77話 全速前進!
「せ、聖下?」
執務室に入った主席書記官は、アレクサンデルの出で立ちに度肝を抜かれた。
「いったい、何を?」
教皇は聖職衣の上から強化外骨格型パワードスーツを装着し、身の丈はあろうかという巨大な
なお、強化外骨格型は軍の揚陸部隊が採用する重装甲型とは異なり、全身をナノ合金で覆っている訳では無いので露出面が多く防御性能には劣る。
とはいえ、対数フィードバックとモーションアシスト機能を備え、いかなる体型であってもアジャストし易いという利点が有った。
その為、民間人を取り締まる治安機構の特殊部隊や、聖兵及び天秤衆でも一部の部隊が採用している。
彼等は揚陸部隊の如く防御性能に重きを置く必要が無かったのだ。
「五万余匹の蠅が来た」
聖都の天蓋部ゲートは侵入口を穿たれ、艦尾に天秤の
既に天秤衆を乗せた輸送機が教皇宮殿へと向かっているとの報告も受けていた。
イリアム宮と同じく防空システムを備えている為、敷地内に空から入り込まれる恐れはないが、
聖兵は教皇宮殿の守勢として残っていたが、他方で天秤船の数を伝え聞いた契約兵は一斉に姿をくらませてしまったのである。
照射モニタとEPR通信が使えないという状況が、彼等の不安と焦燥をより一層に大きくしたのだ。
外部情報による検証の不可能な流言飛語は、聞く者の合理ではなく情理に強く訴えかける。
「対する我等の手勢は五千。さらには頼みとする童子の状況も分からぬ」
こちらに向かっているとは承知していたが、EPR通信を阻害された艦隊の脆さをアレクサンデルは理解していた。
――可能ならば、もはや退き返せと伝えたいところだが……。
教皇の身柄を確保する政治的重要性については、トールとアレクサンデルの見解は完全に一致している。
さらに、復活派勢力の実質的な首魁がレオとなった事で、その重要性は益々と高まっていた。
――だが、死地に赴いてまで拾うべき
宗教的優位性が保てなくなる点は痛手となるが、失地を回復する術は他にもあるとアレクサンデルは考えていた。
――女神を畏れぬ童子ならば、異なるイデオロギー、あるいはシステムを知ろ示せるやもしれぬ。
権力の執行に正統性を持たせ、尚且つ軌道人類の人心をまとめ得る、新たな共同幻想を産み出せば良いのである。
女神と聖教会に拘泥する必要もあるまいと、希代の悪漢教皇は秘かに考えていた。
――さらなる血は流れようが……。
――古来、始祖より我等はかように相争って来たのだ。
とはいえ、彼は生き延びるのを諦めた訳ではない。
――女を抱き足りぬっ!!
「故、我は
そう言ってアレクサンデルは、野太い風切り音を鳴らし
◇
木造を指向したプロヴァンス女子修道院とは異なり、教皇宮殿は石造りの趣向を凝らしていた為、遠目に眺めたなら宮というより城塞めいた印象を抱かせる。
実際に、敷地の全周が高い塀で囲われていた。
その塀を超えて侵入した航空機は、張り巡らされた防空システムによって慣性制御を狂わされ敢え無く墜落の憂き目に遇うだろう。
だが――、
「全ての――七つの門前に天秤を置き、正門前のセントカロリーナ広場にも部隊を配置しております」
船団国の通信妨害により照射モニタを使えず、ガブリエル・ギーは急遽用意させた紙面の地図を指差しながら状況をレオに説明していた。
「アヴィニョン大通りも手勢で埋め尽くしておりますので――」
教皇アレクサンデルに逃げ場は無いのである。
制宙権を奪われた今、例え空を駆け宇宙港に辿り着いたとしても、彼を待つのは無慈悲な船団国の砲門のみだった。
「実に順調だ」
レオは機嫌良く応えた。
彼の座する場所は、教皇宮殿とは目鼻の先に建つ聖堂である。
観光客にも人気のある見晴らし良い尖塔を備えており、上からはセントカロリーナ広場と大通りの様子を見渡せた。
ガブリエルの言う通り、数多の天秤衆が周囲を埋め尽くしている様子が確認でき、レオは満足した面持ちを浮かべている。
無論、実際の戦闘に加わるつもりなど無いのだが、アレクサンデルを捕らえ次第に生きたまま連れて来るよう指示をしていた。
――プロヴァンスの意趣返しが必要となる。
天秤の母カミーユ・メルセンヌは、教皇自らが振るう
壁際に立てかけた短柄のモルゲンステルンは、球状から伸びる不気味な突起が確実に相手の脳天に穴を穿つに違いない。
――これにて、天秤共の溜飲も下がろう。
何より自分自身が、アレクサンデルの崩れ落ちる様を見たいと思っていた。
「して、
