんなにも一生懸命に走る理由である。


だが、量体裁衣という四字熟語のとおり、大事なのは傷口を広げないこと。


幸いなことに、近頃の土木作業で鍛えられたのか、それとも俺の元々のポテンシャルのおかげか、このままいけば数分の遅れで済みそうだ。


数分の遅れならば、謝ればなんとかなるだろう。

そう俺が安堵し、信号を待っていると、おじいさんが話しかけてきた。


「すみません。道を聞きたいんですが」


(たくっ、時間がねぇってのに)


「どこへ行きたいんですか?」


「えーと、この総合病院っていうのはどうやって行けば」


「あー、この病院でしたら、あの信号を渡った後に右に行ってもらって、そのまま真っ直ぐ進んで2つ目の信号を今度は左へ…」


「…」


このおじいさん、明らかにわかっていないという様子だ。しょうがない、一緒に行くしかないか。


「じゃあ、おじいさん。一緒に行きましょうか」


「ありがとう」


俺は、おじいさんを目的の病院まで送り届けた。

しかし、俺が職場についた時には、遅刻という傷口は修復不可能なほどに開き、出血大サービスの大量出血していた。


「バカヤロー!!!」


上司の罵声が現場に響き渡る。


「すみません」


「すみませんじゃねぇー!たくっ、何分遅れてると思ってんだ!」


「すみませんでした。実は途中でおじいさんに道を―」


「言い訳してんじゃねぇぞ!もういい、帰れ!」


「あの、それはどういう―」


「クビだよ!クビ!二度とくんじゃねぇーぞ!」


うそーーーーーん!!!


会社をクビになった後、俺はあてもなく町をふらふらと歩いていた。


すると、道の先で、迷子になったであろう女の子が泣いており、俺は駆け寄った。


「どうしたの?迷子?」


「うえーーーん!!ママがママが、ひっぐ、ひっぐ」


どうやら、母親とはぐれてしまったらしい。


「よしっ。じゃあ、お兄ちゃんが一緒に探してやろう」


「うわぁーーーん!!ひっぐ、うえーーん」


そうして俺は女の子を抱きかかえ、女の子の母親を探すために歩き始めた。

しばらくそうやって歩いていると、俺たちは二人組の警察官に話しかけられた。


「君、その女の子とどういう関係?」

これは、あれか?

もしかして俺、誘拐とか、ロリコンとかに疑われちゃってる?


「この女の子が母親とはぐれたみたいなので、一緒に探していたんですよ」


「本当かい?」


警察官が女の子に話しかける。


「うえーーーん!!」


「本当だよな?」


「うわぁーーーん!!」


女の子は全く泣き止む様子がない。このままではヤバい。


「じゃあ、お嬢ちゃん。このお兄さんのことは知っているかい?」


「し、知らない人。ひっぐ、ひっぐ」


確かに知らない人だけども…。


女の子の発言を聞いて、警察官はさらに顔をしかめた。どうやら俺への疑いを深めたようだ。


「ご同行いただけますか?」


そう言って、警察官の一人が俺に詰め寄ってくる。


「いや、俺は本当に母親を一緒に探しているだけなんです!な、そうだよな!」


俺は女の子へ必死に訴えかける。


「うえーーーん!!」


「ンの野郎!いつまで泣いてんだクソガギ!!俺がパクられちまうだろうが!!」


「うわぁーーーん!!」


片方の警察官が女の子を俺から引き離し、もう片方の警察官が俺を抑える。まさに阿吽の呼吸、素晴らしい連携、彼らはとても優秀な警察官なのであろう。これが冤罪でなければ…。


「連行しろ!」


茂雄「うわぁーーーん!!」


そこには、警察に連行されながら小学生のように泣き叫ぶ24歳成人男性の姿があった。

もし、小学生の時の俺がこんな人間を見たら、こういう大人にはならないようにしようと思うことだろう。

…それが今の俺だ。


こうして俺は、警察に連行された。

俺が解放されたのは、女の子の母親が見つかり、女の子が落ち着いた3時間後であった。


警察に解放された後、俺はまたも街をふらふらと歩き、心の中で悪態をついていた。


たくっ、何が親切だー。俺って本当にバカ。今までの人生で、俺は完璧に理解しました。人に親切にしても、いいことなんてなんっにもない!

