24話 腑に落ちる忠告。

「うわあ!」


 月面基地司令官室に、興奮気味なトールの声が響いた。


「素晴らしいですねっ!!」


 司令官室からは月面基地の広大な発着場が見渡せるのだが、現在居並んでいるのは中央管区艦隊の艦艇ではない。

 同艦隊は帝都フェリクスを守るべく、ランドポータル防衛に派出されていた。


「浮かれるのは真に不敬である。畏怖し恐懼せよ」


 教皇アレクサンデルは、皿から菓子を掴むとトールに差し出した。


「食らえ、童子」

「有難う御座います──(はむはむ)──これはまた──」


 角砂糖のような形状の代物を口に放り込んだトールは少しばかり眉をひそめた。


「至極の甘味であろう」

「で、ですかね? あ、いえ、もう結構です」


 もうひとつ渡そうとするアレクサンデルに、トールは慌てた様子で断りを入れた。


 ──甘すぎるよ──良くこんなの食べられるなぁ……。


「ともあれ、徹夜のせいでボウとしていた頭が覚めました」


 トールは再び窓外に目を向け、聖骸布せいがいふ艦隊の威容に見惚れた。


「童子に言われるがまま引き連れて来たが──」


 三万隻もの大艦隊を動かしたのだ。


「──確度はいかほどか?」

「残念ですが、それなりに高いと思います」

「ふむん」


 トールの目論見を聞き、アレクサンデルはリスクを冒す価値があると判断したのである。


「高いならば良い」


 数多の血肉を贖いとして捧げる事になるが、オビタルを拘束して来た誤謬を打ち砕く礎石となるだろう。


「あ、遂に来ました!」


 嬉しそうにトールが上空を指差す。


「ほう。あれか」


 特徴的な球状のシルエットを中腹部に持つ為、遠目にも肉眼で直ぐにそれと分かる。


 一部の者が女神艦と呼ぶベルニク擁する超弩級艦トールハンマーだった。


 ケヴィン少将が遠方よりの客人を出迎えに行っていたのだ。


 出迎えた客人──もう一方の超弩級艦に乗るのは、グノーシス船団国の使節団である。クリス達も同乗しており、帝国領へ生きて戻れた事に歓呼の声を上げていた。

 

 執政官ルキウス・クィンクティは、トールと交わした約を果たしたのだ。


「次はボクの番ですね……」


 ◇


 首席秘書官を兼務する首席補佐官ロベニカ・カールセンは、月面基地に割り当てられた居室で幾分か場違いな装いで佇んでいた。


 ──駄目だわ……。怖ろしいほどに基礎がなってない……。


 昨夜、オリヴィア宮の気取った女官長から、ロベニカはEPR通信で連絡を受けている。


「舞踏会?」

「此度の大宴たいえんでは、余興がてら舞踏会を執り行う運びとなりました」


 ホントに余興好きな女帝様よね、という些か不敬な物言いは心中に留めた。


「あの、よもやグラン・バルなのでは──」


 グラン・バルとは実に細かな規則のある形式張った舞踏会であり爵位を持った者のみが参列できる。


 面倒がるであろうトールの説得を考えるとロベニカは気が滅入った。


「いえいえ、グラン・バルではございません。ただ──、ベルニク様は風流のおもむきも異なるかと考えまして──あら、いえ、ホホホ」


 舞踏会など知らぬ田舎領主を心配してやった、と言外に伝えているのだ。


 旧帝都出身の女官長にしてみれば、未だベルニクなど辺境領邦という偏見が拭えない。


 だが、この態度は大いにロベニカの癪に障った。

 

「トール様であれば、貴方の心配など無用ですわ。むしろ、伯の右手を巡って無用ないさかいが起きない事を願うばかり──」


 大宴たいえんを預かるそちらの手並みこそ不安である、というロベニカなりの意趣返しだった。


「んま! 伯の右手を巡って争うなど起きるはずもありません。此度は母后ぼこうの──」

「ああ、はい。分かりました。分かりましたっ!!」


 ロベニカは自身でも驚くほど、厳しい声音で女官長の言葉を遮った。


「トール・ベルニク伯爵は、に愉しみにしておられる、そうお伝えくださいッ!!!」


 と、思わず啖呵を切ってしまった。


「ボクは、舞踏会なんて出た事ありませんよ」


 慌ててトールの元を訪れたロベニカは膝から崩れ落ちた。


「デビュタントでエスコートもされてましたし、一応習ってもおられたのですよ……」


 幼き日より貴族の務めとして基礎は叩き込まれているはずなのだ。


「そうですかぁ。でも、何にも覚えてません、アハ」

「──ど、どうしましょう」

「わりと大事なイベントなんですかね?」

「はぁ──そうです──」


 消え入りそうなロベニカの声に、トールは考える様子を見せた。


 ──舞踏会か……。

 ──う〜ん、ようはフォークダンスみたいなもんだよね?


