80話 ハンマー。

 ――片目で見ても、やっぱり美味そうだなぁ。


 ミネルヴァ・レギオンの空に浮かぶ雲を見ながら、小柄で凶暴な女が同じ感想を呟いた日の事が脳裏に浮かんだ。


 ――フレイディスより怖いだったな。


 全ての始まりは、お前の母親に会おう――というフリッツの言葉だった。


 トーマスにとって母フレイディスは恐怖の対象でしかなかったが、いずれにしてもフリッツはモルトケ一家を飛び出すつもりなのだと察すると頷くほか無かった。


 フリッツの傍を離れて生きて行くなど不可能と考えていたからだ。トーマスを凍てつく世界から守ってくれたのは、小柄な異母弟のみだったのである。


 だが、クルノフで再び事態は急変した。


 実母の存在を知ったトーマスが最初に感じたのは――、


「トーマス、こんな所に居たのか」

「あ――」


 人工的に造成された丘上の草むらに座り込んでいたトーマスは、慌てて立ち上がって庇護者に対しへつらう態度を見せた。


「だ、旦那」

「――スキピオだと何度言えば――まあ――いい」


 トーマスに婚約者を殺されたセレーナという女が、丘から望める街に暮らしているのだが、スキピオの客人である限り安全が保証されている。


「野暮用をふたつ頼みたい」

「はあ?」


 自分の様な愚図に何が出来るのだろうかとトーマスは思った。


 彼が自任する唯一の得手は、フレイディスから植え付けられた殺人衝動のお陰で躊躇なく他人を殺せる事だけだろう。


 ――卑しくて忌まわしく汚らわしい。

 ――無価値な存在だ。


「生憎、うなじの飾りが無いと目立つ場所なんだ。そんな訳で、お前に仕事を任せたい」

「え――ああ、ニューロデバイスですか」


 実母と会う為に船団国へ――ミネルヴァ・レギオンへ辿り着いたのだが、再び帝国に戻らねばならないのだと理解した。


「そうだ。現地で殺しの手伝いと――」


 トーマスは手伝いではなく実行犯を望んだが、新たな庇護者に対して口答えをする勇気は無かった。


「――墓荒らしをして来い」

「は、墓?」

「詳細は別の者から聞かせる。覚えねばならん事も幾つかあってな」

「――僕――物覚えが悪くて――」


 スキピオは大きな掌で、トーマスの肩を掴んだ。


「お前は特別な男の忘れ形見だ」


 ミネルヴァ・レギオンへ着いて以来、スキピオから何度も聞かされていた。歯抜けの男が、いかに生き、そして死したのかを――。


「性悪女のせいで随分と腑抜けに育ったようだが、俺に任せておけ」


 ルキウス・クィンクティという傑物の息子が、腑抜けであって良いはずがないとスキピオは考えていた。


「本物の男にしてやる。そして、何より――」


 スキピオが瞳を細める。


「アリスに――お前の母と会う為には必要な事だ」


 ◇


 ――この仕事が本当の母さんに会うのと、どう繋がるのか分からないけど……。


 彼は未だ実母アリス・アイヴァースとの再会を果たせていない。

 

