12話 ベアトリーチェ先端研究所。

 国家であれ、企業であれ、一代で巨大な組織を築き、それを掌握した者は総じて灰汁あくが強く――、


「いや、実に愉快な夜ですな。聞きしに勝る閣下の美とそして何より溢れる知性に、――(もぐもぐ)――老いた身でありながらこのハロルド・ロイドの心も踊っておりますぞ。――(もぐもぐ)――おお、無論無論アリスタリフ閣下の男ぶりにも、同じく男として尊崇の念を禁じ得ませんな。――(もぐもぐ)――お連れの――」


 実に良く食べ、そして良く話す。


 ロイド家中興の祖と称される当主ハロルド・ロイドは、自他共に認める健啖家であり尚且つ殊更に口数の多い男だった。


 隆々たる体躯は彼の壮健さを現わし、フォックスとは対照的な金壺眼かなつぼまなこは利に敏い事を示している。


「まこと薬剤の歴史は古く、古典の時代より人は不老不死の薬を求めておりまして――そうそう、不老不死と言えば面白い昔語もありますな。シーフーの海を渡る冒険奇譚などは――」


 招かれたジャンヌや、オソロセアの将校アリスタリフは口を挟む余地もない。


 とはいえ、適当に相槌を打って食を愉しめば良いという点で、ハロルド流の客人に対する気遣いだったのだろう。


 フォックスから魔王城などと言われ怯えていた副官のクロエ・ラヴィスは、思いのほか気さくなハロルドの様子に安堵していた。


 ――話はぜんっぜん面白くないけど、このウェルシュラムは最高だわっっ!


 と、無邪気に食を愉しむクロエとは対照的に、もう一人の従卒として招かれているアドリア・クィンクティは、憮然とした表情を浮かべたまま機械的にフォークを口許へ運んでいた。


 新生アドリアにとって、食事とは栄養補給に伴う空虚な作業に過ぎないのだろう。


 なお、彼女が遂げた劇的な変遷と経緯については後に語る。


「――かような次第で、我等は日夜研究開発に励んでおるのです。帝国臣民の健康を支える為だけではなく、不埒な賊共から無辜なる我等を守護される将兵方々の銃後を預かるべく知恵を絞っておりますぞ!」