 そう考えたトールは朗らかに告げた。


「じゃあ、練習します。だから──付き合ってくれませんか」

「トール様……」


 こうして、夜通し続くワルツの幕が開けたのである。


 だが──、


「ホントに、全部を忘れてるなんて──」


 足を踏まれた回数を数えるのを止めた頃合いで朝を迎えた。


「──すみません。何だかドキドキしちゃって……」


 と、頭を掻く昨夜のトールとの顛末を、濃紺のイブニングドレスを纏ったロベニカが思い返しているところで──、

 

「ええと、ロベニカさん?」


 戸口の向こうからトールの声が響いた。


「あ、トール様。どうぞ」

「ケヴィン少将と船団国の皆さんも到着しましたので──わわ、ドレス?」


 扉を開けて入って来たトールは思わず感嘆の声を上げた。


「はい。本番っぽくした方が良いかと──」


 トールにまじまじと見詰められると、どうにも場違い感もあってロベニカにも照れが出た。


「へ、変ですか?」

「いいえ、とっても似合ってます」


 彼女のイブニングドレスから品よく覗くデコルテは、全ての男の視線を釘付けにするだろう。


「よ、良かったです」


 小娘めいた返事となり余計に気恥ずかしくなった。


「では、今朝の続きを──」

「はい!」

 

 朗らかに頷くトールを見て、ようやくロベニカは腑に落ちたのである。


 あの日に聞いた叔父の忠告を理解したのだ。


 ◇


 話は、トールが統帥府設立を宣した日に遡る。


 御前会議を終えたロベニカは自身の執務室に戻ると、当面は会いたくないと思っていた人物が姿を現した。


「ロベニカ……」


 父の旧友であり、元国務相リストフ・ビッテラウフであった。


「──叔父様」


 幼き頃より慕ってきた相手は、裏切り者オリヴァー・ボルツに手を貸した男である。


 だが、トールは糾弾するどころか統帥府に補佐官として招聘した。


「君が聞いた事も、考えている事も──想像は付くよ」

「──そう──ですか」


 だったら出て行ってくれないか、とロベニカは思った。少なくとも今は掛けるべき言葉を持ち合わせていないのだ。


「今回の一件は、君の助言なのかい?」

「いいえ」


 ロベニカは首を振った。


「そうか──。ともあれ、私は政治から身を引く」


 そう告げるリストフは、不思議な事に清々しい表情に見えた。


「だから、別れの挨拶と──ひとつ忠告をしに来た」


 忠告という言葉に思わずロベニカは身構えた。


「以前、紹介したい相手が居ると言っただろう?」


 ──紹介したい人物が居てね。いや、別にヴォルフから頼まれたわけでは──。


「断られるだろうと分かっていた」

「ええ、ご存知の通り忙しいですから……。誰かとお付き合いする時間なんて──」

「いつまでだ?」


 リストフは、深刻な表情を浮かべ彼女の言葉を遮った。


「──え?」


 ふぅと深い息を吐き、リストフは眉間を指先で揉んだ。


「君が彼に──あえてそう呼ぶが、彼に惹かれているのは分かる」


 名を出してはならない相手である。


「自分を偽り、そして気付かぬ振りをしていたとしても、やがては抑えなど効かなくなる」


 リストフは精一杯の真心を込めて語っていた。


「だが、彼は特別だ。地位や能力、遺伝においてのみではない。彼は良きにつけ悪しきにつけ天空を求め飛び続けるイカロスなのだ」


 長閑な言動にすぐ騙されるが、ロベニカもその予兆は感じていた。


 トール・ベルニクの内奥には激しく滾る我欲がある。


 その欲が、太陽の如く彼と彼の翼を焼き尽くすかもしれない。


「故に、君は──」


 そこで、リストフは言葉を詰まらせた。


 幼き日から自身を慕ってくれた少女の頬に流れる雫を見たからである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る