人に親切にしたって、自分が不幸になるだけだ。それに親切にした分、その不幸はより重くのしかかる。

人に親切にしてきたはずなのに、気が付けば職なしの無一文の借金まみれの泥まみれ。

冷静に考えてみれば、金持ってる奴ってみんな狡賢く生きてんだよなー。

こうなりゃ俺もやってやる。狡賢く生きてやる!


「ん?」


そう俺が決意した時、街中にある大型ディスプレイから振り込め詐欺事件のニュースが聞こえてきた。


「これだ!」


これだよ、振り込め詐欺。借金の150万なんてそう簡単に手に入るわけがないからな。もう犯罪しかねぇーよ。でも他の犯罪なんてリスクが高すぎるからな。

例えば盗撮ビデオを売るとか、ビデオをどこに売ったらいいのかわからねぇし。なんだ?レンタルビデオ店のロリコンそうなおっさんにでも渡せばいいのか?他には、強盗も成功する確率低そうだしな、モデルガンやナイフを持って「金を出せっ!」って言っても、店員や客にマッチョな奴でもいたらワンパンチでアウトだ。それに比べて振り込め詐欺は、公衆電話から電話を掛けるだけ。ヤバくなったら電話を切ればいいんだ。まさに、ローリスクハイリターン。


いける、いけるぞ!


心の奥底からパワーが湧き出て、やる気が満ち満ちる。

どうやら俺は人に親切にするよりも犯罪の方が向いていたようだ。


そうして意気込んだ俺は、まず、振り込め詐欺に必要な電話帳の内容をメモするために、電話帳の置いてある図書館へと向かった。

ついでにコンビニでテレホンカードも買い(10円玉をたくさん用意するのが面倒なため)準備万端だ。

準備が出来た頃には、外はすっかり夕方になっていた。

俺はさっそく人気のない場所にある公衆電話へ向かった。

公衆電話を使えば、たとえ通報されても、発信記録を調べられて足がつくこともない。

それに深夜に公衆電話を使っていたらいかにも何か怪しいことをしていますと言っているようなものだからな。あえて夕方の時間帯に電話することで、その怪しさをカモフラージュしているのだ。

石橋っていうのは、こういう風に叩いた拳がへし折れるくらい叩くもんだ。

俺ってば賢い。


もたもたしていたら夜になりそうだ。

よーし、じゃあ始めるか。


俺は振り込め詐欺を始めようとボタンを押そうとした。しかし、寸前で踏みとどまる。

ふと、こういう時は、まずは親に頼むべきではないのかと思ったからだ。

確かに職無しで借金まみれなんて、親に言いたくはない。しかし、そんなことを言っている場合では、ないのだ。


やっぱり、恥を忍んで、まず親に頼らないとな。

俺は重たい指を動かしボタンを押し、母親の番号へ連絡した。


数コールしたのち、母親が電話に出る。


「もしもし、どちら様ですか?」


「もしもし、母さん?俺だよ俺」


「は!?もしかして、これが噂のオレオレ詐欺かい!?」

母親は、いきなり俺のことを詐欺師と疑ってきた。確かに公衆電話からかかってきたら不自然だが、にしても息子の声を忘れるか?


「違うって!俺だよ俺!茂雄だって!息子の声を忘れたのか!」


「私は騙されないよ!息子の名前まで調べて、恥を知りな!」


「ちょっと待っ―」


ガチャン


電話を切られた。


「…」


もーーーーうしらん!!

オレオレ詐欺でもなんでもやってやらぁーー!!

やってやろうじゃねぇーか!!

俺は心の中で叫びながら、今度こそオレオレ詐欺をしようと決意する。

いよいよだ。

俺は緊張しながらも電話帳を適当に開き、これまた適当に選んだ電話番号を押した。

プルルルとお馴染みの呼び出し音が数回なったのち、電話に男が出た。


「…あ゛い」


男の声は低く、どこか凄みを感じるような声だった。


「あの、俺です。俺」


「あ?誰だよ、お前?」


「ですから、俺ですよ。俺。わかりませんか?」


「おい、お前。俺が花形組の長坂と知って話しかけとんのか?お?」


ガチャン


俺は慌てて電話を切った。


ヤクザだ。やべーヤクザだ。

ヤクザに間違って連絡した時ってどうすればいいんだ!?

