第2話 処女の魅力とは何か

 本格的に執筆を始めた後の最初のテーマとしては、いささか過激である。しかし、多少羽目を外さないと歯牙にもかけられないので、これについて論陣を張ってみる。どんなテーマでも誰も目もくれないのではないかという指摘には、私は目もくれない。


 まず、この場合の処女は、二次元限定である。三次元女性まで包含して論じてしまうとシンクポルあたりに思想犯罪者として連行されてしまいかねない。シンクポルについてはジョージ・オーウェル氏の「1984年」を参照してもらえると幸いである。


 アニメや漫画の愛好家の中には、二次元美少女は処女限定と声を大にして主張する人が少なくない(と個人的に思っている)。初めて心の底から心を開いた相手が主人公であることで、主人公視点の読者の感動もひとしおなのかもしれない(完全にを開いた後に、最終的に相手にゆだねるのがである点に一抹の皮肉を感じてしまうが)。それも含めて、理由については議論百出であろうが、私もご多分に漏れず議論に一石を投じたい。しかし、そのためには神学的視点からの深遠な論理展開が必要である。


 まず神を引き合いに出したい。なぜと小首を傾げるかもしれないが、とりあえず読み進めて頂きたい。神の存在を証明する方法として、以下のようなものがある。


 神は全能であるのだから、その中には「存在」も含まれていなければならない。よって、神は存在する。


 この論理を応用して、全能の中に「永遠」が含まれていると考え、それを神の固有属性としたい。そうなると神が創造あそばされた数百万の生物たちは、疑似的に神になろうとしていることになる。どういうことか。熱力学の第二法則と呼ばれるものがある。エントロピー増大の法則とも言う。物理学における当該法則の意味については毛ほども存じ上げていないが、生物学等に適用した解釈は以下のようなものである。


 秩序あるものは無秩序な方向にしか遷移しない。すなわち、あらゆるものは壊れる運命にある。


 エントロピーが増大し続けるため、生物の個体としての老化は回避不可能である(単細胞生物レベルでは例外もあるようだが、話が面倒くさくなるので省略する)。よって、親世代は子世代を生産することで、一度増大したエントロピーをリセットする。すなわち、老化していない赤ん坊を産む。これを半永久的に反復することで、生物は個体レベルではなく、種レベルで地球上に存在し続けようとする。


 これは神の固有属性である「永遠」と対照すれば、「疑似的永遠」とでもいうべき状態である。疑似的な永遠の獲得は、疑似的な神性の獲得である。「生物たちは、疑似的に神になろうとしている」というのは、この意味に他ならない。


 しかし、ここで逆説的に考えてみたい。生物はどうあがいたところで完全な永遠を獲得することはできない。過去5回の大量絶滅によるものも含めて、地上から影も形もなくなった生物は星の数ほど存在するし、そもそも神は子世代を生産しない。故に親世代による子世代の生産という、疑似的な神性の獲得は、それ自体がどうしようもなく人間臭い(厳密に言えば生物臭い)営為にならざるを得ず、それを実行する個体を神ならざる生物として再定義してしまう。人間をどうしようもなく俗物たらしめてしまう皮肉である。そして、子世代生産の中核をなすものが、言わずもがな性行為である。


 さあ、やっと処女の登場である。今までは前置きである。大概の(まともな)話は前置きが一番長いのである。本当に大切なことほど一言で済む。だから、最も重要な告白の言葉は「アイラブユー」一言なのである。


 話がわき道にそれた。処女についてである。処女は当然性行為をしていない。これは生物を生物たらしめる行為の否定である。処女は生物としての属性を放棄しているのである。それは俗物としての人間からの脱却である。人間性を喪失しているからこそ、処女はある種の神秘性を獲得する。それを神性と同一して良いかどうかは疑問符が付くが、我々を魅了するものには相違ない。俗人が決して獲得し得ぬ美しさがあるのだから。


 おそらくこの神秘性こそが処女の魅力の正体なのであろう。



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アホジャーネンに戯言を 悲嘆屋ろびん @kuchinashi_susuki

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