82話 狂気揚陸。

 叩き、潰し、払い、怒鳴り、呪う。


「ペッ」


 仕上げという訳でもあるまいが、石床に倒れた天秤へ血の混じった唾液を吐き付けた。


 凡そ聖職者と思えぬ所業を反復し続ける男の名は、アレクサンデル・バレンシア。


 ラムダ聖教会を統べる現教皇である。


「蛆の如く湧いてきよる」


 太古を語る書物で得た知識に過ぎないが、古来より有象無象を侮蔑する際に使われてきた言葉を口にした。


「へぇ、仰る通りで」


 アレクサンデルの傍で血濡れの手斧を振るうのは、教皇宮殿随一の膂力りょりょくと目される男サムソンだった。


 教皇宮殿で雑務を担う下男が火急の危地にあって蛮勇を示している。


「──けんど、そのウジってのは、美味いんですかい?」


 無論、教養は持ち合わせていない。


「ふむん。我の豪運が尽きぬなら、貴様の位を上げ居室を書物で満たしてやろう」


 書物という言葉に不快気な表情を浮かべた愚鈍な男を、教皇アレクサンデルは却っていとおしく感じた。


「案ずるな。可能性は低い」


 この期に及んで教養など不要である。辞世の句を思い煩う暇があるならば、一人でも多くの脳天を叩き割る事に注力すべき局面なのだ。


 つまり、勝敗は既に決している。


 正門を含む七つの門は全て破られ、宮殿一階で果敢に戦った聖兵達の多くが語らぬむくろと成り果てていた。


 戦いの舞台は二階、教皇の間に至る回廊へと移っている。


 豪奢な装飾の施されたアーチ状の天蓋部分には、女神ラムダの慈愛が絵巻の如くえがかれていた。


 聖画に見下される空間で、陣頭に立つ教皇アレクサンデルは、自ら戦槌せんついを振るって血達磨となっていたのである。


 先刻までは階下から途切れる事なく敵勢が押し寄せ続けていたが、無駄話を交わせる程の小休止が発生していた。


「腹でも減ったか──あるいは──」


 無勢の側としては僅かな休息時間でも有難い。


 昼下がりから夕刻に至るまで脳内麻薬に任せて得物を振るい続けて来たのである。


「我の与り知らぬ戸隠れ部屋が、まだ在るのかもしれん」


 攻め手が多勢の割に進捗の遅い理由は、教皇宮殿に張り巡らされた隠し部屋と秘密通路を塞ぎながら兵を進めている為だ。


 アレクサンデルや、その近習達を逃がさぬ事を最優先としたのである。


「刻を呉れると言うなら貰っておこう。兵達に暫しの──」


 ◇


「EPR通信復旧を確認!」


 突如として消えた船団国艦隊の不可思議はさておき、ブリッジに響いたオペレータの報告は多くの者に歓迎された。


 オビタルにとってEPR通信の不通は、大きな喪失感を伴うストレスなのだ。


「エンズヴィル型との疎通確認、トール閣下もご無事です」

「本邦より打電多数」

「連合艦隊司令部より状況確認の問い合わせが─罫線」


 何れから手を着けて良いやらと悩むケヴィンだったが、大型モニタに映し出された顔貌がんぼうが全てを解決した。


 << いやぁ、惜しかったなぁ >>


 頭を掻くトールと、不機嫌そうに見える少女Aが並び立っていた。


 ──いや、いつも不機嫌そうか……。


 ケヴィンは少女シリーズの機嫌をさらに損ねそうな事を考えながら殊勝な表情を浮かべて敬礼をした。


 艦長席の女帝ウルドは微かに顎を引いてモニタを見上げている。


「閣下、いったい──」

「無事で何より。ところで──」

「トオル! あのね、あのね──」


 ケヴィン、女帝、みゆう、期せずして三者の声が重なったが、ウルドが目と手でケヴィンに続きを促した。


 戦場いくさばで軍人の妨げとなるのはウルドの本意ではない。


 << 消えちゃいましたね >>


「トールハンマーが実戦運用可能と確認出来たのは僥倖ですが──いや、しかし、奇妙ですな」


 << 確かに奇妙です……。ま、でも、今は聖下を優先しましょうか >>


 トールは、解決する糸口の無い疑問に拘るのを止めた。


 << 邪魔者も消え、聖都へ揚陸が可能な状況になったんです! >>


 教皇アレクサンデルを救う──。


 プロイスの方伯夫人と手を結び、大領フォルツと対峙する連合艦隊を用意し、太古のテクノロジーと女帝を伴い敵地に乗り込んできた。


 全ては、この一事を成す為である。


 ──次いでに、レオ氏も殺すけど。


 と、トールは決めていたが、それを公表するのは控えていた。


 ヴァルプルギスの夜以降、非難の声は高まっているが、オビタルの宗教的幻想に基づく聖レオという権威は未だ健在である。


 ──でも、殺しちゃうと例の招待ってのはどうなるのかな?


