78話 退かぬ女。

 五万隻の少女艦隊は全速前進──光速度の九十パーセントという最大戦速で機動していた。


「敵両翼、散開機動」

「高エネルギー反応有り。応射不要指示継続」


 鶴翼の中央に対して脇目も振らず突進を開始した少女艦隊に対し、船団国側は定石通り天地両翼から半包囲する艦隊運動を行いながら荷電粒子砲を浴びせ続けている。


 これに対し少女艦隊は一切の応射を行っていない。


 敵本陣後方へ速やかに回り込む事を最優先した為だ。


「レギオン旗艦と交差まで十秒」

「相対距離六光秒を保ちつつ、敵旗艦下方を迂回。後方十五光秒地点にて減速、反転」


 白光の射程圏外から後方へ回り込み減速反転する──という曲技じみた機動を要求された少女シリーズから不満の声は上がらない。


 自我を代償として得た空間認識能力と、階層モデルに基づくヘッドシップ制御による連携機動は、五万隻の艦艇を一個の巨大な艦船と化させているのだ。


 とはいえ、敵陣只中にあって無傷で済むはずもない。


「後方左側面第545小隊、損耗率五パーセント超過」


 少女艦隊は五個師団編成で、最小単位は小隊百隻である。各階層のヘッドシップが隷下制御を担っている。


「第510、511小隊、超弦ネットワーク切断を確認」


 オペレータを担当する少女Cから告げられる多数の報告が意味するところは、少女シリーズは十四万四千人ではなくなったという事実である。


「先鋒右翼第121小隊、第122小隊──否、第二中隊損耗率二パーセント超過」

「全体損耗率は許容範囲。応射不要指示を継続」


 撃たれ放題の為、次々と被害状況が上がってきた後──、


「──交差!」


 ともあれ、少女艦隊は敵本陣を駆け抜けたのである。


「敵、回頭機動を確認」


 常識外の高速機動で背後を取られた船団国艦隊は、中央管区艦隊を捨て置き回頭せざるを得ない。


 彼等がレオと交わした取引の代価はベルニクの足止めを図る事にあったのだ。


「ここまでは期待通りです。減速前にデコイを」

「デコイ射出」


 艦艇腹部より射出されたデコイは少女艦隊の慣性系から外れ主観的には後方へと過ぎ去っていく。


「馬の尾に到達。減速、回頭」


 レギオン旗艦後方より相対距離十五光秒地点に到達した少女艦隊は当初予定通りの機動に入った。


 最終目的地である聖都まで残り僅かだが、ベルニクの誇るケルベロス達を地上へ解き放つ前に、後顧の憂いを絶っておかねばならない。


「敵、接近中。相対距離十四光秒」

「まだ──まだですよ」


 船団国艦隊は迅速な回頭機動を行いつつ、鶴翼から横陣へと陣形を移行させている。


「スキピオ氏は、撃ち合いをしたいようです」


 白光の圏内に誘い込むのを諦め、火力勝負に持ち込むつもりなのだ。


「愚か」


 と、少女Aは呟いた。


 これまで少女艦隊は、アラゴン艦隊との戦闘時を含め、その火力性能を存分に発揮していない。


 戦略戦術上の必要が無かったに過ぎないが、期せずして敵に攻撃力を侮らせる効果を生んでいた。


「相対距離六光秒以遠を保ちつつ、聖都近傍まで後退」

 

 さらに船団国にとって不運だったのは、EPR通信の妨害が少女艦隊の機動に何の影響も与えていなかったにも関わらず、相手が火力に押されてじりじりと後退しているように見えたのだ。


「さあ、来ましたよ」


 少女艦隊と聖都までの距離は既に一光秒を切っていた。


 ──倫理的にはどうかと思うけど……。


 聖都アヴィニョンを後背に置くことで、レギオン旗艦に白光を放たせないつもりなのである。


 ──お仲間が聖都にいる限り、プレゼピオみたいな始末の付け方は無理なはず……。


 狂人とはいえ、レオ・セントロマが愛する聖都を灰燼に帰す取引をする可能性は低い。


「いよいよ少女艦隊の本気を見せて頂く刻が来ました!」

「ふむ。アウトサイダーは容易に墜ちないだろうが、他は並の剛性と分かった」

「そうですか」

「ふむ。弱者の殲滅こそが、我の得手である」

「──そうですか」


 少女Aの言動は威勢が良いのか否かトールには判断がつかない。


「我等の戦い方で良いな?」

「はい」


 スキピオがレオとの取引を諦め、宙域から撤退する気になる程度の損耗を与れば良かった。


 但し、レギオン旗艦が引く気配を見せなければ中央管区艦隊を突出させ、トールハンマーの盾で白光を防ぎつつ決戦兵器が使用可能となる超近接戦闘に持ち込まなければならない。


 リスクを考えると、トールとしては極力避けたい状況である。

 

