76話 信ずるものは異なれど。

「美しい」


 船窓から肉眼で目視可能となった聖都を眺めるレオ・セントロマは、天秤船に用意させた己の居室で食事を愉しんでいた。

 

 病床より戻って以降の彼は、味覚を完全に喪失しているにも関わらず、かつてとは比較にならない程に食欲が旺盛となっている。


 尚且つ、手中に落ちる寸前の果実を眺めながら、血の滴る特製レア肉を頬張り咀嚼するのは実に心地が良い。


 イリアム宮にて吉報を待つよう天秤衆総代ガブリエル・ギーより進言されていたのだが、教皇自ら出征という無理を通した甲斐は有ったとレオは感じていた。


「聖下」


 そのガブリエルが、めしいているとは感じさせぬ機敏さでレオの居室を訪れた。


「誰も通すなとは、お前も含まれるのだが――ともあれ、如何したのだ?」


 至福の刻が妨げられたとの不快さを声音に滲ませつつも、口許を拭った白地の布が朱色に染まったのを見て取ると自然な笑みが浮かんだ。


「凶報が二つ御座います故、急ぎ」


 話を続けるよう促すかの如く、レオは鷹揚に頷いた。


「まず、銀獅子が動かぬ――などと勝手な事を申しております」

「ベルニク!」


 名を口にするだけでも忌々しい。


 クルノフにて天秤衆を一方的に殺戮したうえ、プロヴァンスを燃やしたアレクサンデルを救おうとしているのである。


 ――よもや、女帝まで伴うとは……。


 結果、銀獅子艦隊の腰を重くしてしまった。


 妥協を重ねて結んだ船団国との盟約が無ければ、アレクサンデルの頸を刎ね聖都を奪う計画は頓挫していた可能性が高い。


「女神ラムダへ捧げる信仰ではなく、度し難き愚かな女帝への忠心がまさったのだな」


 レオは心底からの呆れを感じており、女帝を伴うだけで砲門を開けぬと泣き言を吐く艦隊など無用と決した。


 ――帝都へ戻り次第、あれらを解体せねばならぬ。

 ――数多の艦艇や設備は天秤とファーレンへ分け与えれば良かろう。


「次に、そのベルニクですが――エステルポータルを抜けた模様です」


 つまりは、聖都の巡る星系に至ったのである。


「噂に違わず早いな――が」


 船窓を再び覗くと、聖都の姿はさらに大きくなっていた。


 数刻もしたなら天蓋ゲートをこじ開け、五万余に及ぶ天秤衆が教皇宮殿を目指すのである。


 精鋭部隊とされる忠実で思慮深い奴隷級も、ナノ合金製の枷より解き放たれ存分に暴虐の限りを尽くすのだ。


「尚且つ蛮族共の奇怪なふねが我等の後背に在る限り、ベルニクとて聖都へ至れぬだろう」


 EPR通信を阻害して敵艦隊の連携を削いだ後、船団国艦隊は狼狽える聖骸布艦隊を火力に任せ意のままに蹂躙した。

 

