3話 母に秘策あり。

★帝国地図(聖都戦から十年後)


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「グリフィスに巣食う青鳩あおばと共を皆殺しにする――」


 可憐と評すべき美しい少女には似合わない言い回しだった。


「――などと申されるが、ピエトロ子爵の武勇をもってしても、些か険しき道程となりましょう」


 最も苛烈な見解を述べた小男に対し、少女は冷たい視線を送った。


 羽ばたく鳩を描いた青地の旗を振り、自由を叫ぶ共和主義者達が根城としているグリフィス領邦へ渡るには、どうあれ復活派勢力圏を罷り通る必要があるのだ。


 さしたる軍事力を持たず、オソロセアの庇護下で生き長らえて来た小領トスカナ如きが何を言うのかという思いを言外に滲ませた。


「私とて困難は承知しておりますぞ、グリンニス伯」


 そう言ってピエトロ・トスカナ子爵は眉間を険しくし、胸の膨らみかけた思春期只中とおぼしき少女を睨んだ。


 トールの傍で成長に励んだグリンニス・カドガン伯爵は、近頃では宮中のみならず広く貴人を虜にしつつある年増女である。


 益々と御し難き女となった。


「とはいえ、グリフィスの青鳩あおばと共が、下手人――失礼、純真無垢なオリガ嬢を唆したであろう事は明白なのです!」


 オソロセア領邦を揺るがぬ大領へ育て上げ、爵位と宮廷における位階を極めた男は、誰もが予想だにしなかった末を迎えたのである。


 奸雄、簒奪者、成り上がり者。


 如何に周囲が悪評を囁こうとも、銀冠を戴かぬ身の上で位人臣を極めた。


 身分制度がどうあれ、誰しも天下を狙えると体現してみせたとも言えよう。


 だが、その志半ばにしてロスチスラフの命脈は絶たれた。


 オソロセアの至宝と公言し慈しんできた娘の刃によってである。


 他方、父娘が余暇を過ごすヴェルジェ邸で凶行に及んだオリガは錯乱状態となっており、べドラムゴラ医療センターの特別病棟に収監されていた。


 その為に本人への聴取は一向に進んでいないのだが、オソロセア情報部の調査により背後に青鳩あおばと――つまりは共和主義勢力の存在が確認されている。


 但し、現時点では彼らの狙いが判然としていない。


「これを座視しては青鳩あおばとどころか復活派勢力にも弱腰と取られましょうし、延いては民へ動揺が拡がり奇怪な思想に染まる者が益々と増えるやもしれませんぞ」


 余りに自明な事を滔々と言い募るピエトロに、別の思惑があるのは誰の目にも明らかだった。


「これで尚も立ち上がらぬというのが、宰相並びに三公の総意なのですかな?」


 権元帥にして帝国宰相トール・ベルニクは、悠久の帝国史を紐解き「三公」と称される官職を復刻させていた。


 三公は経済、外交、軍事の三分野における最高職位であり、帝国宰相の許でまつりごとを執り行う役目を担っている。


 経済をロスチスラフ、外交をアイモーネ、そして軍事を任されたのがグリンニスであった。


 なお、女帝の相談役という名誉職的な元老とは異なり強い実権が付与されている為に、中央集権化を警戒する諸侯の中では反発心を抱いている者も多い。


「陛下の御心を考えるなら――」


 と、語るピエトロが仕掛けているのは権力闘争なのである。


 新生派勢力を影日向で支えてきた大木の喪失を、宰相と三公の立場を弱める奇禍とする腹積もりなのだろう。


「まあ、待たれよ、ピエトロ卿」


 ヴォイド・シベリアを治める無役の禿翁とくおうラニエリ・パッツィである。


「本日の諸侯会議、貴卿の高説を賜る場ではないのだ。無論、含蓄深き見解を伺えた点は、ヴォイド・シベリアから帝都まで参じた甲斐はあったと言えようさ」


 幾分かの棘を感じ取った諸侯のうち何名かは含み笑いを漏らす。


「だが、まずは弔事について語り合うべきであろう」


 こんな時あの男が生きていれば――とラニエリの胸中に惜別の思いが去来する。


 油断の出来ぬ謀略家でありながら、場をやわに治めるすべに長けていた男を惜しんだ。


「我等は友を失ったのだぞ」


 アフターワールドにおける再会は銀冠のみに与えられた特権である。


「永遠にな」


 ◇


 お気に入りのテラスで独り立つ女帝ウルドは、オリヴィア宮の外に拡がるフェリクスの街並みを見下ろしていた。


 十余年が過ぎ、フェリクスに公領時代の侘びた面影は跡形も無く、帝都と称するに相応しい威容を誇る都市となっている。


 中でも庭園区画に隣接して建設された円形闘技場は、アーチを多用した美しい建築様式を採用しており、己の名が冠された事も相まって見る度ウルドは秘かに胸を弾ませてきた。


 だが――、


「――ふぅ――どうしたものか」


 美しいコロッセウムとて今のウルドを心和ませるには十分でなく、悩まし気な吐息と共に小さな呟きを漏らした。


 彼女の顔貌を曇らせているのは、ロスチスラフの死である。


 新生派勢力の屋台骨とも言える功臣を唐突に喪ったのだ。

 

