23話 母娘の再会。

 華の都へと胎動を始めた帝都フェリクスに、多くの役者が――その多くは喜劇役者であるのだが――集おうとしていた。


 その役者とは、新生派に与する諸侯八名、教皇アレクサンデル、ルチアノ・グループなどの企業関係者、そして未だ秘事となっているグノーシス船団国使節団などである。

 

 先だって行われた波乱のコンクラーヴェと異なるのは、復活派勢力に属する諸侯と、中立的立場を表明している風見鶏のような者達は来ないという点であろう。


 ゆえに、女帝ウルドは、目の前に座る客人を意外な思いで出迎えている。


「久しゅう御座いますわ、陛下」


 幾世を経てなお生娘のような微笑を浮かべる女の名は、シャーロット・ウォルデンという。

 女帝ウルドの母、つまりは母后ぼこうである。

 

 内裏だいりに住まい娘を補佐すべき立場にありながら、その奔放な魂を拘束される事を嫌ってか、ついぞウォルデン領を離れずに暮らしている。


「母君も、お元気そうで何より」


 二人が座するのは、平素ウルドが昼下がりに茶を愉しむテラスである。


 母后ぼこうを迎えるのに謁見の間という訳にもいかず、ともあれ見晴らしの良い場所でと侍従長シモンが差配したのであった。

 

 何より人目を忍ぶ訪問であった為、部屋付き衆のみが出入りする場所としたのであろう。

 母とは言え、現状では敵方となった諸侯の妻なのである。


「良く、父が――」


 許しましたな、と言いかけたところでウルドは口を閉ざした。


 彼女にとって父とは、几帳面で臆病な男という印象のみなのである。

 銀冠、爵位、領地――人が羨む全てを継承しておきながら、凡そ全てにおいて凡庸であり、尚且つ強い態度に出られぬ性分であった。


 母娘だけでなく家臣に対しても同じく接し、まつりごとに関しては頷くだけで済ませ、後は趣味とする書き物に没頭していたと記憶している。


 召使い達の噂によれば、妙な偽名を使い子供騙しの娯楽小説を書いているらしい。


 ――そんな男に、この母は荷が重かろうな。


 許すも許さぬも無く、何も言えなかったはずである。


「でもね、アーロンには内緒で来たの」


 シャーロットは口端に片手を添え密やかな声音で告げた。

 