 サン・ベネゼ艦隊基地も壊滅しており、袋の鼠となったアレクサンデルを護るのは聖都に残った一万余の聖兵と契約兵のみである。


 レオには、必勝の状況に思えた。


「吉報ではないが、さほどの凶報でもあるまい。――して、ケルンテンの状況は?」


 イェルク子爵治める小領ケルンテンのズラトロク宙域では、ロスチスラフ率いる新生派連合艦隊がフォルツ討伐を旗印に駐留を続けている。


 所詮は兵力を分散させる動きと喝破していたので、当初はフォルツに任せ捨て置くつもりだったのだが、船団国側からの意外な協力の申し出が彼の気を変えさせていた。


 ――蛮族の言う通り、駒が揃っている。


 フォルツ領邦代官ウォルフガングを通じ、現地に集う馬鹿共を使い一波乱起こさせようと企図していた。


 最大限の成功を収めたならベルニクは頼れる同盟邦を喪うだろう。他方で、失敗したとしてもレオが喪うものは何も無い。


「――今宵かと」


 レオとガブリエルの立場を鑑みるなら、本事案への関与を最小限に止めるべきと理解している彼女は言葉少なく応えた。


「良き日である」


 晴れやかな気持ちとなったレオだったが、胸に残る一点の染みに気付いた。


「そういえば、ガブリエル」


 名を呼ばれたガブリエル・ギーは、即座にレオが口にしようとしている話の内容に思い至った。


「エヴァンの事なのだが――」


 タルタロスで非業の死を遂げた男の話題となった時、レオの声音は必ず奇妙な粘着性を帯びるのだ。


「公の亡骸は未だようとして知れませぬ。ただ――近衛師団の手引きによりエゼキエルを出たとの噂は御座います」

「ほう」


 と、落ち着き払った様子を見せているが、レオが四肢を振り回したい衝動を万力で抑えつけているのをガブリエルは感じ取っていた。


「手引きした者は見つけ次第、タルタロスへ」

「承知しました」

「そして、エヴァン――。エヴァンを必ずや取り戻せ」

「――はっ」


 損なわれたエヴァンを穢れ無き姿へ戻し、己の居室に飾るという狂った妄執がレオを捉えて離さない。


 ――肉塊となったお前は、もはや何も語れまいが……。

 ――それで良い。いや、それが良いのだ。


 レオにとって、エヴァンの死はむしろ歓迎すべき事だったのである。


 ――笑みを永遠に刻んでやろう。

 ――そして、新しき世を私と共に視るのだ、エヴァン。


 生死などいかほどの意味があろうかと、レオ・セントロマは信じていた。


 ◇


「このまま聖都へ直行されるのですか?」


 ケヴィン・カウフマン中将は声の震えを抑えるのに少なからず苦労した。


 エステルポータルを抜けた先に在るはずの防衛陣が跡形も無く消え失せていた為である。

 デブリの一つも残さぬ光景は、首船プレゼピオの悲劇を想起させた。


「敵の仕掛けた罠に飛び込むようにも思えますが――」


 遠距離索敵網の分析結果から、レギオン旗艦と船団国艦隊二万隻が、聖都への侵入を阻むかのように待ち構えていると分かっていた。


 だが、それ以上の状況やアレクサンデルの無事を確認したくとも、数刻前より聖都とのEPR通信が途絶え索敵網からの伝送も光速度に落ちている。


 いよいよ聖都宙域一帯が、レギオン旗艦によるEPR通信の妨害範囲に入ったと示していた。


 ――前回の実戦上、ECM妨害の有効範囲は五光秒だった。

 ――でも無限の動力源を得た今はどうなっているか分からないか……。


 ともあれ、レギオン旗艦と船団国艦隊に後背を護らせ、レオと天秤衆は悠々と聖都へ降下してしまえば良い。


 アレクサンデルを亡き者とし教皇宮殿を占拠した後に、高らかに勝利を宣するのだろう。

 無論、異端である蛮族の手を借りた点は秘さねばならないが――。


「他に選択肢はありません」


 トール・ベルニクは断言をした。


 事ここに至っては、敵陣へ飛び込むほか無いのである。


 ――当初予定では、もう少し楽に助けるはずだったんだけど……。


 スキピオ率いるミネルヴァ・レギオンが、トールの計画を狂わせてしまった。


 ――それにしても、いったいどんな取引をしたのかな。


 異端を憎悪するレオ・セントロマが、いかなる利を示して船団国に協力をさせているのか、現時点のトールには見当も付かなかった。


「確かに厄介な相手ですが、ボク等は聖骸布艦隊とは異なります」


 旗艦トールハンマーとリンクモノリスを積んだ艦艇は、有機的な連携を図るには未だ技術的問題を抱えているとはいえ、少なくともEPR通信に匹敵する速度での閉域通信は可能である。


 他方の少女艦隊とてEPR通信には頼っておらず、尚且つ密結合な艦隊の連携運動を旨としていた。


 また、エンズヴィル型母艦の備える火力も、月面基地における試験結果がその威力を証している。


 ――まだ調査結果が出てないけど、多分同じ技術系譜なんだと思うな。

 ――θシータμミューって――きっと、そういう事なんだよね?


 さらに、中央管区艦隊並びに少女艦隊間の情報伝達も、EPR通信以外の手段を持っているのだ。


 トールと女帝ウルドの二人は、例え「二十三秒間の孤独」が再び起きようとも、光速度の壁を越えて意思の疎通を図れるのである。


「そんな訳でして、EPR通信が阻害されても何とかなるんです」


 警戒すべきは相手の質量、火力、そして対消滅を産み出す白光となろう。


 だが、現在のトールは対抗し得る軍事力を有している。


「トールハンマーの盾と少女艦隊の打撃力を信じましょう。そして何より――」


 不安な面持ちの部下を、柔な眼差しで見詰めトールは微笑んだ。


「ケヴィン中将が居るじゃありませんか」


 ◇


「戦争するって聞いてたけど、お偉方は呑気なもんだね」


 ケルンテン領邦の片田舎ズラトロクに建つ「黄金の角」邸では、使用人達が晩餐会の準備に追われていた。


 滅多に使用されない邸宅に常駐の使用人など置かれておらず、領主イェルク子爵の屋敷から慌てて駆り出されて来た者達が三日前から働いている。


 とはいえ、それだけでは人手が足りず、何名かを現地で臨時雇用していた。


「――最も、あんたはさらに呑気そうだけどね」


 イェルクの屋敷で長年メイド長を勤めて来た年増女は、ボウとした風貌の役立たずを呆れた思いで睨んだ。


 図体の大きな若者だが、鍛えてはいないらしく小太りの体型である。


 現地で臨時雇用された者のうちの一人で、斡旋業者から是が非でもと推され入って来たと家令からは聞いていたのだが――。


 下働きとして使えないどころか、地下倉庫の隅で昼寝をしていたのである。


「まったく、なんて男だい」

「す、すみません――」


 殊勝に謝りながら頭を掻いた男は、伸ばし放題の髪が見るからに不潔そうな上に、長い前髪のせいで表情も良く分からない。


 それだけでも生真面目なメイド長の不興を買うに十分だったが――、


「今朝も早起きしたせいか、とても疲れてまして」


 などと放たれた男の言い訳に、いよいよ堪忍袋の緒が切れた。


「あ、あんた」


 大きく息を吸い、メイド長はとした声音で怒鳴る。


「昨日も今日も、遅刻したじゃないかっ!」

「ひ、ひいっ」


 怯えた様子で男は首を竦め、大きな図体を縮こまらせた。


「挙句、土塗つちまみれの服装で仕事に来るなんざ、正気の沙汰じゃないんだよ。分かってんのかい?」

「すみません、すみません。ゆ、許して――許して下さい――」


 卑屈が過ぎる男の態度はメイド長の嗜虐心に火を着けてしまい、彼女はさらなる罵倒を浴びせてやりたい心持ちとなっていた。


「ふん、あんたみたいな怠け者はね」


 メイド長は、幼き頃に母より聞かされた虫の寓話を好み、働き者こそが報われると今でも強く信じている。


ろくな死に方をしないんだよ、トーマス」

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