79話 毒宴。

 トール率いるベルニク艦隊が聖都宙域にて交戦に入った頃、イェルク・ケルンテン子爵が主催する晩餐会の刻限も迫っていた。


 ズラトロクの「黄金の角」邸へは続々と招待客が訪れ始めており、エントランスホールは晩餐前の社交場となっている。


 グラスを載せたトレイを持つ使用人達が動き回り、晩餐会に先んじて既に顔を赤らめている気の早い者もいた。


 かようにして、緊張高まる前線とは思えぬ賑わいを呈していたが、連合艦隊首脳陣の多くが礼装ではなく常装という点に幾分かの緊張感を残していた。


「これはこれは、ロスチスラフ侯」


 最高位となる賓客に気付いたホルスト・ジマは、年齢を感じさせない脚運びで人垣を縫ってロスチスラフへと近付いた。


「む?――おお、ホルスト殿ではないか」


 かねてより虫の好かぬ男と思い、尚且つドミトリから不穏な報告も受けている相手とはいえ、内心を露とも感じさせぬ老獪さをロスチスラフは備えている。


「此度の宴、全ては其方の差配とイェルク子爵より聞いた。旧帝都における情報共有だけでなく、招かれざる客人である我等とケルンテンのよしみを図らんとする老臣の手練れた機微機略、実に感じ入った次第である」 


 トール・ベルニクが傍に居合わせたなら、端的実利を好むロスチスラフの珍しい長広舌に吹き出したかもしれなかったが――。


「さ、左様でございます。ともあれ、今宵の宴は我がケルンテンの総力を上げ、厚く皆様方をもてなさせて頂きますぞ――あ、これ給仕」


 ホルストが自身の脇を通りかかった給仕を呼び止めると、驚いた給仕は思わずトレイを床に取り落としそうになった。


「あわわっ――あ――ふう――な、なんですか?」


 失態を免れ安堵の息を吐いた後、給仕は覇気に欠けた応えを返した。


 真新しい給仕帽から零れる長い髪の毛が、男の目元を隠すかのようにして覆っており、およそ給仕らしからぬ風体と物腰である。


 ――まさか、コイツではなかろうな……。


 些か不安な思いで冴えない男の風貌を見やった。


 先般の密議でフォルツ領代官ウォルフガングから唆されたホルストだったが、彼に大きな一歩を踏み出させたのはエカテリーナ出生の秘事ではない。


 簒奪者ロスチスラフに怨恨を抱くはずのエカテリーナを取り込み、彼女にオソロセアを奪還させ自身も大邦の重臣として取り立てられる――。


 魅力的な計画ではあったのだが、実行犯の手配は難事となるだろう。


 事の成否は二の次としても、己との接点が決して浮かばぬ駒を用意しなければならないのだ。


 だが、悩むホルストの耳元へ、ウォルフガングはさらに囁いた。


 ――船団国が協力する。

 ――ま、真ですか?


