最終話

 翌朝、彼女を送って部屋を出ると、外は雨の名残の湿気を含んだ涼しい風が吹いていた。


 肩を並べて歩きながら、どういうわけか、もうこの女には二度と会えないのだ、と妙に感傷的な気分になっていると、ふと上着の胸ポケットに手をやり、お気に入りの万年筆をどこかで落としてしまったのに気づいた。


 黙々と歩くうち、もう街外れのメタセコイアの大木まで来てしまい、ユキナは太い幹に巻きつけられた札の文字を読みながら言った。


「メタセコイアってすごく長生きするのよね。でも、何百年も生き続けて、どうやって命の終わりに気づくのかしら。何だか立派な木ね」


「気づくというより、取り巻く自然の移り変わりで、教えられるように終わりを悟るんじゃないかな」


 話しながら、やはり落とした万年筆が惜しくて浮かぬ顔をしていると、ユキナはバッグから銀軸の万年筆を取り出し、僕のほうへ突き出した。


「ちょっと古いけど、物はいいからまだまだ使えるわ。いいから、もらっとくと後で得したって思うわよ」


 安物を買ってすぐ駄目にするより、もらっておいた方がいいのかもしれない。


 そうして、別れ際に彼女はこう言って去った。


「バンドにはライヴが必要なのだよ、キミ」


 たとえば木は千年の時を生き、その姿を自然の風景に同化させる。


 その美を一瞬目にして憧れ、ただ通り過ぎるだけの人間とは違うのだ。


 人は短い命を火花に託して生き、永遠に辿りつこうとあがきつつ、決してそれを見ることはない。


 憧れの国は、果てしなく遠いのだ。


 陽が傾き始める頃、僕は改めて散歩に出た。


 鳥の群れが西の空をねぐらへ帰って行く。


 歩いて近くの公園へ行った。


 管理人のおばさんが竹箒で枯葉を集めている。


 数人の子供が元気にブランコをこいでいて、ベンチに座って缶コーヒーを飲みながらその姿を眺めたりしていた。


 すぐ横で、停めた自転車にまたがったままじっと見ているメガネの若い女がいて、時々空を見上げてはネックレスに手をやり、脚をぶらぶらさせている。


 彼女は子供たちがどこかへ行ってしまうと、待っていたかのようにブランコにのり、たいそう勢いよくこぎ始めた。


 通り過ぎる人目もはばからず、踵の高いサンダル履きの脚を蹴り上げては、高く高く上っていく。


 女は唇を真一文字に結び、いつまでもこぎ続けるのだった。


 やや強張ったような顔を夕陽が照らし、メガネの縁がキラリと光った。


 太陽が西の山陰にすっぽり隠れ、辺りはだんだん暗くなった。

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青空を待ちながら 令狐冲三 @houshyo

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