9話 輪廻邂逅。

 急ぎ邦都へ戻るよう辞令を受けたレオン・ノルドマンの足取りは軽い。


 切れ者ではないが謹厳実直を旨とする父フィリップには、領邦を下賜された際に為した事績で称賛されるべき点が二つあった。


 ひとつはマクギガン領邦時代の家臣団を重用した点である。


 文官、武官を問わず、また屋敷の使用人に至るまで従来の立場を保証した上、領邦としての仕来りや慣例にも一切手を付けなかった。


 フィリップがいたずらに領主としての我を出さなかった事で、多数のポータルを有する要衝の安定が保たれて来たのである。


 いまひとつは――、


「おい、レオン」「レオン!」「待てって」


 コスフォード基地の入り組んだ狭い通路を歩くレオン・ノルドマン准尉が振り返ると、士官学校時代から連なる三人の悪友が雁首を揃え重なるようにして立っていた。


 彼等は、レオンと共に厳しい学び舎で軍事百般を習得した後、准士官待遇でコスフォード基地にて一年近くを同室で過ごした仲間である。


 新たな領主であるフィリップ・ノルドマン伯は、愛息レオンをフェリクスに新設された帝立士官学校ではなく、訓練の苛烈さで旧くから知られる邦立ウルズス士官学校へ入校させていた。


 貴族御用達と揶揄される帝立士官学校を選ばなかったのである。


 フィリップの選択は領邦内で前向きに評価されており、結果としてノルドマン家に対する信任を大いに高めた。


「――ああ、君等か。どうしたの?」


 領主の子息である事や銀冠を笠に着て偉ぶったりはしないレオンの人柄も、ノルドマン家の求心力に貢献したと言えよう。


 ひと言で評するなら、レオンとは「いい奴」なのだ。


 成り行き次第では蛮族の奴隷となっていたかもしれないという稀有な経験が、ノルドマン姉弟の人格形成に多大な影響を及ぼしたのは間違いない。


 見た目はどうあれ、両者は既得権に胡坐を掻く柔な子息令嬢とはならなかった。


「先任曹長殿から聞いたぜ」


 古参である先任曹長は、階級としては准尉の下に位置するが、雛鳥扱いの准尉風情よりは現場における序列が高く、レオン達は未だ尻を叩かれる身の上である。


「帰るんだろ?」

「いいよなぁ」

「んだよ。領主様の特権か?」


 帝国宰相トール・ベルニク伯の公式訪問が唐突に決まり、ノルドマン家の子息であるレオンに対して邦都へ一時帰郷する旨の辞令が下っていた。


 新米士官の任務都合ではなく、外交事が優先されたのである。


「いや違うよ――」


 と、言い掛けてレオンは思い直した。

 特権と言われたなら確かにそうだと考えたのである。

 

 准士官から正士官、つまりは少尉に上がるには、獰猛な古参兵が闊歩するコスフォード基地の勤務を経なければならない。


 多くの士官見習いにとって地獄となる一年間に及ぶ基地勤務は、死没以外の帰郷は認められないのである。


 家族、親類、友人との連絡も硬く禁じられており、万が一にもEPR通信で連絡を取った事が露見したなら懲罰房が待っていた。


「――ごめん――そうかも」

「ちっ。バカ野郎」


 レオンよりひと回り背丈の大きな男が、彼の肩に腕を回してぐいと引き寄せた。


「そんなつもりで言ったんじゃねーよ」

「わわっ、サード」


 バリー・マウントバッテン三世――通称サードは、最初に出来たレオンの友人であり尚且つの輪に招じ入れてくれた男でもある。


 マウントバッテン家が高祖父の代から領邦軍将校である事を考えるなら、サードとて純然たる庶民とは言えないが少なくとも銀冠ではない。


「頼みがあって来たんだよ」

「え、頼み?」


 そう言われてレオンは、彼等がそれぞれ大きさの異なる荷物を抱えている事に気付いた。


 ――ああ、なるほど……。

 ――家族へ贈り物か!


 あるいは離れ離れとなった恋人に対し、自身を刻んでおく為の品々なのだろう。


 かくいうレオン自身とて、邦都に残る想い人との再会を心待ちにしていたのだ。


 彼女の儚げな真白い顔貌に輝く吸い込まれそうな双眸を思い出さない夜は無かった。


「分かった、任せてくれ」


 大幅に増えた手荷物について言い訳を用意する必要はあれど、苦楽を共にした同期の頼みを無碍に断る事など出来ない。


「ところで誰に渡せばいいんだい?やっぱり家族に――」

「違う!」「違う!」「違う!」


 三人の声が重なり、同じ仕草で首を振った。


「我等が愛しの――」


 同志達を代表し、バリー・マウントバッテン三世は、居住まいを正して宣する。


「クリスティーナ・ノルドマン嬢へ捧げる」


 ◇


 思うところのあるトールとしては隠密裏な訪問で済ませたかったのだが、令嬢代官クリスティーナは当然ながら今回こそは公式訪問をと譲らなかった。


 怜悧な彼女は再び迫る戦乱の気配を鋭敏に感じ取っていたのである。


 今後の安全保障を考えるならば、歴史の浅いノルドマン家とトール・ベルニクの親密ぶりを内外に喧伝しておく事は父親の結婚問題以上に重要だった。


 元々この問題をトールに相談しようと思い立ったのも、かような下心があっての事なのである。


 故にこそ、急な公式訪問にも関わらず、警備体制からメディア対応に至るまで、クリスは見事な手綱捌きを見せていた。


 トールが秘かに教皇の許を訪れると聞きつけた時より、あらゆる状況を想定して準備を進めて来た成果が花開いたとも言える。


「――ふぅ」


 遠く離れた展望エリアに詰め掛けたメディアと、観衆に向かって華麗な笑みを存分に振る舞ったクリスは、トールとフリッツが並んで座る黒塗りの大型車両に乗り込むと軽く息を吐いた。


