81話 愛した言葉を刻む。

 レギオン旗艦神殿地下のブリッジに、耳障りな絶叫が響き渡った。


「ぎゃああああああああっ!!!」


 機能性のみを追求した旗艦ブリッジにあって、大型モニタ下の壁面にはりつけとされている二十三匹の小人は異質と言えよう。


 彼らは皆、皺だらけの顔貌を備え、額にはグノーシスの徴が穿たれていた。


 容姿を同じくするという意味では少女シリーズのおもむきを想起させたが、忌まわしい存在と感じるのはサピエンスに刻まれたルッキズムなのかもしれない。

 

 その内の一匹が唐突に頭頂部から多量の血液を噴出させ、耳障りな高音で絶叫していたのである。


「ぎゃああっぎゃあぎゃぎゃぎゃああっ」


 近付いて良く観察したなら、鈍器で打撲を受けたと分かっただろう。


「終わったな」


 特段の感情は表出させず、スキピオ・スカエウォラが呟く。


「――が、煩い。λラムダの機嫌を損ねるかもしれんぞ。凶暴な上に神経過敏なところも有るからな」


 旗艦ブリッジとλラムダフロントは隣り合わせではあるが、小人の悲鳴如きを漏らす程にやわな構造ではない。


 周囲の緊張をほぐす為の軽口だったのだろう。


 不沈のレギオン旗艦に座しているとはいえ、一方的に沈められていく隷下艦隊が発する今際いまわの通信を受け続け、旗艦ブリッジには重苦しい空気が充満していたのである。


 全てを破却するはずの白光を退しりぞけ、無傷で迫り来るベルニク艦隊の存在も、彼等の士気を低下させている要因だった。


 誰もが、早く撤退したいと考えていたのだ。


「ルキウスの息子は為すべき事を終えたようだ。ひとつは仕損じたが――俺達の知った話じゃない」


 ベルニクの行く手を阻み、可能な限りEPR通信を阻害する。


 二万隻の艦艇のうち半数近くを喪いながら立ちはだかったのだ。船団国は十分に約を果たしたとスキピオは断を下した。


「撤退する」


 待ち望んだ言葉に、ブリッジの乗員達は安堵の息を漏らした。


「もう、ここに用はない」


 スキピオがそう告げた時、ベルニクの旗艦トールハンマーは、彼等の頭上へと迫りつつあった――。


 ◇


「目標地点まで、三百秒」


 いよいよか、とケヴィンは拳を握った。


 みゆうの拘束が解かれ、秘されていたほこと盾が明らかとなったのは、新帝都フェリクスから久方ぶりにトールがベルニクへ戻る数日前の事である。


 喜色を浮かべ月面基地に立ち寄ったトールを伴い、中央管区艦隊の訓練宙域にて成果を確認した彼は非常に満足した面持ちで告げた。


 ――無敵でもなく、さりとて弱くもない。いやぁ、ちょうど良いですね!