 聖都アヴィニョン奪還でも協力体制にあると聞かされ、ホルストは三度みたびも驚かされている。


 ともあれ、彼が為すべき事は限られた。


 ウォルフガングからの手土産とされる巨大なコンテナを、フォルツ詣で帰りにズラトロクへ降ろし、後の差配は現地化しているフォルツの長手が行えば良い。


 コンテナに潜んでいたであろう男の身許を詐称し、息のかかった斡旋業者を通して晩餐会の使用人として臨時雇用させるのだ。


 残るホルストの役割は執行のを下すだけだったが、これすらも彼は回避したいと考えていた。


 ホルストに執行の是非を決めさせるのは、現地の状況次第で中止する為などではなく、謀略の最終責任を彼に負わさる企図と分かっていたからである。


 責任回避を旨として生き抜いて来た男としては実に宜しくない。


 ――ま、それも解決済みだ。


「あ、あの――?」


 己を剣呑な眼差しで睨み続けるホルストに、給仕は怯えた様子を見せていた。


「ふん」


 ホルストは、給仕を蔑むかのように鼻を鳴らした。


 ――使い捨ての駒の事など、どうでも良いか。


 成功したなら権力の階段を登り、仕損じたとしても現状を維持するに過ぎない。


「グラスを」


 給仕の持つトレイの上には、ワイングラスとボトルが載せられている。


「ズラトロクに参られたなら、是が非もコヴェナントを味わって頂きませんと」

「――」


 手渡されたグラスを受け取ったロスチスラフは僅かに目を細めた。


 それを肯定と解したホルストは、間抜けそうな給仕のトレイからボトルを掴み取り、自身とロスチスラフのグラスへ手ずから朱色の液体を注いだ。


 香りを味わう仕草を見せた後、ホルストは一息にワインをあおる。


「この邸には――」


 そう言いながらグラスを給仕に渡し、せわしく右手を振り追い払った。


「特別な年代物を蔵しているそうでして」

「ほう?」

「あまりに貴重な品で一度も開けた事は無いそうですが、さすがに侯ほどの賓客へは供されるやしれません」

「それは光栄だ――が、そうとなれば是非とも子爵と相伴に致そう」

「え――」


 暫し逡巡したが、ホルストは直ぐに結論を下した。


「実に宜しいですな。ご高配痛み入ります」

「うむ、とはいえ二人と言うのも寂しい。ここは立役者たる其方にも――」

「お、おっと!」


 奇妙な方向へ話が至る前にと考えたのか、ホルストはピシャリと音を立て己の額を左手で強く打った。


「そ、そういえば、見目麗しき提督の姿をお見受けしませんな? 今宵の大輪と期待する者も多く、かく言う私とて年甲斐もなく心躍っておるのです、ハハ」

「エカテリーナか。先に参ると言っておったが――」


 ロスチスラフが周囲を見回すと、頃合いを図ったかのように大階段の裏手から当のエカテリーナが姿を現した。


 今宵の大輪――などと賛美されるに相応しい輝きを放っているとはいえ、常より険しい表情ではあっただろう。


「もう、来ておったのか」

「そのようですな」


 瞬く間に人の輪に覆われていく美しい女を遠目に眺め、ようやくロスチスラフはグラスに口を付けた。


 ――やはり、今宵の宴は興が乗らんな。


 浅いはかりごとを巡らす目前の男にではなく、ロスチスラフの焦燥は別のところにあった。


 ――無事でおるのか……。


 遥か離れた遠い星系で戦う男と、数刻前より連絡が途絶えているのだ。


 ◇


 ホルスト・ジマは権力を愛するが、その代償を負う事は殊更に嫌う男である。


 ――ふうむ――動かぬな。


 長テーブルの中央に領主イェルク子爵とロスチスラフが対面で座していた。


 物見遊山に等しいイェルクの旧帝都四方山話は早々に終わり、晩餐会における目下の話題はベルニク艦隊の動きへと移っている。


 実際の状況をウォルフガングから伝え聞いているホルストは、ロスチスラフの隣に座るエカテリーナが重要な情報を巧みに隠しイェルクに話していると分かった。


 ――やはり、もう一押し必要か。


 ホルストは号を下す責任を回避する為、ウォルフガングを通じ船団国側へある提案をしていたのだ。


 彼ではなくエカテリーナが、つまりはボリス・オソロセア大公の忘れ形見より発するのが筋ではないか――と。


 エカテリーナの説得は任せてくれと胸を張ったホルストは、ベルニク艦隊の動きに合わせ晩餐会の日程も調整をしてきた。


「コホンコホン――そ、そのベルニク艦隊の件ですが――」


 聖都における戦いの帰趨を論ずる会話へ、ホルストは一石を投じておく事にした。


「どうにも、最前から連絡がつかぬそうですな」

「ほう? ホルスト殿もご存じだったのか」


 晩餐会が始まって以来、初めてロスチスラフの瞳に興味が宿った。


「私は伝え聞いたに過ぎませんので――」


 そう彼が告げた時、晩餐会場へ慌てた様子でイェルクの近習達が駆け込んで来た。 

 

 ホルストは彼等の顔ぶれを確認し、テーブル下に潜ませた拳を強く握る。


「い、一大事でございます」


 イェルクの傍で耳打ちする余裕も無いのか、近習は周囲にも聞こえる声音で重用事を告げた。


「ベルニク艦隊大敗との報が帝都より――その――いえ、旧帝都より」

「な、なんとっ!?」

「まさか」

「せ、聖下は? い、いや、陛下はご無事なのか?」


 瞬く間に周囲へ喧噪が拡がってゆく。


「仔細は不明なのですが、旧帝都の確かな筋より入った情報に御座います」

「だから、連絡が途絶えているのか――」

「さすがの英雄伯でも、やはり無謀が過ぎたのだ」

「で、では、我等は?」


 ホルストにとって心地の良い悲鳴だったが、愉悦に身を任せている場合ではない。


 ――さあ、動いてくれ。我が愛しの姫君よ。


 最後の一押しの為に、誤報となるやもしれぬ虚報を用意したのである。


 ――かねて伝えておいた通りベルニクとの通信は途絶え、そして敗北したのだ。

 ――今こそ号を発し仇敵の命と邦を奪い、私の導きでフォルツと和して同じ旗の許へ集おうではないかっ!!


 祈るような万感の願いを、天が聞き入れたのかもしれない。


 腕を組み微動だにしないロスチスラフの隣で、エカテリーナ・ロマノフが立ち上がったのだ。


「皆様方、お静かに」


 凛として艶のある声音が響く。


 聞く者によっては、高慢の色を感じ取るだろう。


「不敗の将など古来より存在しませんわ」


 そうだそうだと唱和したい思いをホルストは堪えた。


「報告の真偽は不確かなれど――真なれば、まずは死者を悼むべきでしょう。どうあっても伯は英雄だったのですから」

「エカ――」

「侯。お気持ちは、分かっております。ですから、まずは――」


 ロスチスラフの言葉を遮ったエカテリーナは、曇りの無い瞳でひたとホルストを見据えた。


「邸に大層貴重なコヴェナントを蔵されているとか?」


 ――我が事――成れり!


 歓喜の余り言葉が出ないホルストは、黙って何度も頸を縦に振った。


「英雄を悼む為にも供して頂く事は可能かしら? せめて今宵、わたくしあるじロスチスラフ侯にだけは――侯の友柄だったのですもの」


 情感込めた言葉の後に、エカテリーナは静かに瞳を閉じる。


 静まり返った晩餐会場で、ホルストが椅子を引く音は奇妙に大きく響いた。


「ご、御座いますとも」


 そんなモノが有ったのか、という表情をイェルク子爵は浮かべている。


「では、所望しますわ。黄金の角邸に蔵された特別なコヴェナントを」


 かくして、エカテリーナ・ロマノフを名乗り、かつてはエリザヴェータ・オソロセアであった女によりは下された。

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