36話 家畜の争い。

 大講堂の最上段に位置する座席で退屈そうに頬杖をつくテルミナ・ニクシーと、暫しの間は同じ境地で過ごして頂こう。


 なお、彼女の隣に座るイヴァンナは、深い睡眠に入って数時間が経過していた。


「オビタルと先史文明の間には、明らかな歴史的断絶が存在する」


 聴講生が見つめる先の演壇に立っているのは、青鳩あおばとの教化部門を司る男で、嘗てはグリフィスの名門大学で講師職を務めていた。


 名をタルコス・サモスと言う。


「とはいえ、それこそが旧世界の崩壊と新世界の創生を示す証跡である──と断ずるのは、知の堕落と評すほかにあるまい」


 超越知性体群メーティスによるエクソダス・ルーティンを起点として、現在の世界は女神ラムダにより創生された──。


 聖教会の揺るがぬ教義であり、尚且つ歴史的事実としてオビタル史にも編纂されている。


 誰もこれに疑義を挟まないのは、遺伝的な制約と教育だけに拠るものではない。


 EPR通信やポータル、そして地表を這うホモ・サピエンス等々、先史文明の残照はあれども、彼らの事績を示す史科は古典文明よりも遥かに少なかった。


 超越知性体群メーティスと先史人類のホモ・デウスは、認知可能な存在の舞台から完全に姿を消したのだ。


 天駆けるオビタル誕生に至る大きな歴史的空白を残して──。


「では、世界創生とは、つまるところ何を意味するのか?」


 大講堂のステージ上に立つ男は危険な問を聴衆に投げた後、自身の周囲に幾つかの照射モニタを浮かべた。


「宇宙は既に在った。光は既に在った。何より言葉も既に在った」


 存在の根源たる空間と電磁波に加え、講師タルコスはを同列に語った。


 その意図は古典文明に残る第四福音書の一節に影響を受けたものだが、彼の過剰な懐古主義は異端の嫌疑を生み大学を追われた要因となっている。


 ヴァルプルギスの夜よりも先に、彼の人生は聖教会に狂わされていたのだ。


 ともあれ、教育の場を失ったタルコスは絶望の日々を過ごした。


「これらを思索し、あまつさえ口にするのは文字通り肉体的苦痛を伴う──とはいえ、敢えて諸君に伝えよう。女神による創生とは──」


 だが、青鳩あおばととの邂逅かいこうが全てを変えた。


 グリフィス邦都郊外に位置するデイモス地区に、思想教化を目的とした施設が建設されたのは数年前の事である。


 丘陵の中腹部に建つ機能美を追求したモダニズム様式の塔を、青鳩あおばとはアカデメイアと命名した。


 こうしてタルコス・サモスは、再び教育の場を得たのだ。


「家畜の創生であったのだ、と」


 刺激的なフレーズを聞いた何名かの聴講生は、頭部に感じる激烈な痛みに悲鳴を上げた。


 だが、導士ダニエル・ロックや演壇で語るタルコスが身を以て証するが如く、やがては許容可能な痛みに収斂していくのだ。


 刺激を与え続けた皮膚の角質層が厚みを増すのと同じ理屈である。


「王、平民、奴隷」


 タルコスが映す照射モニタに、ピュアオビタル、オビタル、そして古典人類が並べられた。


 ピュアオビタルが銀髪である以外、三者にさほどの外見的差異は無い。


「同等の外敵が存在しない閉じた系においては、最も安定するヒエラルキーと言えよう」


 極稀にロスチスラフの様な傑物が交わる事もあるが、基本的に権力闘争はピュアオビタルという小さなコップの中に留まる。


 翻って被支配層たる大衆は、税負担に不満を抱きながらも、空を奪われた短命な下位種の存在に心を和ませてきた。


 そして最下層の古典人類には、オビタルを軌道上から引きずり下ろす力が残されていない。


