5話 修羅道。

「あん?」

「ひいっ」


 この表情を見せた時の主人は警戒すべきと分かっていた。


 故にこそ、照射モニタ越しに報告を済ませたかったのだが、休暇を愉しもうとベルニク邦都を訪れている事が露見してしまい、特務機関デルフォイ長官室へ呼び出されたのである。


「良くもしゃあしゃあと長休申請なんざ出しやがったな、イヴァンナ」


 テルミナ・ニクシーは目を細め、全ての弱みを握っている相手を睨み上げた。


「あ、あの、でも――休みを頂いてメンテしませんと、わたくしの美貌が保てませんの」


 七つ目のミザリーに指示されるままベルツ兄弟を操り、果ては帝都フェリクスでも暗躍をしていたイヴァンナだったのだが、幾つかの変遷を経た後に幼女テルミナの下僕となっていた。


 イドゥン太上帝の傍で事態を動かそうとしたミザリーの目論見が潰えた上、七つ目総代であるミセス・ドルンと共に姿を消してしまったからである。


 ミザリー配下で動いていた七つ目の一部は大いに動揺したのだが、イヴァンナは己を縛っていた拘束が解かれ自由を得たと捉えた。


 ララ~♪ 華麗に夜の蝶として生きて行きますわっ!!


 などと、イヴァンナは歓喜したのである。


 任務の都合から夜の街で働き、それこそが天職とも判明していた。


 だが、新たな人生の門出に浮かれる彼女の許を訪れたのは、ミザリーに代わる別の悪魔だったのである――。


「ちっ、てめぇの美貌なんざ知った事かよ、タコが。――で、集まってた面子はコイツ等で間違いないんだな?」


 そう告げたテルミナが手を振ると、四人の男達が中空に映し出された。


 イヴァンナは、間違いないと頷く。


「ふむん――。アラゴンとファーレンの盆暗高官が仲良くインフィニティ・モルディブで遊ぶのは別に構わん――」


 むしろ有難い。


 インフィニティ・モルディブから上がる収益の過半が、ベルニク領邦へ流れるというスキームは未だに健在である。


 トールの狙い通りクルノフ領邦は緩衝地帯となっており、いかなる勢力であれ門戸を開いている為に復活派勢力の要人が訪れる機会も多い。


 結果として、各領邦の諜報員が鍔迫り合いを演ずる場となっていた。


「――とはいえ、こいつまで居合わせてたっつうのは、どうにもきな臭ぇ」


 テルミナが人差し指で弾くように示した相手は、光の加減によっては銀冠と見紛うばかりに白髪の男だった。


「ダニエル・ロック」


 苛烈に過ぎた異端審問とエヴァンの失脚により、グリフィス領邦は内戦に近い状態に陥った。


 家臣団の多くが害されていた為、天秤衆という枷を喪った途端に権力構造の歪が溢れ出てしまったのだろう。


 慈愛を謳うイドゥン太上帝による仲裁も虚しく、流れ始めた血は新たな血を欲し続けたのである。


 尚且つ、新生派勢力と復活派勢力が様々な形で介入を繰り返し、益々と混迷を深める結果となっていた。


 そんなグリフィス領邦に、共和制なる太古のイデオロギーを掲げる集団が現れたのは数年前の事である。


「銀髪嫌いの革命野郎と――」


 帝政と銀冠を否定し女神ラムダからの解放までも唱える彼等の主張は、オビタルの禁忌に触れていたとはいえ、利権と権力の争奪に明け暮れる支配階級に辟易としていたグリフィス領邦民からの支持を得る事に成功していた。