 宇宙港から屋敷までの道中を、クリスは二人と同席する腹積もりでいたのである。


「改めて歓迎させて頂きますわ。トール伯、フリードリヒ少佐」


 その胸糞の悪くなる話し方を止めろ――と、突っ込みたい衝動にフリッツは駆られていたのだが、生憎と送迎用の大型車両には畏まった給仕までが控えており、互いの立場を考えるなら言葉を選ぶ必要があった。


 ――ったく。グレートホープ号の方がなんぼかマシだったぜ。


 などと、フリッツは物騒な事を考えていた。


「いえいえ。何だか軽めの予定にして頂いたそうで。助かります」


 他方のトールは殊勝に頭を下げて謝辞を伝えた。


 首席補佐官ロベニカ・カールセンから伝え聞いた予定によれば、フィリップとの首脳会談並びに共同声明の発表のみとなっているのだ。


 その後の晩餐会は招待客を招かぬノルドマン家との会食であり、トールが面倒な気遣いをする必要も無かった。


 無論、トールとの親密さを色濃く演出すべく、コスフォード基地からレオンが呼び戻されてはいるが――。


「そこで少しお話しすれば良いですかね?」


 フィリップと使用人の結婚問題である。


「ええ。もう、きつぅく、お願い致しますわ!」


 決して許せぬ婚姻と考えるクリスは憤然とした面持ちで鼻息を荒くした。


 既に、特務機関デルフォイへは女の身辺を洗うよう指示していたが、現時点では調査結果の報告を受けていない。


「――ええ――まあ、とりあえずは馴れ初め辺りから――」

「あら、私とした事が。伯にお話ししておりませんでしたかしら?」


 テウタテス別邸の中庭では君主論とでも称すべき話題へ発展した為、相手の女に関する仔細は語り合っていないのである。


 問題の核が女の為人ひととなりではなく、使用人という身分にあったからだ。


「はい。ええと、そういえば顔すら知りません」

「顔は――ああ――もうっ! 伯も嫌と言うほど晩餐会でご覧になれますわ。実に不愉快な事に父が同席させると言って聞かず――」

「ははぁ、なるほど」


 と、相槌を打ちつつも、当の女が座る目前であれこれと詮索するのは気が引けると感じていた。


 ――どうにかフィリップ伯と、プライベートに二人だけで話せる場が欲しいな。

 

 彼としては、くだんの女がニコライの残した埋伏の毒でさえ無ければ良いのである。


「――それを断りもしない厚かましい女なのです。もしも、私が五年前に戻れたなら、あの女を雇うと決めた家令の頸をムギュウと締めてやりますわ! ええ、ムギュウと!」

「――ぶふ――う――いや――」


 両の手を絞り上げるクリスの様子にフリッツは笑いを堪えるのに苦労しているが、トールの方は笑い出すよりも驚きと安堵がまさっていた。


「出会ったのは五年前なんですね――」


 ニコライ・アルマゾフが領邦から姿を消したのは、少なくとも十年前の話なのである。


 ◇


 通り一辺倒な内容にではなく共に立つ事に意味がある共同声明の発表を終え、暫しの休息を挟んだ後、いよいよノルドマン家主催の晩餐会の刻限となった。


 家令に案内された天井のひと際高い広間には、ノルドマン一家がトールを出迎えるべく立っている。


「今宵お招き出来た事を、まこと光栄に存じますぞ。偉大なるトール・ベルニク伯」


 ノルドマン家が奴隷船で過ごした日々を知る者ならば、美々しい夜会服を纏う彼らの様子には感慨深いものがあっただろう。


 中でも領邦軍の正装に身を包むレオンの成長は著しく、姉の折檻に怯えていた気弱な少年の面影は優し気な眼差しのみとなっていた。


 クリスは美しく高名な令嬢となり、フィリップ伯とて禁衛府長官時代の謹厳な風貌を取り戻している。


 だが――、


「――お、おい――大将――?」


 歓迎の意に返礼すべきはずのトールは、立ち尽くしたまま何も語れずにいた。


 呆然とした表情で、ただ一点のみを見詰めていたのだ。


 晩餐の間に入った時より彼の視線が注がれているのは、フィリップ・ノルドマン伯の隣に立つ女に対してのみである。


 漆黒のドレスは彼女の美を引き立たせるばかりでなく、露わとなった豊かな渓谷はトールの無意識下に刻まれた憧憬へと繋がっていた。


 使用人風情とは思えない妖しくも美しい女は、艶やかな漆黒の髪と潤みを帯びた漆黒の瞳を抱き、リンファ・リュウと微妙に異なるがオビタルとしては稀な血脈を思わせる顔貌である。


 つまり、トールの不安定な記憶に寄って立つならば、


 その女こそが――、


「――レ、レイカさん――?」


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★本仮屋レイカについては、


[乱] 62話 家族のかたち。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330661559359327

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