29話 女主人の帰還。

 ベルニク艦隊はサヴォイア領邦を抜け、平和裏にクルノフ領邦へ入った。


 この一事により惰弱なロマン・クルノフはベルニクに膝を屈したのだ──と各領邦の目には映っている。


 他方で復活派勢力のアラゴン選帝侯は、クルノフと面するポータル近傍に多数の艦隊を集結させ始めていた。

 レオ・セントロマと天秤衆に呼応しての動きだが、トールとしては知る由もない。


「インフィニティ・モルディブって地表面も凄い大都会なんですね。いやぁ、儲かってるんだろうな」


 リゾート地に降り立ったトールは、豪奢な街並みに先程から感心しきりである。


「当り前さね。アタシが戻ったからには、ぜ~んぶ坊やの物だからねぇ」


 そう言ってフレイディスは殺人鬼トーマスの頭を撫でた。


「あ、あの──」

「チッ。糞が」


 などと微笑ましいやりとりをしながら辿り着いたのは要人御用達の超高級ホテルである。


「前々から思ってたんだけど──」


 ホテルのロビーで待っていたテルミナは呆れた表情を浮かべていた。


「──オメェの不用心さは底が知れねぇな」


 トールの後ろには、フリッツ、フレイディス、トーマスが並んでいる。何れもモルトケ一家の関係者、つまりは元海賊である。


 それだけでも領邦領主としては異質なのだが──、


「あなたが、噂のテルミナちゃんなのね。本当に可愛らしい方!」


 トールの傍らに立っていたグリンニス・カドガンが、自身と同じく小柄なテルミナへ歩み寄っていく。


「おいくつ?」


 と、首を傾けて尋ねる様は成熟した淑女が幼子に尋ねる風だが、両者の外見的特徴によりママゴトめいて見えた。


「よ、四十六」

「フフ、お若いわ」


 繰り言となるがオビタルの年齢について──は、もう良いだろう。


「ここまでの道中、伯からテルミナちゃんの活躍を聞いて、会えるのを楽しみにしていましたの」

「え、あ? そ、そうかよ」


 同性からパーソナルスペースに詰め寄られる事に抵抗感のあるテルミナは、助け船を求めてトールを見やったがフリッツと話し込んでおり気付く様子がなかった。

 

 正確にはフリッツだけではない。


 ──ま、まじか!?


 男の顔貌はテルミナの記憶にも焼き付いている。


 ──何だってテメェを殺そうとしたキチガイまで……。


 ◇


 ヴィルヘルム・モルトケは、最上階のオフィスから下界を眺めていた。


 ──伯がカジノを訪れたなら、上手く勝たせてやれ。


 と、ロマンからは言われたものの、ヴィルヘルム自身はトールがインフィニティ・モルディブを本当に訪れるとは想像もしていなかった。


 邦都に入りロマン・クルノフを臣従させる──つまりは、政治を優先するだろうと考えていたのだ。


 ところが、トールは艦隊を引き連れてインフィニティ・モルディブへ来てしまった。


 ヴィルヘルムが最も恐れる相手を連れて──。


「フレイディスめ! 例の手管を使ってベルニクの小僧も骨抜きにしてしまったのではなかろうな」


 異母兄エドヴァルドがフレイディスを妻とした当時、家中におけるヴィルヘルムの権力基盤に揺らぎが生じ始めていた。


 野心家のフレイディスはビジネスパートナーとしても辣腕を振るい、兄の右腕とされたヴィルヘルムの立場を侵食していたのである。


 おまけに彼女が息子トーマスを成した結果、後継者の一角としての存在感も薄れていく──。


 こうして、ヴィルヘルムが焦燥感に苛まれていた頃の事だった。


 彼の耳元で全てを解決する方策を囁いた人物がいる。


 ──本気──いや、正気か?


 血濡れたように紅い唇で笑みながら、狼狽えるヴィルヘルムの顎に触れて言った。


 ──ヴィリー坊や。男なら勝負どころってのがあるだろう?


「ヴィルヘルム様──お客様が参られましたが──」


 追憶は秘書の言葉で遮られた。


「いや、予定にないぞ。いったい──」


 オフィスの外から喧騒が響く。


 ──し、暫しお待ちを──ああっ。

 ──きゃあっ。


「おどきっ!! アタシの顔も知らないなんて、どんな教育をしてたんだい?」


 古式ゆかしい海賊衣装に身を包んだフレイディス・モルトケである。


「ふ、フレイ──」

「お久しぶりだねぇ」


 フレイディスは黒いピンヒールブーツの音を鳴り響かせながら歩み寄っていく。


「戻って来たよ」


 そう言ってフレイディスは紅い唇で笑みながらヴィルヘルムの顎へ手を伸ばす。


「ヴィリー坊や」


 ◇


「海賊に、カドガン。おまけに道化か」


 ソファで胡坐をかいて座るテルミナが、呆れた様子で言った。


「思っていたより人数が増えましたけど、フロアごと貸し切ってくれていたので助かりましたよ」


 大司教パリスの功績なのだが、面倒なのでテルミナは黙っておいた。


「カジノで遊ぶんですよと言ったら、グリンニス伯も行ってみたいと言われましてね。ま、これも親善外交の一環です」

「親善ねぇ?」


 テルミナは、少しばかり目を細め、向かいに座る上司を見詰めた。


 ──教皇、蛮族、キチガイ、海賊、奇病罹患者。コイツは妙な相手とばかり親善しやがるな。


「まあ、いいや。──オメェが睨んだ通り、やっぱり裏はあった」

「ジャンケットのユキハさんでしたっけ? 彼女経由でお金を借りて、そこを辿って調査してくれた訳ですね」

「いいや」


 テルミナは首を振った。


「話が横道に反れっけど、クリスのバカは勝ち続けてる」

「えっ?」


 目を丸くしてトールは驚いた。


 ──ボクと同じ事象が起きているのか──それとも、カジノ側が何かしてるのかな。


「そうですか」

「ま、そんな小細工は、そもそもが不要だったんだよ」

「裏が分かったんですものね。ん? という事は──ユキハさんが協力してくれた、と?」

「ああ」


 少しばかり面白くなさそうな表情でテルミナは頷いた。


「腐れ坊主から聞いた浅からぬ縁ってのは、マジかもしれんな」


 ユキハと繋いでくれたのは大司教パリスなのである。


「で、その浅からぬ女の話によるとだな──」


 トールに金を貸していたのは「レディトゥス・ファウンデーション」と名乗る財団法人だった。


 無利息、無担保で、トール個人に貸与している。


「そんなの有り得ます?」

「ねーわな」


 貸与というより贈与に等しいのだ。


「そもそも、テメェはユキハに金を借りたいなんて言った事がない」

「はい──?」

「ユキハを通してじゃなく、お前が勝手に借りて、勝手にカジノで負けまくっていただけなんだよ」

「なるほど……。我ながら全く意味が分かりませんね」


 腕を組んで首をひねるトールを、テルミナは探るような眼差しで睨んだ。


「そうだな。だが、そうなると──」


 現在の情報を総合すると、ある結論を導かざるを得ない。


「──やっぱり、トール・ベルニクは死んだのかもな」 

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