とりあえず、俺はここからは離れることにした。

なぜなら、もしヤクザがこの公衆電話の場所を割り出し、その時に俺がいたら、確実に俺はコンクリート入りのドラム缶に詰められて海に沈められ、あの世に行くまでの数分間、お魚と仲良く戯れるはめになるだろうからだ。

この確実度は新幹線の到着時刻ぐらい確実である。


俺は元居た公衆電話を離れながら、スマートフォンで「ヤクザ 間違って電話」と検索し、対処法を調べた。


調べてみると「ヤクザは間違い電話なんて気にしない」「ヤクザを語った人がからかっているだけ」などの意見が多く、それほど心配しなくてもいいのではないかと、俺の心は落ち着きを取り戻してきた。

沸騰した水は蒸発するだけ。

やっぱり大事なのはクールでいることだ。ヤバそうな状況も冷静に考えれば案外対処のしようもあるってもんだ。


そして俺は、客観的かつ冷静に自分の状況をありとあらゆる角度から観察した結果、もう一度振り込め詐欺に挑戦することにした。


あの男がヤクザだったとして、電話してきた奴の居場所をわざわざ突き止めて何かしようなんて面倒なことは考えまい。

それに他の犯罪と比べて振り込め詐欺がローリスクハイリターンなのは変わらない。


俺は再び公衆電話に舞い戻ってきた。(一応別の公衆電話。別にビビっている訳ではない)景色はもう夜だ。


先ほどは、あえて夕方の時間帯に電話することで怪しさをカモフラージュするとかなんとか言ったが、冷静に考えれば公衆電話で連絡するのは、何かしらのトラブルがあった時だ。そしてそういうトラブルは、得てして夜に起こるもの。つまり、夜に電話するのも不自然ではない。

このことから、今の俺の状況は決してミスではないのだ。


ふぅ、やるしかない。

俺は自分にそう言い聞かせた。

正直言ってこれは強がりだ。だが、強がりだって強さなのだ。

ここは勝負するしかない。

俺は再びダイアルを回した。

お馴染みの呼び出し音が鳴り、電話が繋がった。


「もしもし」


「……」


「俺だよ俺」


「もしかして、圭介かい?」


どうやら電話相手は年寄りの婆さんのようだ。しかも誰かと勘違いしている。こいつは好都合だ。


「そうだよ圭介だよ」


「ひっさしぶりだね。元気だったかい?」


「あぁ、元気だったぜ」


「それにしてもあんた、2番目の孫の圭介と13番目の孫の圭介どっちだい?」


13番目!?

何を言ってんだこのババア!どんな大家族だよ!

だが、わざわざ13番目って聞くってことは…。

ええーいままよ!!


「13番目の圭介だよ」


「あぁ?あんたは一人っ子やろ。うちには、そんなに孫はおらんわ!あんた、なにもんだい!?」


ヤバい、バレた。もーおしまいだ。このまま警察に通報されて捕まって、刑務所に入れられて、ケツの穴まで調べられた挙句に、警棒を突っ込まれてズボズボされるんだ!!

うわぁーーーん!怖いよー!ズボズボ怖いよー!!


「あぁ、お助けください。神様、仏様、キリスト様、アッラー様~~!」


俺は気が付くと、自分が知っているあらゆる神様に祈っていた。


「はっはっはっ、何をいっとんね。宗教がバラバラや。それにしても圭介がボケるとは珍しい。13番目って、何人家族や。それに同じ名前を付けるわけなかろうが。」


「あははは、だよな」


なになら上手くいったらしい。

そしてどうやら圭介は、この婆さんの孫のようだ。



それから俺は、圭介になりきり色々なことを話した。まさか俺にこれほどまでに演技の才能があろうとは。もし劇団にでも入って演技を学んでいれば、名役者になっていた未来もあったのではなかろうか。

そして職場の友人や上司に関して(今は働いていないが)、仕事でのトラブルに関して(今は働いていないが)など、俺はあることないことをベラベラと話した。

なぜ話したくもない仕事の話をしているのかというと、親の話や友人の話など、身近な人物の会話になるとボロが出てしまう可能性があるからである。

まったく俺って奴は賢いぜ。こんな状況でこうも頭が回るとはな。これは追い込まれて、秘められた潜在能力が目覚めちゃった的なやつか?火事場の馬鹿力ならぬ火事場の馬鹿頭脳ってやつ?


