22話 悪漢と悪女。

「異端の疑義でも発生したのですかな?」


 何れの感情も読み取れぬ表情で、宰相エヴァン・グリフィスが照射モニタに映し出されている。

 彼が立つ場所は、イリアム宮に在る謁見の間であるが、座するべきあるじを喪った白銀の玉座が物哀しくも見えた。


「案ずるな。我は寛大である」


 他方の教皇アレクサンデルは、十光ほどの彼方を奔る艦艇に在り、腰まで沈むソファに巨躯を埋め菓子を頬張っていた。


「――左様ですか」


 そう言ってエヴァンが指を振ると、緋色に染まった多数の艦艇が、円筒陣を組んで整然と航行するさまが映し出さた。


 ポータル面から緋色の艦影が現れたなら、その星系には血の雨が降る。


 そう巷間で囁かれる通り、聖骸布せいがいふ艦隊とは女神ラムダが人界に知ろ示す力の象徴であった。


「象徴などという欺瞞がまかり通るのも、平時なればこそであろうな」


 己の奔るさまを、遠く離れた相手が手鏡で見せているかの様な状況に、アレクサンデルは若干の面白みを感じつつ応える。


「その実際は慎み深い教会が、現世における権欲を満たす為に他ならぬ」


 引き連れて来たのは三万隻ほどであるが、聖都アヴィニョンには未だ五万隻以上の艦艇が残っていた。


「ならば、いっそ覇を唱え、神聖帝国でも打ち立てれば良かろう――などとは思わんか?」


 聖兵士官との茶飲み話であれば、時折起こる問答のひとつである。


 庶民に絶えぬ貧困、支配層に不道徳が蔓延する原因を、信仰心の欠如に見出す彼らは、己が力を使い世を正すという妄執に陥るのかもしれない。


 だが、アレクサンデルは問答が有れば決まってこう応える。


 ――かような穢れ仕事は、俗人に任せよ。


「聖下、かような穢れ仕事は我ら俗人のもの」


 ――我らは、女神の慈悲、そして教会の権威に浴しておる。


「どうか女神の慈悲と、教会の権威にて」


 ――安んじて我欲を満たせ。世を照らすなどと大言は修羅のみを生もう。


「世を照らして頂ければと――」


 エヴァンのいらえを聞いて、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「ハッ、相も変わらず気色の悪い男だが――」


