21話 帝都フェリクスへ。

「お子さんですか?」


 と、問われたテルミナは、飲みかけのコーヒーを真新しい執務机の上に吹いた。


「マリから聞いてねぇのかよ?」

「ええ――あ、どうも」


 少年からコーヒーを受け取り、トールは礼を言った。


 ――小学生――ん――いや、ベルニクの学制だと幼年学校か。


 ベルニクに限った話ではないが、帝国の一般的な領民は、幼年学校で過ごす十年間は無償で教育を受ける事が出来る。

 とはいえ、その教育の質は領邦間の格差が大きい。


「ディオだよ。ねーちゃんの世話になってる。けーざいを学ぶ予定だ」

「なるほど、テルミナ室長の弟さんですか。よろしくね――ディオ」


 少年が差し出した、まだ小さな手を握り返す。


「チッ――まあ、そんな感じだ」


 説明するのが面倒――というより照れのあるテルミナは適当に応えた。

 

 バスカヴィ地区で出会った少年は、テルミナに連絡を取り、「けーざい」を学びたいという意思を示したのである。


 テルミナは後見人登録を進めた後、ガウス・イーデンに相談をした。


 ――で、どこに、ガキをぶち込めば「けーざい」野郎に出来るんだ?

 ――急がば回れという信用できる故事がある。まず、金は必要だがまともな幼年学校に入れろ。ええと、そうだな――。


 と、ガウスに勧められたのが、私立のヴォルヴァ幼年学校である。


 ベルニクにおいては名門校とされ、良家の子女が通う。

 尚且つ全寮制の為、多忙なテルミナにとっても現実的な選択肢であった。


 事を結果、プロヴァンス女子修道院にテルミナを預けた事を後悔する彼としては、鉄板とも言える提案をしたのだろう。


 ――なんか、苛められそうじゃねぇか?


 氏素性がモノを言う世界に、バスカヴィ地区で拾った子供を入れても大丈夫なのだろうか、とテルミナは不安に感じた。

 自身が学生時代に味わった疎外感をも思い起こす。


 ――当然リスクは有るさ。世界は冷徹だ。だがな、お前はそれなりの権力を得た事を忘れるな。

 ――あ?

