30話 ツインテール・ブギウギ。

「ゲオルク宙域に入りました」


 インフィニティ・モルディブから千光秒離れた惑星ゲオルクの軌道都市がクルノフ邦都である。


「中央管制局より打電」


 旗艦トールハンマーのブリッジに立つケヴィン・カウフマン中将は、オペレーターの報告に背筋を伸ばした。


 ──閣下は歓迎されると仰っていたが……。


 目的を秘したまま邦都まで押し掛けて来たのだから、先方はさぞかし怒り心頭だろうとケヴィンは考えていた。


 いきなり壁面砲の斉射を浴びたとしても、ベルニクは文句を言える立場ではない。


「"トール・ベルニク伯、並びにベルニク艦隊を──"」


 緊迫した声音で報告を上げるオペレーターは僅かに首をひねった。


「"──歓迎する"」


 ケヴィンは数舜黙した後に、軽く頷くだけにとどめた。


 上司の言う通りに事が運ぶのは慶事だが、与えられた今回の任務を考えると喜ぶべき局面ではない。


「ゲオルク基地のゲート開放を確認。降下許可も降りました」

「いや」


 ケヴィンは首を振った。


「揚陸無用」


 ベルニク艦隊の目的はクルノフを屈服させる事ではないのだ。


「このまま進み、我々はポータル面に防衛陣を敷く」


 ゲオルク近傍のポータルはアラゴン選帝侯領と繋がっており、邦都の喉元に強大なアラゴンの刃を突きつけられた状態である。


 この地勢がロマン・クルノフ男爵の気概と野心を抑え込み、鬱屈した精神を育んで来たとも言えた。


「あ、アラゴンが攻めて来るのですか?」


 問うべき立場になかったが、思わずオペレータは尋ねてしまった。


「いや」


 これまで胸に秘めてきた任務内容を明らかにする時が来たのだ。


 とはいえ、些かの勇気を必要とする。


「コホン」


 と、軽く咳払いをした後、ケヴィンは宙を見据え口を開いた。


「全軍に告げる。我々は、ゲオルクのポータル面を通過する艦艇を例外なく臨検する」


 部下から造反者が出るかもしれない──との懸念をケヴィンは伝えていたが、常の通り不遜な上司は楽しそうに応えた。


 ──"アハハ。大丈夫ですよ、中将。"


「なお、次の要件に該当する艦艇については、これを拿捕し乗員の身柄は拘束せよ」


 ──"だって、みんなもホントは大嫌いなんですから。"


「識別信号上位コードΛ911-001の艦艇──繰り返す──Λ911-001」


 初期の座学で叩き込まれる為、艦艇乗りならば軍民を問わず知らぬ者などいない。


「抵抗した場合、威嚇と警告は無用。初撃で沈めよ」


 ブリッジは沈黙に包まれている。誰もが言葉を失っていたのだ。


「つまりは、クルノフの地を踏むは宙域の原子へ還せ。以上が、ベルニク軍最高司令官、トール・ベルニク閣下の御下命である」


 ──"みんなもびっくりするでしょうから、聖下の名前を使っちゃいましょう!"

 ──"か、勝手にですか?"


 狼狽えるケヴィンの肩を叩きながらトールは言った。


 ──"阿吽の呼吸ってやつですよ。"


「なお、本件は教皇聖下の御意向でもある。天下万民が承知の通り、聖下と閣下は──」


 ──"ボクとアレクサンデル聖下って──"


「固い絆で結ばれておられるのだ」


 ──"トモダチみたいなものですから。"