 何が「ちょうど良い」のかはケヴィンに理解できなかったのだが、ほこ、盾共に強力とはいえ無敵ではないという見解は意を同じくしている。


「第二戦隊の損耗率が閾値を超えました」


 相変わらずEPR通信には頼れないが、みゆうとリンクモノリスによって形成されるネットワークで最低限の情報共有は可能である。


「――退かせろ」

「レギオン旗艦からの砲撃数は漸減ぜんげん傾向にありますが?」


 ケヴィンの慎重さを知るオペレータは、この好機に第二戦隊を退かせて良いのか――という声音で確認をした。


「構わん」


 トールが最も懸念したのは、リンクモノリスの喪失だった。


 故ルキウスから譲り受けたものが全てで、ベルニクに生産するすべはない。


 経緯は不明ながらスキピオが敵方についた以上、新たに船団国から入手する事も叶わないだろう。


 その為、今次作戦における戦線離脱閾値はかなり低く設定されていた。

 大破した艦艇からリンクモノリスを回収する余地を残す意図もある。


「第二戦隊、後退を確認」

「第一戦隊、損耗率閾値至近――」

「レギオン旗艦、砲撃停止。原因不明です。残存砲門を多数確認」

「――目標地点まで、十秒――司令、ケヴィン中将!」


 意識しての事では無かったのだが、トール不在の際は必ず自身の肩を宿とする猫の背をケヴィンは優しく撫でていた。

 オートマタとは言え、柔な外殻と毛並みは生命体と錯覚させる。


「猫様、失礼致します」


 トール、みゆう、ケヴィンの三者で取り決めた事とはいえ、些かの非礼を先に侘びておいた。


 そんな中年男の様子を、女帝ウルドは面白そうに眺めている。


 ――くだんの老将と比すれば小物に見えるが、軽んじてはならぬ男だろう。


 弱気な物腰とは裏腹に、ケヴィン・カウフマンの持つ剛に彼女は気付いたのだ。


「全艦、斉射用意」


 そう告げた後、秘したる剛の者ケヴィンは猫の尾を引いた。

 猫の立場からするならば、真に失礼極まりない所作である。


「ぜんかんせいしゃようい!」


 若干の舌足らずさを残しながらも、ベルニクの女神みゆうはオビタルの解する音節を中央管区艦隊の全艦艇に伝搬させていく。


「――目標地点、到達。誘導ビーコン射出」


 旗艦トールハンマーの直下0.01光秒先には、貝殻の様な外殻部に覆われたレギオン都市が存在する。


「着弾確認。相対位置誤差、許容範囲内です」

「追尾同航せよ。相対距離保て」


 ケヴィンに与えられた役割は、レギオン都市を破壊し、神殿地下に存在する待針を機能不全に陥らせなければならない。


「猫様!」


 その為には、まず堅い障壁を強力無比なハンマーで打ち砕く必要がある。


 とはいえ、つちの射程は余りに短い。


「めがみのつち」

「はーい!」


 みゆうが元気に返事をすると、旗艦トールハンマー中央の球体外殻部が回転を始め、その周囲に青白く光る輪が形成されていく。

 

 輪光の直径は刹那で加速度的に伸長し、上方へしなるような美しい軌道を描いたかと思うと円筒状の巨大な塊となり、誘導ビーコンに沿ってほとばしりレギオン旗艦を護る重力場シールドへ叩き付けられた。


「頼む」


 ケヴィンの祈るような言葉と共に、レギオン旗艦を覆う重力場シールドの生み出す斥力は、女神のつちが四散させた中間物質によって打ち消される。

 

 と、同時に空間内を中間物質で満たし、新たな重力場シールドの生成を阻害しているのだ。


「良し!」


 光学的に確認できる事象ではないが、モニタに浮かぶ数値はケヴィンに福音を告げている。


 レギオン旗艦を護る盾は、打ち砕かれたのだ。


「全艦、斉射ッ!」


 ケヴィンは再び猫の尾を引いた。


「ぜんかんせいしゃ」


 中央管区艦隊第一及び第三から第五戦隊より一斉に放たれた荷電粒子砲は、トールハンマーによって穿たれた穴を抜け、レギオン旗艦へと着弾するはずだった。


 だが――、


「――え!?」


 ブリッジで明滅する隷下艦隊の放った荷電粒子砲の光跡を見ながら、ケヴィンは思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。


