②恋人に先立たれた美しき暗殺者が、亡き恋人に瓜二つの俺を拾って自分好みに育てる『逆光源氏計画』が進行中のようです!?

みやこ。@コンテスト3作通過🙇‍♀️

本文


※冒頭の方は比較的続いておりますが、後半は要所要所を抜粋したダイジェストです。

第二章:優しい思い出との決別(琥太郎)→第三章:眠れぬ夜に(なでしこ)→第三章:欲望との葛藤(なでしこ)の順です。前半は暗め、後半は甘め(?)です。




《第一章主人公10歳、日常の崩壊》




 幸せな日常というものは、ある日突然、呆気なく崩れ去るものだ————。



 僕の名前は✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎。

 今日、10歳の誕生日を迎えた取り立てて趣味も特技ももない、何処にでもいる普通の小学生。ちょっぴり人見知りなところもあるけれど、大好きな両親と少ないながらも仲の良い友達に囲まれて幸せな日々を過ごしていた。



 僕は誕生日という1年に一度の特別な日を、期待に胸を弾ませてそれはもう楽しみにしていた。

 朝、目覚ましが鳴る前にひとりでに目を覚ます。朝ご飯を残さずに食べ、牛乳もいつもは一杯だけのところをおかわりをして飲み、お隣のおばさんに大きな声で挨拶出来た。


 いつも通りの風景が誕生日だというだけで何故だかキラキラと輝いて見え、走り出したい衝動に駆られる。

 通学路を歩く見知らぬ上級生や慌ただしいようすで僕の前を通り過ぎる通勤途中のサラリーマン、ピチピチと懸命に喉を震わせさえずる小鳥でさえも、まるで世界中の生きとし生けるものたちが僕を祝福してくれているように感じた。

 思わずにんまりと口角が上がる。一つ大人になった僕は、軽い足取りで学校へと向かった。



 教室に入ると、席に着くなり親友が駆け寄って来て「おめでとう、✳︎✳︎✳︎」と言ってプレゼントをくれた。中身は僕の大好きなヒーローアニメのキャラクターのキーホルダーだった。

 それを見ていたクラスメイトたちも口々にお祝いをしてくれて、今日はなんて素敵な日なんだろうとスキップしながら家路につく。(因みに、授業中気もそぞろだった僕は先生に大目玉を食らった)



「お母さん、ただいまー!」

「✳︎✳︎✳︎、おかえりなさい。今、貴方の誕生会のご馳走を作ってるからね。早く手を洗って宿題を済ませちゃいなさい」

「はーい」


 家に帰るとエプロン姿のお母さんが、キッチンで鼻歌交じりに僕の好物をこしらえているところだった。


 キッチンから漂う香りに我慢出来なくなった僕は、宿題に取り掛かる前に今夜のディナーの品をチェックすることにした。お母さんに気付かれないようにそろそろと忍び足でキッチンへと入る。

 火がついたコンロの上には大きな鍋が置いてあり、蓋を開けるともくもくと湯気を立てて美味しそうなシチューが姿を現した。中には星型にくり抜いた人参が浮かんでいる。きっと、人参がちょっぴり苦手な僕の為の工夫だろう。

 食欲をそそる芳ばしい肉の香りを辿っていき、次はオーブンを覗き込む。中にはジュワジュワと肉汁を滴らせる拳大のハンバーグ。フライパンで表面を焼いた後にオーブンでじっくり火を通すと、よりジューシーになるのだとお母さんが得意げに言っていたのを思い出す。

