8話 遺志を伝えるべきは。

 サピエンスに倍する寿命を得たオビタルだったが、厳然とヘイフリック限界は存在する。


 つまり、やがては細胞分裂が途絶え生物学的な死を迎えるのだ。


 ピュアオビタルはアフターワールドへ召され、そうではない者達は連環の間にて次なる生を待つ事となる。


 それが魂と呼称する分割不可能な個として実現されるプロセスなのか、あるいは生態系と集合的無意識が生み出す循環作用に過ぎないのかは、時と場所そして置かれた立場によって見解が異なるのだろう。


 故にこそ――否、ともあれ、ヒトは死ぬのである。


 ベルニク領邦治安機構長官を辞して以降の二十余年、先代領主エルヴィンと妻が巻き込まれた事故の真相調査に余生を捧げて来たヴォルフ・カールセンとて例外ではなかった。


 ヴォルフは不可避な人生の末を迎えるにあたって入念な準備を始めている。


 だが、近しい者達にそれを伝えるのは、自分自身の死期を知った時よりも辛い。


 相手が娘となれば猶更だろう。


「――ロベニカ――少し話が――」


 大学へ入るまでの極短い思春期を過ごした部屋で、久方ぶりに父母の家を訪れたロベニカはスーツ姿のまま何かを探し続けている。


 小物から懐かしの衣類までもが部屋中に散乱した様子は、卒業パーティに着けて行くはずのアクセサリーが無いと慌てるかつての娘と重なり、思わず父ヴォルフの口端に柔な笑みが浮かんだ。


 ベッドの下に落ちた目の大きなカエルのぬいぐるみを拾い上げたヴォルフは、幼かったロベニカに飽きるまで演じさせられたフロッギィの声音で尋ねた。


「ゲコッ――何を探してるんだい? フロッギィが手伝うぜ」


 辛い話しをする前に、まずは娘の里帰りを愉しもうと考えたのである。


 父と娘が織り成す共同幻想のみに存在する絶滅した両生類は、成人して尚もロベニカの心内で生き続けていた。


「あら――」


 クローゼットに半身を入れていたロベニカが振り返って目許を緩めた。


「嬉しいけど、フロッギィには無理ね」


 そう言って肩をすくめる。


「あなたにも見せた事の無い物だから」

「――ん?」


 途端に気になり始めたヴォルフは、フロッギィから父の声音に戻った。


「パパも知らないはずよ」

「ほう――」


 何だろうかと気にはなったが、問いを重ねるべきか否か少しばかり迷った。


 成人した娘に秘密があるのは当然だろうし、統帥府主席補佐官などという領邦の要職にも就いているのだ。


 治安畑を歩んで来たヴォルフにとって、守秘義務とは神聖不可侵な行為である。


「パープルロッジのことは覚えている?」


 だが、続く娘の口から洩れたのは意外な言葉だった。


 パープルロッジとは、自身と妻の母校でもある名門ヴォルヴァ幼年学校で、最も旧くから存在する生徒達による結社である。


 入会には厳しい審査――おもとして、どれほど独創的で恐れ知らずな悪戯を教師に対して敢行するかである――が有り、入会後ロッジの構成員達は互いに対する終生の友情を誓い合う。