 傍に在れば菓子でも投げてやったのだが、とアレクサンデルは思う。


「――そういえば、友柄の姿が見えぬな」


 エヴァンが暫定統帥権を握って以来、彼の傍らにはレオ・セントロマ枢機卿すうきけいの姿が常に在った。


 天秤衆は我が方の陣営である――という、アレクサンデルに対する牽制であると同時、周囲へは教会との変わらぬ蜜月関係を喧伝する為であったのだろう。


「緋色に怯え、尻を押さえておるのか?」

「いいえ――聖レオは常闇を照らしに参られたのです」


 ようやく、エヴァンの怜悧な顔貌に笑みらしきものが浮かんだ。


 その表情を見て取ったアレクサンデルは、自身の与り知らぬ企みが進行中であると悟る。


 ――ふむん、土産が出来たと考えるべきか。


 不敬と異端の塊でありながら、呑気な顔の男を脳裏に浮かべながら思った。


「緋色の大軍など連れずとも、旧交は何れ温められましょう」

「案ずるな――と、何度言わせるつもりか」


 聖レオと温める絆など持ち合わせていないアレクサンデルが応える。


「ここを抜けるだけの事よ」

「――カナンを通って、何処いずこへ?」


 聖都アヴィニョンから目的地に至るには、カナンのユディトポータルを渡る必要があった。


 ――彼奴あやつの裏道を知りたいところであるが……。


「伝える義理も無いが、まあ良かろう。我らはベルニクに寄った後、フェリクス――」


 ここで、アレクサンデルは片頬を歪める。


「――帝都に参る」


 愉快な面持ちで照射モニタの向こうにある相手を見やった。


「我らは女神の艦隊である。妨げる者あらば、と心得よ」


 ◇


 ベルニク軍の目を盗んで姿を消したイヴァンナであるが、未だフェリクスに滞在していた。


 ――燈台下暗し――かもしれませんわねぇ、オホホ。


 中心街に位置する高層ホテルの最上階テラスからは、様変わりしつつあるオリヴィア宮が望める。

 眺望を楽しんだ後、飴色の液体が注がれたグラスを手向け、喉を通る芳醇な熱を味わった。


 ――くぅぅぅ、地獄から生還した淑女に相応しい一杯ですわぁ。


 グラスをサイドテーブルに置くと、イヴァンナは飛び込むようにベッドに入った。


「イヴァンナ」

「ひぃっ」


 微かな振動音を伴い現れた照射モニタに、イヴァンナは短い悲鳴を上げた。


「ご機嫌だな」


 フードで貌を隠した女が写っていた。


「あ、相変わらず――」


 無意識にイヴァンナは自身のニューロデバイスに触れている。


「――容赦の無い強制通信ですわね。淑女のプライバシーを何だと思ってますの?」

「試験代わりと思え。ふむ、新しい首輪も問題は無さそうだな」

「じ・ご・く、でしたわっ!」


 その点について、イヴァンナは強く反意を示しておく事にした。


「お前が持つ唯一の価値だろう」


 フードの女は、にべもなく冷たい応えを返した。


 彼女の価値――。

 

 通常、ニューロデバイスは三歳までに適用しなければ、激烈な拒否反応が起こり受け入れる事が出来ない。

 無理をすれば、死亡――あるいは廃人となる。


 だが、イヴァンナは成人して以来、何度となくニューロデバイスを取り換えてきた。

 トラッキングシステムに検知されぬ存在――という価値が、彼女を組織の中で生かし続けて来たのである。


 とはいえ、拒否反応が全く無いという訳ではない。


 ニューロデバイス再適用の施術後から、実に一週間近く幻覚と激痛に苦しみ抜くのである。

 全ての連絡とルームサービスを断り、この部屋でイヴァンナは咆哮と意識の喪失を繰り返した。


「毎回毎回、わたくしは死ぬ思いをしてますのよ」


 その間、頭に浮かぶ想念はひとつだけである。


 ――殺してくれっ!!


 彼女は死を強く望んだ。

 世界と女神に呪詛を撒き散らし、何より己の生命力を憎悪する。


 だが――、


「でも、生きてるって最高ですわぁ~」

 

 全てが治まると、次には強烈な生への欲求が湧き上がるのである。


 壁、床、天井、塵芥に至るまで、ありとあらゆる存在が眩く視覚野に投影され、強烈な色彩感覚を伴い記憶野に刻みこまれるのだ。


 彼女自身は、世界創生の瞬間を疑似体験していると感じている。


「結構な事だ。これで、お前も職務に励めるだろう」


 ニューロデバイスの再適用を果たすまで、フェリクスでの活動は慎ましいものに限られた。


「随分と怠けていたようだからな」

「出来る限りはやってましたわよ。シモンちゃんに唾つけましたしぃ」


 そう言いながら、侍従長シモン・イスカリオテの暗い顔を思い出し、連絡が来ていないかとEPR通信の履歴を眺める。


 ――ありませんわね。悩み事は解決してしまったのかしらん。


 明日は久方ぶりに、シモンが通うカウンセラーの元へ顔を出そうと決めた。

 カウンセラー本人は既に手懐けてあるので、イヴァンナが尋ねれば何でも答えてくれるだろう。


「我らが欲するのは、彼の地が空白地帯となる事である」

「だから――」


 侍従長に接近し、彼を手助けするていを装いながら弱みを握る。

 そこから女帝に接近して――という算段であった。


「直に、フェリクスも騒がしくなる」

「騒がしく?」


 今でも十分に騒がしい、とイヴァンナは思った。

 

 新たな帝都とされたフェリクスには、新生派勢力圏内の各企業が一斉に資本を投じ始めている。

 また、人口流入の超過傾向が続いている為、実需経済の伸びも著しい。


 辺境の目立たぬ公領として長い停滞にあったが、フェリクスは大きく生まれ変わろうとしていた。


「諸侯が集い、教皇まで詣でる」

「聖下まで?」


 教皇の行幸が実現したならば、新生派側はより勢いづく事になろう。


 女帝と玉璽が在り、教会が信任するのである。態度を明らかにしていない諸侯とて、いよいよ膝を屈する可能性があった。


「今ひとつ、怪しげ情報もあるが――まあ、それは良い」

「カドガンちゃまに、ぱぁっと攻めて頂けば宜しいのではありませんこと?」


 かねてより思っていた事であるが、女帝一派を追い出すなどという大役、自分独りでどうにか出来る訳が無いだろう。


「お前の力が至らぬせいで、手酷い痛手を負ったようでな。今暫くは動けぬ」

わたくしには、な~んの責任もありませんわぁ」


 この点については、イヴァンナの言に分があろう。

 ウルリヒ・ベルツの用兵と、カドガン領邦軍が功をいた責が大きい。


「何れにせよ、お前は都合の良い時と場所に在る」

「はあ」

「金も人も好きなだけ使わせてやる」


 金と人命を惜しまぬ点こそが、彼等の強みであった。


「方法は問わぬ。女帝とロスチスラフを割れ」

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