 ――つまりだ、子供同士のいさかいだろうと、使える力は全て使え。俺達の、いや憲兵を辞しても憲兵隊の部隊訓は胸に刻んでおけ。


 兵学校で幾度となく聞かされた、そのエゴイスティックな言葉を思い出す。


 ――正義は我に在り。


 かくして、浮浪児ディオは、テルミナという後見人を得て、半年後には全寮制の幼年学校に入る。

 それまでは、自身の職場で雑用を任せようと考えた。


 特務機関デルファイなどと大層な組織名を冠しているが、現状ではテルミナと、もうひとりが広い執務室を占有しているのみである。

 少年が紛れていたところで、文句を言う者など居なかった。


「で、テメェは何の用があって来たんだ?」


 およそ領主相手とは思えぬ態度である。


 そのせいかディオも、コーヒーを長閑に呑む男が、トール・ベルニクその人であるとは思わなかったのかもしれない。

 平素と変わらぬ様子で、床掃除などに勤しんでいた。


 統帥府長官のヨーゼフが同席したなら、朝まで続く説教が披露されたかもしれない。


「頼み事があったのですけど、弟さんが寂しくなっちゃうかもしれませんね」

「あん?――気にするな。アイツはひとりで生きられる男だ」


 男、と言われた事に気を良くしたのか、ディオは機嫌良さげに口笛を吹き始める。


「そうですか?――じゃあ、お願いしようかな」

「おう」


 行方不明となったイヴァンナとかいう女を探す任務だろうか、とテルミナは考えつつ返事をした。


「明日からボクは帝都フェリクスに行きます。テルミナ室長もお願いします」

「フェリクスか――」


 ――確かに、あのアバズレはまだフェリクスに潜んでいる可能性が高いな。


「その後は、グノーシス船団国に行って来て下さいね」


 再びテルミナは、飲みかけのコーヒーを真新しい執務机の上に吹いた。


 ◇


「まあ、私達まで!?」


 オソロセア三人娘の長女フェオドラは、喜色を浮かべて父に告げた。


「嬉しい――。トール伯も来られるのでしょう?」


 末娘オリガも華やぐ様子を見せる。


「うむ。勿論だ」


 そんな娘達の様子にまなじりを下げつつ、ロスチスラフはふと次女の様子に気付く。

 次女レイラのみが、少し考え込む様子を見せていたからである。


「どうした――気が進まぬか?」

「いいえ。お父様」


 レイラは首を振り応えた。


「私もフェリクス――帝都にお招き頂けたのは嬉しく思います。ただ、詳しい事は分からないのですが、今回は重要な外交事なのでしょう?」


 グノーシス船団国から使節団が来る旨は、政治的都合と安全面の兼ね合いから、未だ一般には秘されており、三姉妹とて与り知らなかった。


 とはいえ、新生派に与する領邦領主が一同に会すると聞いている。おまけに、新教皇アレクサンデル・バレンシアの訪問まであると噂されていた。


 翻ってエヴァン率いる復活派とは水面下で激しい勢力争いが続いており、社交のみで集えるような時勢でも無い。


「ほう」


 その点に思い至った次女を、ロスチスラフは頼もしく思うと同時、果たして娘にとって幸か不幸かを悩んだ。

 得てして良家に生まれた子女など、世事に疎い愚物ぐぶつの方が幸せな老い楽を迎える。


「マクギガン家の御子息は招かれておりますの?」

「いや、聞き及んではいないが――」


 ロスチスラフとて、不審な招きであるとは感じていた。


「女帝陛下自らが所望されたという点も気になります」


 だからこそ、無碍むげにも出来ぬ話なのである。


 現情勢下において、女帝と筆頭元老の間に不和が有れば、産声を上げたばかりの新生派という枠組みなど容易く瓦解してしまうだろう。


「私の見立てでは――陛下はトール伯を――」

「待て、みなまで言うな」


 危険な領域に及ぶ前に、ロスチスラフはレイラの言を止めた。


「安ぜよ。儂が在る限り、お前達の羽で飛べぬ空は無い」


 ドミトリに頼み、先んじて手の者をフェリクスに忍ばせてある。

 情報を集め、不測の事態に備えていた。


「都を愉しめば良い。銀河で最も勢いのある場所となったぞ」


 そう言って娘達を安心させる傍ら、ロスチスラフは内心でひっそりと呟く。


 ――真に、面倒な話である事よ。


 トール・ベルニクの呑気な顔が浮かんだ。


 ――あの朴念仁がさっさと身を固めぬのが全て悪い。


 フェリクスで、ひとつ説教をしようと決めた。


 ◇


「ち、畜生と同じ船ですって!?」


 執政官専用であるμミュー艦のタラップを上がりつつ、「母の会」代表の女が文句を言った。


「ジュリア殿、大事な手土産なのですよ」


 国事としての渡航許可は得たものの、民会からは様々な条件を付与されており、使節団の中に民会の各派閥代表を含める必要があった。

 ルキウスのお目付け役といったところなのだろう。


 既にクリス達が乗船していると聞き及び、民会議員のジュリアは大いに気分を害している。


「他の船があるじゃありませんの。多数の輸送艦を連れて行くのでしょう?」

「あちらは荷物で手一杯でしてね」


 グノーシス船団国の国威と重要性を示す為、多種多様な希少資源を積載している事に


 ――ふう、どうにか無事に積み込めましたが……。


 その秘事を成す為、ルキウスは多くの私財を投じる必要があった。

 クリスを救うのに必要となった奴隷の購入費用も考え合わせれば、彼の個人資産は底を尽き掛けている。


「ぎゅうぅっと押し込めばいいんです。ぎゅうぅっと」

「それは――まあ、あなたの様に、細身の方ばかりであれば可能でしょうが」

「んま」


 歯抜けのルキウスは人の悪い笑みを浮かべ、民会で最も豊満とされる女性を置き、逃げるようにタラップを駆け上がっていく。


 二角帽子で口許を隠しつつ、スキピオがその後を追った。


「さあさ、神職様」


 入口で待っていた、船付神官に告げる。


「例のお歌を頼みますよ。常闇の宙を駆け、異端の大地へと旅立ちましょう!」

「ええ、承知しました」


 不信心と問責されかねない執政官の言葉に動じる様子もなく、船付神官は微笑んで答える。

 ルキウスなれば、いつもの事なのかもしれない。


「分かりました。では、私はμミューフロントに参りますね」


 そう言って、船付神官――彼女はバイオレットの髪を揺らし踵を返した。

 

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