28話 トールの好きな場所。

「随分と羽振りの良い――」

「話題のベルニクですよ」

「いや、銀冠の令嬢は禁衛府きんえいふ長官の――ええと――」

「元長官だろう。今はベルニクの客人と聞く。彼女は未来のお妃候補――」

「羨ましいことですなぁ」


 バカラテーブルに、チップの山を積んでいるマリとクリスを遠巻きにした人々は、好奇と嫉妬を抱きつつ互いに囁き合っていた。


 もはや、インフィニティ・モルディブで、二人の名が話題に上らぬ日はない。


 女男爵メイドのマリは、胸元を惜しげもなく晒すドレスに身を包んでおり、給仕の視線すらも奪っていた。

 彼女の谷間で揺れるクラシカルな鍵も、その神秘性を高めている。


 伯爵令嬢のクリスとて、頂く銀冠の輝きに劣らぬ勝負強さで注目されていた。トールの意に反して、彼女は運試しに勝ち続けていたのだ。


「マリーア卿、お疲れでしょうか?」


 ジャンケットのユキハが、艶やかな黒髪をかきあげながら尋ねた。

 

 この仕草にかつてのトールは惹かれたのかもしれない、との気付きに至った瞬間、マリの心の奥が少し痛んだ。


「いいえ」


 常より冷たい声音となってしまった事を悔やむ。


 トールからは、ジャンケットと密に接触するよう依頼されていた。


 ――さすがにカジノや市井の業者が、あれほどの金額を貸せるとは思えません。

 ――必ず裏があると思うんですよね……。

 ――そのジャンケットも関わってるかもしれませんから、

 ――仲良くして、いっぱいお金も借りちゃって下さい!


 と、言いつつトールは、ジャンケットの名前すら覚えていなかった。


「それとも――お飽きになったのかもしれませんわね」


 マリの手元に残るチップを見て、ユキハが微笑んだ。


 彼女達ジャンケットの主たる収入源は、カジノからのリベートなのだ。金の出元が何であれ、博打をさせなければ始まらない。


「あ、ごめんなさい」


 食事よりもバカラを優先するほどになったクリスとは異なり、どうしてもマリは賭博行為に身が入らなかった。


 他方のクリスは、信仰の危機、生家の危機――色々な要因で穿たれた心の穴を、脳内麻薬の放出で埋め合わせている可能性がある。


 ――さすがに人選を誤ったのではないかしら。

 ――このままでは、クリスが壊れてしまう。


 との懸念が、マリの中にはあった。


 ――トール様が来たら相談しよう……。


「では、少し気分転換できる場所へご案内いたしましょうか?」


 クリスを心配するマリの表情を、女男爵の倦怠と解釈したのだろう。ジャンケットのユキハは、場を取りなすように明るい声で告げた。


「気分――転換――?」


 問いながら、フロアの隅で油断なく目を配っているテルミナへ視線を送る。テルミナの隣にはブリジットがボウと立っていた。

 

 両人は伯爵令嬢と女男爵の近習と偽っているが、金払いの良い顧客とあって、彼女達もVIPの集うフロアへの入場が許されている。

 ユキハの持つ人脈が効いているのかもしれない。


 ともあれ、マリやクリスが聞き取れる音声は、その全てがテルミナにも転送されていた。


「トール様も、大変お気に入りの場所でした」

「え――それは――」


 それは一体どこなのだと問おうとした時、隣に座るクリスが雄叫んだ。


「きゃああ、マリっ!!――に、二十連勝したわよっ!!!」


 ◇


 娘クリスが賭博の放つ蟲毒に蝕まれつつあった頃、父フィリップと弟レオンは連れ立ってオリヴィア宮に立っている。


 由緒正しき伯爵家を受け継ぎながら、領地を持たず、旧帝都を追われ、蛮族の虜囚となり、そして現在はベルニクの食客に過ぎない。


 不遇不運の親子二人は、謁見の間にて女帝ウルドの来訪を待たされていた。


 ――近々に、陛下からお呼びが掛かると思いますよ。


 これから地表世界へ行くのだと楽しそうに語る物好きな男は、フィリップにそう告げてから、いそいそと屋敷を出て行った。


 ――トール伯――ま、まことに――。


 礼も待たず立ち去る背中に対し、フィリップは深々と頭を下げ、人目も憚らずに落涙をしたのである。


 かねてより彼は、トールに対し願い出ていた事があった。


 厚かましい仕儀であるとの自覚はあったのだが、さりとて他に頼れる相手もいない。何より自分に出来る事など他に何も無いのだ――。


 領地を持たぬノルドマン伯爵家は、忠実な廷臣として代々の禁衛府きんえいふ長官を務めてきた。

 女帝直属の兵士ともいえる帝国近衛師団を統括する栄えある役職なのだ。


 ところが、新生派帝国においては、未だに近衛師団が整備されていない。当然ながら禁衛府きんえいふも置かれていなかった。

 

 公領で帝国兵だった者達を召し抱え、衛兵として身辺警護をさせている程度である。


 ――これでは、いかん。

 ――銀河の支配者である女帝陛下には、鍛錬を積んだ忠義に篤い近衛師団が必要である。

 ――銀獅子の旗下にて、笑んで死ねる男共がっ!!