 それから、お母さんお手製のドレッシングがかかったシーザーサラダも置いてある。トッピングのクルトンとドレッシングのチーズはたっぷり入れるのがポイントだそうだ。

 上機嫌にトントンと包丁で肉を切るお母さんを見るにまだ他にも何かを作っているようで、僕は邪魔にならないよう足音を忍ばせて移動する。


 そうっと冷蔵庫を開けるとケーキ屋さんの白い箱がドンっと存在感を醸し出して鎮座していた。きっと中身は僕の大好きなショートケーキに違いない。

 甘酸っぱい苺に濃厚で甘い生クリームを纏ったふわふわのスポンジ、その上に、“✳︎✳︎✳︎くん、お誕生日おめでとう”という特別なプレートが乗っているやつだ。


 それらを見ると、堪え切れずにふふっと笑い声が漏れた。

 夜にはお父さんがプレゼントを抱えて帰って来て、料理上手なお母さんが作ったご馳走とケーキを家族3人で囲むんだ。その光景を想像した僕は胸がポカポカするような、なんだかこそばゆい気持ちになる。



「✳︎✳︎✳︎、どうしたの? いきなり笑い出して」

「ううん、何でもないよ。宿題やってくる!」


 首を傾げるお母さんに僕はそう言って、2階へと続く階段を駆け上がった。






✳︎✳︎✳︎






「「✳︎✳︎✳︎、誕生日おめでとう!!」」


 夜になり、お父さんが帰ってくると待ちに待った僕の誕生会が始まった。

 まずは薄暗い照明の中、10本のロウソクを立てたケーキが登場し、バースデーソングを歌う両親。歌が終わると同時に、スーっと肺いっぱいに空気を取り込み、ふうっと息を吐き出してゆらゆらと揺れるロウソクの火を吹き消す僕。


 火が消えるとパッと照明が明るくなる。正面を見ると、笑顔で手を叩く両親にテーブルいっぱいに並ぶご馳走。そして、白い包装紙に赤いリボンが結ばれたプレゼントが置いてあった。




「そうか、✳︎✳︎✳︎ももう10歳かぁ」

「あっという間でしたね」


 お父さんが酒の入ったグラスをグイッとあおりながらしみじみと口にする。それに同意するお母さんは幸せそうに微笑んでいた。



「✳︎✳︎✳︎は大きくなったら何になりたいんだ?」

「お父さんみたいにかっこよくて強い警察官だよ! もうっ、何回言わせるのさ!」

「ははっ。すまんすまん。何度聞いても嬉しくてな」


 困ったように笑い、頬を掻きながら謝るお父さん。僕は照れ臭くなってぷうっと頬を膨らませる。


 家ではこんな風に少し頼りない雰囲気の優しいお父さんだけど、警察官の制服に身を包んだお父さんは本当にかっこいいんだ。ストーカー退治から迷子になった子どもの保護に至るまでなんでもこなしちゃうお父さん。この町の平和はお父さんが守っていると言っても過言ではない。


 小さい頃からのヒーローアニメ好きも相まって、警察官の父を見て育った僕は正義のヒーローに憧れている。

 弱きを助け、強きをくじく。困っている人に手を差し伸べ、悪者を倒すテレビの中のヒーローたちはキラキラと輝いていた。いつしか、僕もそんなヒーローになりたいと思うようになっていた。