 スキピオの言葉を信じるなら、彼女はミネルヴァ・レギオンからも姿を消してしまったのだ。


 ――早く会いたい。そして、


 ワインボトルとグラスを載せたトレイを持ち、トーマスは周囲の好奇を浴びながらロスチスラフの許へ向かう。


 ――殺さないと。


 遠目に様子を見ていたメイド長は、怠け者の新人に大役を任せた馬鹿を見つけ出し喉元を締めてやろうと考えていた。


「まあ、これが噂の――?」


 興味の勝った様子のエカテリーナが、傍に来た給仕の――つまりはトーマスの運ぶトレイからワインボトルとグラスを自ら手に取った。


 珍しく不調法な仕草に、ロスチスラフは片方の眉を上げる。


「確かに年代物ですわ――ヴィンヤードがジマ家の物であった頃に遡れそうなほどに」

「ほう。角邸の逸品が、それほどとは――」

「フフ――。ところで、あなた」


 エカテリーナは薄い笑みを浮かべ、給仕姿のトーマスを見やった。


「は、はい?」

「こちらのワインは、地下のセラーから?」

「そう――です――」

「大階段の裏手から行ける地下のセラーですのね?」


 思わしくない気配を感じていたが、ともあれトーマスは頷いた。


 セラーは地下倉庫にしかないのである。


「――あら――おかしいわ。わたくし、晩餐前にメイド長の許可を頂いて、セラーの見学をさせて頂きましたの」


 成熟した大人の女が小首を傾げるさまは、いっそ可愛らしくもあった。


「こんな年代物は見掛けませんでしたわね」


 そう言ってエカテリーナは、下唇を噛み立ち尽くすホルスト・ジマの卓上へ、年代物を扱うには手荒と言える仕草でボトルを置いた。


「ロスチスラフ侯、御前にて抜剣の許可を」


 宴の主催者たるイェルク子爵に願い出るべき事だったが、この場における力関係を鑑みたか、浅薄な奸臣すら御せぬ男など領主と認めなかったのかもしれない。


「許す」

「我が領邦で無法な真似を――ひ、ひぃっ」


 ホルストの正当にして当然とも言える抗議の声は、エカテリーナの抜いたレイピアの切っ先に遮られた。


 凛とした姿勢で伸びる細剣の先とホルストの頸までの余地は僅かである。


「先に、味見をして頂けないかしら?」


 真偽の程は別として、晩餐会に集う人々は一幕の意味合いを察したのか、固唾を飲んで対峙する二人の様子を窺っている。


 己の家臣を嗜めるべきロスチスラフは静観し、警護兵を呼び事態の収拾を図れるはずのイェルクに至っては狼狽えた声音でこう告げた。

 