 ◇


「トール伯が?」

「そうさ。あのアホは、本気で勝負する気なんだよ」


 ヴィルヘルム・モルトケは人生の不可思議を感じていた。


 兄への裏切りをヴィルヘルムに唆したのは、長く美しい脚を組んで目の前に座る女──エドヴァルトの妻フレイディスなのだ。


 だが、小心で猜疑心の塊であるヴィルヘルムは、兄だけでなくフレイディスをも裏切る。


 ベルニクの広域捜査局に彼女を売り、罪悪感と共にヴォイド・シベリアへ叩き込むつもりでいたのだが、オリヴァーの横槍が入り一命を取り留めてしまった。


 ──てっきり俺を殺しに来たのかと思っていたのだが……。


「伯に何のメリットがある?」


 フレイディスの話によれば、トール・ベルニクは、ポーカーで大きな勝負を挑むつもりでいる。


「借金返済と欲に決まってるじゃないか。博打でこさえた借金を博打で返そうなんざぁバカの見本もいいところだねぇ」

「だが、そうなるとロマン卿の申し出を断った理由が解せん」


 フレイディスが、やれやれと言った様子で肩をすくめた。


「弱みを握られたくない──なんて言ってるらしけど、それだけじゃ無いよ」

「ほう?」

「あのバカはね、自分にカード運があると思い込んでるのさ」


 手の甲を唇に当て、クククと背を揺らし笑う。


「必ず勝てるってね」

「いや、実際に必ず勝てるのだ」


 トールが来てしまった以上、ヴィルヘルムはロマンの指示に従うつもりでいた。

 

 帝国CDBCレートで二百兆──。


 庶民にとっては天文学的数字だが、投資と蓄財に勤しんだロマン・クルノフにとっては現実的な数字である。


 当時のベルニク領邦の国家予算など、その程度の規模だったとも言えよう。


「チッ、まったく。あの糞禿げの得手は銭勘定だけだね」

「口を慎んでくれ、フレイ。だが、トール伯はポーカーで二百兆も稼ぐつもりなのか?」


 高レートなスロットにトールを案内してジャックポットを引かせ、それを元本に金融デリバティブ取引に手を出して莫大な利益を──というシナリオをヴィルヘルムは提供するつもりだったのである。


「バカだからね」

「そんな勝負を、受けられるテーブルがあるはずもない」


 ベッティングがノーリミットだとしても、ゲーム参加者のベッド総額以上には回収できない。


 自らが二百兆分のチップを保持し、尚且つ相手も同額のチップが必要となる。


「どうにかして受けるんだよ」

「しかし──」

「ヴィリー。借金まみれのアホ領主が、どこから金を引っ張って来ると思う?」


 ポーカーで二百兆の勝負をするならトールには元手が必要となる。


「──ロスチスラフ侯か?」


 つい先頃、ベルニクとオソロセアは相互安全保障条約を締結している。


「いいや。ここだよ、ここなんだよ」


 記者会見のトールを真似て、フレイディスは自身の燃えるような赤髪を叩いた。


「まさか!? こ、刻印譲渡?」

「そうなのさ、ククク。面白いだろう」


 フレイディスは、その身を悶えさせる。


「さぁ、アンタは玉を張って、あたしを銀冠のレィディにするんだよ」


 彼女の発する「レィディ」には、長い舌が放つ独特の響きがあった。


「そうすりゃ昔の事は水に流してあげる。可愛いヴィリー坊や」

「あ、そ、それは──その──色々と事情があって──」

「黙りなッ!」


 フレイディスは犬歯を剥いて吠えた後、ソファから立ち上がりヴィルヘルムの傍へ飛び掛かる様にして迫った。


「ひいっ」


 短く呻くヴィルヘルムの睾丸を、右手で鷲掴みにする。


「二度裏切れば」


 フレイディスの長い爪が、繊維越しに食い込んでいく。


「うすぅく輪切りにして、お前に喰わせてやるよ。ところで、アンタの肉嫌いは治ったんだろうね?」


 ◇


「ボクが──死んでいる──か」


 トールにも否定できない側面がある。


 ──確かになぁ。元々のトールって、どこに行っちゃったんだろう。

 ──そう考えると、死んだようなものだよね。


「で、報告は以上なんだけど、ゲストを呼んである」

「ゲスト?」

「そうだ──おい、いいぞ──報告は終わったから入れ」


 うなじを触りながらテルミナが言うと、数舜のがあった後に部屋の扉が開かれた。


 一目でトールは分かった。


「噂のユキハちゃんだ。オメェと浅からぬ縁がある」

「お話しする事が多かっただけで──あの──お久しぶりです」


 黙ったままのトールを見て、少しだけ寂しそうにユキハは笑んだ。


「いえ──初めまして。ユキハと──」

「ええと」


 トールとしては珍しく相手の言葉を遮った。

 

 内心に湧いた疑問を、一刻も早く伝えたかったのである。


「髪の毛の色も気になりますが、それより、どうしてめたんですか?」


 トールが自身の側頭部の髪を摘まんだ。


「ツインテール」

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