乳首当てバトラー ケン
饗庭淵
乳首当てバトルトーナメント
「データは嘘をつきません。人体解剖学と統計学を駆使すれば乳首の位置は見えずとも確定できます」
黒縁メガネのレンズを光らせながら、理知を重んずる乳首当てバトラー・デイタは構えをとった。両手の人差し指(乳首押し指)を無造作に前へ突き出す構えだ。
前押しの構え――乳首当てバトルにおいて最もスタンダートな構えだ。言い換えれば、最も工夫のない構えでもある。全身全霊を賭した命がけの競技である乳首当てバトルにおいては、構え一つとっても気を抜くことは許されない。ゆえに、初心者ならともかくプロシーンや大会出場クラスの選手が「前押しの構え」に甘んじることは「舐めている」とも捉えられかねない。
だが、彼はそれで十分だと考えている。
乳首当てバトルにおいてもっとも肝要なのは「確実に乳首を当てる」こと。奇を衒った構えはかえってノイズとなる。彼はあくまで理知的に、合理的に勝利をつかむ。
はずだった。
「な、なにぃ?!」
勝利を確信した二本の人差し指(乳首押し指)は、むなしく胸筋を貫いた。
「へへっ、残念だったな」
不敵な笑みを浮かべるのは、対戦相手のケンだ。
「おれは生まれつき乳首の位置がズレていてね。お得意の統計データも外れ値には対応していなかったみてーだな。さて、次はおれの番だ。どうした? 動揺で乳首が浮き出てるぜ?」
勝利の確信が崩されたデイタは、全身から汗を拭きだし、シャツは濡れ透け、羞恥と興奮と恐怖から心拍と体温が上昇、服の上からでも乳首が露わになっていた。
こうなってしまえば乳首当てバトラーはおしまいだ。
それでも、ケンは油断しない。乳首当てバトルは全身全霊を賭した命がけの競技だからだ。
「はうわ?!」
顎の構え――対戦相手を威圧する獣のごとき構えが、小動物のように竦むデイタの乳首を狙う。「奇を衒っているだけだ」と馬鹿にしていた構えの恐ろしさを、彼は身に染みて理解することになる。
乳首当てバトルにはチェスのようなチェックメイトは存在しない。「相手の乳首をすべて当てる」こと、それだけが試合の終了条件である。
「そこだァ!!」
顎の構えから繰り出される強烈な人差し指(乳首押し指)の突きが、デイタの二つの乳首を捉えた。
『そこまで! 勝者、ケン選手!!』
わぁぁぁ――と、一斉に歓声が上がる。
乳首当てバトルトーナメント・準決勝。ケンは見事に決勝へと駒を進めたのだ。
「ほっほっほ。やりおったなケン」
「すごいわ! ケンくん!」
「決勝進出でやんす!」
仲間たちの応援を背に受け、ケンは得意満面の笑みを浮かべる。
「――!!!!」
が。
それらを掻き消してあまりある強烈な気配に、ケンは思わず振り返った。
「チャ……チャンピオン……!!」
観客席までの距離はゆうに10m以上。にもかかわらず、ただ座っているだけの男の気配に、ケンは背筋が凍る思いだった。
(明日の決勝で、おれはあの男と……)
圧倒的な雄の魅力によって男女問わずに発情させ乳首を浮かび上がらせることで不敗伝説を築いた「攻めの乳首」チャンピオン・ダイモン。彼の周囲に座る観客は全員が雄の魅力にあてられ乳首を浮かび上がらせている。
彼は黙して語らない。ただ静かにほほ笑むのみである。
(なんて色気だ……! こんなに離れているのに、気を抜いたら乳首が浮かび上がっちまいそうだ……!)
