英雄ゾンビ
笠井マリン
第1章 死体になる
西暦2024年 東京都渋谷区
夜の渋谷は今日も活気に溢れている。
道路の周りをビルが取り囲み、夜空の星の光が全く意味をなさないほどにそれらのビルから一斉に電光が放たれている。
とあるビルのモニターには何やら物騒なニュースが連続して流れている。
そのニュースによると
・午前10時頃にかつて世間を騒がせた連続殺人犯の死刑が執行された。
・午後3時頃に互いに面識が全くなかった高校生6人が一斉に失踪した。
・午後8時頃に治験に参加した3人の一般人が昏睡状態に陥った。
という内容だ。
街を見てみると、20代前半と思しき若者たちがスマホを片手に夜の歩道の上を歩いている。
彼らの目線は常にスマホに向けられており、前を見て歩く者はほとんどいない。
しかしいざ交差点の信号が赤になると、若者たちは集団行動で鍛えてきたかのようにほぼ同じタイミングで足の動きを止めた。
待機中、彼らの目の前には車両がぞくぞくと高速で横切るが、彼らは一切興味を示さずにただスマホだけを直視している。
信号が青を再び示すと、若者たちはやはりスマホを見ながら歩きだした。
彼らが横断歩道の中央に到達したその時だった。
彼らの背後から何やら荒い呼吸音が聞こえた。
その音は次第に大きくなっていき、その場にいた全員が足を動かしながらも一斉に後ろを振り向いた。
「どけ!」
その声とともに彼らの背後にいた40代らしき男がその手で人を退けながら全速力で突っ込んできた。
男の顔色からは男が通る道を妨げる若者たちへの苛立ち、それと何者かに対して抱く激しい恐怖も垣間見えた。
男は逃走する真っ最中だったようだ。
通り過ぎていく男を傍観する若者たちの目線はすぐにもう一方に移った。
背後からはもう一人の男がさっきの男の何十倍もの速さで現れた。
男は青色の帽子と服を身に纏い、肩の周辺にはトランシーバー、腰には警棒を下げている。
どうやら警察官のようだ。
先程突進してきた男はこの警官から逃げていたのだ。
「ちょっと道を空けてくれるかなー?」
警官は少々めんどくさそうに指示し、若者たちはおどおどしながらも道を空けた。
(ったく、横断歩道の真ん中で止まってんじゃねーよ。)
道が開くと、警官は先程とは比べものにならないほどの速さで走り出した。
常人のレベルを超えた足の速さに周りの目は若干引いているようにも見えた。
交差点を抜け、警官は男が路地の方へと向かっていくのを視認した。
「バカめ、あそこは行き止まりなんだよ。」
そう呟き自分も路地へと向かう。
路地に入るとやはり男が壁を無理やりよじ登ろうとしており、警官も流石に嘲笑うほかなかった。
「なあおっさん、いい加減お縄にかかれよ、いい歳して恥ずかしくねーのかー?」
煽りを交えて男に忠告した。
「くそっ!」
男は壁をよじ登るのをやめ、警官の方へと向き直してポケットからナイフを取り出した。
「おっ、ついに伝家の宝刀のお出ましか。」
「公僕風情がぁ!」
男はナイフを握りしめたまま突進した。
だが警官は男よりもさらに素早い動きでものの数秒で男を取り押さえた。
「はい、9時50分ちょうどマル秘確保ね。」
「くそっ、離せポリ公!」
「うっせーなぁ、40過ぎたおっさんが街中ででけぇ声出すんじゃねぇよ。」
警官は無線機を取り出した。
「本部に報告、マル秘をただ今確保いたしました。」
本部に連絡してしばらくすると、後ろの方から女性警官が息を切らしてやってきた。
「はぁ...はぁ...、速いですよ先輩。」
「まだまだだな。」
「あっ!先輩、もうそいつとっ捕まえたんですか?」
「まあでも、こんな雑魚どうってことなかったけどな。」
「さすがですね、先輩。」
「まあ俺も伊達に10年警官やってるわけじゃないしな。」
そう言って胸ポケットにいつの間にかしまってあったタバコの箱を取り出そうとした。
「あっ先輩、今勤務中ですよ!」
「いいだろ別に、もう1ヶ月も吸ってねーんだよ。」
「先輩、そうじゃなくて...」
「それ以上言うな、またいつもと同じこと言いうだけだろ。」
「違いますっ!私は先輩の体のことを気にしてるんですからね。」
「はぁ、わかったよ。」
火をつけるのをやめると、後輩はちょっぴり嬉しそうな顔を浮かべた。
9時59分を回り、応援のパトカーが到着し、降りてきた警官らが犯人の男を拘束し、連行した。
それと同時に自分たちの仕事は終わったことも確認した。
「よし、交番に戻るか。」
「はい!」
2人は現場を後にしようとした。
だがその時、先程の犯人の男が逆上し、自分の体を掴んでいた警官たちを振り切り後輩の方へと猛スピードで向かっていった。
「死ね!警官女ぁ!」
