17話 ソルフェジオ周波数。

 ロスチスラフを弔う帝国葬当日の朝――。


 オリヴィア宮の大聖堂周辺は、警備を担う治安機構からメディア関係者まで、多数の者が行き交っており常の静謐さは失われている。


 そんな中、習慣となっている早朝の祈りを捧げるべく、侍従長シモン・イスカリオテは大階段を登っていた。


 何名かの目敏いメディアはシモンに駆け寄ろうとしたが、護衛兵に睨まれると不満気な表情を浮かべつつ戻っていく。


 正午を過ぎた頃、主祭壇へ向かうロスチスラフの棺と葬列が進む場所である。


 棺の傍に付き添うフェオドラとレイラを映像に収めようと、メディア関係者達は位置取りとリハーサルに余念が無かった。


 とはいえ、警備都合からメディアが立ち入れる場所は制限されている。


 シモンが咎められる事なく大聖堂に入れるのは、期せずして彼も権力者の端くれに名を連ねている結果なのだが――、


「か、簡単に通れましたね」

「すごい! 治安機構の護衛兵どもがペコペコしてましたよっ」

「メディアだって通れないのに!」


 声に気付いたシモンが振り返ると、小太りの少年が数名を引き連れて大階段を登っていた。


「当たり前だ」


 少年が胸を反らせて不遜な声音で応えた。


 ――ふむ――彼等ではないのか。


 数日前に出会ったトジバトルの顔馴染みという少年少女三人組ではないと気付き、シモンは安堵と失意を同時に感じていた。


 個性的ながらも知性と品位を纏う若者は、疲れた中年男の心を癒したのだろう。


「天下のサヴォイアなのだぞ、俺は」


 ――ほほう? 父君とは随分と違うな……。


 レオ・セントロマを見習うかの如く、骨と皮ばかりの痩せたアイモーネの不吉な顔貌が脳裏に浮かんだ。


「――ん?」


 振り返ったシモンの視線に気付いた少年は、胡乱気な三白眼でシモンを睨み据え、追い払うように右手を振った。


 三公の子息に、その道を譲れという意味なのだろう。


 サヴォイアの名を聞き元よりそのつもりだったシモンは、頭を垂れてり足で大階段の隅へ寄っていく。


「――」


 小太りの少年が生意気な表情で通り過ぎた直後――、早朝を告げる鐘音が鐘塔から鳴り響いた。


「む――」「――!」「――!」


 少年達は何かに怯えるかのように足を止め塔を見上げたが、シモンとて思わず息を止めていた。


 ディオ達に仕組みを聞かされてはいても、恐怖心を拭う事は出来ない。


 ――うう――ホントに大丈夫なのだろうか。

 ――い、いや、トール伯が言われるのだから間違いはないはず……。

 ――ああ、でも逃げたい。やはり、逃げたいっ!


 長らくシモンの心を洗い清めて来た大聖堂の鐘音は、彼の新たな不安の種となっていたのである。


 ◇


 正午を控え、大聖堂には次々と貴人達が集まり始めている。


 彼等が大扉を抜けて内陣へ向かう際、身廊の両脇に立ち並ぶ同じ顔の少女達に気付くと一様に驚く表情を見せた。


 身廊手前にある前室の螺旋階段にも彼女達が配されており、天蓋部に至るまで続く少女達の列は些か奇妙な光景と言えよう。

 

 ――あ、あれは?

 ――ベルニクの奇妙な軍用オートマタと聞き及んだ事がありますぞ。

 ――軍用――はて、護衛兵の人員不足なのだろうか……。

 ――さあ? 我等如きには、帝国宰相の深慮は伺いしれませぬ。


 深慮を巡らす噂の帝国宰相トール・ベルニクは、既に内陣の最前列で女帝ウルドと並び座っていた。


「――何用じゃ?」


 ウルドは不機嫌を隠さず尋ねた。


 入代いれかわり立ち代わり訪れる他領主や貴族の挨拶が一巡し、ようやく夫婦二人で弔う思いを分かち合おうとしたところへ、近衛隊長トジバトル・ドルゴルが近寄って来たからである。


