84話 地獄の軍勢。

 文字通り、地が揺れた。


 第一連隊二千名が凡そ五十メートルを跳躍し、母子と司祭の狭間へ着地した為である。

 

 そこへ、頭上から投擲された手斧が降り注ぐ。


 多くはパワードスーツの装甲に弾かれたが、不運な兵士は腰側面フレームの脆弱部を強打され機能低下を招いていた。


「閣下ッ!!」


 その不運な兵士の一人となったトールの許へ、ジャンヌが叫びながら駆け寄った。


「――つぅ」


 先陣を切る指揮官は良い的となり敵の投擲が集中したのだ。


 バランスを崩し地に倒れたトールは、急ぎ立ち上がり体勢を立て直そうとしたが、モーションアシスト機能が劣化を起こしており力の加減が難しいと気付く。


 幸先は悪い。


「大丈夫」


 短く応え頷いたトールの周囲を手勢が覆い、再び迫り来る得物の群れをツヴァイヘンダーで叩き落としていた。


 後方では母子の安全確保を図る第二連隊頭上へも投擲が仕掛けられており、巻き添えを喰らった母の悲鳴と赤子の鳴き声がトールの怒りに油を注ぐ。


 ジャンヌ・バルバストルも同じ怒りを感じていたが、同時に懸念も抱いていた。


「閣下、先に側面建築物を――」

「無用ッ」


 大通りに面する建物を制圧し、投擲部隊掃討を進言しようとしたジャンヌの言葉をトールは厳しい大音声で遮った。


 居並ぶ建築物の数と、内部に仕掛けられているであろう罠を考慮すると、制圧に要する時間が掛かり過ぎると判断したのだろう。


 アレクサンデルを救出して聖都を脱し、敵艦隊の残るカナン星系をまかり通らねばならないベルニク軍に残された猶予は多いと言えない。


 ならば、このまま敵陣へ雪崩れ込み、投擲を困難とした方が得策である。


「投擲は捨て置く」


 言った男は、その背中で見せた。


 聖剣を握り直したトールは、制動が困難となったパワードスーツを駆って、頭上の危機など意に介さず先へと進み始めたのである。


 ベルニク全軍、あらゆる階級の兵士達に先んじて矢面に彼は立ち、尚且つ先へと歩みを進めていた。


「――あ」


 トールが見せた余りの性急さに、さしものジャンヌも慌てた声を漏らしたが、直後には腹から湧き出る狂笑の衝動を抑え切れなくなる。


「くふっ、ほほ――」


 ジャンヌは自身の頭部装甲を襲った手斧を、サピエンスには不可能な角度で曲がるを使い地に叩き落とした。


「――者共ッ」


 狂え。


「狂えやッ!!!」

「ベルニク!」「ベルニク!」「ベルニク!」


 雨後のたけのこの如く降り注ぐ得物を前にして、躊躇いも迷いも無く駆け続ける指揮官に鼓舞された兵達は我先にと後を追った。


 無謀との誹りも受けようが、天を仰がず前だけを見て進み始めた彼等の姿は、迎え撃つ側から眺めるなら地獄の軍勢さながらである。


 否、まさしく彼等こそが黙示録の告げる地獄の軍勢となるのだ。


 母子の信仰を縛る監視者、そして彼女達の次なる盾として配されていた司祭達は恐慌状態に陥っていた。


「め、女神よ――」

「ひぃ」

「ひっ、ぎっ」

「じ、慈悲を」


 彼等はエゼキエルより連れて来られたレオ派に属する司祭及び助祭達である。


 アレクサンデル一派を廃した後、聖都における宗務を担う栄誉に釣られ、天秤船に乗り合わせ血濡れると分かっている都を訪れていたのだ。


 司教、大司教、さらには枢機卿にまで上り詰めたいと野心を抱くなら、聖都で宗務を執り行った経歴は必須となる。


 無論、戦場の只中で盾とされると知っていたなら、遠く離れた安全な場所に座して祈りを捧げていただろう。


「わ、我等は女神のしもべ――」

「聖なる務めを――」

「悪鬼どもが――何と罰当たりな」


 祈る事を止めた司祭達は瞳を恐怖で見開き、Λラムダの首飾りを眼前に掲げ、法衣ほうえの力を借りて迫るベルニクの暴力を怯ませようと試みていた。


 帝国のオビタルが営々と培ってきた女神と聖職者に対する尊崇の念が、彼等を護り得る唯一の防波堤だったからである。


 他方で目端の効く者は既に尻を見せ、這うように後方へ下がり始めていた。


 だが、全ては遅い――。


「ぎゃ――」


 司祭達の群れに辿り着いた無法伯トール・ベルニクは、些かの躊躇も見せず法衣ほうえを纏う老人のくびを刎ね飛ばしたのである。


 胸部と袂を分かった頭部は、呼吸の途絶と共に絶叫は中断されたのだが、瞳と口を大きく開いた滑稽な表情のまま宙を舞って地面を転がった。


 地を転がる間に何度か瞼を瞬かせていたので、己の半身を目にする奇景は彼の手向けとなったかもしれない。


「はぎ」「ひぃぃぃ」「ぐえ」


 指揮官が法衣ほうえ殺しの先鞭を着けた結果、ベルニクの兵卒達が振るう剣筋から聖職者に対する一切の遠慮が消える。


