4話 少女も大人になる。

「そろそろ着くぜ。大将」


 ベルニク領邦専用機の貴賓室を訪れた男は、着崩した領邦軍制服の徽章から参謀本部所属である事が分かる。


 とはいえ、権元帥にして帝国宰相、尚且つ王配という不可侵な権力者に対するには不敬と断罪されても致し方の無い態度だった。


「――え、もう?」


 古めかしい装丁の施された書籍に目を落としていたトールは、遠慮の無い部下を咎める様子は微塵も見せずやわに応えた。


 対する男の名はフリードリヒ・ベルヴィル。通称フリッツである。


 粗野な口調の似合う野性的でありながら整った風貌は、ベルニク邦都に舞う夜の蝶達を虜にしているとの噂が絶えない。


 現在の彼は、奴隷船に囚われていた頃の薄汚れた青年ではないのだ。


 インフィニティ・モルディブにおける功績により、ベルニク領邦軍士官学校への入校を認められたのだが、海賊として名高いモルトケ姓を捨てる事が唯一の条件として課された。


 少なからずの逡巡が有ったとはいえ、結局は過去ではなく未来を選んだ。


 そうして意外にも士官学校を主席で卒業した彼は、二年間の実務経験を木星方面管区で済ませた後、高等士官学校へ推挙され参謀畑を歩む次第となったのである。


 ベルニク領邦軍のキャリア形成としては、エリートコースと言っても差し支えないだろう。


 ――ふむん、威圧感の欠片もねぇのは相変わらずだが、

 ――やっぱり落ち込んじゃいる――わな、当然。


 久方ぶりに行動を共にする領主の様子に目端を配りつつ、フリッツは極力常と変わらぬ態度を取ろうとしていた。


 代用の効かぬモノを喪った人間に対して、同じ痛みを分かち合えない者が出来る事などたかが知れている。


 安っぽい憐憫や見え透いた追従で癒せる傷では無いのだ。


「まあ、ご近所みたいなもんだからな」


 掛けたい言葉は幾つか浮かんでいたのだが、フリッツは通り一辺倒ないらえを返すに止めた。


「到着までに読み終えるつもりだったんだけどなぁ。あ、でも約束の時間まで少しあるから着いてから読めばいいか」


 そう言ってトールは伸びをしてから大判の書籍を閉じた。


 ――紙っぺらばかり眺めてるな。

 ――ええと――デモクリトスと量子計算? んだそりゃ?


 フリッツの与り知らない事だったのだが、それらの書籍は屋敷の地下に在る秘密の部屋に蔵書されていたものである。


 ――ま、それで気が紛れるならいいけどよ。


 昨今の政治情勢から再び戦乱となる気配を嗅ぎ取っていたフリッツは、己の全てをベットすると決めた相手には一刻も早く立ち直ってもらいたいと考えている。


「いや、悪ぃんだけど、そんな時間は無いぜ」


 二人を乗せた領邦専用機が向かっているのは、ノルドマン領邦(旧マクギガン)に属する惑星テウタテスの軌道都市だった。


 惑星テウタテスはアラゴン領邦と面するポータルを有している。


 その為、トールに歪んだ妄執を抱くクラウディオ・アラゴンが、軍事的示威活動を繰り返してフィリップ・ノルドマンを悩ませていたのだが、数年前より小競り合いすら起きない静かな宙域となっていた。


「え? 確かアレクサンデル教皇と会うのは夜――」

 