 近衛師団が叛乱軍に大敗したイリアム宮における汚名を、フィリップとしては何としても返上したいとの思いがある。


 ゼロから近衛師団を作るという大仕事こそ、その為の機会となるだろう。


「――お父様」


 隣に立つレオンが、物思いに耽る父に声を掛けた。


「む――どうした。お前も、喜びが溢れそうなのか?」


 親子共々の呼び出しとなったのは、フェリクスへの転居を要する為であろうかとフィリップは考えている。


 禁衛府きんえいふが置かれるならば、帝都フェリクスとなるのは必然だろう。


「いえ。ただ、陛下が遅いなぁと」

「こ、こら――」


 不敬に当たるとフィリップが嗜めようとした時――、


「済まぬ」


 奥の緞帳に隠れた扉の向こうから、急ぎ足で女帝ウルドが登場した。その後ろに続くのは、名誉近習レイラ・オソロセアのみである。


 仰々しい口上も、荘厳な鳴り物も、宮女達の行列も――かつてのイリアム宮で華開いた全ての仕来りが消えており、幾分かフィリップは寂寥とした思いにもなった。


 ――これが――新生派なのだな――。


 フィリップとレオは、幾分か慌てながら、臣下として女帝ウルドの前に跪いた。


「良い。上げよ」


 女帝ウルドは、玉座に腰を落とすなり告げた。


「よう来た、フィリップ伯。イリアムでは世話になったな」


 これは棘だろうか、それとも時候の挨拶なのか――暫しの間フィリップは返答に窮した。


「――は、はぁ」


 その為に、些か気の抜けた返事となる。


 ――駄目だ。これでは駄目だぞ、フィリップ。気概を見せねば――、


「陛下っ――そ、それがしにきんえい――」

「頼みがある」


 ウルドは、フィリップの口上になど何の興味もない。ゆえに、自らの用件のみを告げる腹積もりだった。


 ――頼み?――や、やはり――やったぞ。やりましたぞ、トール伯!

 ――伯の御恩は忘れぬ。娘が欲しいと仰るなら――いや、いっそもう無理矢理にでも……。


「半年ほど後となろうが、一家共々ベルニクから転居を致せ」

「はっ!」


 フィリップは弾む気持ちで応えた。


「トールも――いや、伯も、屋敷が手狭となり困っておろうしな」


 全く困ってはいなかったが、食客が多いのは事実である。


「私は今すぐにでも構いませんが――」


 フィリップ本人も、食客として世話になり続けている事には忸怩たる思いがあったのだ。


「ほう、豪気な事を申す。伯の傍に在ったせいかもしれぬな、ホホホ」


 ウルドが楽し気に笑うと、傍に控えるレイラも口許を押さえた。


「だがな――」


 そう言うと、一転して厳しい眼差しとなる。


「まだ、呆けた子熊が遊んでおる。ゆえ、暫し待て」


 はて?何の話なのだろうか――と、フィリップ・ノルドマンは思った。


 ◇


「海――」


 気分転換、と言って連れて来られたのは、カジノの裏手に拡がる砂浜だった。


 大司教パリスが言う通り、インフィニティ・モルディブは、地表世界にも巨大なリゾート施設を擁している。

 彼女達が利用しているカジノも、地表世界に存在した。


「初めてですか?」


 海風になびく黒髪を抑え、ユキハが尋ねた。


「ううん」


 マリは首を振った。


 裏切り者の墓標となった世界で、一度は海を見ている。


「ただ――こんなに綺麗じゃなかった」


 陽光を浴びた海原がエメラルドグリーンに輝き、打ち寄せる波の音も心地が良い。

 

 帆を膨らませる何隻かのヨットも見えた。


 ――ここが――好きなの――?


 マリは意外な思いにとらわれている。現在のトールならばいざ知らず、アホ領主であった頃の彼は、遊び呆けているだけのセクハラ男だったはずだ。


 それとも、昨今の巷間で言われているように、何らかの考えがあって、そういう素振りをしていただけなのだろうか。


「トール様の好きな場所は――海――」


 そうマリが呟くと、傍に立つユキハが海の向こうを指差した。


「正確に申しますと――ええと、見えますか?」


 ユキハの人差し指が示す方向を、目を細めて見やる。


「――島?」


 マリ達が立つ場所は大陸の海岸沿いだが、遠方に見えるのは小さな島だ。


「ええ――。あそこにボードで行かれる事が多かったですね」


 海岸東部には、ヨットハーバーがある。道楽者時代のトールならば、ボートを所有していても不思議ではない、とマリは思った。


 同時に、彼女はユキハの言葉に、奇妙な違和感を感じている。


 ――トール様も、大変お気に入りの場所でした。


 カジノフロアで、彼女はそう言ったのだ。


「とても、大切な場所に似ている。そう、あの方は仰っていました」


 ――なぜなの?

 

「砂浜で殺し合った――なんて――」


 ――なぜ――あなたは――、


「本当に不思議な話をされる方だったんです。そういえば――」


 ――全てが消えてしまったみたいに言うの?


「とても大きな――」

「やめてッ!!」


 次の瞬間、自分でも驚くほどの強さで、彼女の右手はユキハの頬を打っていた。


「やめなさい――だって――」


 これほどに激する理由は分からない。


 だが、言わずにはおれなかったのだ。


 トールの全てを過去形で語る女に対して、マリーア・フィッシャーは宣する必要がある。


「生きているの。トール様は生きているのよ!」

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