7話 べドラムゴラ医療センターにて。

「ともあれ、必要事は決まりましたな」


 敬虔伯アイモーネ・サヴォイアは、頭に載せた朱よりも濃い緋色のカロッタに触れながら、大いに満足気な様子で告げた。


 概ね自身が望む通りの結果になったと考えているのだろう。


「これで邦許へ戻り、祈りに集中できましょう」


 アイモーネの顔貌に、二つ名に相応しい柔和な笑みが浮かんだ。


 幾つかの政治的事情と妥結が、呪わしきレオ・セントロマに代わって、アイモーネを枢機卿の栄に浴させている。


 聖職者を志した彼にとって、緋色のカロッタとは王冠に等しい。


 だが、十分では無かった。

 彼が抱く溢れる程の信仰心は、さらなる高みを欲していた。


 つまるところ叶えられた野心とは、次なる野心を招来する蜜なのである。

 

「――そう」


 幼女から美しい少女の姿となったグリンニス・カドガン伯は、暫しの沈黙を置いた後に至って気の無いいらえを返した。


 見た目にそぐわぬ苛烈さを備えた彼女にとって、アイモーネは今すぐにでも斬り殺したい相手である。


 奥歯を噛んだグリンニスは己を宥める為、回廊の列柱から望める中庭へと視線を送った。


 抗エントロピー場を産み出す城塞へ至る釣鐘状の建築物は、ベルツ家の所領であった往時と同じ姿で残されている。


 過去、そこは彼女のかつえた場所だったが、トール・ベルニクの傍に在る限りは不要となった。


「――良かったわね」


 弔事が主たる議題となった諸侯会議は散開となり、グリンニスとアイモーネは連れ立って謁見の間へ連なる回廊を歩んでいた。


 女帝ウルドに対し諸侯会議の次第を報告する為である。


 常ならば宰相並びに三公が揃って女帝へ拝謁するのだが、帝国宰相トールはノルドマン領邦へ向かい、三公の一翼を担って来たロスチスラフは帰らぬ人となった。


「けれど、アイモーネ伯――」


 現時点では余計な言動は努めて控えるようトールから言い含められていたのだが、アイモーネの満ち足りた表情を見ていると、グリンニスは心内に湧く怒りと侮蔑を抑え切れなくなってしまう。


 ――嫌味くらいは良いでしょう? トール伯……。


「祈る前に、為すべき外交事が山積しているのではなくて?」


 ロスチスラフという支柱を喪った新生派勢力にとって、アイモーネの担う外交の重要性は益々と高まっている。


 その中でも、オソロセアと隣接するファーレン選定侯の軽挙を抑える点は、最も重要な課題となるだろう。


 生前のロスチスラフが自領邦内の強硬派を抑えていたが故に、破局的な大戦へ発展する事は無かったが、聖都戦以降の十年間で数百に及ぶ交戦を繰り返している。


 ボリス大公時代から続く歴史の恩讐は、両領邦の消えぬ種火として燻り続けているのだ。


 かような情勢下で、ロスチスラフの死を好機として、ファーレンの大軍がオソロセアへ押し寄せる危険性は日増しに高まっている。


 そうなってしまえば、安全保障を包括した同盟を結ぶベルニク領邦も参戦せざるを得ない。

 

 新生派勢力の中核を成すベルニクとオソロセアの本格的な軍事行動は、確実に両勢力の決戦へと発展していくだろう。


「然り然り。それは無論の事ですぞ。帝国葬をささと済ませた――あいや、我等が友を手厚く見送った後、急ぎファーレンを訪れる約となっておりましてな、ホホ」

「あら――?」


 グリンニスは言外に意味が乗らぬよう細心の注意を払ったが、不快感を隠すには十分で無かったのかもしれない。


「随分と仲が宜しいのね。素敵」

「――」


 思わず足を止めたアイモーネは、目を細め少女の背を見やる。その顔貌から彼を敬虔伯たらしめている笑みが完全に喪われていた。

 

