6話 頑張れフェオドラ!

「知己を拡げよ――と、儂は確かに言った」


 オソロセア邦都から遠く離れたタウ・セティ星系外縁部の氷冠惑星には小さな軌道都市がある。


 ボリス大公時代より領主の保養地として利用されて来た軌道都市で、広大な敷地を有するヴェルジェ邸をロスチスラフも愛した。


「ええ。帝都へ出る際にお父様から言われた通り、私とっても頑張っていますわ!」


 空調には些かも寄与しないであろう暖炉の炎を見詰める父の横顔に、フェオドラは胸を張って応えた。


 ――あの暖炉って、飾りじゃなかったのね。


 幼少期からヴェルジェ邸を度々と訪れてはいたが、火のくべられた暖炉を目にするのは初めてだったのだ。


「先週だって――」

「何度か伝えたつもりなのだが」


 フェリクス社交界での活躍ぶりを伝えようとする娘の言葉を父は遮った。


「そうではないのだ」


 女帝ウルドの不埒な気まぐれで、オソロセア三姉妹が名誉近習に取り立てられて十余年が過ぎている。


 ロスチスラフとて、次女レイラについては些かの不安も抱いていない。


 女帝ウルドの寵愛を受けながらも驕りや隙を見せる事はなく、嫉妬が破滅へ至る通航手形となる宮中を今後も渡っていけるだろう。


 レイラの選んだ男も、ロスチスラフには好ましく映っていた。


 ――ベルニクの将校とはな。我が娘ながら解っておるわ。


 翻って、長女と三女に対しては大いに懸念があった。


 中でも人は好いが軽率の嫌いが有るフェオドラは、父としては眉をひそめざるを得ない浮薄なパーティにまで顔を出していた。


 ウルドの母シャーロットと共にである――。


 ドミトリ率いる情報部門から上がって来る報告に、ロスチスラフは日々頭を痛めていたのである。


「儂は侯爵位を授かり、三公なる官位まで得ておる」


 かようにロスチスラフは位人臣を極めたと言えるのだが弱点もある。


「とはいえ銀冠ではない」


 帝国基本法に従うならば、娘達には領地と爵位の継承権が無かった。


 侯爵位でありながら、法的には一代貴族と同じ立場なのだ。


「やがてお前は銀冠を婿として迎え、そ奴を御さねばならぬ身なのだぞ」


 トール・ベルニクを婿にと考えた時もあったが、今となっては有り得ぬ話である。


「頃合いの男をドミトリに調べさせているところだが――」


 無能は論外とはいえ切れ者過ぎても困る。


 ロスチスラフに取って代わろうなどと言う野心は抱かず、さりとて覇気が無くては大オソロセアを掌握するに十分ではない。


「儂はやがて退こうし死も避けられぬ。末永くお前がロスチスラフの娘としての立場を護っていくには後ろ盾が必要となろう」


 期せずして三姉妹の手にした名誉近習という立場は、領邦外の知己を広く得る好機なのである。


 父としては、令嬢代官として名高いクリスティーナ・ノルドマン、あるいは時折お忍びでフェリクスを訪れる方伯夫人の娘エルメンガルト・プロイスなどとよしみを通じて欲しかったのだ。


「母后を諫めるべき立場である事も忘れるな」


 シャーロットと共に遊んでいるようでは、女帝ウルドの不興を買いかねない。


「はい。でしたら、今後はもう少し高尚そうなサロンへ顔を出しますわ! ちょうどお誘いを受けているところで――」


 元気だけは良い娘の愉し気な声を聴きながら、ロスチスラフは揺らぐ炎を見詰め秘かに息を吐いた。


 ――詮無き事とはいえ、母が生きておれば話は変わったのだろうか?