 そして、照れ臭いから絶対に口にはしないけれど、僕の中でお父さんは世界一のヒーローだ。




 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、気付けば時計の短い針は10の数字を指していた。

 特別な日なのだから、本当はもっと夜更かししたかったけれど、明日も学校ということで僕は渋々おやすみの挨拶をして部屋へと戻る。



 ああ、楽しかった。今日の出来事を思い出した僕は、もぞもぞとパジャマに着替えながら余韻に浸る。

 誕生日はもうすぐ終わってしまうけれど、明日もきっと素敵な日に違いない。そう思いながら満たされた気持ちでベッドへと潜り込み、瞳を閉じる。



 しかし、ささやかだが幸せな時間はそう長くは続かない。

 形あるものはいずれ壊れることを、僕はこの直ぐ後に身をもって知ることになるのだった。







✳︎✳︎✳︎






 ドタドタと階下で何かが駆け回るような音が聞こえ、僕の意識はゆっくりと浮上した。


「お父さん⋯⋯お母さん⋯⋯⋯⋯?」


 どうしたんだろう、こんな夜中に。

 枕元の時計を見るとあと少しで日付が変わる頃だった。何故か胸騒ぎがした僕は、寝ぼけ眼を擦りながらゆっくりと階段を降りてリビングの扉を開ける。



「どうしたの、こんな時間に⋯⋯⋯⋯。え————?」



 僕は自分の目に映った光景を信じられず、ゴシゴシと目を擦った。いいや、信じられなかったのではなく、信じたくなかったのだ。


 チカチカと不規則に点滅する電球が照らすのは、真白な壁一面に飛び散った紅、床に転がる2つの肉塊。

 ピクピクと痙攣を繰り返しまだ微かに息のあるそれは、つい先ほどまで僕の誕生日を祝ってくれていた両親だった。


 今にも息絶えてしまいそうな両親の傍らには、深いスリット入りの黒いドレスを身にまとった見知らぬ美しい女性が立っている。肌にぴったりと張り付くドレスはキュッと引き締まった身体を強調していた。


 少女というには些か大人びており、大人の女性というにはまだ幼い風貌の彼女。

 頬に、腕に、そして唇を紅のような鮮血で彩った姿はひどく妖艶で、彼女の濡れた黒髪と透き通った肌に良く映えていた。血に塗れ、死の香りを纏った彼女はうっとりと恍惚の笑みを浮かべている。

 余りにも非現実的なその姿に、僕は目を奪われた。


 これは、夢————?



 点滅するライトとこれまでに見たこともないほどの美貌を持つ女性に目が眩み、ぼうっと霧がかった思考の僕は思わず一歩踏み出した。

 すると、足の裏にぬるりとした生暖かい液体が纏わりつく感覚がする。家の中なのに水溜り? 雨? そう思ったときにはそれに足を取られて転んでいた。


 パシャンと音を立てて尻もちをついた僕は、すぐにその水溜りの正体を知ることになる。

 ツンと鼻につく鉄の匂い。見るとどろりと指に纏わりつくそれは、飛び散った血液だった。赤などという生ぬるい色ではない、身体の奥底から這い出たような黒々とした血液は今もなお、床に転がる両親から染み出している。


 


「っひ⋯⋯⋯⋯!!」


 全てを理解した途端、ヒュッと喉から空気が抜けた。頭が冷え、思考が一気にクリアになる。

 滲む視界には最後の力を振り絞り、僕に向かってパクパクと口を動かして何かを伝えようとしている両親の姿が映る。傍らにはポタポタと血の滴るナイフを持ち、艶やかな笑みを浮かべながら横たわる両親を見下ろす女性。

