31話 少女B。
「まあ、トール様」
ユキハは驚いた様子で口許を掌で押さえた。
「トール様と──いえ、以前のトール様と同じ事を──」
「へえ、そうなんですか。彼も例の冊子を見たのかな」
ワイアード艦隊を紹介する映像で見たツインテールの無表情な少女Aと、目の前に座る彼女は全く同じ
但し、ユキハは黒髪であり、話し方や雰囲気は微妙に異なるが──。
「少女Aさんですよね?」
トールに問われたユキハは再び目を丸くする。
「何だか不思議です。最初にお会いした時を思い出すかのようで──」
ユキハは懐かしむような表情を浮かべた。
──"キミって、皮を剥ぐのが上手な少女Aちゃんでしょ?"
──"いやぁ、例のイモパンは美味しかったな。"
──"けど、何だって、こんな最果ての事象面にキミが居るんだろう。"
「けれど、違うのです」
ユキハが申し訳なさそうに首を振った。
「私は少女Aではありません」
「え?」
「少女Bです」
◇
「憲兵隊に戻りたくなった──って事じゃないよな?」
ガウス・イーデンは、照射モニタに写るテルミナに尋ねた。
彼女の表情から若干の疲労を読み取ったからである。
「抜かせ。つうか、肝心のテメェが辞めるらしいじゃねぇかよ?」
「ほう? やはり、特務機関様は耳が早いな」
「ふん」
と、テルミナは満更でもなさそうに鼻を鳴らした。
「ともあれ、訳の分からん話が多すぎる」
「ワイアード艦隊か。聞く分には面白いけどな」
「どうでもいい。そんな事より、レディトゥス・ファウンデーションだ」
嘗てのトールが金を借りていた財団法人である。
心配するユキハに対して、彼はそう説明していたのだ。
「但し、実際に融資しているのは、ヴォイド・シベリアの金融機関なんだよ」
「信用情報か?」
「そうだ」
ヴィルヘルム・モルトケも信用情報からトールの債務状況を知り、金鉱を掘り当てた──と、ほくそ笑んだ次第である。
「名前は?」
「意味深な名前だから後で言う。ともあれ、プライベートバンクだ」
ヴォイド・シベリアのプライベートバンクは、富裕層向けに資産運用サービスを提供する銀行であり、一般的な融資業務は行わない。
特殊な金融法制を敷くヴォイド・シベリアには、その手の金融機関が多数存在した。
「だが、閣下には融資していた。それも常軌を逸した金額を──」
「博打で溶かすアホにな」
と、以上が外形的な事実である。
「──だが、そう単純な話じゃねぇんだ」
「知略に長けた閣下の事だ。やはり、何か裏が有ったのだな」
「ああ」
融資をしていたプライベートバンクは複雑な資本関係により隠蔽されているが、財団法人レディトゥス・ファウンデーションが実質的な支配権を握っていた。
「なるほど。レディトゥス・ファウンデーションから借りた──という閣下の説明も間違ってはいないわけだな」
と、同時にそれは、アホ領主とされていた時代のトール・ベルニクが、自分に融資するプライベートバンクの正体を知っていた事を意味した。
「疑問点は無数にあるが、アタシが最も気になっている点はだな──」
つまるところ、全ての問題はそこに集約される。
「何だってアイツは、借りた金をカジノで溶かしていたのかって事だ」
「ふむん」
ガウスは少し考える様子を見せた。
「──ユキハ嬢に稼がせる為か」
ジャンケットの収入源はカジノからのリベートである。
その報酬額は、ジャンケットの顧客がカジノで溶かした金額に比例した。
「直接の贈与を避けたかった──。尚且つ、ご自身との関係、あるいは
「──だよな」
同時にそれは、ユキハの身元を隠す事にも繋がっている。
──野郎は何からユキハを守ろうとしてたんだ……。
その答えを持ち合わせたトール・ベルニクは既に存在しない。
「ところで、まだ教えてくれないのか?」
ガウスが言っているのは、プライベートバンクの名称である。
「あ、そうだったな。実に奇妙な名前なんだが、考えてみれば必然かもしれん」
「いいから、勿体ぶるなよ」
「プライベートバンクの名前はだな──グレートシベリア・トラスティサービス・ヴォイド&──」
と、ここでテルミナは一拍おいた。
「ホッテンハイム」
トールの部下で、忠実な家令の姓を知らぬ者はいない。
「せ、セバス殿?」
◇
「AだのBだの──何だそりゃ?」
ユキハとの面会を終えたトールは、フリッツを伴いカジノへ向かっていた。
本番に備えカジノを事前視察するつもりなのだ。クリスの勝ちっぷりを見てみようという野次馬根性もある。
マリからは、彼女を諫めてくれと頼まれているが──。
「ワイアードプロジェクトの一環らしいです。少女Fまでの人格パターンが存在すると聞きました」
深宇宙を探索し居住可能な星系を見付け次第ポータルを設置していく。これを繰り返す事で人類は銀河における自らの版図を拡大したのだ。
少女Aはワイアードプロジェクトの中核を為す存在であり、情動と時制を抑制する事で超長期に及ぶ航行に絶え得る知的生命体として設計された。
「ええと──ようは、オビタルじゃねぇってことか?」
「ですね」
また、未だ地表世界で暮らすホモ・サピエンスでもなければ、先史文明を築いたとされるホモ・デウスでもない。
「同じ
「その果実をボク等は利用しているんです」
ポータルのネットワークを失えば各領邦は光速度の孤児となる。
「となると、ユキハ──少女Bってのは何なんだ?」
「ご本人談によりますと、少女シリーズの情動面を担う存在だそうです」
「少女シリーズって……」
──"開発者──私達にとっては創造主と言えますが、開発責任者をモデルとした造形だと聞いています。"
──"人格がですか? それとも外見を?"
──"両方です。但し、本来持っている多面性を、少女ブランチ毎に分割しています。"
トールには、幾分かマッドサイエンティストの所業に感ぜられた。
「他の少女ブランチがストレスで不安定になった際に労わったり、体調面の管理もしていたそうですから──保健室の先生的な存在なんでしょう」
「保健室?」
「カウンセラー兼お医者さんです」
「へえ……」
トールの使う表現は、他者を時として困惑させた。
「実際に今も面倒を診てるそうですよ」
「──あん?」
「エドヴァルトさんのお宝ですよ。やっぱり有るんです──ここに」
そう言ってトールは、大地を指差した。
「維持費が大変らしいですけど」
「親父の宝……」
「ええ、ですから、やっぱり──」
トールは悪党に相応しい笑みを浮かべた。
「モルトケの土地は全部頂く必要がありますね!」
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