83話 狂盾。

 教皇宮殿で織り成されている剣戟と怒号の響きは、アヴィニョン大通りにまで轟いていた。


 七つの門全てを打ち破り、聖兵達の屍も山と積み上げて、獰猛な猟犬の如く仇敵を追い詰めていたのである。


 だが、それら暴力的な騒音とは無縁の場所が有った。


「――っ」


 セントカロリーナ広場に建つ聖堂の内陣へ入ったガブリエル・ギーは、外界の雑音を寄せ付けぬ静謐さが却って耳底じていに痛みを与えると知った。


 広場に溢れる観光客の不躾と内陣を隔絶する為の防音壁が、戦場いくさばにありながらも俗世と無縁の幽世かくりよを生み出している。


 神経質な聖堂付司祭は内陣にECMまでしつらえており、今もって聖堂の内陣はEPR通信が阻害されていた。


「聖下」


 慈愛の笑みを浮かべるラムダ像が見下ろす内陣で、祈りを捧げ続けているレオ・セントロマの背に声を掛けた。


 アレクサンデルを拘束するまで妨げるなと厳命されていたが、事態の急変がそれを許さなくなっている。


「蛮族が消え、鬼子が参っております」


 唐突にEPR通信が復旧した後、宇宙港を押さえる天秤から入った最初の報せは、天蓋ゲートから現れたベルニク艦隊の不吉な姿であった。


 数多の輸送艦が教皇宮殿方面へ向かい射出されたとの報告もある。


「――ほう」


 彼等の作戦を支える柱の一つが喪失した事を意味するが、レオ・セントロマは一切の動揺を見せず静かに立ち上がった。


「来たか」


 蛮族が手にした力を以ってすれば、あるいはベルニクを堰き止め得ると期待はしていたが全幅の信頼を置いていた訳ではない。


 ――何より、


 自身の手でくびり殺したいと考えていた相手が、揃って眼前に現れたと考える事も出来よう。


 ――あの男が嘗て語った戯言にも壱分の理はある。


 思想的に決して相容れぬ相手ではあったが、溢れる知性と軽妙な語り口はレオにも好ましい男として記憶に残っていた。


「悪い話だが、良き面もある」


 ――物事には常に良い側面がある。


「敵勢は、せいぜいが二万。宇宙港の制圧も目論むならば、こちらへ差し向けられるのは凡そ七分となろう」

「輸送機の数から、一万余と推測されております」


 教皇宮殿に残るアレクサンデルの手勢は残り僅かであり、ベルニクが来たところで挟撃の憂き目を怖れる必要も無いとレオは考えている。


「ふむ――逃げ帰られては機を損じよう」

「――」


 ガブリエルは何も映さぬ白眼を僅かに細めた。


「アレクサンデルの命脈は、暫し撒き餌として残せ」


 救うべき相手が亡骸となったと知れば、ベルニクが――三万の天秤を屠った憎むべきトール・ベルニクが国許へ戻りかねないと危惧したのだ。


「宮殿に入った三万も多数が残り、未だ無傷の二万が取り囲んでいるのだ。燦々たる信仰の輝きに悪鬼のまなこも潰れよう」


 教皇宮殿と面するアヴィニョン大通りとセントカロリーナ広場は、予備兵として残された天秤衆で埋め尽くされていた。


 レオが言う通り、数の面では圧倒している。


 敵の揚陸を許して尚も、彼は天秤の勝利を信じて疑っておらず、いかなる手段で仇敵に対し辱めと痛みを与えるべきかに想いを巡らせていた。


「畏れながら聖下――」


 他方のめしいたガブリエルは、急ぎ退くべき局面と伝えに来たのである。


 ベルニクが宙域から蟻の子一匹逃さぬ体勢を敷く前に、レオと自分自身、温存した忠実で思慮深い奴隷級は聖都を離れるのが最善と分析していた。


 五万の天秤を捨て置く上、仇敵を取り逃す事にもなるが、エゼキエルには無数の天秤が未だ健在であり諸侯の艦隊も残っている。

 

 イドゥン太上帝と信仰の威を借りたなら、敗北の責を問う声など打ち消せようと考えていた。


 ――いや――それどころか、動かぬと宣した銀獅子共を問責し、奴等を解体に追い込む好機とも出来よう。

 ――なればこそ急がねば……。


 ほむらに呑まれたプロヴァンス女子修道院だったが、天秤専用の宇宙港は未だ残されており、万一に備え脱出艇を用意させていた。


「数で勝るとはいえ、我が方は些か鎧に劣っております。故に一旦退かれる――」

「ならぬっ!!!」


 レオの怒声が、内陣の静謐さを打ち破った。


「ならぬ、ならぬ、ならぬッ」

「――ですが」


 ベルニクの揚陸部隊は全身を覆うパワードスーツで身を護っているが、天秤衆の多くは生身か、あるいは強化外骨格型のパワードスーツに過ぎない。


 防備で劣るなら、数で圧倒しているとはいえ、本職の軍人を相手に抗し得るはずもないだろう。

 尚且つ敵は揚陸戦で事態を切り開き続けて来たベルニクなのである。


 だが――、


「殺せ」


 レオの戦意は揺らぎを見せない。


「悪鬼はアヴィニョン大通りを攻め上って来るのだろう」


 教皇宮殿に敷かれた防空システムは既に天秤衆が奪取している。

 