 僕の大好きな家族を手にかけ、幸せな日常を壊したのはすぐそこにいる見知らぬ美しい女性であることは疑いようのない事実だった。

 目で、鼻で、耳で、触覚で感じるあまりにもリアルな感覚がこれは夢などではなく、紛れもない現実だと証明していた。




「うわああああああああ!!!!」



 僕は悲鳴にも似た叫び声を上げた。瞳からはボロボロと涙が零れ落ち、歯はガタガタと噛み合わず口からは嗚咽が漏れる。身体は怒りと悲しみでブルブルと震えていた。


 すると、叫び声にピクリと反応を示しゆっくりと振り返る女性。彼女は僕の顔を見るなり、パァッと顔を輝かせる。



「あら、もう起きたのね? ずっと⋯⋯会いたかったわ、シン⋯⋯⋯⋯」

「あ⋯⋯⋯⋯あぁ⋯⋯誰、なの⋯⋯⋯⋯」

「面白い冗談を言うのね、シン。私を置いていくだけじゃなく、あまつさえ忘れてしまうなんて酷い人⋯⋯⋯⋯」

「だ、誰のことを言ってるの⋯⋯? 僕は⋯⋯シンなんて名前じゃない⋯⋯!!」

「そんなはずないわ。⋯⋯だって、ほら。こんなにそっくりなんだもの。ね⋯⋯?」


 そう言って、おもむろに僕に近づいてくる女性。ぬるりと濡れた手で優しく僕の頬を包み込む彼女の紫の瞳は、熱を孕み潤んでいた。


「血を吸ったルビーみたいに真っ赤な瞳に、日本人離れしたツンと高い鼻、厳しいけれど優しさを含んだ言葉を紡ぐ薄い唇、触り心地の良いサラサラで癖のない髪。⋯⋯ああ、でもこの髪色だけは違うわね。こんなのはシンらしくない⋯⋯帰ったら直ぐに染めなくちゃ」


 僕の髪を一房摘み、ブツブツと独り言のように呟く女性の瞳からは光が消えていた。


 彼女が見ているのは僕であって、僕ではない。

 その瞳に映るシンと呼ばれる人物は一体誰なのだろうか。僕がその人物と似ているせいで、無関係な両親が殺されてしまったのだろうか。


 再び両親を見ると、既に事切れており物言わぬ肉塊に成り果てていた。


 何故、僕たちがこんな目に遭わなければならないのだろう。僕たちが一体、何をしたのだというのか。

 考えても考えても答えの出ない問いに、僕はどめどなく涙を流す。



 ふと、絶望から視線を落とすとドレスから覗く彼女のなまめかしい白い太ももには黒のベルトが付いており、ホルダーに入ったナイフが見えた。


 女性は未だ、焦点の定まらない虚な瞳で僕を見ている。油断した女性から武器を奪い、両親の仇を討つならば、今をおいて他にはないだろう。

 大人2人を相手取り、無傷の女性に戦いを挑むことがどれだけ無謀なことであるかは十分に理解していたが、相打ちも覚悟の上だ。僕にはもう何も残っていないのだから、例え死んだとしても悔いはない。


 僕は涙を拭って、勢いよく立ち上がり女性目掛けて走り出した。そして、バッと勢いのままにそのナイフを奪う。

 しかし、肝心の女性はそのことに気付いているはずなのに逃げることはなく、あろうことか僕に縋るように抱きついてきた。


 僕の持つナイフの切先が彼女の喉元を捉える。



「⋯⋯シン。⋯⋯シン⋯⋯何故私も一緒に連れて行ってくれなかったの?」


 うわ言のように呟き、アメジストの瞳からポロポロと涙を零す女性に、細首に突きつけたナイフを持つ僕の右手がブルブルと震える。

 余りにも哀れで頼りないその姿に、生まれて初めて感じた激しい殺意は鳴りを潜め、どこに向けて良いか分からない怒りだけが僕の中でグルグルと激しく渦巻いていた。


「返せ⋯⋯返せよ! 僕のお父さんとお母さんを返せ!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい⋯⋯シン⋯⋯⋯⋯」


 行き場のない怒りをぶつけるように、ドンっと女性の胸にきつく握った拳を振り下ろすと、女性は涙で頬を濡らしながらも嬉しそうな顔をしてさらに身体を密着させる。

 予想だにしなかった女性の行動に、思わず力を込めたナイフの切先が彼女の薄い皮膚を掠める。皮膚を破り、ツウっと一筋の血液が流れ出すが、彼女はそんなことはお構いなしに幸せそうに微笑んでいた。


「やっと私を見てくれた⋯⋯貴方がまた、その瞳に私を映してくれるのなら、何だってしてみせるわ」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯大好きよ、シン。愛してるわ⋯⋯⋯⋯」