 テウタテスの軌道都市に在る一部地区が、聖都に代わる教皇領として女帝より献上されたのである。


 正統を尊ぶクラウディオが聖地となった宙域を騒がせるはずもなく、結果としてフィリップは領地経営に注力する事が可能となった。


「横槍が入っちまってさ」


 そう言うとフリッツは、少しばかり視線を反らせて頭を掻いた。


 ◇


 テウタテス宇宙港の貴賓ロビーで待ち構えていたのは、伯爵令嬢クリスティーナ・ノルドマンだった。


 晴れて成人を迎えたクリスは単に美しいだけでなく、少女時代とは打って変わって落ち着いた風貌となっている。


 とはいえ、勝ち気な性格と行動力は今も健在で、ノルドマン家への臣従を渋る領内勢力の許へ単身乗り込み説伏して退けたという逸話まであった。


 なお、くだんの仔細は、令嬢奇譚として絵物語が流布している。


 出不肖の嫌いが有る父フィリップに代わって、外交事においても存在感を発揮しているクリスは、銀河において最も高名で多忙な令嬢となっていたのだ。


 無論、インフィニティ・モルディブへは近付かないようにしているが――。


「久しゅうございます。トール伯」


 クリスは屈膝礼カーテシーをしながら、令嬢然とした口上で挨拶を述べた。


「あ、ど、どうも」


 歳月がトール・ベルニクの背丈を些かに伸長させ、顔貌がんぼうのあどけなさも薄めはしたのだが、儀礼的な挨拶に対する苦手意識だけは一向に払拭されなかった。


 他方のクリスは、そんなトールを気にする様子もなく、お供であるフリッツの方へと視線を向けた。


「フリードリヒ少佐もお変わりなく」


 フリッツとクリスの再会は凡そ十年ぶりとなる。


 インフィニティ・モルディブの掌握にあたって共に行動して以降、両者の道は大きく二つに分かたれていた。


 フリッツはベルニク領邦軍にて軍務に励み、クリスは家族一丸となって領地の掌握と経営に心血を注いだのである。


 なお、フリッツが尉官から佐官へのスピード昇進を果たしたのはつい最近の事だったが、令嬢代官とまで囁かれるクリスティーナ・ノルドマンに抜かりは無い。


「――ああ」


 そんな心遣いを見せた令嬢に対してフリッツは、領主に倣ってか否か不機嫌そうな様子で応えている。


 トールとは異なって、必要に応じ礼儀を操れる男となっていたのだが――。


「嗚呼、それにしても今回は残念ですわ」


 クリスはしんからの息を吐いた後に告げた。


 ノルドマン領邦へ入ったトールが邦都へ立ち寄らず、一路テウタテスを目指した為である。


 恩義ある帝国宰相が領邦へ来臨するとなれば、本来ならノルドマン家を挙げて歓待しておきたかったのだろう。


 それが政治であり、延いては安全保障にも繋がるのである。


「とはいえ、テウタテスの別邸にお招きできる機会を頂けました事――」


 そう言いながらクリスは、浮かない表情で立つフリッツに対し素早く片目を閉じて見せた。


 トールは気付かなかったのか――或いは気付かぬ振りをしていたのか――。


 他方のフリッツは思わず肩を揺らしてしまう。


 ――な、何だよ……。


 その瞬間、奴隷船グレートホープ号の少女と高名な伯爵令嬢が、フリッツの中でようやく一つに重なったのだろう。


 ――やっぱりクリスじゃねぇか。


 フリッツは安堵していた。


 奴隷船からインフィニティ・モルディブに至る不可思議で奇妙な日々が、決して己の妄想が生み出した御伽噺では無いのだと――。


「――生涯忘れませんわ」


 ともあれ、別邸への招待にしては幾分か大仰な言い回しとはなった。


 ◇


「わぁ、結婚ですか」

「――え――そ、そっちかよ?」


 案内された別邸にて少し遅めの昼食を取った後、三人は中庭に設えられた丸テーブルを囲んで座っている。


 低木で囲まれた空間は、室外でありながらも秘事を共有するに相応しい場所と言えた。


「ええ――はい」


 クリスは額に手を当て頷いた。


「それはオメデタイこと――」

「いいえ、伯」


 呑気に祝おうとしたトールの言葉を、クリスは厳しい表情で遮った。


「領主と使用人との結婚など許されるはずがありません」


 テウタテスへは参謀本部から一名を同行しようとトールは考え、参謀本部第三部所属のフリッツに声を掛けたのである。


 話を受けたフリッツは、内心では大いに張り切っていた。


 そんな彼に――、


 ――結婚に関する相談事が有るのでトールに繋いでくれ。


 と、クリスから連絡があったのは、テウタテスへ旅立つ直前の事である。


 久方ぶりとなる懐かしい相手から発せられた「結婚」という言葉は、フリッツの内奥を重くさせていたのだが仔細を聞いた後は全てが軽くなった。


 ――親父の方か……。さっさと言えよな、コラ。


「でも、好きになっちゃったんでしょう。仕方がないですよ」


 この浮薄とも解せる言い回しは、トール・ベルニクから発せられると幾分か真実味を増してしまう。


 まさに、その言葉を有言実行した男だからである。


「いやいや、閣下。さすがに不味いと俺も思うぜ」


 秘かに使用人に手を付ける領主や貴族も存在するとはいえ、それを公言する事は憚られた。


 何も身分制度に起因する差別感情という訳ではなく、拒否し難い相手へ付け込んだ不名誉を恥じての事である。


 貴人としての信用問題に繋がりかねない話しなのだ。


「それを妻にしようと言うのです――。如何ほど諫めても聞く耳を持ちません」


 クリスは瞳を伏せ、深く息を吐いた。


「こうなってはトール伯を頼るほかないと考え、当家の恥を晒しに参りました」


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★伏せておきたいネタではないので、埋伏の毒について一応。


[乱] 47話 帰還。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330660175533137



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