 権謀に生きた男は長らく正妻を持たなかったが、無役の禿翁ラニエリと縁続きの女を妻として迎えた。


 だが、彼女は三人の娘を成した後に他界している。


 ――いっそ市井に戻してやった方が良いのかもしれんな。


 所詮は、前大公ボリスの悪政に乗じて奪った権力に過ぎない。


 ならば己の血脈に拘る必要もあるまい――と、近頃のロスチスラフは達観し始めていた。

 牙を隠したボリスの忘れ形見に、全てを呉れてやる道も有るだろう。


 ――とはいえ、オリガの方は早急に手を打たねばな……。


 一途で思い込みの激しいオリガは、長女のように遊び惚けてはいなかったのだが、数年前から実に不味い相手と関わり合いを持ち始めていた。


 ドミトリから驚愕すべき報告を聞いたロスチスラフは、くだんの相談をフェオドラにしたいと考え人払いをしたヴェルジェ邸へ呼び出したのである。


 ――道楽者の方がまだしもマシだろう。


 ◇


「私――まだ、信じられないの――」


 父の香りが残る居室で、フェオドラ・オソロセアは独り言のように呟いた。


 邦都の屋敷を今すぐに飛び出してヴェルジェ邸を訪れたなら、両手を広げて自分を迎えてくれるのではないかという思いが脳裏を離れない。


 ――良く来たな。


 鷲鼻を触りながら告げるロスチスラフの姿が浮かんだ。


「お父様って、死なないものだと思っていたから」


 強大な権力と富を手にした男にしては質実簡素な居室だった。

 豪奢な装飾も、煌びやかな天蓋も無い。


 ロスチスラフは奪い続けたが、決して独占はしなかったのだ。

 故にこそ大オソロセアは富み栄えたのである。


「――馬鹿だと思うでしょう?」


 共に入るのが憚られたのか戸口付近に立つエカテリーナ・ロマノフに対し、フェオドラは柔な笑みを浮かべ告げた。


「いいえ」


 エカテリーナは首を振った。


「――娘とは――子とは、かようなものでしょう」

「まあ? あなたのように強い方でも?」


 フェオドラは無邪気に驚きを表現する。


 その言葉がいかなる意味を持つのかを彼女は知らないのだ。


「――」


 暫しの沈黙の後、ようやくエカテリーナは口を開いた。


「勿論――ですわ」

「ふうん」


 そう言ってフェオドラはつと視線を反らし息を吐いた。


「でも、何時いつまでもこうしてはいられないわね」


 妹が父を殺害したという報せを聞いた瞬間から、フェオドラの過ごした浮薄な世界は露と消えてしまったのだ。


 ピュアオビタルではない貴族の娘という不安定な立場も理解している。


 領主が唐突に倒れた場合などに任官される臨時代官という官職が、女帝ウルドより与えられたフェオドラの唯一とも言える拠り所だった。


 とはいえ、臨時代官とは期限付きの官職であり、慣例に従うならば半年以内に次の領主を決さねばならない。


 オソロセアの揺らぎを抑え、尚且つ三姉妹の立場を護る舵取りが必要となるのだ。


「だから、あなたに来て貰ったのよ。元帥」

 

 現在のエカテリーナは単なる外征軍司令ではなく、オソロセア領邦全軍を預かる元帥となっている。


 黄金の角邸における一件が影響した人事であるのは言うまでもないが、全てを知るドミトリは思い止まるよう幾度もロスチスラフに諫言をした。


 この点、虎を家中に招じ入れようとする性向が、簒奪者ロスチスラフには有ったのかもしれない。


「次の領主を決めるまで領内が混乱しては困るし、オリガの無実を晴らすのにも力が必要よ」

「――む、無実?」


 エカテリーナは訝し気な声を上げた。

 

「ええ」


 力強く頷いたフェオドラには確信がある。


「ドミトリ達の調べではオリガが犯人らしいけれど、そんははずがないわ!」


 調査内容の仔細をエカテリーナは把握していないが、ドミトリが迂闊な情報を上げるとも思えなかった。


 尚且つ、ロスチスラフに堅い忠誠を誓ってきた男が、非道の過ぎる嘘で娘オリガを貶めるとも考えられない。


「何か大きな間違いがあるのよ」


 だが、フェオドラは信じている。自らの妹を信じていた。


「だから、お願い。臨時代官の間は私に忠誠を誓って」


 帝都から急ぎオソロセアへ戻ったフェオドラは、あらゆる家臣達に先んじて最初にエカテリーナを呼び出したのである。


 まずは軍を抑えなければ何事も為せない――という父の教えを実践したのだ。


 暴力こそ、全てに優先して手にすべき力である。


「私の忠誠は――」

「駄目よ」


 父の教えは、おもとして人の弱さについてだった。


 約束と誓いは星の数ほど交わされて来たが、裏切りの数はそれらに勝る。


「刻印に――銀冠に誓って」

「――え――?」


 思わず身を固くしたエカテリーナは、輝く金色の髪房へ指先を絡めた。


「ううん」


 フェオドラが首を振る。


「そうやって隠している理由は分からないけれど、私は聞いたの」


 夜な夜な繰り返される浮薄なパーティで、酒とドラッグに溺れた人々の口は軽くなる。


 自身も夢現の狭間でフェオドラが耳にしたのは、ヴォイド・シベリアで違法な医療を生業とする男の奇妙な話だった。


 ――銀冠を金髪にしてくれっていう奴がいてさぁ、あはあは。変なのおって、あは。うふ。


「あなたって、ホントは銀冠なのでしょう?」


 唐突に戦場へ放り込まれたフェオドラにとって、エカテリーナ・ロマノフは決して裏切らせてはならない相手なのである。

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