こうして俺の巧みな話術で婆さんと話していると、どうやら婆さんの旦那は既に亡くなっており、婆さんは一人で暮らしているということがわかった。

ますますこの婆さんはターゲットに持ってこいである。


「それで何の用や?」


「え、あぁ。実は頼みごとがあってさ」


「何だい?」


「えーと」


俺は金の話を切り出そうと思ったが中々言葉が出てこない。

これが良心の呵責というやつであろうか。

しかし、俺が言い淀んでいると、婆さんの方から話し出してきた。


「…もしかして、お金かい?」


「あぁ、うん。実はそうなんだ。」


「で、幾らだい?」


「……150万」


「わかった。いいよ。」


「ありがと。必ず返すよ」


「そんな遠慮せんでもええよ。家族やし。それで、お金はどうやって渡せばいいん?」


「あぁ、俺は最近仕事で忙しいから、俺の友達に取りに行かせるよ」


振り込み先の名義が俺だったら不自然だし、万が一通報された場合俺だとバレる可能性が高い。これが最善策だ。


「わかったわ。じゃあ、いつ渡せばええ?」


借金の返済日は来週の木曜日だ。日々の返済で貯金もないうえ、仕事がなくなった今、返済する手立てはない。お金を貰うなら早急に貰った方がいい。


「じゃあ、明後日は?」


「明後日か…。私が行っている銀行は、確か50万以上を引き出すのに手続きが必要やったし、銀行って閉まるの早いやろ。できたら渡す日、来週の水曜日ぐらいでええかな」


来週の水曜日。今日が水曜日だから丁度一週間後だ。返済日は木曜日だから1日猶予がある。


「わかった。友達もその日で大丈夫だと思う」


「わかったわ。後、私からもお願いがあるんだけど」


「ん?なに?」


「あんたと話すのも久しぶりやろ。あんまり話す機会もないし、お金を渡すまでの間だけでもいいから、また電話してくれんか」


できれば遠慮したいが、家族なのに断れば不自然かもしれない。しかたないか。


「わかったよ。じゃあ、また同じくらいの時間に電話する」


「わかったわ」


俺はまた婆さんに電話するため、公衆電話の画面に表示されているリダイアル用の番号をメモをし、その場を後にした。




                  ◇◇◇





そして俺は次の日も、俺は婆さんに電話した。そして次の日も、それまた次の日も。俺は毎日、毎日、婆さんと他愛のない話を繰り返した。


そしてとうとう、引き渡しの日の前日となった。



                  ◇◇◇




「明日だね」


「うん。明日の昼、渡してもらう場所は○○第二公園でいい?」


「ええよ」


「渡す奴は、池岡って名前の奴だから。格好は鼠色のパーカーをしてる」


「池岡さんね。うん、わかったわ」


「ありがとう。じゃあ、切るね」


「うん。おやすみ」


ふぅ、いよいよ明日だ。いよいよ明日、すべてが終わる。


借金全部チャラにして、俺の新しい人生が始まるんだ。


よーーし。新しい人生が始まる景気づけとして、今夜は残りの有り金数万円ををパーッと使っちまうか!