 シンという男の為に僕の家族を殺し、彼の為なら死ぬことすら厭わないというのだろうか。

 僕はギリリと唇を強く噛み締め、ナイフを持つ手から力を抜いた。カラン、と軽い音を立てて床に転がる細身のナイフ。



 僕は、両親の仇をとることが出来なかった。何故だかわからないがこの哀れな女性を殺すよりも、守れと僕の心が叫ぶのだ。


 客観的に見れば、今この場で一番に同情を引くべき人間は僕なのだろう。幼くして身勝手な女性のせいで両親を失ったのだから。

 だけれど、僕には華奢な身体を震わせて涙を流し、熱く火照った身体でしがみつく彼女が一等哀れで守るべき弱い存在に感じた。


 僕は今もなお、人目もはばからず涙を流す女性に憐憫れんびんの視線を向ける。

 この人は僕が居なければいとも簡単に、驚くほどに呆気なくその命を散らすのだろう。きっと、僕の存在が彼女の生きる意味であり、彼女の命や心懐しんかい、はたまた運命ですらも————全ては僕が握っているのだ。


 そう考えると、ぞくりと何かが背筋を這うような感覚を覚えた。それと同時に、そんな彼女が気の毒で、可愛らしくてたまらない気持ちになる。

 この日、両親を殺された僕は僕自身の心もともに、彼女に壊されてしまったのかもしれない。



 目を閉じると、幸せだった時の光景が甦る。ガシガシと強く、けれども優しく頭を撫でてくれたお父さん。溢れんばかりの愛情で包み込むように抱きしめてくれたお母さん。


 僕の彼女に対するこの感情は、僕を愛し、守り育ててくれた両親に対する最悪の裏切り行為だ。



 ごめんね。ごめんなさい⋯⋯⋯⋯お父さん、お母さん。



 僕は自覚したばかりの歪んだ愛情をぶつけるかのように、未だ瞳を閉じ悦びを噛み締め、涙を流す哀れで美しい女性の身体をきつく抱きしめた。






✳︎✳︎✳︎




《第二章主人公10歳、優しい思い出との決別》

※琥太郎との出会い後、証拠隠滅と偽装工作のため主人公の住んでいた家を燃やすシーン





「お前までこんな事しなくても良いんだぞ?」


 ガソリンの入ったポリタンクを持ったままぼうっと突っ立っている僕に、気遣うような視線を向ける琥太郎こたろうさん。ハッと我に返った僕は、ふるふると首を振り口を開いた。


「ううん、大丈夫。僕がやりたくてやっていることだから⋯⋯」

「それなら良いんだ。⋯⋯でも、辛くなったらいつでも言うんだぞ?」



 心配そうな顔で僕を見る琥太郎さんは、慣れた手付きでリビングにガソリンを撒いていく。パシャリと床にガソリンを散じる度に、微かに甘い独特な香りで部屋中が満たされる。

 因みに、リビングでなでしこに殺された僕の両親は琥太郎さんによって寝室に運ばれ、僕の身代わりとなるべく連れて来られた真っ黒な死体袋に入った見知らぬ少年は、僕のベッドで眠っている。



 せめてもの償いとして、家を丸ごと焼くという大がかりな火葬に参加したいと自ら琥太郎さんに志願し連れて来て貰ったのだが、想像を絶する生々しさにいざとなると怖気付いてしまっている僕がいた。


 両親とともに10年間過ごした我が家。これからの永い長い人生に比べればほんの僅かな時間だが、それでも今の僕には全てだったのだ。



「よし、ここはこのくらいだな。最後は————」

「⋯⋯⋯⋯」


 最後は、2階にある両親の寝室だ。死因を特定されない為にも、念入りにガソリンをシーツに染み込ませ、一切の痕跡を残さぬよう燃やさなければならない。


 階段を登り、突き当たりの部屋の扉を開ける。ダブルベッドの上には両親が横たわっており、琥太郎さんの気遣いだろうか、顔や刺し傷が見えないようにシーツがかけられていた。