それでも、勝算はある。ケンには秘策があったからだ。
***
「うそだろ?! あの圧倒的な雄の魅力で男女問わず発情させ乳首を浮かび上がらせることで不敗伝説を築いたチャンピオン・ダイモンが負けた?! 相手はいったい誰なんだ!」
試合の疲れからジムに戻って休んでいたケンは思わず飛び起きた。
「やつは……邪法に手を染めた悪魔じゃ……!」
トレーナーは絶望に染まった顔でそう告げた。
「やつは……! 身体中に乳首を移植し、残機を増やしておるのじゃ!!」
「なっ」
乳首当てバトルの勝利条件はこうだ――「相手の乳首をすべて当てる」こと。
一方、一度に繰り出すことのできるのは二本の人差し指(乳首当て指)のみである。本来なら最短で一手のうちに決着する相撲のごとき高密度の競技。だが、そのルールには落とし穴があった。
「そんなんありかよ……! 乳首を増やすなんてよ! 男なら生まれ持った自分の身体だけで勝負しろってんだ!」
「ふん。恵まれた乳首を持つ者の戯言だな」
「誰だ!」
ジムの入り口からぬっ……と姿を見せたのは高身長にして半裸の男であった。
「げぇー! 画像生成AIにえっちな絵をつくらせようとして失敗したみたいに乳首がいっぱいでやんすー!」
「
「へっ。だったらいいのかよ。次の対戦相手の前にそうやって乳首の位置を晒してよ」
「ご心配なく。私の乳首は自由自在だ。明日も同じ位置に乳首があるとは思わないことだ」
「そこまでして勝ちたいのかよ」
「そこまでしてだと? 特異体質により乳首がズレているお前にはわからんだろう。まともな人間では今日お前が下した人体解剖学と統計学をかじっただけのデイタ程度にすら勝てやしない。それが乳首当てバトルの現実だ。このままでは乳首当てバトルはお前たちのものになってしまう。私はその流れを変えるために戦っているのだ」
「なんだと?」
「乳首の移植と再配置。それが当たり前になれば乳首当てバトルは万人に開かれた競技となる。明日の決勝でお前を倒し、私はそれを証明する」
「そうかよ。だとしてもおれは、お前なんかには負けねえ!」
「ふっ。明日が楽しみだ」
そう言い残し、男は立ち去って行った。
「ねえ、大丈夫なのケン? あんな乳首がいっぱいある男に、勝てるはずが……」
「心配すんな。おれを誰だと思ってる」
が、ケンは憂いに満ちた表情で顔を落とした。
チャンピオン・ダイモンが「攻めの乳首」の代表とされる一方、ケンは「守りの乳首」――チャンピオンとは対なる存在であるという自負があった。「攻めの乳首」の最強を下すことで、「守りの乳首」を知らしめるという野望もあった。
だが、チャンピオンは倒れた。あろうことか、自分以上であるかもしれない「守りの乳首」によって。
「チャンピオン対策に用意していた
そして明日――決勝!!
『乳首当てバトルトーナメント決勝戦! 波乱の展開となりました! なんと両選手とも本戦初出場! 突如現れた新進気鋭の乳首当てバトラー・ケン選手! 一方、チャンピオン・ダイモンを倒した大番狂わせ、無数の乳首を持つ男・ドクター! この二人の対決となります! では、両選手入場!』
歓声が上がり、二人は闘技場の上に立ち、向かい合う。
互いの距離は4m。相撲のように一瞬で決着のつくこの競技では、まず両者の呼吸を合わせることが肝要となる。
『はじめい!』
「そこだァ!!」
電光石火の構えから繰り出される先手必勝の一撃。ケンの両人差し指(乳首当て指)が、ドクターの二つの乳首を捉えた。
だが。
にやり、とドクターは笑んだ。
「守りの乳首の名手である君が先手を取るとはね。私の乳首の多さによほど恐れをなしたと見える」
乳首当てバトルはターン制であり、先攻有利の競技である。ゆえに、「最初の一手」のみは「早い者勝ち」となる。かといって、相手の乳首の位置を見極めぬうちに焦って手を出し失敗すれば、後攻からじっくりねっとり観察されより確実な乳首当てを食らうことになる。
そのため、上級者同士の「最初の一手」は対峙するガンマンのような緊張感を伴う。
そのセオリーを覆す電光石火の構え。ケンの両人差し指(乳首当て指)はどちらも対戦相手の乳首を捉えた。本来はここで決着、試合終了である。ふつうの人間には、乳首は二つしかないからである。
「私の乳首はまだあるのでね。さて、お前の乳首、ゆっくりと見極めさせてもらうとしよう」
ケンの乳首は生まれながらの特異体質によってズレている。これまですべての試合でケンは後攻であったが、一人たりともケンの乳首を当てることはできなかった。
だが、データは積み重なっている。「乳首を当てられなかった」というデータだ。乳首当てバトルが先攻有利であり、命がけの競技であるゆえんもそこだ。敗北によって乳首の位置が露呈した選手の競技生命はその時点で終わるからである。仮に勝ったとしても、先攻を取られて「当てられなかった」という記録を晒したものはいずれ当てられてしまう。
(いかに特異体質といえど、そこが限界……!)
試合ごとに乳首の位置を変えられないようでは、乳首当てバトルの競技人口は減る一方である。乳首当てバトルの未来のためにも、彼は負けられないのだ。
『あと30秒!』
乳首当てバトルの持ち時間は一手ごとに最大一分。このスピード感も乳首当てバトルが世界的な大人気競技として発展したゆえんであるといえよう。
「おおお……!」
虎爪の構え――呼吸を整え、乳首の位置を見定める。無数の乳首を持ち残機に余裕のある「守りの乳首」といえど、彼は決して油断しない。一手のうちで決める覚悟で常に全力を費やす。
「はァ!!」
が。
彼の両人差し指(乳首当て指)は虚しく胸筋を貫く。
「馬鹿な……!」
ケンの試合記録はすべてに目を通した。多くの選手があるべき場所を指し示し、散っていった。ケンの乳首はあるべき場所にはない。だが、いったいどれほどズレているというのか。
「へへっ。ずいぶんカッコつけてたわりには外しちまったようだな」
乳首当てバトルは全身全霊を賭した命がけの競技である。ゆえに、挑発による精神的揺さぶりは初歩的なテクニックに過ぎない。
「次はおれの番だな。なに、的はいっぱいあるんだ。当てるだけなら簡単だぜ」
そういい、ケンは両手を後ろに引いた。電光石火の構えである。
「そこだァ!!」
「なっ」
持ち時間は一分。本来ならじっくりねっとり観察したうえで確実な乳首当てを狙う。だが、ケンは間髪詰めずにさらに二つの乳首を当てた。
「へっ! てめえの乳首なんざ見え透いてんだよ。いくらたくさんあってもな」
「くっ」
ドクターは冷や汗を流す。セオリーを無視した電光石火によって精神的な動揺を覚えていた。だが――彼は冷静さを取り戻す。
「焦っているのか?」
「あ?」
「相手の持ち時間でも観察はできる。お前の乳首はたった二つだ。観察される時間をかぎりなく短くするために自分の持ち時間を最短で終わらせる。それがお前の作戦だろ?」
「へへっ、そうかもな」
「私は、じっくり観察させてもらうよ」
そして一分。ドクターは限界まで観察する。しかし。
(わからぬ……! やつから乳首の兆しがまるで見えない……! 私は医者として多くの乳首を観察してきた。ケンのような特異体質にも覚えがある。だが、こいつはどのパターンにも合致しない!)