男は後輩へと急接近する。
だが、警官はすぐさまそれに気づいた。
「やめろ!」
後輩を押し退け、彼は男と衝突し、彼の体は車両が走る道路へと飛ばされた。
その瞬間、彼の視界には周囲のもの全てがスローモーションに動くように見えた。
目の前では男が取り押さえられ、後輩が必死に自分を助けようとする様子が窺えた。
周りにいる人たちは困惑した表情でその場から一歩も動こうとしない。
彼はそのスロモーションの中でゆっくりと死の瞬間を味わった。
(あぁ、まさか今日が俺の命日だったのか。)
(ついてねーな、俺。)
(まだ彼女もできてねぇし、仕事も山程残ってんのにそれを後からあいつが全部請け持つんだろうな、最期なのに人様に迷惑かけて終わるんだな、俺。)
(ったく、周りの連中はぼーっと見てないでさっさとその場から逃げろよな、ほんと平和ボケしやがって。)
突き飛ばされた反動で動いた右腕が眼前に現れ、腕時計は10時を示していた。
(午後10時00分、一名死亡、被害者は俺...か。)
(まあ最期まで仕事を真っ当できたんなら俺はそれだけでも幸せだな。)
(あーあ、せめてゾンビとかだったら車にはねられても死なないしおまけに働いても疲れねぇのにな。)
そんな空想を思い浮かべながら、彼の体は深い奈落へと向かった。
その間彼は五感の一部が消えたのを感じた。
嗅覚と味覚だ。
自分の肉が次第に腐っていくのもわかった。
まさに死に直行しているのだと彼は悟った...。
《はずだった...》
(ん?なんだこの感じ?)
が、彼はことの不自然さに気づいた。
(俺、死んだんだよな?車にはねられて。)
(死んだはずなのに手と足が微妙に動く、一命は取り留めたってことなのか?)
彼の手と足は確かに動いているが、嗅覚と味覚はまだ失われたままだ。
しかし残りの3つはまだ完全に機能していて、彼はそのうちの触覚で自分の腕に何かが絡みついていること、その聴覚で穏やかな風の音を感じ取った。
心臓はすでに動きを停止させているようだ。
彼は手を少し動かしてみた。
手はなんの問題もなく動くが自分の手ではないような感じがする。
(まあとりあえず起きるか。)
そこは辺りが木々に包まれた草原だった。
しかしながら見たこともない木ばかりだ。
「ここは?」
しばらく呆然と眺めていたが、一つだけわかることがある。
ここは日本ではないということだ。
「俺、もしかして海外に飛ばされたのか?」
一瞬そう思うが、その理屈では自分が蘇生していることの根拠と結びつかない。
試しに手足をもう一度大きく動かしてみた。
やはり問題なく動くが、やはりなんとも言えない感触だ。
どうやら痛覚も失われているようだ。
「どうりで車に当たった足が痛くないわけか。」
今度はその場で立ち上がってみた。
体全体に変な重みを感じた。
見ると体に頑丈な鎧が知らぬ間に装備されていた。
ゲームとかでよくある装飾をしているが、その色はまるでペンキを念入りに塗ったような濃い黒色だった。
腰には剣、左手には盾、背中には漆黒のマントが施されている。
彼は早速腰に据えられた剣を抜いた。
剣はよくあるものだ。
次に左手の盾を見る。
盾は形こそよくある盾の形をしているが、表面に三角形・四角形・五角形・六角形・七角形・八角形・九角形の窪みが円状に並んでいた。
しばらく武器をじっくりと眺めていると、森の奥から足音がした。
気づいた彼は草むらに身を隠した。
森の奥からやってきた足音の正体は一人の少女だった。
人がいたと一瞬安心したが、彼女は彼の知る人間ではなかった。
少女は非常に人間に酷似しているが耳が人間よりも尖っている。
見ると少女の足は噛まれた跡が残っていた。
どうやら野生の動物から逃げ出して来たのだろう。
少女を追うようにして、やってきたのは狼だったがやはり彼の知っている狼とは違う。
狼は涎を撒き散らしながら、目を赤くして少女を追っていた。
少女はついにその場で転び、狼は少女に襲いかかった。
「まずい!」
彼は剣を抜き、豪速で狼の首元にその剣を当てた。
その瞬間狼の首は吹き飛び、あれほど目を赤くしていた狼はぴたりとその動きを止めた。
彼は剣を捨てて少女の元に駆けつけた。
「おい!大丈夫か!」
少女の目はただ一点を見つめていた。
だがそれは恐怖からの解放感によるものではない。
「どうした?さっきのが怖かったのか?」
少女にきいた。
すると少女は一言だけ、
「あの...もしかして...シューゴ様でしょうか?」
「え?」
英雄ゾンビ 笠井マリン @Marinkasai
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