16話 奇景。

 アイモーネ・サヴォイアという男に見るべき点があるとするなら、己の目的を達する為には手段を選ばないという資質なのだろう。


 いわゆる精神病質者とも言える。


 銀の種馬と揶揄された父が蒔いた落とし胤の一人であるアイモーネは、少なくとも表向きは性の逸脱を戒める聖職者達に対し、幼い頃より尊崇の念を抱いて育った。


 あるいは、捨てられた母の怨嗟に満ちた教育の為せる業だったのかもしれない。


 結果として、成長した彼は聖職者を強く望むのだが、種馬と妾腹の間に生まれた子という出自が、高位の聖職者へ至る門戸を狭める事を懸念した。


 そこで、領地を受け継ぐ以前の若きアイモーネが最初に手を付けたのは、己の意のままに動かせる隠密部隊を育成する事だったのである。


 医療と信仰の融和を謳う財団法人「福音のくさび」なる組織を隠れ蓑に、各地に住まうファンダメンタリスト達から資金を集め、その裏では毒殺を得手とする一団を作り上げたのだ。


 信仰で繋いだ「福音のくさび」へ最初に与えた仕事は、先代領主の嫡子を含む全ての世継ぎ候補を毒殺する事だった――。


「まあ、領主になって、たっぷりと喜捨をしてから出家っていう――オラ、もっと強く!」

「ひ、ひぃ」


 照射モニタの中に映るテルミナは、コンテナの上で胡坐をかく彼女の肩を揉まされているイヴァンナを怒鳴りつけていた。


 そんな二人の背後を見ると、多数のコンテナが詰まれた貨物庫のようだった。

 

 尚且つ纏っている衣装も、やたらと露出の多い原色系のファッションで、彼女達の収入と立場にはそぐわない。


 ――何だろ――密航でもしてるのかな?


 誤解を恐れずに例えるなら、厳しい取り締まりに食い詰めた娼婦が、一夜ひとよの春と引き換えに自由を求め違法な商船に乗り込んだ――かの如くである。


 ――化粧も変だし……。


 そう疑問に思ったトールが尋ねる前に、テルミナは口を開いた。


「だから、どうあれ大司教には成りおおせていただろうな。となれば次に狙うのは枢機卿――教皇――つまりは、現状とさほど変わらん」


 帝都フェリクスへ向かう領邦専用機に乗るトール・ベルニクは、ひょっとして励まされているのだろうか?――と、思いながらテルミナの話を聞いている。


 リリン・バビロンと名乗る女に後ろ髪を引かれる思いはあったが、ノルドマン領邦を後にして帝国葬へ出席する為の帰路に就いていた。


 ――色々と話せはしたけど、結局はレイカさんかどうか分からなかった……。

 ――その上、予定より長逗留になったし、オリヴィアに怒られそうだなぁ。


 などと考えているところに、テルミナからEPR通信が入ったのである。


「とはいえ、あんな人を枢機卿に推したのは失敗でした――」


 レオ・セントロマ討伐前に新生派の結束が乱れる事を警戒したトールは、枢機卿という聖職位を餌にアイモーネの慰撫を図ったのだ。


「ふむん、あの野郎を調子に乗らせたのは確かだな。でなけりゃ、ロスチスラフのおっさんを毒殺しようなんざ――あ、悪い――その――」

「いえ、大丈夫です」


 事の全貌を明かされていないテルミナは、青鳩あおばとに唆されたオリガ・オソロセアが、アイモーネの毒殺部隊の力を借りてロスチスラフを害したと思っている。


 全てがロスチスラフのてのひらの上で踊らされたに過ぎないと知っているのは、現時点ではトール、オリガ、そしてドミトリだけだった。


 ――どうあれ、実行しようとした事実は揺るがない。


 青鳩あおばと、アイモーネ、ファーレン、さらにはアラゴンの企みを知ったロスチスラフが逆に利用しようとしたとはいえ、トールは彼等に対してもはや容赦するつもりなど無かった。