「これは、失礼」


 肩を竦めてトジバトルが応える。


「宰相閣下のお耳を拝借したく」


 女帝の傍に仕えるようになった当初こそ大いに緊張したのだが、世慣れた男は徐々にトジバトルらしく振舞うコツを掴み始めていた。


 トールから友柄に等しい扱いを受けているという強みもあっただろう。


「ものの数分でございますよ、陛下」

「ふん」


 と、軽く鼻を鳴らしたウルドだったが、盤双六の相手を偶にさせる程度には気心の知れた相手となっていた。


「――ところで、閣下」


 トジバトルは声を落とし、少しばかり厳しい表情となる。


「ご指示通り、全て――、整っております」


 EPR通信で済ませても良かったが、このまま本当に事を進めるのかと、最終確認のつもりで敢えてトールの傍に寄ったのである。


「分かりました」


 そう鷹揚に頷くトールの様子は、女帝の警護に抜かりがないと近衛隊長から報告を受けたに過ぎないようにも見えた。


「――例の壁は?」

「閣下の言われた通り、今朝方、仕掛けが入ったようでして――」

「ふむふむ。そうこなくちゃですね」


 トールは満足気な様子となった。


「これで、遠慮する必要もありませんね」

「え、ええ」


 いつも容赦しないのでは――と、トジバトルは思ったが黙っておいた。


「では、私は――」

「待て、トジバトル」


 立ち去ろうとしたトジバトルを、トールの隣に座るウルドが引き留める。


「――もはや、情け無用である。良いな」


 前を見据えたままウルドが告げた。


「はっ」


 トジバトルは心内に湧く弱気を女帝に見透かされたと理解した。


 ――まったく――いい夫婦だよ。


 と、独りちて背を見せ戻る彼の耳に、少しばかり呑気な声音の夫婦の会話が届いた。


「トール、痒い」

「ほんの暫くだよ、オリヴィア」

「分かってるけど――」


 頷きつつも不快気な表情を浮かべたウルドは、喪服の胸元に伸ばした指先をぶるりと戦慄わななかせた。


「痒い」


 ◇


 フェオドラとレイラに付き添われたロスチスラフの棺が、主祭壇手前に配されると同時、戦士を弔う軍葬ラッパの音色が大聖堂で伸びやかに木霊した。


 内陣と身廊に集う者達が一斉に席から立ち上がる。


 教皇アレクサンデル・バレンシアは棺の傍へ向かい、フェオドラとレイラの背を軽く撫でた後に口を開いた。


「我が悪友に」


 アレクサンデルが友と言うのは決して儀礼ではなく、ロスチスラフは聖兵士官時代から縁ある戦友であり、そして言葉通り悪友でもあったのだ。


 ――我や船団国と手を結び、ベルニクを平らげようとした昔日すら愛おしい……。


 が、ともあれ、時は過ぎた。


「黙祷を捧げる」


 オビタルの葬儀に追悼の言葉は無い。


 トール、ウルド、そしてロスチスラフの娘達――、全てが各人各様の思いを抱いて黙禱を捧げるのみである。


 また、遠く離れたヴォイド・シベリアでは、奸雄の遺志を受け継ぐオリガ・オソロセアも独り父を偲んでいた――。


「良き男であった」


 そう言って二分間の黙祷を終えたアレクサンデルが右手を上げると、内陣脇の紅い緞帳が開き円形の雛壇が姿を現した。


 後方の席に控えていたヴォルヴァ幼年学校の生徒達が、緊張した面持ちで身廊を歩き大役を果たすべく雛壇へと向かっていく。


 気重になりがちな葬儀にあって、彼等の姿は参列者達の心を幾分か明るくした。


 かようにして、若き合唱団の行進に注目が集まった結果、トール・ベルニクがひっそりと席を外した事に誰も注意を向けていない。


 さらに言えば、アイモーネと小領を治めるピエトロ、ジギスムント両名が、トールの後を追うように内陣を出て前室へ向かった事も周囲の興味を引かなかったのである。


 前室より伸びる螺旋階段を彼等が登り始めると、身廊と前室の間にある大扉が閉ざされた。


 だが、その音とて、合唱団を歓迎する拍手の小波さざなみに飲まれて行く。


 拍手に包まれつつ、合唱団の前に立った指揮者は音叉を鳴らし、528Hzのソルフェジオ周波数を彼等の鼓膜に焼き付けた。


 オビタルの聖歌は伴奏の無い単旋律で、ソルフェジオ周波数を多く含んでいる。


 古典に例えるならグレゴリオ聖歌となろう。



 他方、誰も通さぬと言った風情の近衛隊長トジバトル・ドルゴルは、両腰に吊るす剣の柄に手を掛け閉ざされた大扉の前に仁王立っていた。

 

