24話 腑に落ちる忠告。
「うわあ、素晴らしい――」
月面基地司令官室に、興奮気味なトールの声が響いた。
「ホントに素晴らしいですよ!」
司令官室から、月面基地に在る広大な発着場が見渡せるのだが、現在居並んでいるのは中央管区艦隊の艦艇ではなかった。
同艦隊はベネディクトゥス星系ランドポータル防衛へと派出されている。
「これを見て、童子のように浮かれる男がおるとはな。真に不敬である。畏怖し恐懼せよ」
教皇アレクサンデルは、皿から菓子を掴むとトールに差し出した。
「食らえ、童子」
「有難う御座います――ん――これはまた――」
角砂糖のような形状の代物を口に入れ、トールは少しばかり眉を
「至極の甘味であろう」
「で、ですね――あ、いえ、もう結構です」
機嫌が良いのか、もうひとつ渡そうとするアレクサンデルに、トールは慌てた様子で断りを入れた。
――甘すぎる――良くこんなの食べられるなぁ……。
「ともあれ、徹夜のせいでボウとしていた頭が覚めました」
トールは再び窓外に目を向け、緋色の艦艇――聖骸布艦隊の威容に見惚れた。
地球が人類の中心であった時代であれば、この月面基地には同程度の艦艇が駐留していたのであろう。
「言われるがままに連れて来たが――」
三万隻もの大艦隊を引き連れて来たのである。
「――確度はいかほどか?」
「個人的には残念なのですが、それなりに高いと思います」
「ふむん」
自身を教皇に押し上げた男から、誘い水を向けられたのは数週前の話である。
オソロセアにて、古狸と謀議をしている事は知っていたが、一方の客人の名前を聞いて、さすがのアレクサンデルも眉根を上げた。
挙句、続いて聞かされた、トールの目論見にも驚かされたのだが――。
「高いならば良い」
リスクは有ろうとも、実現したならば確かな果実を得られるのだ。
数多の血肉を贖いとして捧げ、オビタルを拘束して来た誤謬を打ち砕く礎石となろう。
「――そうですね」
と、答えるトールの声音からは、大艦隊を目にした時の喜色が失われている。
それを横目に見たアレクサンデルが、菓子を再び薦めようとしたところで――、
「あ、来ましたよッ!」
嬉しそうにトールが上空を指差す。
「ほう――あれか」
特徴的な球状のシルエットを中腹部に持つため、遠目にも肉眼で直ぐにそれと分かる。
その
因縁深きタイタンポータルまで、ケヴィン少将が遠方よりの客人を出迎えに行っていたのだ。
「映像で見るより妙な
「寄り道する約束でしたからね」
もう一方の巨艦に乗るのは、グノーシス船団国の使節団であった。
攫われたクリス等一行も同乗しており、太古の祖先が偉大な足跡を残した衛星を前に、帝国への帰還を喜び合っている。
蒼い惑星を背景として、それら巨艦二隻に続く輸送艦の発する数多の信号灯が煌めく様子は神話的な光景にも見えた。
執政官ルキウス・クィンクティが放つ反骨の
◇
フェリクスへ向かう途中、月面基地へ立ち寄る予定であると知っていた首席秘書官を兼務する首席補佐官のロベニカ・カールセンは、割り当てられた居室にて、幾分か場違いな装いで佇んでいた。
なお、彼女の役職について、以降の記述においては首席補佐官のみに
――駄目だわ――怖ろしいほどに基礎がなってなかった――。
昨夜、オリヴィア宮の気取った女官長から、ロベニカはEPR通信で連絡を受けていた。
旧帝都イリアム宮でも女官を務めていた女であるが、目端を利かせ帝国が分かたれる前にベネディクトゥス星系へと渡り、いつの間にやら女官長に成りおおせている。
「え――舞踏会?」
「真に目出度きを祝う此度の
ホントに余興好きな女帝様よね、という不敬な言葉は抑えて話を進めた。
「承知しましたが――あの、よもやグラン・バルだったり――」
グラン・バルとは、実に細かな規則のある形式張った舞踏会とされ、爵位を持った者のみが参列できる。
己の主人が最も嫌う催しとなる為、面倒がるであろうトールの説得を考えると気が滅入った。
「いいえ、皆様にご参加頂きます。ですが、貴領は帝都より――失礼、旧帝都より
ようは、舞踏会など知らぬ田舎領主を心配してやった、という訳である。
そうと勘付き何やら癪に障ったロベニカは、却って余裕の笑みを浮かべて応える。
「トール様であれば、問題など無いでしょう。むしろ――」
イリアム宮の余興で、あわや殺されたかけたのは未だ記憶に新しい。
「伯の右手を巡り、無用な
「此度の舞踏会に限って言えば、伯の右手を巡って争うなど起き得ません。つまりは、
「ああ、はい。分かりましたッ!」
自身でも驚くほどに、きつい声音で女官長の言葉を遮った。
領邦を軽んじられた事に苛立ったのか、それともトールに対するものかは己でも判然としていない。
ともあれ、腹が立っていたのである。
「トール・ベルニク伯爵は、非っ常に愉しみにしておられる、そうお伝えくださいッ」
と、思わず啖呵を切ってしまったのだが――、
「ボクは、舞踏会なんて出た事ありませんよ」
「で、出ていらしたんですけどね。デビュタントでエスコートもされてましたし、一応習ってもおられたはずですが――」
上手いという評判は耳にした事など無かったが、それでも幼き日より貴族の務めとして基礎は叩き込まれているはずなのだ。
「そうですかぁ――でも、何にも覚えてません、アハ」
半ば恐れてもいた応えを聞き、ロベニカは床へと膝を落とした。
「――ど、どうしましょう」
「結構、大事なイベントなんですかね?」
「はぁ――多分――」
消え入りそうなロベニカの声に、トールは考える様子を見せた。
――社交ダンスかぁ……。
――ようは、フォークダンスみたいなもんだよね?