 ──"レオ・セントロマ枢機卿の招待は必ず受けて。いい? 必ずよ。"

 ──"これを断ると後でとっても後悔するわ。"


「あ、あの、閣下?」


 思案気に黙り込んでしまったトールに、ケヴィンが目を瞬かせ声を掛けた。


 << わわわ、すみません──ええと──そうだ。ジャンヌ大佐を >>


 ◇


 強襲揚陸艦ホワイトローズ、格納庫──。


 微笑むトールが映る照射モニタに向かい、殺戮準備万端のジャンヌ・バルバストルが凛々しくも典雅な敬礼をしていた。


 白いパワードスーツの肩部に、結い上げた金色の髪が一房落ちている。


「いよいよですのね」


 やわな声音で告げるジャンヌの背に居並ぶ揚陸部隊こそ、彼女の子飼いであり尚且つ歴戦の精鋭部隊だった。

 彼等は数え切れぬ血を吸ってきたツヴァイヘンダーを胸の前に掲げ天を衝き微動だにしない。


 << はい。敵勢は五万に及びます >>


 揚陸部隊一万五千名を、一万の第一師団と五千の第二師団に分け、第二師団は宇宙港の制圧に回される。


 第二師団長と艦隊司令をケヴィン・カウフマンが兼任し、宇宙港に駐留する天秤船の無力化を図る。他方の少女艦隊はレオやガブリエルが脱出するのを阻止する役目を任されていた。


 教皇宮殿に向かうのは第一師団のみである。


 その第一師団長を務めるのは──、


 << 師団長はボクなんですけど、やっぱり迫力不足──い、いや、経験不足ですから、副師団長からの激をお願いしますっ! >>


「フフッ、承知致しましたわ。では──」


 ジャンヌ・バルバストルは令嬢の笑みを浮かべたまま頭部装甲を装着した。


「第一師団並びに第二師団隷下兵卒に告ぐ」


 令嬢は消えた。


「我等兵卒の忠誠は、トール・ベルニク伯爵閣下のみに在る」


 白き悪魔の懸念は唯一つだ。


 聖職者を殺す──という行為の重みが、砲撃と剣戟で大きく異なる点である。


法衣ほうえと天秤紋へ伏す事は、今次作戦において閣下への不忠となる」


 カロッタや聖職衣、天秤衆の纏う装束、さらにはラムダの旗に畏れを抱いてはならない。


「我等は、法衣ほうえを裂き、天秤紋を切り捨て──」


 ジャンヌはツヴァイヘンダーを突き上げた。


「叩き殺せッ!!」


 彼女の激に呼応し、背に並ぶ兵達も己の剣を突き上げ咆哮した。


「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 揚陸部隊が並ぶ全ての格納庫で、同様の儀式が繰り広げられている。


 この光景は、洗脳、狂気、あるいは邪悪ですらあった。


「敵首魁は、レオ・セントロマである。必ずや──」


 他方の勢力圏では教皇とされる聖職者であり、アレクサンデルが破門するまでは枢機卿の一人だった。


 生ける聖人として長らく尊崇の対象とされてきた男でもある。


 ──必ず、捕らえよ──かな。

 ──ま、後で、ボクがこっそり殺しちゃうから、いいか。


 怖ろしい部下の演説を聞きながら、トールもそれなりに怖ろしい事を考えていた。


 だが──、


「殺せッ!!!」


 ジャンヌ・バルバストルがトールに抱く忠誠心は、他の絶対不可侵な存在など許さない。


 この一言は、彼女がオビタルの常識を、あるいはゲノム的限界を逸脱しつつある兆候でもある。


「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 ジャンヌの発する熱量と狂気に、兵達は同等の熱量と狂気で応える。


「敵の血と、何より己の肉を捧げよッ! ベルニクッ!!」


 古来より、勝利をもたらすのは女神ではない。

 

「ベルニク!!!」


 狂気なのだ。


 ◇


 かくして、聖都アヴィニョンに純然たる狂気が揚陸した。


 迎え撃つ側もまた、狂気である。

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