004 リアルを知る

 …――現実〔リアル〕を知った日。


 私の人生の中で二回ある貴重な日。


 いや、日というよりは日々といった方が正確なのかも知れない。


 それは、


 奇しくも漫画家と小説家という創作を生業とするものの現実を知った日々となる。


 一回目は東京に出て専門学校を卒業したあとの事。


 その頃、


 自家用車を持っていた。まだローンが残っていたのだが、ある計画を実行する為に思い切って、これを売った。そして、やっていた仕事も辞め、ハローワークに足を運ぶ。失業保険をもらう為。これも、また、ある計画を実行する為、必須だった。


 そして、手に入れた100万円近くの資金。敢えて資金と呼ぶ。


 さて、では、その計画とはなんなのかという話にもなるが……。


 それは、漫画家の生活を体験してみよう計画という阿呆なもの。


 つまり、


 その時、手に入れた100万円を生活費として漫画だけ描く日々を送ろうと画策したのだ。無論、その期間に描き上げた漫画を新人賞に送り、あわよくば、そのまま漫画家になってしまえとさえも考えていた。無謀を通り越し、やはり阿呆だろう。


 しかも、どれだけの期間、それが出来るのかという目算もなく。


 単純にカネが尽きるまで漫画だけを描く生活をとイキオイで計画を実行したのだ。


 まあ、結論から述べてしまえば良い経験になった。


 考えるべき命題も明確にはなった。


 漫画家とは漫画を描いて糧を得る。つまり、四六時中、漫画を描き、漫画について考える職業となる。その意味で私はプロの漫画家になった事がない。それでも漫画だけを描く生活を送って分かった事がある。もう漫画なんて描きたくないである。


 確かに、漫画だけを描くという生活を始めてから最初の一ヶ月目までは良かった。


 雪が降りしきる外の景色を見た時、……外に出なくていいんだと嬉しくもなった。


 だがしかし、それは本当に始めの一ヶ月だけ。最初の一本を描き上げた時までだ。


 無論、甘えは許さず、その期間の睡眠時間を三時間に設定した。漫画を描く机の下に布団を敷き、明け方の六時になったら、そのまま三時間だけ寝ての生活を繰り返した。それも負担になったのだろう。ともかく二本目の漫画が描けなかったのだ。


 多分に、漫画家とは読者からの良い反応をもらい、


 それによって力を得て生きる生き物なのであろう。


 そのドーピングとも言えるものが無い、100万円で漫画家の生活を体験してみよう計画を遂行した私は速攻で力尽きた。しかし、カネはある〔※残ってる〕から働きたくないとニート化した。まあ、ちょこちょこと漫画らしきものは描いていたが。


 それよりも外に出て太陽にあたりたい。散歩したいなんて思ったのを覚えている。


 そして、


 賞に送る作品も出来ないのだから、カネも尽きる。


 それから前に働いていた職場の方から電話があり、人が足りないから働かないか、と、お誘いを頂き、渡りに船と社会復帰を果たした。これが、一回目の現実を知った日々の正体となる。繰り返すが、現実は、もう漫画なんか描きたくないである。


 次の現実を知った日々は、病気になってから生まれ故郷に強制送還された後の事。


 その時は、仕事を辞めなかった。学んだのである。


 阿呆なりにも、なんとかかんとか。


 それはGWだったと思う。ともかく、この休み中、ずっと小説を書く、小説だけを書く生活をすると決めたのである。そして、その生活に入る前に食料などを、沢山、買い込み、トイレと風呂以外、部屋から出ない。PCの前にいると決心した。


 ただし、寝る時間は確保して八時間は寝るとした。


 これも、また前回の失敗から学んだ結果と言える。


 そして、


 その頃、


 どうしても漫画を描けない体質になっていた。だからこそ、小説家としてデビューしたのち、その知名度を使って漫画家になるという、なんとも回りくどい阿呆な野望を持っていた。つまり、原作者でもいいぜ的な、なんの考えも無しなものだ。