 改めて両親の死を目の当たりにした僕はギュッと目を瞑り、拳を握りしめる。



「⋯⋯僕がやる」


 暫しの沈黙の後、僕がそう言って一歩前に出ると、琥太郎さんは無言で頷き後ろに下がった。

 琥太郎さんが見守る中、僕は頭までシーツを被った両親の亡骸にゆっくりと冷たいガソリンをかける。とぷり、とぷりと注ぎ口から出た液体は、ジワジワと真白なシーツに染み込んでいく。


 死んだ両親にガソリンをかけて燃やし、弔う。こんな数奇な経験をする子どもは世界にどのくらいいるのだろうか。

 ツンと喉の奥が痛くなり、目頭が熱くなる。しかし、確かに悲しい筈なのに何かが僕の感情をき止めているようで涙が流れることはなかった。

 そんな中でも僕の身体は正直で、ガタガタと小刻みに全身が震え、ポリタンクを持つ手が揺らいだ。


 シーツがガソリンでひたひたになった頃、琥太郎さんが「もう十分だ」とストップをかける。



 火元は寝室。タバコの火の不始末によって、近くにあったガソリンのタンクに引火し、火事に気付かず逃げ遅れた一家巻き込んだ不幸な事故という筋書きだ。




「これを投げ入れたら直ぐにここを出るぞ」


 琥太郎さんはスーツの胸ポケットから取り出したマッチに火をつける。薄暗い部屋の中でゆらゆらと揺らめくマッチの炎。ふと、誕生日ケーキの上で揺れていたロウソクの炎を思い出した。



「それ、も⋯⋯僕がやって良い?」


 ここは他でもない、僕がやらなければ。そう思った時には今にも両親の眠るベッドに向かってマッチを投げ入れようとする琥太郎さんのスーツの裾を掴んでいた。


 琥太郎さんは少し迷った後、ガシガシと荒い動作で頭を掻いてから「危ないから気をつけるんだぞ」と言って持ち手の少なくなったマッチを差し出す。


 受け取った僕は、ごくりと息を呑んで歯を食いしばり、一思いにマッチを投げ入れた。緩やかな放物線を描いて、シーツの裾へと引火する炎。

 あっという間に燃え広がる炎は、シーツに包まれた僕のお父さんとお母さんを焼いていく。見ていたくない筈なのに、僕はその光景から目が離せなかった。


 黒く焦げてはらりと落ちたシーツの隙間から覗く、血を失って白くなった手。だらりと力無く投げ出された脚。それらは、直ぐに轟々ごうごうと激しく燃え盛る炎に呑み込まれてしまう。

 炎の赤が目に痛く、煙が酷く目に染みた。


「お父さん⋯⋯お母さん⋯⋯⋯⋯」


 瞬きも時間も忘れ、両親が炎に包まれる様子を眺めていると、琥太郎さんが僕の腕を掴み出口へと引っ張る。



「⋯⋯直ぐにここから出るぞ。俺たちまで巻き込まれちまう」





✳︎✳︎✳︎





 カーテンの隙間から覗く赤を外から見上げる。傍らでは、近隣の住民を巻き込まぬよう琥太郎さんが匿名で通報していた。



「僕も⋯⋯✳︎✳︎✳︎のことも一緒に連れて行ってくれたかな⋯⋯?」


 誰に語りかけるでもなくそう呟くと、いつの間にか電話を終えた琥太郎さんが隣に立っていた。彼は前を真っ直ぐ見たまま、大きく頷いてポンっと僕の頭に手を置いた。



「よく頑張ったな」

「⋯⋯っ⋯⋯!」


 琥太郎さんのその言葉を聴いた途端、とっくの昔に枯れ果てたと思っていた涙がせきを切ったようにボロボロと溢れた。

 彼は必死に声を抑えながら嗚咽を漏らす僕の頭をポン、ポン、ポン⋯⋯と一定のリズムで撫でてくれる。


 琥太郎さんは本当は悪い人で、お父さんとは似ても似つかないはずなのに、不思議とお父さんに撫でてもらった時の事を思い出す。帽子を深く被った琥太郎さんの表情は見えなかったが、僕の頭を撫でる手付きはひどく優しかった。