完全なる勘違いに根差し、トールは朗らかに告げる。
「練習しますよ。だから――付き合ってくれませんか」
「トール様……」
こうして、惰眠はフェリクスまでの船旅で貪れば良いと判断し、夜通し続くワルツの幕が開けたのである。
だが――、
「ホントに、全部忘れてるなんて――」
足を踏まれた回数を数えるのを止めた頃合いで朝を迎えた。
「――すみません。何だかドキドキしちゃって……」
そう言って頭を掻く
濃紺のイブニングドレスを纏ったロベニカが、そんな昨夜の顛末を思い返しているところで――、
「ええと、ロベニカさん?」
戸口の向こうからトールの声が響いた。
「あ、トール様。どうぞ」
「皆さん到着しましたので、二時間後には――わわ、ドレス?」
扉を開けて入って来たトールは思わず感嘆の声を上げる。
「はい。本番っぽくした方が良いかと――」
トールにまじまじと見詰められると、どうにも場違い感もあってロベニカにも照れが出た。
「へ、変ですか?」
「いいえ、とっても似合ってます」
彼女は美しく、イブニングドレスから品よく覗くデコルテは、いかなる男の視線をも釘付けにするだろう。
「よ、良かったです」
小娘めいた返事となったと気付き、余計に恥ずかしくなった。
「では、練習を――」
「はい!」
朗らかに頷くトールを見て、ようやくロベニカは腑に落ちたのである。
あの日に聞いた叔父の忠告を理解したのだ――。
◇
統帥府設立を宣した日の事である。
御前会議が終わり、ロベニカは自身の執務室に在った。
そこでひとり、報道官となったソフィアの初仕事を眺めていると、会うまでに時を置きたいと思っていた人物が訪れたのである。
「ロベニカ――いいかい」
父の旧友であり、元国務相リストフ・ビッテラウフであった。
「――叔父様」
テルミナの調査結果を信ずるなら、幼き日より慕った相手は、裏切り者オリヴァー・ボルツに間接的とはいえ手を貸していた男である。
だが、トールは糾弾する事はなく、統帥府に補佐官として招聘した。とはいえ国務畑ではなく、教育担当補佐官とし外交事案からは外している。
「君が聞いた事も、考えている事も――想像は付くよ」
「――そう――ですか――」
だったら、出て行ってくれないか、とロベニカは思った。
軽蔑できるはずもない相手だが、かといって掛けるべき言葉を持ち合わせていない。
「閣下は、本当に――いや、あるいは君の助言かい?」
「いいえ」
ロベニカは首を振った。
彼女が調整したのは、一部の人事案についてのみである。
「そうか――ともあれ、私は政治から身を引くつもりだ」
不思議な事に、いっそ清々しい表情にも見えた。
「君と会う機会が減るだろう。だから、別れの挨拶と――ひとつだけ忠告をしに来た」
忠告、という言葉に、思わずロベニカは身構える。
統帥府に対する懸念であれば、現在の職責からすると、出過ぎた真似であると叱責する必要がある為だ。
「以前、紹介したい人が居ると言っただろう?」
――紹介したい人物が居てね。いや、別にヴォルフから頼まれたわけでは――。
あの時ならば、世話好きな叔父と、少女の関係性に戻せるひと言だった。
「断られるだろうとは思っていた」
「今の私は誰かとお付き合いする気も、結婚するつもりも――」
「いつまでなんだい?」
リストフは、深刻な表情を浮かべ彼女の言葉を遮った。
「――え――」
ふぅと深い息を吐き、リストフは眉間を指先で揉んだ。
「君が彼に――あえてそう呼ぶが、彼に惹かれているのは分かる」
名を出さずとも、いや名を出してはならない相手なのだ。
「どれほど自分を偽り、そして気付かぬ振りをしていたとしても、やがては抑えなど効かなくなる」
リストフは精一杯の真心を込めて語っている。
「だが、彼は特別なんだ。地位や遺伝においてではない。私には分かる――彼は――良きにつけ悪しきにつけ――」
基本的に歴史とは、有象無象の群像が織り成すタペストリーではあるが、時としてラムダの寵愛を受け過ぎたがゆえに、たった独りで全てを塗り替えてしまう特異点がある。
「――彼こそがそれだろう」
長閑な言動にすぐ騙されるが、ロベニカとてその予兆は感じていた。
「ロベニカ――君には――君は――あまりに――」
それ以上の言葉を、リストフは重ねる事が叶わなかった。幼き日から自身を慕ってくれた少女の頬に流れる雫を見たからである。
だが、彼は忠告をした。
惜しむらくは、若さとは向こう見ずであり、結局は痛みを負うという
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