 まあ、小説を書いていたのも漫画のネタとしてストックしておくだったので……、


 それなりに理に適っていると自分では考えていた。


 そして、件のGWが始まり、PCの前に陣取った。


 これも結論から語ると、もう小説なんて書きたくないであった。


 無論、始めの一日目は良かったのだ。楽しい。どんどん書くぞ。


 なんて甘く思っていた。それが、二日目、三日目と続いてゆくと、ゲームしてぇ、とか、テレビ見てぇ、とか、昼寝してぇ、とか、煩悩がわんさか襲ってきた。それでも小説を書き続けていると、どうにも頭が狂ってしまいそうな気にもなった。


 買いだめしておいたチョコもパンも、いらん、飽きた、それより遊びたいである。


 外に出て、芝生に寝っ転がって昼寝してぇとか思った気がする。


 そして、行き着く先が、もう小説なんて書きたくないであった。


 先に漫画家の生活を体験してみようの時にも書いたが、多分に小説家も読者からの良い反応をもらい、それによって力を得て生きる生き物なのであろう。もしくは、描く事によって、或いは書く事によって、己の技量などがあがるのが楽しいという、


 純粋に、


 描く事や書く事が楽しいと思える気持ちが人一倍強い人だけが、


 漫画家や小説家になれるのだろうと、そう実感した。強く強く。


 だから、今は楽しく描く〔書く〕事を主眼に置き活動している。


 うむっ。


 今にして思えば漫画家のアシスタントをしていた時、月の初め〔一日〕から月の終わり〔二十六日〕まで連続で出勤し、毎日、朝の10時から夜の10時まで仕事をしていた頃、嫌だな、行きたくねぇ、なんて思っていた事を思い出すべきだった。


 絵を描いて生活していたがゆえに、ある意味で漫画家にも近い、その頃の事をだ。


 無論、先生は、アシスタントが午前10時に来て、その時、起きる。それから夜の2時までキャラを描き続けていたらしい。私たちの仕事が止まらないよう。言うまでもないが、アシスタントが来ない二十六日以降も一人で仕事をしていた。


 休みなど無しでだ。それが、普通とさえ言っていた覚えがある。


 それも、またアシスタントである私たちの仕事が止まらぬよう。


 まあ、それでも八時間は寝ていたようなので、いわゆる修羅場と呼ばれる現場よりは、まともだったのだろう。ただ、それでも、月刊紙での連載を複数持ち、月に二百枚を超える原稿を描いていたのだが。だから外にも出ない生活はデフォであった。


 うむむ。


 思うに、私は漫画家や小説家の良い所だけを見ていた気がする。


 現実を知る日々を送り、この記事を書きつつ、考えをまとめると、そう思えて仕方がないのだ。寸暇の派手な生活や大きな収入。握手会などでの嬉しそうな顔。それらを羨ましく思う気持ちが、漫画家や小説家の良い所だけを魅せてしまうと。


 現実には、朝から晩まで企業に酷使され、人気が無くなれば、はい、さようなら。


 とリストラされる職業であるのに。


 しかも、


 それで美味しい思いが出来るのはヒエラルキーの上部、ほんの一握りであるのに。


 だからこそ、これは企業秘密なのだが私には一つの計画がある。


 それらの現実を跳ね返すであろう理論だった合理的な計画がだ。


 無論、それは現実を知る日々を送ったからこそ立てられた計画だ。ゆえ、もし興味がある方は、漫画家や小説家の生活を体験してみようぜ的な計画を実行してみて欲しい。その果てで、一体、何を感じ、何を思うのか、それも、また楽しいからこそ。


 と、まとめて、今回は終わろうか。


 では、また私の人生を語る日を愉しみに待ちながら、チャオッ!

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人生大方万丈 星埜銀杏 @iyo_hoshino

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