「銀髪至上主義の手下共だろ?」

「そ、そうですわね――。でも、愉しそうにお話ししてましたけれど」


 顎下に人差し指を当て、思い出すかのような仕草でイヴァンナが応える。


 特異体質から身分詐称を得手とする彼女が潜入させられているのは、インフィニティ・モルディブに在るラウンジ形式のサロンだった。


 復活派勢力圏の資本が入っている為か、同勢力圏からの客が大半を占めている。


「後は――、コイツだな」


 中空の写像を見詰めるテルミナの脳内で最もアラームを鳴らしているのは、さしたる特徴を持たない四人目の男だった。


「てめぇの元同僚、ニコライ・アルマゾフ」


 熊の息子ジェラルド・マクギガンに、父殺しを唆した副官である。


 イヴァンナと同じく七つ目ミザリーの指示で動いていた事は判明しているが、ウルドによるマクギガン親征以降の足取りが掴めていない。


「同僚と言われましても、わたくしとは面識がありませんわ」

「まあ、怪しい連中ってのは、横の繋がりを極小にするのが鉄則だよな」


 トールも秘かに入会している秘密結社なのだが、テルミナは早く足を洗えと口酸っぱく忠告していた。


「こうなると、やっぱり行ってみる必要があるぜ」

「え、どこへですの?」

「決まってんだろうが」


 テルミナは机上に乗せていた足を降ろし席を立つと、暴な笑みを未だ幼い顔に浮かべた。


「グリフィスだよ」

「はあ――は、はあ?」


 嫌な予感がしますわ~、とイヴァンナは思った。


 ◇


 教皇アレクサンデル・バレンシアは、十年という歳月をひたすらに教会組織の縮退に捧げていた。


 彼が選んだ現在の棲家はかつての教皇宮殿とは比べるべくもない小さな聖堂である。


 この縮退政策に反意を唱える者は多い。


 枢機卿時代よりアレクサンデルを敵視していたイーゼンブルクのエッケハルト大司教などは、世紀の愚行と声高に教皇を非難しており徐々に同調する者が増えている。


 かようにして忠実なる主席書記官としては、大いに気を揉む状況となっているのだが当の本人は――、


 ――羽虫の如きを気に病む者が在ろうか?

 ――唯、気まぐれに潰すのみである。


 と、いっかな意に介する様子が無かった。


 主席書記官としてはもう少し危機感を抱いて欲しいところだったのだが、本日出迎えた客人の変わらぬ呑気な顔貌がんぼうを見て安堵したのである。


 トール・ベルニクが後ろ盾として在れば何も問題は無いのだ。


 故に、玉座へ向かう通路で雑談する二人を許すと心内で決めていた。


「どうする?」


 静謐な通路を主席書記官に案内されながら、少し後方を歩くフリッツがトールに低い声で尋ねた。


「ああ、さっきの話?」


 屋敷の使用人に手を付けた上、あまつさえ結婚までするというフィリップ・ノルドマンを諫めてくれとトールは頼まれていた。


 少し考えさせてくれ、と言ってクリスの元を辞したのである。


 ――ホントはオリヴィアに頼みたかったんだろうなぁ。

 ――女帝だし、ボクより迫力があるもんね。


 とはいえ、伯爵令嬢如きが女帝に頼み事をするなど不可能である。


 身分で言えば帝国宰相とて同様なのだが、トールの放つ雰囲気がそれを許してしまうのだろう。

 何より、奴隷船から首船プレゼピオ崩落に至るときを共にしたよしみもあった。


「話をしに――いや、まずは聞きに行こうかな」


 トールは、フィリップの謹厳実直な風貌を思い起こしながら応える。些か異例な縁談とはいえ浮薄な経緯や動機とも思えなかったからだ。


「へ、へえ。じゃあ、アイツの屋敷に行くのか?」

「うん」

「――」

「――」


 暫しの沈黙が降りた後、満を持してトールは振り返った。


「行く?」


 問われたフリッツの口端が、むずりと動く。


 ◇


「良く来た。童子」


 アレクサンデルは例によって菓子皿をトールに差し出した。


 豪奢と華美を旨として生きて来た男だが、教会の組織的縮退を決して以降は全てが様変わりしている。


 だが、皿に盛る菓子の量だけは変わらない。


「いえ、結構です」


 常の通り、トールはあっさりと断った。


「うむ」


 このやり取りにアレクサンデルは何らかの面白みを見出していたのだろう。


 永遠とわに瞳を閉じるその日まで、トールに対し菓子を勧めるのを止める事が無かった。


「して、何用か?」


 近日中に執り行われるロスチスラフの帝国葬を待たず、多忙の合間を縫って帝国宰相自らが訪れて来たのである。


 つまりは、必然的に重用事となろう。


 共通する友柄の死を悼む言葉は敢えて控え、アレクサンデルは直截に本題を尋ねた。


「助けて下さい、聖下」


 トールも直截に応えたが、あまりに端的が過ぎたのかもしれない。


 同席した主席書記官とフリッツには意味が分からず、思わず互いに顔を見合わせていた。


「――ふむ」


 この場で唯一トールの意図を察した男は目を細め、童子と呼ぶには少しばかり背丈の伸びた相手を睨んだ。


は、修羅の――」

「生まれて来たことを、後悔させるつもりです」


 アレクサンデルの言葉を遮り、トールは決然とした面持ちで告げた。


「血は、血で贖うほかにありません」


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★イヴァンナの特異体質について


[承] 22話 悪漢と悪女。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330654034853731

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