そうして俺は、夜の街へと繰り出した。


まず、俺は焼肉屋へ入った。


そこまで高くはない焼肉屋で、注文をすると速やかに肉が運ばれてきた。

中々のスピード、気が利く店だ。

焼き肉の香ばしい匂いが食欲をそそる。俺は耐え切れずに肉を口へ運んだ。


「バカヤロォー!クソうめぇじゃねーか!なんだこのタレは!バカタレか!」


久しぶりの焼き肉は信じられないほどのおいしさだった。


「マスター!タン塩追加で!」


「あいよ!」


「この肉め!久しぶりじゃねーか、バカヤロォー!!」


その後、おっパブに行きスッキリとし、食欲と性欲の両方を満たすことに成功した俺は、諸々のシメとして立ち食いそば屋へと入った。


「おじちゃん。天ぷらそばの並。あとコロッケとお稲荷さんね」


「あいよ」


俺は運ばれてきたそばを勢いよく食べ始めた。そばにコロッケを入れ、麺と一緒に流し込む。

これが意外と美味いのだ。そしてお稲荷さんを口に入れ、それをそばの汁で流す。これまた乙である。

そうしてズルズルとそばを食べていると新しい客が入ってきた。


「らっしゃい」


「かけそばの並。熱いところを頼むよ。」


「あいよ」


「あぁ、ネギ抜きでお願いするよ」


「はい」


「君、いい食べっぷりだね」


「俺ですか?」


「あぁ、君だ」


「ああ、だって美味いんですもん。訳あってこんなに食べられる機会も久しぶりですし」


「海老天、ネギ、コロッケ、お稲荷、確かに、どのメニューも魅力的だ。だが、すべてを無くすことで、見えてくる美味しさもある」


「はぁ」


この客はいきなり何を言っているのか。


「お待ち」


その客の所へ頼んだそばが運ばれてくる。するとその客は、手元にある七味唐辛子をしゃかしゃかとそばへかけ、物凄い勢いでそばを食べ始めた。


「ふぅ、ごちそうさん」


「えぇ!?もう食べたんですか!?」


「あぁ、寒い季節はこの食べ方に限るよ。君も試してみるといい」


そう言うとその客は去っていった。

俺はなぜか、去っていくその男の背中をじっと眺めた。




                  ◇◇◇





そして次の日、運命の日がやってきた。


昼になり、俺は○○第二公園へ向かった。


公園内で立っていると、婆さんが俺に話しかけてきた。例の婆さんだろう。


「あなたが池岡さんかい」


「はい、池岡です。じゃあ、あなたが圭介君のおばあさんですか?」


「そうです。いつも圭介がお世話になっております」


「いやいや、こちらこそ。圭介君にはいつもお世話になっています」


「はい。これが頼まれたお金です。圭介に渡してやってください」


そう言って、婆さんは茶色い封筒を俺に差し出した。


「はい。必ず圭介君に届けます」


「……」


少しの間、沈黙の時間が流れる。


「では、僕はこれで」


「圭介のこと、これからもよろしくお願いします」


「はい」


「さようなら」


「さようなら」


そうして俺は、婆さんと別れた。


その後、公園を出て角を曲がるとおじいさんが俺に話しかけてきた。


「あの…」


「あぁ、あなたはあの時の」


そのおじいさんは、この前俺が道を教えたおじいさんだった。


「この前はお世話になりました」


「いえ、そんな。たいしたことないですよ。それで、どうしたんですか?」


「いやー、さっき春さんと話してたでしょ。二人が知り合いなのか気になったもんでね」


春さんというのは、さっきの婆さんのことだろう。


「いや、最近知り合いまして、ちょっとした話し相手になっただけで」


「そうだったんか、あんたは優しいからね。春さんはいつも一人だから、あんたと話せて嬉しかっただろうよ」


いつも一人って、いくらなんでもたまには誰かが会いに来るだろ。


「あのー、あのおばあさんは、本当にいつも一人なんですか?お子さんとか、お孫さんとかは…」


「孫か…。実は、4年くらい前かな。春さんの孫が事故で死んじまったんだよ。男の一人っ子で、春さんとも仲が良くてな。もう少ししたら働きにでるはずだったんだけど。それからかな、息子夫婦もそのことがショックだったのか中々春さんに顔見せなくなってね。今ではずっと家で一人さ」


この爺さんは何を言っているんだ?

