35話 ミーナ&イヴ。
★ロスチスラフ帝国葬直前のテルミナ
16話 [結] 奇景
https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330666303136291
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話はロスチスラフ帝国葬の前夜に遡る──。
カムバラ島産の
ヴァルプルギスの夜以降、十数年に及ぶガバナンスの機能不全を原因として、同領邦の行政機構とトラッキングシステムの大半が稼働していない。
故に、潜入は容易だったが、治安は
「なかなか、良さげな雰囲気じゃねぇか」
嘗て、最先端モードと美しい並木通りで名を馳せたエリュシオン地区は、一転して浮浪者と薬物中毒者が徘徊するエリアと化している。
食い詰めた商売女という設定で密輸船に乗り込んだ為、二人とも刺激的な装いとなっており却って周囲の
「落ち着くぜ」
生まれ故郷であるアレスの貧民窟を想起しのか、テルミナの胸中には郷愁めいた思いが浮かんでいる。
「そ、そうですかしら……」
他方のイヴァンナは、上司テルミナと同じ貧民窟上がりでありながら、エリュシオン地区は忌まわしい街並みとしか感ぜられなかった。
テルミナ当人は決して認めないだろうが、貧民窟から救われた記憶があるからこそ、彼女にとって郷愁たり得たのである。
つまりは、イヴァンナ──その生涯に渡り真名を明かさなかった──には、篤志家ガウス・イーデンが居なかったのだ。
「──おっと、ここだ」
ご機嫌な様子で裏通りを奥に進んだテルミナは、昼間から営業するパブの前に立ち止まった。
瀟洒なリストランテだった事を偲ばせる
「見ろよ」
テルミナが指差した看板には、
「──情報通りですわね」
「行くぞ」
当時のグリフィス領邦における混乱と政治闘争についての仔細は他文献に譲るが、ともあれ大多数の人々は何れかの派閥に属していたのだ。
中でも、社会階層、縁戚、年齢、性別を問わず、多くの支持を集めていたのが
オビタルの根幹を為す思想に対する
「そこで、俺は士道派の連中に言ってやったわけさ。てめぇの母親はデイモスの丘まで尻を見せに来たぜってな」
「ガハハハ」
「糞がっ。ラッセル・クラブの頓痴気野郎どもは締めてやらねぇとな」
「俺も行くぜ」
「屁理屈ばかり捏ねる学生崩れなんざぁ、少し痛め付けてやれば──」
「ゴラスよ。ヴォルモア大聖堂の話を知ってるか?」
「ん──ひょっとして、例の
店内に入ったテルミナは周囲の喧騒に聞き耳を立てつつ、カウンターのスツールに腰掛けると人差し指でバーテンダーを呼び寄せた。
「いちごジュースと──」
「
用法に明らかな誤りのある上品ぶったイヴァンナの口調は、食い詰めた商売女という設定に真実味を与えると考えたテルミナは好きにさせている。
「やっぱりウイスキーは、イーゼンブルク産に限りますのよ、ミーナちゃん」
無論、鬱陶しくはあるのだが──。
「先払いで」
テルミナの期待通りに二人の身分を推し量ったバーテンダーは、初見の客に対する不信感を露わにして無愛想に告げた。
「はいはい。了解ですわ〜」
イヴァンナが自分のニューロデバイスに触れると、何処からともなく精算完了を示す音声が流れた。
無言のバーテンダーは液体で満たされたグラスを二人の前に置き、馴染みであろう常連客の待つ場所へ戻って行く。
その姿を目で追ったテルミナは、小さく息を吐いてからグラスに口を付けた。
特務機関デルフォイ長官という立場でありながら、敵勢力への潜入という暴挙を己に許したのもイヴァンナという存在があればこそである。
ECM、賄賂、色香、舌先三寸──様々な手法でトラッキングシステムや入管は誤魔化せたとしても、ニューロデバイスを利用した決済は身元が露見するリスクを大幅に高めてしまうのだ。
領民の個人情報管理が各領邦政府に任されているとはいえ、テルミナ・ニクシー程の大物となると話は変わってくる。
──その点、こいつは実に便利な女だぜ。
新たに装着させたニューロデバイスはイヴァンナに凄絶な苦痛を与えた後、代償として真っ更な過去を提供してくれる。
それこそ、彼女が七つ目に重用された所以であり、テルミナが自身の部下に加えた理由でもあった。
「はふぅ、ホントに美味ですわね〜」
「そいつは良かったな──ま、じゃんじゃんと好きなだけ飲め」
「んまっ!!」
両手を胸の前で花弁の如く開き、イヴァンナは満面の笑みを浮かべた。
「──経費──ですわよね?」
テルミナは頷きながらも、余計な事は言うなという目付きで睨んだ。
敵地に在る限り、経費とは無縁の商売女ミーナとイヴを演じ続けなければならない。
「オメェは楽しく飲んで、じゃんじゃん頼め」
無愛想なバーテンダーの男は店のオーナーではないが、売上に応じた歩合給が支給される。
そんな相手の歓心を買う手っ取り早い方法は気前良く酒を飲む事だろう。