 直後、銀のツインテールを揺らしてグリンニスが振り返る。


「――どうかされて?」

「いや」


 アイモーネは表情筋をせわしなく動かし、幼き頃より馴染んだ己の仮面を素早く取り戻した。


「な、何でもありませんぞ。ささ、麗しき陛下の許へ参りましょう」


 ◇


 精神的な疾病を専門に取り扱うべドラムゴラ医療センターは、ヴォイド・シベリア邦都郊外に広大な敷地を有する施設である。


 オビタルの精神疾患に関わる仔細は別の書物に譲るが、古典文明と比して尚さらにれを嫌悪する風潮があった。


 ニューロデバイスを切除した場合やデバイス不適合者の言動と近似する事も理由のひとつであろうし、サピエンスから連綿と受け継いだ悪意の産物とも言えよう。


 特にピュアオビタルは精神疾患を恥辱と見なし、カウンセリング、薬物、脳神経外科等で制御不能と見なされた者の多くは物理的な隔離を選択した。


 つまりは、べドラムゴラ医療センターである。


 帝国辺境のヴォイド・シベリアは、治安と経済の安定した領邦でありながら、貴族制度に拠らない政治制度を採用していた為に社交界との距離も保たれていた。


 尚且つ特殊な金融法制が富裕層の資本を集めた結果、守秘義務に関する意識が領邦民にも行き渡っている。


 配偶者への隠し事は墓場まで、それ以外はヴォイド・シベリアに隠せ――。


 勿論、不埒な医療関係者の様な例外は有る。


「――全く気に入らんな」


 べドラムゴラ医療センターの特別病棟前へ降り立ったドミトリは、誰に聞かせるともなく呟いた。


 他人の秘密を暴くことを生業とし、また己の喜びでもある彼にとってヴォイド・シベリアは相性の悪い土地柄である。


 だが、人生最大の失態を演じた男に、土地の好悪を語る資格など有るまい。


 無論、彼が油断や怠慢とは無縁だったと全ての記録が示している。


 領主ロスチスラフの安全確保を第一義として情報を収集分析し、護衛部門、治安機構、並びに領邦軍と密に連携して来たのだ。


 故にヴェルジェ邸の悲劇を防ぎ得なかった責を、ドミトリのみに帰するのは実態に即してはいないだろう。


 とはいえ、本人の思いはまた異なる。


 例え後世の歴史家がロスチスラフを簒奪者と断罪しようとも、ドミトリが生涯に渡って仕えようと決した主人であり今後もそうであり続けるのだ。


 ――ここから先は、一度の失態も許されん。


 主人の肉体は滅したとはいえ、彼の遺志は今もドミトリの胸に刻まれている。


「ドミトリ長官――こちらへ」


 父殺しの嫌疑が掛かるオリガ・オソロセアを収容する特別病棟には、オソロセア情報部並びに護衛部の職員達が病棟スタッフよりも多く入っていた。


 治安機構に先んじてオリガの身柄を確保したドミトリは、彼女の錯乱状態を理由としてオソロセアから遠く離れたヴォイド・シベリアの地へ運んだのである。


 政治勢力とメディアの喧騒から隔離できるという利点もあった。


「状況は?」


 最上階へ向かう専用エレベータに乗り込むと、ドミトリは案内役である情報部の男に尋ねた。


 子飼いの部下で、あらゆる秘密を共有してきた相手である。


 つまり、今回は例外となるだろう。


「変わらずです。何も応えませんが」

「大人しく寝ている訳か」

「はい」

「ふむん――まあ、良かろう」


 ロスチスラフ殺害の犯人はオリガで、その裏には彼女を唆した青鳩あおばと共がいる。


 情報部が掴んでいるこの事実だけで裁くには十分だったのだが、ドミトリが部下達に問い質せと指示したのは本人の動機だった。


「申し訳ありません」


 殊勝に頭を下げる部下には目も呉れず、エレベータを降り立ったドミトリは、オリガを幽閉した病室の扉へ向かった。


 立ち塞がるように立っていた屈強な男達が慌てて道を空ける。


「私がやる」


 決然と告げたドミトリに、子飼いの部下が片眉を上げた。


「人払いとECMを頼む。さらには、全ての記録をめさせろ」


 その言葉は、戦略情報長官であるドミトリ・トルストイという男が、秘密を暴く為ならば手段を選ばないという事実を周囲に想起させた。


 領主の娘と言えど、彼にとって例外ではないのだと――。


 ◇


 病室に入って来た男に気付いたオリガ・オソロセアは、僅かに視線を動かしたが直ぐに興味を喪ったかのように瞳を閉じた。


 他方のドミトリも特段の表情を浮かべる様子はなく、オリガが半身を起こして佇むベッドに近付いていく。


「――」


 暫しの間、瞳を閉じたオリガを見据えていたドミトリだったが、ようやく口を開くと囁くような声音で告げた。


「ECMが有効になりました。記録機器も停止させています」


 オリガは小さく頷くと、ゆっくりと瞼を開いてドミトリに顔を向けた。


「――ここまでは順調ね。ありがとう、ドミトリ」


 主人より礼を言われた男は、恭しく頭を垂れる。


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★アイモーネ・サヴォイアという男について


[乱] 13話 味方から敵、敵から味方。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330657206445546

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