婆さんの孫が事故で死んだ?じゃあ、昨日まで電話してたアレは何だったんだ。

孫が死んでるってんなら、一体、俺を誰と勘違いしているんだ。


「…そのお孫さんのお名前ってわかりますか?」


「たしか、圭介だったかの」


「…圭介」


「…なぁ、あんた。もしできれば、これからも春さんと話してやってくれないか。そうすれば、春さんの寂しさもきっと和らぐだろう」


「…はい」


そうして、俺とおじいさんは別れた。


圭介がもう死んでいる。衝撃的な話だったが、もう俺には関係がないことだ。

もう俺が婆さんに会うことはないのだから。


そして、俺は早速、婆さんからもらった封筒を確認した。

そこには、150万円の札束と一枚の手紙が入っていた。


『圭介へ

お金、ちゃんと用意したよ。しっかりと役立てとくれ。

そして代わりといっちゃあなんだけど、私の方からもお願いしていいかい?

これからもたまにでいい、本当にたまにでいい。また、電話してくれないかい?

また電話して、圭介の仕事の話や友達の話を聞かせておくれ。

圭介が送るはずだった、未来の話を』


婆さんは、最初から全てわかっていたのだ。

俺が圭介じゃないことを。

そして全てをわかったうえで重ねていたのだ。

俺と圭介に来るはずだった未来の姿を。


俺は走り出していた。

婆さんがいる場所へ走った。


さっきいた公園へ婆さんはまだいた。


「おばあさん!」


「あれ、池岡さん?どうかされました?」


「はぁはぁ、あの!このお金返します!」


「え、いいんですか?」


「はい。さっき圭介君から連絡があって、このお金はもう必要ないって」


俺は婆さんに封筒を差し出す。


「…そうですか。じゃあ、お受け取りします」


婆さんが封筒を受け取る。


「…では、さようなら」


「さようなら。…いや、また会いましょう」


「!…はい。…また」


こうして俺のオレオレ詐欺は、失敗に終わった。

やっぱり振り込め詐欺なんて、そうそう上手くいくもんじゃない。

どうやら借金は、俺が返すしかない。

俺はそう決心した。



                ◇◇◇




■ある朝


チリリリ、チリリリ。


部屋の中に、目覚まし時計の音が鳴り響く。


「あー、やだやだやだ!ねむてー!めんどくせー!仕事行きたくねぇーよー!」


チリリリ、チリリリ。


「あぁ!たくっ、しょうがねぇーなぁ!」


カチッ


俺は体を蝕む眠気に悶えながらも、目覚まし時計を止めた。


そして、支度を済ませ仕事へ向かう。


オレオレ詐欺に失敗したあの日の後、俺は再就職することに成功した。

借金はまだ残っているが、少しずつ、ぼちぼちと返していくつもりだ。


今まで、俺はわからなかった。

大人になるっていうのは体も、心の器も大きくなることだと思っていた。

なら、子供の時にすぐに心が満たされていたのは、器が小さかったからなのだろうか?

器が大きくなったことで、器を満たすのが難しくなったのだとしたら、一体なにをどれだけ注げばいいのか。


俺は今までわからなかった。


けど最近、少しずつわかってきた気がする。

別に、何か特別な凄い人間になる必要なんてないんだ。

ただ、自分なりに頑張っていけばいい。

世界から注目されなくても、社会からさして必要とされなくても、そこまで大きな問題じゃない。

人間にとって一番の特別は、社会にとって特別な存在になることじゃない。

自分にとって特別な人の特別になることだ。


それが俺の器を満たすもの。それがやっとわかった。


仕事が終わると、俺は毎日、いつもの公衆電話へ足を運ぶ。

俺はあれから、婆さんに毎日電話していた。

その日、仕事であったこと、最近の悩み、友人との会話など色々なことをいつも話す。


そして、今日も。


「もしもし」


「もしもし、圭介かい?」


結局、俺の問題は何ひとつ解決しちゃいない。

何かが劇的に好転したわけでもない。

俺はこれからも、毎日不満を抱きながら生きていくのだろう。

でも―、


「じゃあ、今日はこの辺で」


「うん。おやすみ」


「あぁ、おやすみ」


でも、毎日のこの電話。この電話の時間は悪くない。


…いつまで続くかはわからないが、明日も、明後日も、しばらくの間、これはきっと、続いていく。


俺は公衆電話を出て、家へ向かって歩き出した。


帰る途中、俺はふと、空を見上げる。

暗闇の中、やたらと月がよく見えた。

そして俺は家路についた。



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