「全艦に告ぐ」


 と、トールの傍に立つ少女Aが号令を放った。


「速やかに散開し全艦艇の射線を空けよ。但し、軌道都市より一光秒以遠へ出る事は禁ず」


 レギオン旗艦の白光を抑止するには、常に聖都を背に機動しなければならない。

 

「まずは弱者を狩る」


 号令一下、モニタ上に写る小隊配置図は次々と更新されていった。船団国側から見ると陣立てもせず宙域を右往左往してるだけに見えたかもしれない。


「敵、相対距離十光秒」


 この報告が合図となった。


げ」


 少女Aが呟くように告げた瞬間、トールが思わず目頭を覆う程の光がブリッジモニタを燦爛さんらんと輝かせたのだ。


「うはっ」


 五万隻の艦艇が備える全砲門から射出された荷電粒子の放つ光量は、映像処理の不具合ではないかと思わせる程の眩い輝度となった。


 少女艦隊の荷電粒子砲は、水平垂直角度を微細に変化させて数回の連射が可能な為、真昼のような映像効果を産み出したのである。


 少女艦隊は逃げ足が速いだけの艦隊どころか、オビタルのテクノロジーを遥かに上回る存在であると認識を改めざるを得なかった。


 この時点で、船団国側の損耗率は二十パーセントを超えていたのだ。

 

 指揮官が撤退を判断するに十分な数字である。


「レギオン旗艦は?」

「変化はない」


 いかなる状況であれ、少女シリーズは殺害の手を緩めない。


「ブランチDは出撃準備を」


 エンズヴィル型母艦に搭載された攻撃機を投入するのである。


 攻撃機を操る少女D達に与えられた任務は至極単純だった。


「敵左翼方向で救命艇の射出が多数観測されている」


 逃走を図る敵兵を駆逐するのである。


「掃除の時間だ」


 レギオン旗艦は一切の損耗を受けていないが、全体として見れば一方的な戦況となっていた。


 ──何だって、スキピオ氏は撤退しないんだ?


 トールには理解が出来なかった。


 これだけの損耗を許容してでも手に入れるべき対価を、レオ・セントロマが持ち合わせていると思えなかったからである。


「こうなると、本丸を叩く必要があるかもしれません。──けど、レギオン旗艦 の相手はやはり厳しいですか?」

「無理とは言わんが時を要する。重力場シールドを無限に生成し得る相手だ」


 アレクサンデル救出を目的とするトールに残された猶予は僅かである。


「──現在の敵損耗率は?」

「三十パーセントを超えた」


 もはや、全滅と言って良い。


 ──それでも、退かないのか……。

 ──極力避けたかったけど──しかし──いや──。


 土壇場で、トールは逡巡する。


 << 何を躊躇う? >>


「はい?」


 左右に首を振ると訝し気な表情の少女Aと目が合った。


「い、いえ、別に」


 << 陛下? >>

 << うむ。其方そなたの想いが丸聞こえであったな。>>

 << えっ!? 伝えようと思わなくても伝わるんですか? >>

 << なかなか便──い、いや、不便じゃな、ホホホ >>


 おかしいな、とトールは首を捻った。


 自分に知らされていない機能があるのではないかと右手の薬指を再度眺めてみる。


 << ──断じて無いぞ >>


 トールは苦笑を浮かべたが、すぐに気持ちを切り替えた。


 << ボクだけでは駄目だったようです。>>

 << うむ。>>

 << ケヴィン中将に、"ハンマーを欲す"──と伝えて下さい。>>


 これが、トールハンマー隷下中央管区艦隊に対し、超近接戦闘への移行を促す符牒である。


 << その後、陛下は別の── >>


 と、伝令役を終えたウルドを安全圏へ移動させようとしたのだが、彼女の強い想念により遮られた。


 << 笑止! >>

 << ……!? >>

 << 余は生きたいように生き、そして死ぬ。>>


 出窓を蹴り上げて自由を得た時から決めていたのだ。


 << 余は退かぬ。二度は言うな、トール・ベルニク。>>


 トールは右の掌を大きく拡げ──、


 << 分かりました。>>


 強く握った。


 << 待ってますっ!! >>


 ◇


「待っておれ」

「はっ!!」


 唐突に語気強く発せられた女帝ウルドの言葉に、ケヴィンは慌てて背筋を伸ばした。


「落ち着け。貴様の主人より連絡があった」

「か、閣下からですな?」


 女帝を伝令役に使う不心得者と言い換えても良い。


「"ハンマーを欲す"」

「で、では、陛下は別の──」

「えい、くぞッ!! ケヴィン・カウフマン」


 初めて己の名を呼ばれたと気付き、ケヴィンはその栄誉に胸を打たれたのだが──、


「余は功を所望じゃ。尻を巻いて興を削いでくれるな、ククク」


 不気味な笑声を聞くと直ぐに感動は去った。

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