 少しして、幾分か落ち着きを取り戻した僕に、琥太郎さんはとある質問を投げかける。


「本当に良かったのか? 思い出の品とか持ってこなくて」

「いらない。⋯⋯僕は今日、お父さんとお母さんと一緒に死んでしまったから」


 それに、そんなものを見れば悲しみに囚われてしまい、決心が揺らいでしまうかもしれない。

 そう思った僕は全てを置いて、この身一つで家を出てきたのだ。



「⋯⋯そうか。お前は強いな」



 そう言った後、琥太郎さんはチラリと背後を確認する。警察や消防もそうだが、異変に気付いた近隣住民たちが集まってこないかを警戒しているのだろう。


 しかし、そんな状況でも彼は決して終わりの言葉を口にすることはなかった。

 その事に気付いてしまった僕は、優しい彼の手を引いて真っ赤に燃える我が家に背を向ける。


「もういいのか?」

「うん。連れてきてくれてありがとう、琥太郎さん」



 帰ろう————。

 後ろ髪を引かれながらもそう口にした僕は、赤く染まる我が家で安らかに眠るお父さんとお母さんに、心の中で最後の別れを告げたのだった。




✳︎✳︎✳︎




《第三章主人公10歳、眠れぬ夜に》





 我が家に火を放ってから数日が経過した頃————。


 琥太郎さんとともに家に赴き、全てを燃やして家族との思い出と決別したとはいえ、未だにお父さんとお母さんのことを思い出すと涙が出た。

 また僕が眠っている間に大切な人が居なくなってしまうかもしれない。そう思うとひとりでに涙が溢れ、眠れない日々が続いていた。



 深夜、声を殺して寝室で泣いていると、なでしこがそっと扉を開け顔を覗かせる。


「⋯⋯寝られない?」


 途端に泣いてることが恥ずかしくなった僕は、咄嗟に目を瞑り寝たふりをする。

 しかし、僕の下手くそな演技はなでしこにはお見通しだったようで、部屋に入ってきた彼女はベッドの縁に浅く腰掛け、僕の両親を殺したその手で壊れ物に触るかのように優しく僕の頭を撫でた。


 しばらくの後、幾分か落ち着きを取り戻した僕を確認したなでしこは手を止める。


「今日は、一緒に寝ましょうか」

「⋯⋯⋯⋯」


 その問いに、僕は返事をしなかった。

 しかし、それを肯定と受け取ったなでしこはもぞもぞと僕のベッドに潜り込む。


「今日はなんだか冷えるわね」


 僕から答えが返って来ないことを分かっているなでしこは独り言のようにそう呟き、未だ背を向け狸寝入りを続ける僕をギュッと抱きしめた。


 ひんやりと冷たい脚が絡みつき、背中越しに感じる柔らかい感触とゆったりとした心音。布越しの人肌の温もりと、とくんとくんと落ち着いた優しい音を聴いていると、自然と瞼が重くなる。