「はァ!!」
「そこだァ!!」
一手ごとに、確実に乳首を当てられていくドクター。
一方で、ドクターはケンの乳首をまるで当てることができない。
(まずい……! 馬鹿な、ありえん……!! この私が、この私の乳首が……!!」
追い詰められる。無数に用意した乳首も、残るはわずか二つである。
(ケンはこれまで一手もミスることなく乳首の位置を当ててきた。だが、残る二つは……この二つが当てられずに残っているということは、布石が効いているのか……?)
ドクターは試合の前日にあえてケンの前に乳首を晒した。そして「明日には乳首の位置を変えている」ことを仄めかした。つまり、「その日に晒した位置には乳首はない」という消去法が適用される。ケンの的中率の高さもそのためである。
しかし、そこに罠がある。
ドクターは二つだけ、乳首の位置を変えずにおいた。消去法で思考する癖のついている乳首当てバトラーにとって、それは思わぬ間隙となる。
(焦るな。私はたった二つの乳首を当てればいいんだ)
呼吸を整え、虎爪の構えをとる。
(いかに特異体質といえ、人間であることに変わりはない。ケン、お前は特異中の特異なのだろう。それでも、人体の理からは逃れられん!)
乳首当てバトルらしからぬ長期戦。互いの息は乱れ、発汗し、服は濡れ透けかけていた。
それでもなお、ケンの乳首は見えない。底知れぬ深淵のようだった。
(それでも、人体の理からは逃れられん……はずだ)
『あと10秒!』
持ち時間の終了が迫る。手を無駄にすることだけは避けねばならなかった。
『あと1秒!』
「はァ!!」
すぐにわかった。ケンの乳首はそこにはない。ドクターの乾坤一擲はまたしても外れた。
「へっ! 最後の乳首はそこか。まさか、昨日晒した位置から変えてねえとは、やるじゃねえか」
「なにっ」
乳首当てバトルらしからぬ長期戦によって、互いの息は乱れ、発汗し、服は濡れ透けていた。
こうなってしまえば乳首当てバトラーはおしまいだ。しかし、乳首当てバトルにはチェックメイトのような生やさしいルールは存在しない。
乳首を当てるまでが、乳首当てバトルなのである。
「そこだァ!!」
電光石火の乳首当てが、ドクターに残された最後の乳首を貫く。
『けっちゃぁぁぁく!! 勝者、ケン選手!!』
会場は一斉に大歓声と拍手喝采に包まれる。ここに、新チャンピオンが誕生した。
「……完敗だよ。無数のチャンスがあったにもかかわらず、私はお前の乳首を当てることができなかった」
「へっ。あんたも強かったぜ」
膝をつきながらも、ドクターは考えていた。
あれだけ突きながらも、なぜケンの乳首を当てることはできなかったのか。ふと顔を上げ、観客席に手を振るケンの背を眺めることで、気づく。
「まさか、まさかまさかまさか……!!」
「ところでよ、おれはもうあんたの乳首の位置はぜんぶわかっちまった。その意味はわかるよな?」
乳首当てバトラーにとって乳首の位置は死活問題にかかわる最重要機密である。ケンは、死力を尽くした対戦相手がその秘密に触れようとした気配を見逃さなかった。
「つまり、あんたの生殺与奪はおれの手にある」
「はうわっ?!」
被食者を見下す冷たい目。熱血青春少年の輝かしさはその瞳には欠片も残されていない。
「あひぃんっ❤❤」
情け容赦ない全乳首に向けての
【次回予告】
乳首当てバトルトーナメント日本大会を見事優勝したケン。
迫る世界大会に向け準備を進めていたが、そのとき見知らぬ一人の男が現れる。
大胸筋の運動によって瞬時に乳首の位置を変えられるというおそるべき能力を前に、ケンは……!?
さあ次回も、乳首当て~~~バトル!!
乳首当てバトラー ケン 饗庭淵 @aebafuti
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