 ヴォルフが妻と出会ったのも、ロッジの活動を通してだった。


 良い事も悪い事も、その多くをパープルロッジで学んだのである。


「何と、お前もロッジメンバーだったのか?」


 幼年学校卒業と同時にメンバーではなくなり、尚且つロッジについて秘す規約がある為に、例え親子であったとしても知らない可能性は十分にある。


 事実、これまで互いにロッジについて話題にした事など無かったのだ。


「本来は秘密にすべきと分かっているけれど――、事務局長の不正会計を暴いた伝説のグランドマスターになら許されるかもしれないわね」


 そう言ってロベニカは片目を閉じた。


「――ああ――あれは――偶々の事で――」


 ひと際独創的な悪戯の延長線上に、期せずして名門校の暗部が隠されていたに過ぎなかった。


 とはいえ、その経験こそが彼に治安畑を歩ませる契機となったのを考えるなら、人生の成行とは不思議なものである。


「ふふ。それ以上は聞かないでおくわ」

「う、うむ――。となると、お前が探しているのはロッジキーか?」


 幼年学校を卒業する際、ロッジメンバーは証しとして真鍮製の鍵を渡されるのだ。


「いいえ、違うの。――まさか自分が使うはず無いと思っていたのだけど」


 ロベニカは首を振って応える。


「カンパニュラよ」


 今日は実に驚かされる日だ、とヴォルフは額に手を当てた。


 小さな釣鐘を模した――ようは鈴なのだが、ロッジのグランドマスターはカンパニュラと呼ばれる鈴を持ち続ける。


 同期のロッジメンバーを招集する機能と権利を有する鈴で、卒業後も一度だけは執行する事が可能だった。


 つまり、何代目かは分からないが、娘もグランドマスターだったのである。


「それは一大事だな」


 カンパニュラは単なる郷愁で使う代物ではない。


 遺失したという点について後に叱責しなければならないが、この時のヴォルフは好奇心に駆られると同時に胸の高鳴りも感じていたのだ。


 ともすれば鬱々としがちな人生の落日において、過ぎ去りし青春の残光を確かに浴びたのである。


 ――例の話は、また今度にするか。


 妻が帰ってきたなら三人で夕食を愉しみ、聞ける範囲で状況を聞こうと考えた。


 老いた身にも手伝える事が有るならば、存分に昔の伝手つてを利用すれば良い。


 ――そうだな――そうしよう……。


 こうしてヴォルフは、気の重い告白を先送りする道を選択した。


 だが――、


 防疫性を高めた遺伝特性と高度医療の存在がオビタルの長命と健康を支えてはいるが、やがてエントロピー増大則に抗えなくなる点は古典人類と何ら変わりがない。


 古典人類と異なる点は、唯一つのみである。


 ニューロデバイスの生体モニタ機能により、オビタルは自らの死期を概ね一年前に把握する事が可能となっていた。


 通知には数カ月から数年に及ぶ誤差が存在するとはいえ、この誤差は技術的限界というよりも慈悲に近いと言えよう。


 ともあれ、生体モニタの託宣を信ずるならば、ヴォルフ・カールセンの余命は残り僅かなのである。


 ◇


 惑星テウタテスの一部地区を有するのみとなった新たな聖都で一夜を過ごした後、トールとフリッツは領邦専用機にてノルドマン邦都へ向かっていた。


 早々に約を果たしてくれるとは――と、連絡を受けたクリスは感激していたのだがノルドマン家の優先度がトールの中で高まった理由は他にある。


 特務機関デルフォイ率いるテルミナからの報告だった。


 ――アラゴンとファーレンが青鳩の資金源ってのは相変わらずだな。

 ――互いが互いを踊らせてるつもりのアホだ。


 クラウディオ・アラゴン等に代表される生粋のピュアオビタル至上主義者と、これらに抗すると喧伝している組織は裏で硬く手を結んでいた。


 彼等は混乱するグリフィスを捨て置くばかりか、いっそ革新勢力の青鳩を使って新生派に与する領邦内を動乱の渦に落そうと画策しているのだ。


 この企図にイドゥン太上帝や、フォルツ宰相が関与しているかまでは分かっていないが、少なくとも黙認している状態ではあるのだろう。


 ――でもって、ニコライ・アルマゾフも一枚噛んでやがった。


 ジェラルド・マクギガンの副官として、今は無きマクギガン領邦に潜んでいた男である。


 七つ目のミザリーに使役されていたが、彼女が姿を消した現状ではニコライの目論見を推し量るすべが無かった。


 少なくともトールの知る限り、現在の七つ目とニコライの関連性は途絶えている。


 となれば、共和主義なるイデオロギーに目覚めたのか、あるいはクラウディオ同様に彼等を利用しているだけなのかもしれない。


 明確なのは、愚かで単純な男を父殺しの気狂いへ堕とす程度には機転が効き、尚且つ著しく道義心に欠けているという点だろう。


 そんな男が何ら毒を残さず立ち去ると、トールには思えなかったのである。


 単なるフィリップ・ノルドマン演ずる老いらくの恋ならば良いが、些かなりとも謀略を嗅ぎ取れば厳しい断を下さねばらならない。


 つまり、怪しき女は殺す――。


 現況においてノルドマン領邦が揺れては、ロスチスラフが自身の命を賭してえがいた絵面が崩れてしまうのである。


 トールにとってロスチスラフの遺志は、あらゆる道徳と法規に超越するのだ。


「フリッツ君」


 故にトールは、心軽く同行する友に忠告をした。


「――愉しい滞在には、ならないかもしれないよ」

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