アホジャーネンに戯言を
悲嘆屋ろびん
第1話 戯言を宣い始めた理由とは何か
聡明なる読者諸氏におかれましては、本エッセイのタイトルがいずこに端を発しているか、推察するのはあまりに造作もない事と存じ上げる。釈迦に説法なことこの上ないが、あえて申し上げれば、言わずもがな、かの有名な小説「アルジャーノンに花束を」である。ここで留意されたいのは、アホジャーネン(阿保じゃね)とは読者諸氏のことでは全くない。このエッセイを執筆する私自身のことである。私が、阿保な私自身に戯言を口走らせることを目的としているというわけである。
ちなみに、私は「アルジャーノンに花束を」を読んだこともなければ、触ったこともない。よって、そもそもタイトルの意味も一知半解であり、引用方法が正しいのかさえも判然としない。
アルジャーノンについてはひとまず(おそらく永久に)置いておくとして、始めになぜ私がエッセイの執筆を思い至ったのかについて触れたい。興味の無い方はもちろん読み飛ばして頂いても構わない。読み飛ばされたことによる私の少しばかりの悲哀何ぞに気を配らなくて結構である。
執筆の理由は主に2つある。
1つ目に、私は明けても暮れても、とりとめもなく、益体もない思索を行っている。それは脳内で藪から棒に湧出しては、あっという間に雲散霧消してしまう類のものである。むしろ、雲や霧の方が長く滞留しているかもしれない。そのような非生産的営為を何らかの生産物に結び付けようと考えたわけである。されど、ここで、重要な問題が発生する。無駄な思索だけでなく、それによって生産されたものもまた無駄なのではないかという疑念である。皿の片方に執筆の労力、もう片方に本エッセイを乗せて天秤にかけた場合、明らかに前者に傾くであろう。とどのつまり、割に合わないのである。そこで第2の理由が必要になってくる。
2つ目の理由は、私の中の創作意欲を充足するためである。しかし、フィクションの創作でこの欲求を満たすのは大変に骨の折れる作業である。世界観設定、キャラクター設定、ストーリー展開、超常能力の技名等々、考案すべきことは枚挙にいとまがない。現実の国際ニュースを視聴するだけでも手に余るのに、なぜに架空の国家を建国して、国際関係について云々しなければならないのか。現実の人間関係だけでも嫌気が差すのに、なぜキャラクター相関図を描画しなければならないのか。
正直、私はそのようなことに(再び)手を付けたくない。そして手を付けてもきっと終わらない。終わったとしてもきっと小説を完結させられない。のっけから万事休すであろう。だから、骨を惜しんで欲求不満を解消する方策はないかと思案してみた。その結果がエッセイの執筆である。これならば、雑多な戯言を散文的にちりばめて、少し論理構造を調整すれば事足りる(筈である)。全身全霊でエッセイをしたためていらっしゃる先達には、ここでぬかをついて謝罪申し上げるが、それでもこれが理由なのだから是非もない。
さて、この2つ目の理由を、先ほどの天秤の後者の皿に乗せてみよう。天秤がわずか(多分角度にして一度くらい)後者に傾いたようである。正直、胸をなでおろしている。脳内で天秤にかけた時は執筆すべきとの結論に至ったが、実際のところはふたを開けてみるまで分からない。シュレーディンガーの猫に、意欲面でそっぽを向かれる可能性は低くないのである。創作の口火を切ってみて、天秤が前者に傾いたままでは開いた口がふさがらない。
それでは創作開始で折り合いがついたところで、次話からテーマに沿って戯言を宣ってみようと思う。なお、作中において、日本語の表現や作品からの引用については私の記憶の中から抽出したものであり、完全に正しい保証何ぞどこにもないことを念頭に置いておいて頂きたい。
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