 幼き頃より植え付けられている無条件の畏怖を乗り越えたのだ。


 牧歌的な畏れ――という得体の知れぬ衣を剥がされた司祭など、盾に成り得えないどころか路傍の石ですら無かった。


「た、たずげ」「めがびぃ」「おかぁ」


 ハルバードを構える天秤衆、建物の窓から通りを見下ろす聖都の民、何者かが流すEPRネットワーク上のライブ映像に声を喪う大衆――。


 彼等が目にしているのは地獄の軍勢による一方的な殺戮である。


 トール・ベルニクにとって、天秤紋や法衣ほうえが露ほどの価値も持たない事を改めて満天下に刻む事となった。


「後続に任せよッ!!」


 ジャンヌは足を緩めず血風を進む主人の背を目で追いながら、逃げ惑う司祭達に気を取られていた第一連隊隷下兵卒達をとどめた。


 全ての司祭を殺せとの下知はあったが、打ち漏らした者は後続する第三連隊に任せれば良い。


 事実、この日のベルニク軍は、盾となり無駄な祈りを捧げていた二千余名の司祭及び助祭を皆殺しにしている。


 遥かな過去に至る歴史を遡ったとしても、一日で亡骸となった聖職者の数としては最大だろう。


「閣下に続け」


 司祭達の群れを駆け抜けたトールは、既にハルバードを構える天秤と剣戟を交わしているのだ。


 トールは敵から振り下ろされる斧先をかわして懐に飛び込むと、装甲に覆われていない相手の喉元を聖剣で斬り裂いた。


 側面から繰り出された穂先の槍部は、華麗な足さばきで勢いを後ろへ反らし、たたらを踏んだ敵の頭上に剣先を振り下ろす。


 さらに身体を回転させて襲い来る複数の突きを避け、遠心力を乗せた聖剣を振り切った。その直後、ハルバードを上段に構えていた天秤の胴が、得物を握ったまま斜めに滑り落ちていく。


 飛び交う絶望と血飛沫の中で、彼の剣戟は余りに生の躍動を感じさせる。


 ――美しい。


 モーションアシスト機能に損耗を受けながらも、トールは勘の良さを発露して己の動きを完全に支配したのだ。


 希代の戦乙女ジャンヌ・バルバストルをして、「美しい」と言わしめる戦いぶりを披露していたのである。


 ――この御方とならば、いかなる死地でも構わぬ――いや、違うッ!


 ツヴァイヘンダーを前面に突き出し跳ねるジャンヌは、ナノ合金製の装甲で覆われた一本の槍となった。


「我、死地こそを望むッ!!!」


 ◇


「穢れ無き女神の従卒達をなぶり殺す悪鬼共の凶行は、まさに黙示録二十三章五節で語られる地獄の軍勢であろうと民草も――」


 尖塔の上に立つ天秤衆総代ガブリエル・ギーは、部下の天秤に戦況を尋ねておきながら途中からは全く耳に入れてなどいなかった。


 彼女は大通りから伝わる音と匂いを全身に知覚させ、脳内に構築された抽象世界へ物理空間を投影する作業に没頭していたのだ。


 ――やはり、天秤共では足を止められんな。


 当初よりガブリエルが危惧した通り、防備で劣る天秤衆が、聖職者すらも遠慮なく屠る軍勢を相手に持ち堪えられるはずがないのである。


 ――が――暫しの時は稼ぎたい。


 教皇宮殿から退かせた天秤をも投入したなら、やわい薄皮とはいえベルニクの進みを鈍らせる事は出来るだろう。


 無論、それだけでは十分と言えない。


「数刻後」


 セントカロリーナ広場から響く拘束された獣の息遣いは、血の匂いを感じ取ったせいか発情期の色合いを帯び始めていた。


「忠実で思慮深い奴隷級を野に放て」

「――よ、宜しいので?」


 黙示録を滔々と語っていた天秤の声が震える。迫るベルニクも怖ろしいが、奴隷級とは天秤にとって恐怖の代名詞なのだ。


 名とは異なり、全く忠実ではない。また、思慮深いか否かを問う以前に、考える能力が残っているかも疑わしい。


 それら全てを代償として、奴隷級は人智を越えた暴性を獲得している。


 悪名高きベルニクの揚陸部隊が相手とはいえ、多大な犠牲を敵に強いるだろうとガブリエルは考えていた。


 ――が、勝てはしまい。


 光の無い世界に生きるガブリエルは、却って視覚的錯誤と無縁である。


 ――結局は、あの御方が想定された通りの状況となった……。


 慈愛の波動を孕む女の瞳は、未来を見通し続けているのだろう。


「奴隷級を放つ頃合いは、お前に任せよう」

「え――は、はい。ですが、ガブリエル様は?」

「私は急用が有り」


 レオ・セントロマこそ天秤衆の担ぐべき御輿と考え行動して来たが、彼女が期待した世界を実現し得る駒では無かったと判ずる他ない。


「――プロヴァンスへ参る」

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