 それ故に、アレクサンデルから伝え聞いたであろうベルニク軍は、宮殿内へ直接降下する選択肢を取れない。


 天秤衆が辿ったと同じ道を、ベルニク軍も進まねばならないのである。


「ガブリエル」


 猫を撫でる声色に転じて名を呼んだレオは、慈悲深く聖話を聞かせる父と錯覚させるような微笑を顔貌がんぼうに浮かべていた。


 とはいえ、円弧を描く線となった眼から粘着質な輝きが漏れている。


「防備に劣るなら、盾を用意すれば良い」

「――盾?」


 ガブリエルは訝し気な表情を浮かべた。


 ◇


 教皇宮殿の防空システム圏外とされる地点に降下したベルニク軍は、人通りの絶えたアヴィニョン大通りを進んでいる。


 トール自らが師団長を務める第一師団は五つの連隊で構成され、第五連隊のみ別動隊として支道を進んでいた。


 なお、先陣を切って進んでいるのは、ジャンヌ子飼いの古参兵が主軸となっている第一連隊と師団長並びに副師団長である。


 先頭に領主自らが立つ光景は著しく戦の常道に欠けていたが、それこそがベルニクという邦の在り様であり兵卒の末端に至るまでが矜持を抱く根源となっていた。


 全ての戦は下らぬ理由で始まり、そして下らぬ結末を迎える。


 英雄トール・ベルニクは、多数を巻き添えに死なせる理由として、神や思想、あるいは共同体への幻想を利用せず己の命のみを張ったに過ぎない。


「全軍、停止!」


 ジャンヌの指示が響いた。

 通りの向こうに大群が見えたからである。


「――ん?」


 頭部装甲に映る映像を拡大したトールは不審の声を上げた。


「屑どもが」


 隷下師団の足を止めたジャンヌは、吐き捨てるように呟く。


「ええ」


 珍しくトールの声音にも明確な怒りが宿った。


 向こう正面で立ち塞がっているのは天秤衆ではなかったのだ。

 乳飲み子を抱え、怯えた表情を浮かべる母親達の大群が並べられている。


 さらに少し間を開けた後背には、司祭達が瞳を閉じて祈りを捧げていた。


 天秤達は彼等を厚い盾として、遥かな後方でハルバードを構え立っている。


「閣下、上を」


 通りに面した建物の上にも天秤が配されており、ベルニクを民間人で足止めして頭上から得物を投擲する意図と読み取れた。


「支道も同じ状況の様です」


 別動隊として進む第五連隊からの報告をジャンヌがトールに伝えた。


「――」

 

 だがトールは無言のまま前方を睨み据えている。


 待針の森では化け物じみた赤子にも遠慮したが、母という幻想にトールは憧憬めいた感情を抱いていたのである。


 その感情こそが、殺人鬼フリッツの運命を数奇たらしめるのだが、それはまた別の話となろう。


 ――お母さんを、こんな事に利用するなんて……。


 ともあれ、レオ・セントロマの手配させた狂気の盾は、トールをたじろがせるよりも却って激烈な怒りを呼び起こしてしまった。


 ――絶対、


 トールは生涯を共にした聖剣を抜き天に掲げる。


 夜を迎えた聖都の月明かりと街灯が、聖剣の刃先に光輪を伴う輝きを与えた。


 ――殺す。


「告げる」


 常と異なる声音がジャンヌの耳朶を打った瞬間、彼女は快楽を伴う震えを腹部に感じていた。


 荒ぶる覇道の片鱗が匂い立ったからである。


 柔な言動と少年の様な顔貌に韜晦とうかいされているが、トール・ベルニクのさがは仁道や王道ではなく覇道にこそ在った。


「第一連隊」


 トール・ベルニク師団長より、指示が下される。


「対数フィードバック最大。母と赤子の頭上を越え、敵陣へ入る」

「了ッ!」


 第一連隊長のいらえが閉域EPR通信に木霊する。


 五十メートル近い跳躍と反動で揺らぐ着地点において、恐らくは大きな損耗を被る事になるのだが、母子への幻想がその損耗をトールに許容させた。


「祈る司祭共は叩き斬れ。一人も生かすな」


 この期に及んで祈る阿呆などトールには度し難い。故に許し難い。


「第二連隊は母子を確保しつつ後退せよ。便衣兵と頭上からの投擲への警戒を怠るな」


 トールとて全ての母子を無傷で救えるなどとは期待していなかった。


「母子確保までの猶予時間は二十秒とする」


 二十秒以内に安全確保できなかった母子は捨て置くほかない。邪魔となれば排除する事にもなろうし、剣戟や投擲の巻き添えをも喰らう――。


「残る連隊は、二十秒経過した後に雪崩れ込め」

「了ッ!」「了ッ!」「了ッ!」


 連隊長達の応答を確認した後、ようやくトールは聖剣を前方に向けた。


「第一連隊――」


 それは我欲に過ぎなかった。


「続け!!!」


 故にこそ、彼は常に先陣を切るのだ。

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