「ど、どれ――、私が飲もうではないか」

「子爵、ポロニウムを摂取したなら数週後に――」


 エカテリーナがそう告げた時、トーマスはトレイを放り投げ脱兎の如く駆けだしていた。


 ◇


 ――めがみのたて、めがみのたて、めがみのたて、めがみの……。


 黙したまま、しきりと口を動かすケヴィンを、女帝ウルドは不思議に感じていたが理由を尋ねはしなかった。

 危地に入る際に行う兵士のまじないと解釈した故である。


 ――主人に従い殊勝な事よ。


 ウルドは唇の端を上げた。


 中央管区艦隊は鋒矢ほうしの様な陣形を組み、巨大なレギオン旗艦へ向かって亜光速で駆けている。

 本来なら後衛に位置すべき旗艦を鋒矢ほうしの先端としていた。


 壊滅状態とされた聖骸布艦隊の陥った距離へ自ら飛び込んで行くのである。


 とはいえ船団国艦隊は著しく損耗している上、尚も無慈悲な砲撃を続ける少女艦隊へリソースも割かれていた。

 結果としてレギオン旗艦までの道程は無風地帯とはなっている。


 だが――、


「レギオン旗艦まで、相対距離七光秒」


 白光を浴びる危険性は減じていない。


 ブリッジモニタでは確認できないが、レギオン旗艦腹部に備える巨大な砲門が回頭し迫り来る中央管区艦隊へ照準を合わせた。


「高エネルギー反応。つ、対消滅波射出を確認」


 オペレータの報告に、ブリッジに緊張が走った。


 ――めがみのたて、めがみのたて、めがみのたて、めがみの……。


「ね、猫様」

「なぁに? ケヴィンのおじさまっ」


 家庭内における序列は相変わらず最底辺だったのだが、ケヴィン・カウフマンは女帝と女神に名を刻んだ男である。


 ――めがみのたて、めがみのたて、めがみのたて、めがみの……。


「めがみのたて」


 オビタルには実に発話し難い音節を、トールから教えられたままに発した。


「了解――んん、よいしょおっ!」


 みゆうは明るく応え、旗艦トールハンマーとリンクモノリスで繋がれた中央管区艦隊をアンチフェノメンシールドで覆ってゆく。


 こうして、全ての事象をキャンセルする膜に護られた中央管区艦隊は、外部からは存在を検知し得ない状態で五光秒から四光秒の範囲を駆け抜けた。


「――相対距離、三光秒」

「もう無理ぃぃぃ」


 白光の安全圏に入り、みゆうが疲労の声を漏らす。


 彼等を覆っていたアンチフェノメンシールドが解除されると、再び中央管区艦隊は認知可能な事象面に艦影を表出させた。


 だが、ケヴィンには無事を祝ういとまなど無い。


 ――めがみのつち、めがみのつち、めがみのつち、めがみの……。


 女神のつち、またはトールハンマーでも良いですけど、アハ――と、トールは少しばかり照れた表情でケヴィンに伝えていた。


「相対距離0.5光秒地点より減速し、高速ドライブで――」


 レギオン旗艦の弱点は明らかである。


「貝殻中央へ向かう」


 らむだと名乗った巨人の座する待針だ。


 ――女神のつちで打ち砕いちゃって下さい。


 旗艦トールハンマーに超近接戦闘を要求する男は、さらにケヴィンを怯えさせるひと言を付け加えていた。


 ――ホントは、ボクがやりたかったんですけど。


 ◇


 待て、などと無駄な言葉は発さず、エカテリーナは逃げるトーマスの後を追った。


 ――意外に早いですわ。


 見た目と異なり俊敏なトーマスは、抑え込もうとする使用人達の脇を抜けて、大階段を駆け下りていく。


 彼が秘していたのは逃げ足の早さだけではない。


 階段下で待ち構えていた警護兵数名に対しては、手元に隠していた小ぶりのつちで容赦なく側頭部を打ち抜いている。


 ――上手く冴えない給仕を演じていましたのね。


 ホルストから関係性を疑われない実行犯の存在は匂わされていたが、当然ながら誰がとは聞かされていない。

 事が露見した場合に備え、ホルスト自身も知らなかっただろう。


 人影の少なくなったエントランスホールの先には巨大な二枚扉があり、その手前で多数の警護兵が居並んで刀剣を抜いていた。


 不審者の一人如きを取り逃がしてしまっては、彼等も立つ瀬が無くなる。


 追うエカテリーナと警護兵に挟撃される恰好となったトーマスだが、脇目も振らず二枚扉を目指していた。


「囲みなさいッ!!」


 と、エカテリーナが警護兵に激を飛ばすと同時、ウオオオオンという狼の様な遠吠えが辺りに響き渡り二枚扉が外より押し広げられた。


 ――子供――いや違う。


 扉の向こうには、手に槍の様な武器を持つ小人が並んでいた。


 成人の半分ほどの身の丈しかないのだが、皺だらけの顔貌がんぼうが少年ではない事を示している。


 ――不吉な。


 エカテリーナがそう感じたのは、彼等の額にグノーシス――円環に覆われた十字が穿たれていたからだ。


「た、助けて、タロウ!」


 トーマスが叫ぶ。


「ウオオオオン!」


 皺だらけの小人達が、槍を振り上げ警護兵達へ背後から襲い掛かった。トーマスに気を取られていた無防備な彼らの背に穂先が突き立てられていく。


「後ろもいるぞッ!」

「な、何、どこから――」

「化け物だ」

「糞、糞」


 怒号と剣戟の飛び交う乱戦となり、間隙を衝いたトーマスが二枚扉から外へ出る。


 逃亡を助ける為か否か、一匹の小人が戦列を離れ彼の後を追う。


 後一歩と言うところで小人と警護兵に阻まれたエカテリーナは、悔しそうにレイピアを突きながら走り去る男の後ろ姿を見送った。


 ◇


「はぁはぁはぁ――ふうぅぅ」


 小人出現で混乱している「黄金の角」邸を離れ、人影のない路地に辿り着いたトーマスは大きく息を吐いた。


 ここから先の脱出経路は、協力者が来るのを待つ必要がある。


 ――あっと、その前に。


 傍で自分を見上げる小人の存在を思い出した。


「助かったよ、タロウ。有難う」

「――こ、これは――タロウ」

「うん、よしよし。いい子だね」


 何を言っているのかトーマスには分からないが、皺だらけの顔貌がんぼうが彼には好ましく映っていた。

 

 故に、胸が痛む。


「ちょっと、痛いけど我慢してね」


 そう言ってトーマスは手に持っていたつちを振り上げる。


「ゴメンよ」


 呟くように告げて小人の脳天につちを振り下ろすと、飛び散る鮮血と脳漿が真新しい給仕服に奇妙な紋様を描いた。


「大切な事なんだ」

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