「唯一、グノーシス船団国は波乱を含んだ変数と見做しても良いが、国力差を鑑みるならばローマ帝国のゴート族とは成り得ず、却って我々に正義を錯覚させる因子となった」


 グレン・ルチアノの差配で押し込まれたアカデメイアで、テルミナとイヴァンナは数日に渡って古代ローマから神聖ローマ帝国に至る太古の歴史を聞かされてきた。


 実に退屈極まりない講義だったのだが、に入る条件として受け入れざえるを得なかったのだ。


 ──糞つまんねぇ話ばっかりだったけど、どうにもきな臭くなってきたぞ……。

 ──くひっ。いいね。うひひぃ。


 屋敷の地下で女神ラムダを否定してのけたトール・ベルニクに惹かれた様に、タルコスの語る内容は彼女の琴線に触れ始めていた。


 グレン・ルチアノの目論見通りである。


 テルミナがグリフィスを訪れた理由などグレンにも解りきっていたが、同時に彼女が内面に大きな不信を宿している事も見抜いていた。


 故に追い返すのではなく、敢えて雌獅子を身中に入れたのだ。


「家畜は安定した環境で飼わねばならぬ。──が、まだ十分では無い」


 次いで照射モニタに映されたのは、女神ラムダ像を背後に並ぶ歴代教皇の姿である。


 そこにはアレクサンデル・バレンシアの巨躯もあった。


「頑迷なまでの神への信仰は停滞の依代よりしろであり、停滞こそが安定の究極的な源泉となろう」


 事実、オビタルは科学技術におけるイノベーションを一度たりとも実現していない。


 石器技術から量子テクノロジーへ至ったホモ・サピエンス。

 種の自律的進化から超越知性体群という神々の創造にまで手を染めたホモ・デウス。


 先達と比べるならばオビタルの為した業績は余りに僅かだった。


「そして確固たる唯一神の存在は、ヒトが新たな神を生み出す喜劇を防ぐ──という目的にも適うと私は考えている」


 先史文明が消失した正確な理由は誰にも分からないが、超越知性体群が原因であろうというニュアンスはラムダ聖教会の世界創生に纏わる教義にも含まれている。


 尚且つ、量子のはざまに潜む悪魔──と形容しているのだ。


「かようにして、トール・ベルニクなる特異点が出現するまで、総じて安定と停滞の揺り籠に──ん?」


 何かを言いかけたタルコスは唐突に口を閉ざし、数瞬後に深い吐息を吐いて首を振った。


「ふぅ、またも家畜の下らぬ小競り合いか──」


 そう呟きながらタルコスは新たな照射モニタを映し出した。


 << ベルニク統帥府より発表があり── >>

 << 既に同艦隊はカドガン領邦マビノ基地を発ち── >>

 << なお、政府関係者によりますと「一族郎党を根絶やしにする」と息巻くトール・ベルニク── >>


 緊張感漂う眼差しで語るアンカーの背後には、ベルニクがメディア向けに公開したマビノ基地出港の映像が流されている。


 ──派手にやってやがるぜ。


 ジャンヌ率いる中央管区第二艦隊と、トールが乗り合わせる少女艦隊の雄姿は、テルミナに不思議な感情を呼び覚ました。


 タルコスの評した「家畜の小競り合い」に抗弁する論理など何も浮かばないが、異邦の地にあってテルミナの魂を純朴に揺さぶったのである。


 つまり、女神も、家畜も、安定も、停滞も、全てがどうでも良くなったのだ。


「おいこら」


 と、小声で囁いたテルミナは、隣で寝息を立てているイヴァンナの耳を引いた。


「ひゃ、ひゃいっ。あら、もう朝ですの? ふあ〜ぁ、まずはフルーツを──」

青鳩あおばとの御託にも聞き飽きてきただろ?」


 デイモスの丘に仮初の住まいを充てがわれた初日から、思想になど一切の興味を抱いていなかったイヴァンナは大きく何度も頷いた。


「そろそろ動かねぇとな」 


 ◇


「いつになったら帰れるのよっ、パパ!」