テルミナ達に対する猜疑に満ちた態度とはうってかわり、常連客と楽しげに語らうバーテンダーこそが、
美しく造成された丘陵で有名なデイモスは、グリフィス邦都郊外に位置しており、富裕層の別荘などが点在する閑静な地区である。
だが、さる地権者より供与された別荘が
独自の武装勢力であるコルニクス団が地域の警護と治安を護り、グリフィスの統治不全も相まって完全に
こうして足場を固めた
その内の一人であり、尚且つ最も愚かな目と特務機関デルフォイが見做した相手が、カウンターの奥に立つバーテンダーなのである。
酒と──何より金に弱い。
共和主義なる思想を心底信じている訳ではなく、彼が
但し、オーナー自身についての確たる情報は、デルフォイにも掴めていなかった。
「──姐さん達──随分と景気がいいな」
そんなバーテンダーがテルミナ達に声を掛けてきたのは、イヴァンナが二十杯目のグラスを空にした時の事である。
「クルノフ帰りの上客にでも当たったのかい?」
と、下卑た笑みを浮かべ近付いてきた男に、テルミナは内心で快哉を上げた。
「違うよ」
馬鹿が釣れた喜びとは裏腹に、暗い声で呟くと溜息をついた。
「やけ酒だっての。あたしらイーゼンブルクで派手にしくじってさ。こっちで稼ごうと思って来てみたけど──治安も悪いし、もっとひでぇわ」
そう言って肩を竦めた。
「そうなんですの。街は貧しき天使とお薬ラブの皆様ばかり。こうなったら飲むしかありませんわよ〜。んぐんぐ──ささ、もう一杯下さいな」
「だ、大丈夫かよ──ほれ」
気遣う素振りを見せつつも、バーテンダーは酒をついだグラスを置く職責を果たした。
「確かにここいらで商売は難しいだろうな。うちはまだ何とかやれてる方だが──」
「
「違いない」
武装勢力コルニクス団の存在が、街に巣食う犯罪組織から店を守っていた。
そして何より、
とはいえ、女を買う程の余裕は彼等にも無い。
「デイモスの丘──だっけか」
細心の注意を払いながらテルミナはその名を口にした。
「噂じゃ、あそこは安全だし、何より金回りがいいんだろ」
「まあ、な」
「って事は、うちらみたいな女も──」
「無理だ」
バーテンダーが首を振った。
「あそこはイーリアス学派並に、頭の堅い連中が多いんだよ」
「へえ?」
「商売女──失礼──その──」
「いいよ。事実だ」
「ともかく、姐さんみたいな二人は入れねぇ」
娼婦を人材として紹介しては、自身の立場が危うくなると考えたのだろう。
「そうかい」
想定された回答ではあったので、テルミナは大人しく引き下がる。
とはいえ、立ち回りのし易さを考えるなら、商売女という身分のまま相手の懐に入り込みたくはあった。
──ま、今日は一旦退散するとするか。
──次か、その次くらいに、小金が入った話をして……。
と、テルミナが今後の算段を組み立てているところへ──、
「そんなの困りますわっ!!」
酔ったイヴァンナが余計な茶々を入れてしまった。
「
イヴァンナの声が周囲に響いた。
彼女としては一刻も早く任務を終え、楽しい帝都フェリクスに戻りたいのだ。
酔った勢いと天性の迂闊さが、彼女に本心を吐露させてしまう。
「お、おい──」
「あん?」
途端にバーテンダーの眼差しが厳しくなっていく。
「こちらの御方が丘に案内してくれるまで、飲み続けませんこと?」
「い、いや、帰る。帰ろう、イヴ」
スツールから飛び降りたテルミナが、イヴァンナの袖を引いた。
いつしか他の客達の視線も集まっている。
「──待てよ、お二人さん」
「いや、待つんだ」
意外に強い握力だったとはいえ、鍛え上げた幼女の敵ではない。
即座に腕を振りほどき、店内の客も合わせて皆殺しする事は可能だろう。
だが、それは同時に任務失敗を意味する──。
「──ちっ」
進退窮まり舌打ちをしたテルミナだったが、幸運の女神は今回も微笑みを絶やさない。
「どうも行き違いがあったようだね」
店内の奥扉が開き、一人の男が現れた。
「しゃ、社長」
バーテンダーの態度から察するに、恐らくは店のオーナーなのだろう。
そして──、
「お二人は、私の旧友だよ」
ピュアオビタル嫌いを自認する御曹司グレン・ルチアノでもあった。
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★グレン・ルチアノって誰だっけ?
[起] 30話 気乗りのしない会食。
https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330649787669085
★グレン・ルチアノのグリフィス探訪
[結] 2話 若気の至り。
https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330664553817259
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