 微睡まどろむ意識の中で、頬を包み込むようにして恐る恐る這う指の感触がする。

 続いて「ごめんなさい⋯⋯」という掠れ声が聞こえた気がした途端、ポタリと頬に濡れた水が落ちる感覚。そこで、僕の意識は暗闇に呑まれた。


 いつの間にか眠っていた僕は、その日、久しぶりにとても幸せな夢を見た。今となってはもう、決して叶うことのないお父さんとお母さんと僕の3人で食卓を囲む夢だ。

 なんてことない日常的な風景だったが、僕にはそれがひどく特別なことのように感じた。





 朝、目が覚めると隣になでしこの姿はなかった。夢かとも思ったが、彼女が僕の頭を撫でる手の感触をはっきりと覚えている。


 クローゼットから適当に取り出した服に着替えてリビングに向かうと、キッチンにはエプロン姿のなでしこがいた。



「おはよう。よく眠れた?」

「⋯⋯⋯⋯うん」


 なでしこは昨夜のことについて触れる気はないようだ。そのことに安堵した僕は頷き、席につく。


 テーブルには出来たばかりの湯気が立つ朝食が並んでいる。

 本日のメニューはスクランブルエッグにタコさんウインナー、サラダ、野菜たっぷりのコンソメスープにこんがり焼き目のついた食パンだ。


 エプロンを脱いだなでしこも席につき、2人で手を合わせる。


「「いただきます」」



 カトラリーと食器の触れ合う音と、微かな咀嚼音のみが響く2人きりの静かな食卓。

 これからは、これが僕の日常となるのだろう。





✳︎✳︎✳︎





《第三章主人公15歳、欲望との葛藤》




 なでしこは時たま、俺のことを褒めてご褒美にと甘やかしてくれるが、彼女自身は決して俺に甘えてくることはない。



 リビングのソファに座って本を読んでいると不意にトンっという微かな衝撃ののち、肩に重みと温もりを感じる。恐る恐る隣を確認すると、なでしこが俺の肩に寄りかかっていた。


「⋯⋯っ!?」

「⋯⋯⋯⋯間違えたわ。貴方が余りにも————」


 陸に打ち上げられた魚が酸素を求めるがごとく、真っ赤な顔でパクパクと口を開閉する俺を見て、パッとすぐに俺の肩から頭を上げたなでしこは、そこまで言って口をつぐんだ。後に続く言葉を聞くことは出来なかったが、おそらく“シンに似ていて“と言いたかったのだろう。



 間違えたままで良いのに————。

 決して口に出すことはできないが、俺をとばりシンとして育てたのはなでしこなのだ。貴女が望むなら、恋人だって演じてみせようではないか。

 それに、ただいま思春期真っ盛りの俺は、たとえ身代わりだとしても好意を寄せる女性と触れ合えるのは嬉しかった。若干、胸がキリキリと痛む気もするが、そんなことは欲望の前では些末なことだ。



「いきなりごめんなさいね。⋯⋯コーヒーでも淹れてくるわ」


 そう言って、なでしこは気まずそうな顔をしてソファから立ち上がった。


「待って⋯⋯!」


 俺は咄嗟になでしこの服の袖を掴んで引き止めた。不思議そうな顔をする彼女に、俺は何か言わなくてはと軽いパニック状態に陥る。



「⋯⋯っ⋯⋯コーヒーはいいから、このまま⋯⋯⋯⋯!」


 俺は視線をうろうろと彷徨さまよわせながら、歯切れ悪くそう言うのが精一杯だった。緊張と不安からゆらゆらと瞳が揺れ、手のひらにはじわりと汗が滲む。



「⋯⋯分かったわ」


 俺の挙動不審な態度から何かを察したなでしこはクスリと笑い、少し間を開けて再びソファへと座った。

 よかった。今日のなでしこは機嫌が良いみたいだ。これが彼女が不安定な日であれば、「シンはそんな反応しない」と称してお仕置きが始まっていただろう。


 少し触れ合っただけで狼狽うろたえてしまう俺だったが、帳シンとして生きるべく実に様々な訓練を施されたため、決して女性慣れしていない訳ではない。


 なでしこだから、好きな人だから特別なのだ。



 幾分か落ち着きを取り戻した俺は、ようやく満足のいくまで肺いっぱいに酸素を取り込むことが出来た。

 ゆっくりと深呼吸をすると、ふわりと鼻腔をくすぐるローズの甘い香り。なでしこお気に入りの香水だ。

 そして、少し距離はあるものの、すぐ隣に感じるなでしこの息遣いや気配。


 今の俺たちにはこのくらいの距離が丁度良いのかもしれない。

 そんなのじゃ足りない! と欲望のままに叫ぶ心の中のもう1人の自分の声には聞こえないふりをして、俺は読書を再開するのだった。




















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