 いつの間にか娘に対する口調となっているが、それを不敬と咎めるのも大人気おとなげなかろうかとウルドは自身を抑える。

 イリアム宮に在った頃ならば、後先など考えず母すら道化と共に打ち据えたやもしれない。


「難しい事は分からないけれど、リヴィ――陛下とエヴァン様が喧嘩をしているでしょう?」


 母の口唇から漏れたその名に、ウルドは微かに肩を震わせる。


 ――平然と――口にするのだな――。


 眼前にある女の顔貌がんぼうからは、後悔も、罪悪感も、そして恥じらいも浮かんではいない。

 やはり、あれは悪質な噂に過ぎなかったのだろうか、とウルドに思わせるほどの落ち着きぶりである。


 だが、エヴァン自身が認めた事実なのだ。


 ――娘でもありますからな


 唇に感じた苺の感触が蘇り、ウルドはそれを払おうと頭をひと振りした。


「だからね、アーロンが知ったら――とても困ると思ったの」


 アーロン・ウォルデン公爵は、かねてより、エヴァンに頭が上がらぬ事でも有名であった。

 共に帝都で学んだ時代からの習性で、特段の考えなど持たず復活派側に与しているのであろう。


 その結果、娘と敵対している訳であるが、さりとてエヴァンにも逆らえぬという状況なのである。

 唯々諾々と周囲に従い、嵐が過ぎ去るのを待っているのかもしれない。


「困らせると分かり、それでも参られた」


 領主の妻といえど外交官でも無い身の上で、フェリクスまで至るには幾ばくかの苦労と危険があったはずである。


 ――まさか、娘に会いたいなどと殊勝な思いが……。


「そうなの。だってね、リヴィ――」


 話すうち、誰であれ相手との距離を詰めていく女であった。

 既婚で、尚且つ母后ぼこうという立場にありながら、社交界で未だ男達を虜にする所以ゆえんでもあるのだろう。


「――ああ――私、命を狙われているの」


 恐ろし気な様子で、自身を抱きすくめるよう腕を抑えた。


「この前もね、トリクシーのパーティで――あら、あなた覚えてる?泣き虫だったベアトリスの事なのよ。彼女ったら――」

「いや、母上。良い――もう宜しい」


 些かうんざりした気持ちで母の話を遮った。

 母の置かれた状況が、ウルドにも読めたのである。


 シャーロット・ウォルデンを邪魔と判じた者がいるのだろう。


 新生派と復活派は、勢力争いに伴いプロパガンダ合戦の最中さなかにある。

 やがてきたる大規模会戦に向けた前哨戦とも言えた。


 そのような情勢下で、女帝ウルドの出生の疑義が白日の下に晒された場合、より大きなダメージを受けるのは、エヴァン率いる復活派勢力となろう。


 悪く言えば浮薄な女であるシャーロットの存在は、消しておいた方が安全であると考える者がいても不思議ではない。


 ――だが、エヴァンでは無かろうな。


 彼本人が差配したならば、さすがに女ひとりを仕損じると思えなかった。


 ――事の仔細はロスチスラフ辺りに探らせるとして――、


 向かいに座し、フェリクスの社交界はどうなっているのか、などと下らぬ言葉を連ねる母であるはずの女を怜悧に見据える。


 ――はて、此奴こやつの処遇をどうするか。


 追い返すのは愚策であろう。

 時期を見て使える駒――ともすれば爆薬と出来る可能性もあった。


 かといって傍に置くのも鬱陶しいと感じたのである。

 また、内裏だいりに娘を捨て置いた女を、無条件に保護するというのも癪に障った。


「そういえばね、リヴィ」


 娘の中で蠢く情動など意に介さぬ調子でシャーロットは話を続ける。


 ――呼び名はどうにかさせねばならんな――周囲に軽んじられる危険があろう。

 

 保護する場合、この件については、侍従長のシモンに教育をさせようと決めた。


「もうすぐ、大きなパーティを開くのでしょう?」

「ほう、母君も耳聡い」


 嫌味ではなく、この点についてはウルドも感心したのである。

 世事には疎くとも社交絡みの事柄については察しも良く機敏に動くのだ。


「でしょう、フフ」


 嬉しそうな様子でシャーロットが上目遣いで娘を見やる。


 フェリクス参集の表向きの理由は、オリヴィア宮の改築が終わった事を賀する大宴たいえんであった。


 ゆえにこそ、アレクサンデル教皇も出向き易くなったのである。

 

 最も、聖骸布せいがいふ艦隊を我が物とする悪漢なれば、いかなる事由であれ馳せ参じたやもしれない。

 悪漢には悪漢の目論見があり、恐らくは今がその頃合いなのだろう。


「それでね、どんなパーティにするつもりなのかしら?」


 娘の誕生会を計画するかのような口調である。


「どうと言われても――」


 侍従長と女官達が仔細を決め、ウルドは抜かりがないか確認するのみである。


 宴など、参加した者達が軽んじられていると感ぜず、互いの社交が円滑に進めば良いだけなのだ。

 トールを辱めようと企図した、かつての愚かな轍は踏むまいと決めている。


 ――三人娘の料理は別の形でしてくれるわ。


 ロスチスラフの娘達には、己の立場というものを分からせる必要があった。

 

 おのがモノとすると決めた男の傍辺で、飛び回る羽虫など払うのが必然であろう、というのがウルドの生き方である。


「やはり、何も考えてないのね」


 シャーロットは、いつしか別の想念に至っているウルドの表情を見て取った。


「え――ああ――まあ、特には」

「フフ、私に良い考えがあるのよ、リヴィ。是非とも私に任せてくれないかしら。ほら、何もせずにお世話になるのは申し訳ないでしょう?」


 彼女の中では、当面ここで暮らす事は決定事項となっていた。


「母君の良い考え――とは?」


 少しばかり疑わしい面持ちで尋ねる。


「今回は様々な立場の方がいらっしゃるでしょう。だからこそ、いっそ思い切った試みを取り入れた方が交わり易くなると思うの」


 そう語るシャーロットは、夢見る乙女の瞳となった。


「だからね、仮面舞踏会にしてはいかが?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る