15話 ロスチスラフ・オソロセア。

 帝国葬より、半年ほど時を遡る。


「オビタルの医学を以てしても――それは避けられないのですか?」


 伯ひとりでと招かれたヴェルジェ邸にて、ロスチスラフから全てを聞いたトールは、無駄と知りつつ尋ねずにはいられなかった。


此奴こやつの託宣は避けられん」


 そう言ってロスチスラフは、うなじのニューロデバイスに軽く触れた。


「病ではないのだ」


 寿命という訳である。


 ヘイフリック限界を著しく伸長させたオビタルとはいえ限界はあった。


 その刻限をニューロデバイスの生体モニタ機能が、ある日突然に通告をする。


「ともあれ、儂は年内に死ぬ」


 ロベニカの父ヴォルフの如く、死期を悟った老人は準備を始めねばならない。


「――」


 その為にこそ、自分がオソロセアの辺境にまで呼び出されたのだと理解はしたが、内奥で父と慕う男の死を素直には受け入れ難かった。


 ――共に進んでいけると思っていた……。


 数え切れないほどの敵を殺し、そして今後も死に至らしめるであろう自分が、身近な者の死だけは許せぬという道理は通らないだろう。


 ――だけど……。


 かようなトールの思いを他所に、当のロスチスラフは淡々と言葉を継いだ。


「存念が幾つかある。ひとつは後継者問題だ」


 ピュアオビタルではないロスチスラフは、娘達に直接領地を継承させる事が出来ない。

 婿養子を迎える事も検討したのだが、結局は血脈に拘るのを止めた。


「オソロセアは、ボリスの忘れ形見に呉れてやる」


 彼が討ったボリス大公の忘れ形見――つまりは、ロマノフ家の庇護を受けているエカテリーナに禅譲すると告げたのだ。


 なお、ロマノフ家の仔細については、ここではケルンテンにもゆかりあるオソロセアの名家であるとの説明に止める。


 同家が、身許を偽るエカテリーナの保証人となって来たのだ。


「奪った物を返すだけだ――などと、ばば様には大層な嫌味を言われたが、まあ先方と話は付いておる」

「――でも――そんなにあっさりと禅譲できるものなんですか?」


 エカテリーナへ領地を禅譲するという話が表面化した場合、三人娘達の意向に関わらず何らかの企みを抱いた勢力が接近してくるだろう。


 あるいは、三人娘のうち何れかの言質を取ったと勝手に主張し、強硬手段に出る勢力が現れる可能性とてある。


「故に全てを明かすのは死後とする。無論、フェオドラとレイラにも秘する」


 ロスチスラフの死に伴い三人娘の何れかが臨時代官となり、秘したる遺言状へ父がしたためた計画に基づき動いてくれれば良いのだ。


「オリガ嬢には?」


 トールは、三女の名が挙がらなかった点を不思議に思い尋ねた。


「あれは――諸般の事情で、最も安全な場所に匿われる事になろう」


 何の事だろうかとトールは首を捻ったが、ロスチスラフが二本指を立てたので口をつぐんだ。

 彼が二つ目の懸念を告げるのだと解した故である。


「伯の耳にも入っていようが、アイモーネと奴ずれにくみする阿呆どもだ」


 敬虔伯アイモーネ・サヴォイアは、ロスチスラフ、グリンニス等と共に三公なる要職を得ている。


 また、かねてからの悲願であった枢機卿にも即位し、抱く全ての野心を満足させたかに周囲からは目されていた。


「ところが、次は不遜にも教皇位を狙っておる」


 ラムダ聖教会の縮退政策を推し進めるアレクサンデルに対し、反感を抱く聖職者や信徒は日増しに数と声を大きくしていた。


 アイモーネとしては、好機到来と考えているのだろう。


 不満を抱く者達の取り込みに余念が無かった。


「あの阿呆を利用しようと復活派ばかりか青鳩あおばとまでも近付いてきておるが、アイモーネは教皇位を得る為ならば手段を選ばぬと決したらしい」

「はい――」


 餌を与えておけば大人しくすると判断したトールの失策となる。


 旧帝都へ繋がるフォルツを討つ未来を考えるなら、サヴォイアは味方陣営にしておきたいという欲が、アイモーネ切りを躊躇わせ続けていたのだ。


 ――何だか気に入らない人だったんだけど……。


 政治的均衡の都合から重用したが、心の底では信用していない相手だった。

 