「そうよそうよ。早く戻らないと友達との約束が──」

「彼氏でしょ。物事は正確に言いなさい」

「ち、違うってば。彼は──」


 トスカナ宇宙港で唐突な足止めを食らったカウフマン一家は、プライベートラウンジにてバカンスの思い出を楽しげに語らって──などいなかった。


「あなた達、静かになさいっ! パパが困っているでしょう」


 幼年学校からの長い刻を共に過ごしてきた妻は、気弱で引っ込み思案だったケヴィンを孤独から救ってくれた女でもある。


 また、彼女の言葉がなければ、領邦軍に入るなど想像もしなかっただろう。


 若かりし頃の妻いわく、「ケヴィン、あなたみたいに立派な体格を活かせる職業があるの。それはね──」。


 平均より上背は僅かに高いといえ、果たして軍属向きと言う程だろうか──という疑問はさておいて、ケヴィン・カウフマンは愛する者の助言に従ったのだ。


「ふ、ふぅ。そうだな、リンダ──あの──」

「けれど、ケヴィン」


 糟糠の妻リンダは、ケヴィンの言葉を遮り瞳を細めた。


「いつになったら帰れるのかをの方に問い合わせてはいかが? 場合によっては迎えに来るなり──」


 帝都フェリクスにおける変事を受けたケヴィンは、早々に休暇を切り上げて太陽系に戻るつもりでいたのだ。


 ところが、「滅多に取れない長期休暇です。今のところ大丈夫ですから、しっかり休んで下さいね」などと領主本人から直々に止められたのである。


 寛大な上司の言葉に感謝しつつも、裏があるのではという怯えを抱えて休暇を過ごした。


 そうして日程通りのバカンスを終えて戻ろうとした矢先、宙港ロビーの混雑ぶりに辟易としていたカウフマン一家は、貴族や富豪のみに許される豪奢なプライベートラウンジへ案内されたのである。


 ──どう考えても、丁重な軟禁としか思えんが……。


 だが、家族にそれを伝える訳にもいかなかった。


 トスカナに軟禁されたなどと知れば娘二人は泣き喚き、妻リンダに至っては実力行使に出る可能性すらある。


 何より、今は事態の推移を見守る必要があると考えていた。


 ──確かにくだんの大逆に、ピエトロ・トスカナ子爵も加担した。

 ──とはいえ、領地は安堵され、御子息への後継も認められている。


 軍高官とはいえ一軍人に過ぎないケヴィン・カウフマンを、今さら領地に足止めする必然性など何もないのだ。


 却って心証を悪くするだけなのである。


「あなたっ! 聞いてるのっ!!」

「わわわ、す、すまん。聞いていた。聞いていたとも、リンダ」

「パパは聞いてなかったわ。私分かるもん」

「私も分かるわ。絶対、考え事をしてたわね」

「いや──その──パパは──」


 三人の女による厳しい包囲網が完成すると同時、プライベートラウンジに来客を知らせる柔らかな音色が響いた。


 途端に一家は緊張した面持ちで顔を見合わせる。


「失礼致します」


 恭しい仕草と共に入ってきたのは、一家をプライベートラウンジへ案内した青年だった。


「ご不便をお掛けして誠に申し訳御座いません、閣下」


 そう言って青年は慇懃な様子で頭を下げた。


「──と、申しますのも、さる人物がどうしてもお目通り願いたいと申しまして……」

「さ、さる人物?」


 嫌な予感のしたケヴィンは、妻と娘を守るようにして進み出た。


「左様です」


 十数年前、月面基地でトールと出会って以来、彼は常に気苦労と共にあった。


「ピエトロ・トスカナ・ジュニア。今となっては些か不名誉な名となりましたが──」


 そう言って青年は淋しげな笑みを浮かべた。


「私の名です」

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