 無論、驚愕していたのは、彼だけではない。


 少女艦隊ブリッジで戦況図を見詰めるトール・ベルニクも同じだった。


「あれれ?」


 トールは拍子抜けたした様子で、少女Aを振り返る。


「――消えちゃいましたよ!?」


 レギオン旗艦と船団国艦隊は、忽然と宙域から姿を消したのである。


 ◇


 黄金の角邸は混乱の極みにあった。


 ベルニク敗報、毒物混入疑惑、さらには奇妙な小人の乱入である。


「逃がしたのか?」

「も、申し訳御座いません」


 警護兵長の報告を受け、イェルク子爵は力なく額に手を当て項垂れた。


 既に晩餐会という状況ではなかったのだが、保安上の理由から要人達は会場に未だ留まっている。


 エカテリーナより嫌疑を掛けられたホルスト・ジマも、拘束こそされてはいなかったが、親オソロセア派の家臣達に囲まれ椅子に座り込んでいた。


「奇妙な小人共に阻まれまして」

「映像で見たが、アレは何なのだ?」


 と、問われたところで、警護兵長は答えを持ち合わせていない。


「――まあ良い。小人の方は始末をしたのだな?」

「始末と言いますか、追い詰めたところで全員が自害しております」

「自害?」


 トーマスと一匹の小人が敷地を出た後、残った小人達は散開し警護兵を引き付けるかのように逃げまどっていた。


 彼等は追い詰められて逃げ場を失うと、何れも自身の額から何かを引き剝がし、奇妙な金切り声を上げながら絶命したのである。


「これを」


 警護兵長はポケットに入れていた物を手に取ってイェルク子爵に見せた。


「うっ――き、気味が悪い」


 丸型の表面は金属製に見えるが、裏面はひだ状の細かい突起物で覆われている。


「触れると熱く、脈動もしています。私には皆目見当が付きませんので、死骸と共に邦都へ送り調べさせようかと」

「そ、それが良かろうな」

「ところで――」


 報告が一区切り付いたと見做し、ロスチスラフが口を挟んだ。


「エカテリーナは何処へ行ったのだ? 其方達の助っ人に参ったはずだが」

「はッ」


 イェルク子爵に対するよりも、警護兵長の声音に緊張が宿る。


つの邸の安全を確認された後、急用が出来たと言い残し去られました」

「あん?」

「旧知の恩人から連絡があったそうでして――」


 ◇


「やられた」


 コヴェナントヴィンヤードCEOのルドルフから連絡を受けたエカテリーナは、軌道エレベータを使い地表世界へ降り立っていた。


 あまりにいていた為、主君ロスチスラフにいとまを告げる余裕も無く、軍装を解く手間をも惜しんで駆け付けたのである。


 オソロセア領邦軍の制服を嫌うルドルフも、そんな彼女に嫌味を言う気分ではなかった。


「二人の墓守も――」


 苦渋の面持ちのルドルフは、ホワイトマムで囲まれた墓石の前に立ち、周辺の地面に残る荒らされた形跡を見やった。


 墓を掘り返した際に出来たであろう盛り土も残っている。


 地表面ターミナルから数十分、コヴェナントヴィンヤードに程近い丘には小さな墓地が造成されていた。

 

 この地域で暮らす地表人類を弔う為の墓地である。


 大地に埋葬されたいと考える酔狂なオビタルなど存在しない。


 繰り返すが、存在しない。


「済まん、エリ――エカテリーナ。いや、謝ったところで意味など無いな――」


 嗚咽を堪えるルドルフの背を静かに撫でた後、墓石の前にしゃがみ込んだエカテリーナは刻まれた墓碑銘へ指先を伸ばした。


  『2670 - 2771』


 彼女の指が、全ての文字を辿っていく。


「寂しがり屋なのは知っているけれど」


 それを繰り返したなら、やがては量子的奇跡が起こり黄泉から戻って来るかもしれないと夢想した日もあった。


 ヒトの復活如き、宇宙の誕生より確率的には遥かに容易い話だろう。


  『口数の多い男だったが、

   最も愛していた言葉を刻む。』


 生きる事にどれほどの痛みが有ろうとも、それは彼女にも刻まれていた。


  『物事には常に良い側面がある。』


「ええ――そうね。けど、死んでも静かに眠れないのは困りものじゃない?」


 エカテリーナは笑もうと口角を上げたが、頬をつたう塩化ナトリウムは止められなかった。


  『旅人、ここに眠る。』

  『ガイウス・カッシウス 永遠とわに。』


「ばか」

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