「今暫し――」
ガブリエルが応えながらセントカロリーナ広場へ目をやると、漆黒の装甲型パワードスーツを纏う集団がアヴィニョン大通りより入って来るところだった。
彼等の上半身は、ナノ合金製の拘束具で自由を奪われた状態にある。
「――いえ――ようやく、全ての駒が揃ったようです」
尖塔まで響く忠実で思慮深い奴隷級の獣じみた咆哮は、枷からの解放を乞うかの様な媚びが不気味に入り混じっていた。
◇
「敵艦隊、相対位置に変化ありません」
遠距離索敵網及び熱源探査の結果を照合し続けており、リアルタイム性に欠けるがトールは船団国艦隊の位置を把握していた。
聖都より二十光秒地点に異質な大質量体が構えているのだ。
とはいえ、周辺天体への影響は観測されておらず、質量体が生み出す万有引力はダイソン球によって何らかの制御をされていると推察される。
――マグダレナが孤児だったのは、それが原因なのかもなぁ。
従属惑星を持たない恒星マグダレナは、星間空間を慣性に従って孤独に奔り続けていたのである。
――けど、マグダレナっていう音の響き的には皮肉だよね……。
だが、
「二十光秒か――やっぱり、EPR通信の妨害範囲が拡くなってますね」
聖都との通信は相変わらず途絶しており、二十光秒というレギオン旗艦の位置情報に基ずくなら、そう結論付けざるを得ない。
「厄介な話です」
そう言って、ケヴィンは顔を
荷電粒子砲の有効射程範囲は約二十光秒である為、艦隊戦においてはどうあっても接近しなければならない距離なのだ。
「敵の布陣は?」
少女Aがトールに尋ねた。
敵の艦形が因縁あるアウトサイダーと一致すると知って以来、少女シリーズの中で最も好戦的な性向を持つ少女Aは、今回の戦いに対して積極的な姿勢を見せている。
「レギオン旗艦を中心に、他の艦艇は扇状に展開しています。ええと、古風に言えば少しばかり立体的な鶴翼の陣ってやつですかね」
射線の確保という横陣の利点を持たせつつ、敵を半包囲し得るという布陣である。
とはいえ、陣形を機能させるには高度な練度と連携が要求される上に、中央の本陣を衝かれるリスクと隣り合わせになるだろう。
「但し、今回の場合は、そのリスクこそが聖骸布艦隊の敗北を招いたのだと思います」
EPR通信を遮断された聖骸布艦隊は混乱の中にあって、高度な連携機動は諦めてレギオン旗艦を狙った一点突破を図った。
半包囲しようとする敵艦隊の機動も、それを促したはずである。
だが、結果として対消滅を産み出す白光の射程範囲――四光秒から五光秒範囲へと聖骸布艦隊は誘い込まれてしまったのだ。
「EPR通信の妨害と同じく白光も――」
「いえ、そっちの範囲は、前回と変わらないはずです」
白光の有効射程範囲はマグダレナの生み出す膨大なエネルギーとは関係が無く、反粒子を内包する対消滅保護膜の維持時間に依存している為である。
「ですから、そこまで怖れる必要もありません。それに――、今回だけは使わせない事だって可能かもしれないですよ」
「――え?」
「首船プレゼピオの様には出来ないって事です」
驚いた様子のケヴィンに対し、幾分か不器用にトールは片目を閉じた。
「ともあれ、ボクは――少女艦隊が先行しますから、合図をするまで中央管区艦隊は二十光秒付近で待機してて下さいね」
「合図と言われましても――いや――そうか」
少女艦隊が先行したならトールとのEPR通信が行えなくなる、とケヴィンは言いたかったのだが、言葉の途中でトールとウルドが結んだと言う謎の契約を思い起こした。
――運命共同体契約関係。
――聞いた事も無いし、信じ難い内容だ。
当のウルドは落ち着き払った表情で、旗艦トールハンマーの艦長席に座していた。
隣に立つケヴィンは乗馬服姿の女帝を見る度に、尻を鞭で
――だが結局、あの時も閣下は全てをひっくり返された。
――やはり、今回も……。
「うむ、相分かった」
ウルドが重々しく頷くと同時、オペレータが報告を上げる。
「敵、二十光秒付近まで、残り三百秒を切りました」
「そろそろですね」
これから戦場で命のやり取りをするのだと理解していながらも、弾む気持ちをトールは抑える事ができなかった。
――ついに――あれを言う時が来たぞ!
「少女艦隊、全艦――」
トールの唇の端が少し緩んだのを、ウルドは見逃さなかった。
「全速前進っ!!」
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