 いよいよ旗色を鮮明にすべき時が来たとも言える。


 とはいえ、三公であり尚且つ枢機卿でもある味方を、怪しいという理由だけで斬り捨てる訳にもいかなかった。


「まあ、良い。その点も、今後の展開次第では問題とならぬだろう」


 数カ月前、長女フェオドラを迎えた日と同じく、ロスチスラフは暖炉の炎を見据えている。


 気まぐれに火をくべてみると思いのほか心地が良く、以来、彼はヴェルジェ邸の暖炉を前に思索を巡らせる事を好むようになっていた。


 残された日々を、己が眼では目にできぬ未来をえがくと決めたのだ。


「次の――これで最後なのだが、存外、最も厄介な相手となるやもしれぬな」

青鳩あおばとの件ですね」

「うむ」


 トールの許へも特務機関デルフォイより、青鳩あおばとに関連する種々の情報が日々入って来ている。


 彼等はグリフィス領邦の混乱に乗じ、異端審問の痛みを負った人々を取り込んで組織の足場を固めた。


 だが、その次に青鳩あおばとが勢力拡大の対象として狙い定めたのは、近隣領邦ではなく新生派勢力に属する領邦だったのである。


「イーゼンブルクやウォルデンではなく我等の地なのだ。いかにも怪しかろう?」


 ロスチスラフは青鳩あおばとの急速な成長は、復活派勢力の介在が無ければ不可能と考えていたのだ。


 未だ確証は得られていないが、共和主義などというイデオロギーの裏に、相反する存在であるはずのイドゥン太上帝が潜んでいるとも睨んでいた。


「ええ。ボクも間違いないと思います」


 ――だって、弟のエヴァン公が言ってた事と同じだからね。


 種の制約を逸脱した共和主義体制こそが、トールの知る物語において救国の英雄エヴァン・グリフィスが最終的に目指す新世界だったのだ。


 ――途中からやたらと貴族や寡頭政治は駄目だとか、何だかそんな主張が多くなったんだよなぁ。


 中空に目をやって、過去の記憶を手繰っていく。


 ――貴族に生まれた英雄が、何だってそんな主張をするのか不思議だった。

 ――まあ、現代人が書いたせいかと思って読んでたけど……。


 トール自身は共和主義なるイデオロギーに興味が無い。


 いや、幻想を抱いていないと言い換えた方が正確だろう。


 彼は大衆に多くを期待しなかったし、根本的には信用していなかった。


「連中の裏はどうあれ、奴等の教育機関に対する影響力工作が増しておるのが現時点における大きな問題だ。中でも、オソロセア、ベルニク、カドガン、ノルドマンへの浸透は警戒レベルを超えた」


 それらは、いわゆるトール派に属する領邦と言えた。


「悪いとは言わんが、ともあれ若者は批判者である事を好む」


 無論、ある程度の批判は許容するのが領主の度量と嗜みであり、尚且つ若者の健全な成長を促す糧ともなる。


「だが、革命騒ぎでも起こされては面倒だ。不戦を誓う太上帝に、兵を動かす口実を与えかねん」


 その点も、青鳩あおばとを裏でイドゥン太上帝が操っていると、ロスチスラフが勘繰る理由だった。


 慈愛を謳い不戦を誓う彼女は、覇権を名目とした戦は起こせない。


 ――でも、そこは分からないな。


 イドゥン太上帝の思惑に関しては、トールは幾分か異なる見解を抱いている。


 ――アラゴンやファーレン選帝侯なんかはそう企んでそうだけど、太上帝はどうにも読めない……。

 ――単純にエヴァン公と同じ思いなのかもしれないし……。

 ──ま、そこは、あれに……。


「そこで――だ」


 暖炉の前に置いた長椅子で寛いでいたロスチスラフが立ち上がった。


「諸問題を一挙に解決に向かわせる計を案じた」

「い、一挙にですか?」


 迫り来るロスチスラフとの惜別すら忘れ、今この時だけはトールも気持ちが湧き立つのを感じていた。


 かつて、聖堂閉居の夜に語らった日を思い出したのかもしれない。


「うむ――入れ」


 居室の奥に設えられた扉に向かい、ロスチスラフが呼びかけた。


「オリガ」


 父から名を呼ばれると同時に扉が開き、少しばかり恥ずかし気な表情を浮かべた三女オリガ・オソロセアが姿を現した。


「――お、お久しぶりです。トール伯」

「え? オリガ嬢?」


 オリヴィア宮で顔を合わせる事はあったが、互いに言葉を交わす機会は稀だった。


 トールは多忙だったし、オリガは人見知りのさがである。


「はい――」


 消え入りそうな声で応える娘の傍に歩み寄り、ロスチスラフは肩に手を置いた。


「トール伯――。ドミトリからの報告に肝を冷やした儂だったが、その娘と直截に話してさらに肝を冷やした」


 そう言ってロスチスラフが口端を上げると、若き簒奪者の野心的な面影が蘇った。


「さすがは奸雄の娘よ、とな。ワハハハ」


 高らかな笑声に合わせ、暖炉の炎が激しく揺らめいた。


 ◇


 かくして、希代の奸雄ロスチスラフ・オソロセアは死んだ。


 享年 百六十三歳。


 今際の言葉は、許せ――のひと言のみであった。

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