 ◇


「誤解ではありませんかな? トール伯」

「そ、そうですぞ。我等に異端の疑義ありなどと」

「根も葉もない噂でしょう!」


 葬儀の途中であるにも関わらず、大聖堂の天蓋部まで呼び出された三人は、怯えながらも口々に抗議の声を上げた。


 彼等を呼び出したトールは、涼しい顔で太い円柱に背を預け立っている。


 その円柱の奥に在る秘事を知るアイモーネ達は、正に生きた心地のしない状況だったのだが、ここはしらを切り通す他ないと腹を決めた。


 ――歌さえ――歌さえ始まれば、生き残るのは我等のみ……。


 そう考えるアイモーネは、逃げ出したい衝動を万力で抑え込んだ。

 天蓋部の遥か下方より響く音叉の振動も彼の気持ちを励ました。


 ――あと少し!


「ともあれ、疑義については後に話すとして、内陣へ戻り聖歌にて心を洗われるべきでしょう。何より比類なき忠臣ロスチスラフ侯を――」


 追従めいた笑いを浮かべ、アイモーネは言葉を継いでいく。


 だが――、


「皮を剥ぐ」


 柔な笑顔を浮かべていないトールの顔貌は、見る者によっては恐怖心を抱かせる。


「そう言うらしいです」

「は?」


 アイモーネには意味が分からなかったし、残りの二人にも分からない。


「――あ、始まった」


 ヴォルヴァ幼年学校合唱団による聖歌斉唱である。


 単旋律の織り成す古めかしい音階が拡がり反響し、荘厳且つ神聖な波紋で大聖堂を包み込んでいく。


 その周波数は人の脳だけでなく植物にも影響を与える。


「そろそろ、お願いしますね」

「――良かろう」


 という声と共に、円柱の裏手から三人の少女達――少女Aが現れた。


「な、なんだ?」「わわっ」


 彼女達が先端の曲がったククリナイフを構えていると気付き、アイモーネ一行は怯えた声を上げて逃げようと背を見せた。


「我より逃れた皮は無い」


 目にも止まらぬ――という表現が相応しい。 

 間近で眺めていたトールにも視認できなかった。


 逃げる間もなくアイモーネ達の衣服は裂かれたが、皮膚には一切の傷痕が無い。


「ほれ」「ほれ」「ほれ」


 アイモーネ達から剥ぎ取ったグノーシスの徴が穿たれた額印がくいんを、三人の少女Aがトールへ放り投げた。


「わわ、おっと――」


 ひとつの額印がくいんのみを受け止め、表面を彼等に見せつつ左右に振った。


「やっぱり異端でしたよ」 

「そ、それは」

「何の事やら」

「兎も角、話は後に――」


 その時、耳を澄ませたなら、円柱の奥から粘膜の擦れる音と呻き声、そして幾らかの金属音が響き始めている事にも気付いただろう。


 鐘塔に登る階段に咲き乱れた真白い花弁の奥から、聖歌にいざなわれるようにして呪われし生命体が生じ続けていたのである。


「ま、ボクも付けてるんだから同罪ですけどね」


 頭を掻きながらトールがそう言った瞬間、アイモーネの息子が内から容易に開くよう仕掛けを施してしまった円柱の引き戸が遂に解放された。


「ひぃ」「まずいっ」「に、逃げ――」


 石槍を持った小人達、つまりは無数のタロウが、雄叫びを上げて円柱より溢れ出したのだ。


 敵を――額印がくいんを抱かぬ者を屠る為にである。


「ぎゃあああ!」


 裏切り者の絶叫とタロウの奇声が、故人を送る荘厳な単旋律を乱した点について、トールは心中でロスチスラフに侘びた。


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★少女Aの皮剥ぎについて


[乱] 31話 少女B。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330659025755425




 


 

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