 ――誰ひとり――生かしてはおかない。


 戦場や政治ではなく毒を以て盤面から戦士を排除しようとした点が、剣に生きた彼の逆鱗に触れたのだろう。


 判断の良し悪しは兎も角として、トール・ベルニクはその最期に至るまで戦の先陣を切り続けた英雄なのである。


「――どいつもこいつも後悔させてやるっていう、テメェの面構え――わ、悪くないぜ」

「わわわっ。貌に出てました? アハ」


 至高神をも畏れぬであろう荒ぶる魂を失わない領主に対し、テルミナは口端から涎が零れ落ちそうになるのを堪えた。


 屋敷の地下で心を通わせて以来、彼女の期待は裏切られた事が無い。


「おっさんの弔いまでけがそうって連中なんだ。容赦する必要はねぇよな」


 アイモーネの協力を得た青鳩あおばとが、ロスチスラフを送る帝国葬でと騒ぎ起こすという噂は、特務機関デルフォイも掴んでいた。


 彼等が取る具体的な手段は不明だったのだが、それも意外な人物から情報がもたらされて判明している。


 ――何だかんだと、あいつは学校で上手くやってんだな。


 女帝を守護する近衛隊長となったトジバトルの報告を聞く限り、ディオは、すこぶる仲の良い友人に恵まれているらしい。


 ――ロイドとロマノフってのが、波乱含みじゃあるけど……。

 ――ま、ダチが、いねぇよりはいいか。


 プロヴァンス女子修道院は無論のこと、ベルニク軍憲兵学校でも人付き合いに失敗したテルミナは、路地裏で拾った孤児の器用さを頼もしく感じていた。


「ディオ君のお陰で、ホントに助かりました」


 帝国葬における青鳩あおばとのテロ行為はトールも想定外だったのである。


 恐らくは二重スパイの役割を担っていたオリガが、べドラムゴラ医療センターに保護されて以降に、青鳩あおばとの間で急ぎ立ち上がった計画なのだろう。


 いた計画には、必然的に杜撰さが残る。


 ともあれ、手法から推測するならば、グノーシス船団国の深い関与を窺わせた。


「ヴォルヴァ幼年学校の方も、今回はロベニカさんがケアしてくれますし」


 同校においてテロが起きる訳ではないのだが、看過できない事態が帝国葬に合わせて発生する。


 先代エルヴィンから続く慣例に基づき、教育機関に対する治安機構の介入は混乱を生みかねないと判断し、トールはロベニカとパープルロッジの有志を頼ったのだ。


「これで、色々と事を進め易くなります」


 ロスチスラフの遺言に従いアイモーネを追い込む予定だったが、アレクサンデルも懸念する些か強引な進め方をしようと当初のトールは考えていた。


 ところが、アイモーネは許し難いテロ行為にくみする挙句、言い逃れの出来ない足跡まで残してくれるのである。


「彼が朝陽を見るのは、今日で最後となるでしょう」


 なお、奪うのは命だけではない。


 アイモーネの一切合切を無に帰するつもりでいた。


 天秤衆を藻屑としたかつての砲撃が示す通り、武勇に寄った彼の人生観に適わぬ相手へは、全くの慈悲を持ち合わせていないのである。


「いひひっ」


 奇妙な声音で嬉しそうに笑うテルミナの背後で、イヴァンナは秘かに溜息をついていた。


 七つ目時代の上司ミザリーを越える、厄介な女に仕える羽目になった自身の不運を嘆いているのかもしれない。


「そいつを聞いて安心した。つーわけで、あーしは――」


 そう言ってテルミナは、派手な色合いで彩られた瞳を瞬かせる。


青鳩あおばと共にも阿呆の後を追わせる準備をしてくるぜ」


 ◇


「ほ、本当に、こんなモノを?」

「実に――その――気持ちが悪いですな」


 帝都フェリクスのハイエリアに位置するアイモーネの別邸では、二人の貴族がてのひらの上に置かれた不気味な代物を胡乱うろん気な眼差しで見下ろしていた。


 ロイド家当主ハロルドの言葉を信じるならば、それはホモ・サピエンスに不死性を与える額印がくいんである。


「ピエトロ卿、ジギスムント卿」


 少しばかり蔑む思いを乗せた声音で、アイモーネ・サヴォイアは目前に座る両者の名を呼んだ。


 トスカナやブルグント如き小領を治める者を前にすると、自然とアイモーネの態度は尊大になる。


「肌身離さず持っておれば良いのだ。この様に――」


 アイモーネが緋色の聖職衣の胸元を拡げると、禍々しい額印がくいんが骨ばった胸部に張り付いていた。


「裏面の突起が表皮に吸い付くせいか少々痒くはあるのだが、我等オビタルならば寄生される事はない」

「そ、そうは言われましても――表面とて――」


 硬い外殻で覆われた表面には、サークルに十字が穿たれた紋様が入っている。


 かような代物を、いみじくも枢機卿という立場にある者が胸に抱くさまは奇景であった。


 なぜなら、それこそが――、


「安全の為には致し方あるまい。故にこそ胸元に秘するのだ」


 グノーシス。


 つまりは異端の証しである。


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★グノーシスの徴について。

[起] 28話 秘密の部屋。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330649742389628


★ピエトロ・トスカナ初登場。

[結] 3話 母に秘策あり。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330664664428073


★帝国地図(聖都戦から十年後)

https://kakuyomu.jp/users/tetsu_mousou/news/16817330664816296412

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