 胸を張るハロルドの言う通り、パワードスーツが備える治癒ユニットや、領邦軍が携行するエイドキッドなどのシェアはロイド製薬がその過半を握っているのだ。


「ええ、存じ上げておりますわ」


 首船プレゼピオで左腕を喪った際にジャンヌの痛みを和らげたのは、主人トール・ベルニクの腕と、パワードスーツが備える治癒ユニットだったのである。


「真に光栄ですぞ、ワハハハ! ふむ、ところで――」


 満足そうに高笑いを上げた後、ハロルドは少し声を落とした。


「――本日お招きさせて頂いたのは、皆様方へ感謝の念を伝えるのは当然ながら、ひとつ相談事がありましてな。いやはや、少々古い話となりますが、ケルンテンの――」

「ハロルド殿――叔父上」


 マビノ基地からロイド邸に至るまでの饒舌とは打って変わり、ひと言も発しなかったフォックスが初めて口を挟んだ。


「――あん?」


 ハロルドは、およそ領邦代官に対するものとは思えぬ口ぶりで、自身の言葉を遮られた不快を表情と声音で存分に表した。


 ロイド家における序列を優先するという意思表示なのかもしれない。


「例の件ならば――」

「ならば、何だ?」


 意趣返しか否か――、ハロルドはフォックスに最後まで言わせず、金壺眼かなつぼまなこをさらに見開いて睨み据えた。


「ワハハ、失礼しました。お見苦しいところを」


 豪笑を上げるハロルドと、押し黙ったフォックスの顔貌を見比べ、ロイド家に潜む歪みを察したジャンヌは少なからず胸騒ぎを覚えた。


 ベルニクの一代貴族に過ぎぬバルバストル男爵家とて、似たような歪みが家中に存在するのだ。


 ――この歪みが、家中に留まるなら良いけれど……。


 領邦の差配を任された代官と、巨大な実業を営む家門の不仲が、カドガンに不幸をもたらさぬよう心内で願った。


 他方のハロルドは何事も無かったかのように話を続けている。


「左様、十年前になりますかな。偉大な大連合艦隊が――」


 旧聖都アヴィニョンへ敵勢を集中させない為に、ロスチスラフ率いる連合艦隊がフォルツ討伐を唱え、ケルンテン領邦のズラトロク宙域に布陣した際の話である。


 黄金の角邸にて、イェルク子爵による晩餐会が開かれた。


 同晩餐会では様々な思惑が交錯したのだが、奇妙な生物に襲われるという災難にも見舞われている。


 幼子のような小人達は、片言で「タロウ」と名乗った。


「イェルク子爵の客人に襲い掛かったそうですが、最終的には額にあるモノ――額印がくいんを引き剥がし何れも息絶えたそうです」

「ええ――、実に不気味な連中でした」


 当時を思い出したアリスタリフが呟くように告げた。


「おお、何と! 閣下はあの夜会に列席しておられたのか?」

「いえ」


 首を振ったアリスタリフ大将は――当時は中将だったが、晩餐会に招かれた上司エカテリーナに代わり艦隊を預かる立場にあった。


 アリスタリフは小人の死骸を研究機関へ運ぶ際に立ち会ったに過ぎない。


 とはいえ、彼は実物を目にしており、皺だらけの不吉な顔貌は今も脳裏に焼き付いて離れなかった。


「ほほう、何れにしてもこれは奇縁奇遇ですな。――ともあれ、我等ロイドも、化け物の死骸と奇妙な額印がくいんを預かる栄誉を頂戴したのです」


 小人の死骸と額印がくいんは、ベルニク、オソロセア、そしてカドガンの三領邦で分かち合い各々で分析を進めていた。


 当事者とも言えるケルンテンが除外されたのは、領邦間の力関係に拠るのだろう。


「あれの正体が分かったのですか?」


 アリスタリフは興味を惹かれ尋ねた。


 軌道都市で暮らすオビタルには余り馴染みが無いのだが、の風貌は地表世界で単純作業に使役される「タロウポ」なる小人と近い。


 勿論、無害なタロウポは決してサピエンスを襲わないが――。


「遺伝的には地べたを這う下等な小人と変わりません――が、主役は小人では無いのです」


 ハロルドは自身の胸ポケットからチーフを出すかのような仕草で、額印がくいんを取り出し満面の笑みを浮かべた。


「何卒、ご高覧頂きたいショウがありましてな」


 ◇


 敷地内に建設された研究所の様な別棟に入る事が許されたのは、ジャンヌとアルスタリフのみだった。


 晩餐が終わり、各自の従卒は寝室へ案内され、フォックスは挨拶もそぞろにロイド邸を後にしている。


「武名轟く御二方とはいえ、驚かれる事は保証しますぞ!」


 と、ハロルドは上機嫌な様子でメタリックな壁面の通路を歩いていた。 


 彼等以外に人の姿は無いが、日中であれば研究者達が行き交っているのだろう。


「秘中の秘は、ベアトリーチェ――つまりは我が目の届く場所に配しておるのです」


 数多の研究機関を傘下に擁するロイド製薬だったが、ロイド邸の敷地内に存在するベアトリーチェ先端研究所が最も先進的な分野に取り組んでいる。


 古典文明の偉大な詩人が崇拝した少女の名を冠しているのだが、その意図については語られなかった。


「ここです」


 幾つかのセキュリティを抜け辿り着いたのは無菌治療室の様な部屋だった。


 中央を仕切るガラス面が照明の案配で鏡面状態となっており、ハロルド達一行を映し出している。


「灯りを点けるとショックを受ける方もおられるのだが――、ふむ、戦場を巡ってこられた方々ならば些かの問題もないでしょう。ワハハハ」


 心底愉しそうに笑うハロルドが手許を動かすと、ガラス面の向こう側が眩い灯りで照らし出された。


 そこには検死台とおぼしき台があり、台の上には死体であろう男が横たわっている。


「――ん?」


 死体を見て狼狽えた訳ではなく、ジャンヌが不審の声を上げたのは、男のうなじにニューロデバイス痕が無かった為である。


「さすがですな」


 嬉しそうにハロルドが囁いた。


「地を這う古典人類、ようはホモ・サピエンスという次第です。無論――」


 言い訳がましく手を振って付け加えた。


「ロイドは古典人類保護条約は遵守しております。あれなるは、土葬を好む馬鹿共から腐る前に買い付けてきた死体ですからな」


 どうあれ趣味が良いとは思えず、ジャンヌとアリスタリフは押し黙った。


「ククフ、ワハ、しゅ、趣味ではありません。ありませんぞ! 崇高なる研究! 純然たる探求心! ま――ご覧頂けば分かるでしょう」


 ハロルドが壁面パネルを操作すると、検死台側面に設えられた武骨なアームが作動して、物言わぬサピエンスの前頭部に何かを押し付けた。


「これですよ」


 そう言って、掌に載せたくだん額印がくいんをジャンヌ達に見せる。


 サークルに十字が穿たれた硬い表面とは異なり、裏面は細かい突起が軟体生物の様に蠢いていた。


「き、気持ち悪いですな」


 顔をしかめるアリスタリフ同様に、不気味な代物に思わず目を奪われるジャンヌだったが、ガラスが揺れる振動音に素早く反応して身構えた。


「――?」「何!?」


 死んでいたはずのサピエンスが立ち上がって検死台を離れ、必死の形相で超硬ガラスを叩いていたのである。


 ハロルドが持つものと同じ額印がくいんが、男の前頭部に張り付いていた。


 何某かを叫んでいるのだろうが、防音設備の為に一切の声は聞こえてこない。


「素晴らしいのは、これだけではありま――」


 ハロルドが言い終えるより先に検死台のアームが動き、叫ぶ男の後頭部をナノ合金で打ち砕いてしまう。


 飛散した血と脳漿が超硬ガラスを曇らせるが、即座に洗浄されて蘇ったはずの男が再び死んで崩れ落ちる様を明瞭に肉眼で観察できた。


「さあさ、五分ほどお待ちを、ワハワハ」


 ハロルドの狂笑混じりの言葉通り、五分経過した後、頭骨を砕かれたはずの男は絶望的な表情で立ち上がり、決して人力では割り得ないガラスを叩く作業に戻った。


「この不可思議な額印がくいんはホモ・サピエンスにしか使えません。いや、あるいは、その方が好都合かもしれませんな」


 ハロルド・ロイド率いるベアトリーチェ先端研究所は、当然ながらオビタルの検体も使って検証したのである。


「ともあれ、シーフ―、一説にはジョフクとも言うそうですが、不老不死を求めた彼の願いは万の歳月を越えて叶ったのです。そして、我等の願いもまた」


 ロイド家はこれにより更なる発展を遂げねばならない、とハロルドは心に堅く誓っていた。


「不死の兵が、ご入用では?」


---------------------------

★タロウポについて

[乱] 19話 使徒。太郎ぽ。女海賊。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330657921817587


★タロウについて

[乱] 80話 ハンマー。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330663264986799


★偉大な詩人=ダンテ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る