 彼の死によって生じた空白を巡る争いが諸侯間で起きようし、長女フェオドラがオソロセア領邦の揺らぎを最小限に抑え得る保証も無い。


 これら政治的損失もさる事ながら、ウルドの懸念はより卑近な面にも有った。


 まず、名誉近習で尚且つ友柄となったレイラ・オソロセアである。


 レイラの負った心傷は余りに深く、訃報を耳にして以降は居室に籠って姿を見せていない。

 父の死だけであればまだしも、妹が被疑者となっているのだ。


 同じ衝撃を受けながらも急ぎ国許へ戻ったフェオドラは、気儘な夜遊びをメディアに揶揄される事も多いが、土壇場で見せた長女の気概は称えられるべきだろう。


 覚悟を決めたフェオドラがオソロセアを掌握できるよう計らうのは当然として、他方のレイラへは掛けるべき言葉をウルドは未だ見付けられずにいる。


 また、表面上はそうと見せてはいないのだが、レイラに等しい衝撃を受けている人物がいた。


 夫、トール・ベルニクである。


 彼はロスチスラフを内心で父の如く慕っているのだ。


 誰にも――当人にすら明かしていないトールの本心だったが、ウルドに対してだけは正直な想いを告げている。


 実父エルヴィン以上に、父性を伴う存在であると――。


 幾夜も聞いた荒唐無稽な寝物語が全て事実ならば当然の帰結とはいえ、同時にそれはウルドの中に不安な思いを抱かせてきた。


 ――いつか――何かの拍子に、この男は消えてしまうのではないか?


 別の世界から彷徨い込んで来たと言うならば、因果の糸に引き戻されるのが摂理とも言えよう。


 ロスチスラフの死は、ウルドが抱えるこの不安をより大きくした。


 ――何より闇が深くなっておる。


 その男のさが、無邪気なれど善ではない。

 無垢なれど光ではない。

 

 いわんや、闇である。


 ――あれの闇こそがいところとはいえ、余りに深すぎては不味かろう。

 ――やんごとなき余の美すら翳りかねん。


「とはいえのう」


 具体的な方策が、とんと浮かばないのである。

 トールは根本的に世俗的な欲が薄い男であり、何よりロスチスラフの存在が大きすぎた。


「リヴィ」


 ウルドが応えの出ない自問を繰り返しているテラスへ、遠慮という概念を邦許へ置いて来た客人が訪れた。


「――母上か」


 母后シャーロット・ウォルデンである。


 トールとウルドが結ばれた日より数年ほど謎の失踪をしていたのだが、いつの間にかオリヴィア宮へ舞い戻り、歳の離れたフェオドラと共に社交界を賑わせていた。


「あなたが、とっても困っているとシモンから聞いたの」


 ――余計な事を――シモンめ。


 ウルドは舌打ちしたい思いを堪えた。


「帝国を支える――」


 忠臣が不幸な顛末で斃れたのだから当然である、と言おうとしたのだが、今もって失われない夢見る少女のような眼差しのシャーロットが先手を打った。


「オソロセアの姉妹と――それにトール伯もお辛いでしょうね」

「う、うむ」

「ただ、レイラは当分の間はそっとしておくのが良いと思うわ」

「――やはり、そうか」


 まずは、帝国葬にてロスチスラフを無事に送り、同時に事件の背後関係を洗い出して対応方針を決する。


 気弱なオリガの単独犯とはとても思えず、唆した者は誰であれ見つけ出して頸を刎ね飛ばさなければ気が収まらなかった。


 それらが動き出せば、レイラも再び立ち上がる気になってくれるだろう。


「ええ。でも、トール伯は直ぐにでもあなたが必要よ」

「ほう?」

「彼にとってはお父様みたいなものだし――」


 ――え――?


 シャーロットの言葉に、ウルドの鼓動が早鐘を打った。


「何より彼って見かけによらず危ういところがあるでしょう。きっと今頃とっても悪い事を考えているに違いないわ。グリフィスを星系ごと吹き飛ばすとか」


 どうしてお前に分かるのか――いや知っているのか――という言葉をウルドは飲み込んだ。


 尋ねた瞬間に、それが真実と認めた事になるからである。


 ――トールが余の母に話すはずもない。

 ――が、何故なにゆえ此奴こやつは、これほどあの男の事を解っているのだ?


 自分しか知らぬ秘事であると思って来た事を、母は全て知っているのではないかという不気味な想念が湧き起こった。


 必然的にウルドは胡乱気な眼差しとなる。


「まあ! 怖い目で睨まないで、リヴィ」


 シャーロットが大仰に怖がって見せた。

 

「嫌だわ。母様かあさま、トール伯を元気付ける秘策を持ってきたのに」


 そう言って母后は頬を膨らませ腰に手を当てた。


 何かを狙っての仕草であるのか、それとも無意識の所作なのかは分からない。ウルドを苛とさせる要因の一つでもあった。


「色合いは兎も角として、大きなお星様が落ちたのなら――」


 オビタルは時として人の死をかように表現する。


「新しい星の誕生が必要じゃないかしら? ね、リヴィ」

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