85話 さようなら。

 第四連隊が先鋒となり、第二、第三連隊が中段及び後衛を務めていた。


 奔り続けていた第一連隊は下がり後方を警戒しつつ、暫しの小休止を取っていたのである。


 アヴィニョン大通り程度の幅では横に拡がり切る事も出来ないので、各連隊を回転させて体力の温存を図ったのだ。


 アレクサンデルが言うところの「肉人形」である天秤は、籠城して逃げ場を失った死兵の如くハルバードを振るい続けている。


「が、どうあれ時間の問題でしょう」


 照射モニタで戦況を分析するジャンヌが告げた。


 現在の勢いを保って進み続ければ、数刻以内にセントカロリーナ広場へ辿り着くのである。

 敵本陣が在ると判明した聖堂は目鼻の先に在った。


 本陣とセントカロリーナ広場を押さえた後に教皇宮殿へ押し入れば良い。目下の懸念は、それまでに教皇アレクサンデルが害されないかという点のみである。


「では、そろそろ我々が――」


 とジャンヌが言い掛けたところで前方から大きな破砕音が響き、第四連隊長からは緊急EPR通信が入った。


「ば、化け物が―――ぐうあああっ」


 悲鳴と共に何かを咀嚼する音が一瞬聞こえ、直ぐに通信も途絶えた。


 ◇


「負傷兵を!」

「うおおおお」

「ふぐっ」

「距離を取れっ」


 前線では敵味方共に混乱の極みにあった。


 天秤衆の切り札とされる忠実で思慮深い奴隷級は、目に入った動くモノを捕まえると強化犬歯で嚙み千切るのだが、直ぐに飽きて放り投げている。


 敵も味方も関係が無い。あるいは全てが敵なのだろう。


 漆黒の装甲型パワードスーツを纏いながら頭部は剥き出しとなっていた。

 彼、彼女達の武器がハルバードではなく、己の膂力と犬歯だった為である。


 装甲に任せて突進し相手を捕らえ、ナノ合金をも貫く咀嚼筋と強化犬歯で敵を噛み砕くのだ。


 また、強化犬歯からは神経毒が噴霧され、皮膚はだえを傷付けられた者は呼吸困難に陥って死を迎える。


 勝手が違う敵にベルニク兵とて怯んだが、天秤衆の混乱ぶりは遥かに上回っていた。


「に、逃げろ」

「下がれ」

「く、来るな――しっしっ」


 奴隷級は天秤衆にとって恐怖の対象なのだ。


 誰彼構わず襲い掛かる存在でありながら、奴隷級が殺傷した相手は異端者と見なされ教会から弔われる事もない。


 不相応な聖性を化け物に与えてしまったが故だろう。


 結果として、ベルニクには背を向けなかった天秤衆が、後方へと我先に退き始めたのである。


 かように混乱する戦場いくさばへ後方から一本の槍が雷光の如く奔った。


「どけ!!」


 雄叫んだジャンヌは味方兵を押し退けて、不運な天秤を咀嚼する奴隷級を目掛けて跳ね飛んだ。


 加速度を得たツヴァイヘンダーは、天秤を串刺し奴隷級の装甲までも打ち砕く。


 だが、奴隷級の硬質な肉には至らなかった。


「ぐううう」


 唸りを上げた奴隷級が、ジャンヌを掴もうと腕を伸ばす。万力で掴まれたなら対数フィードバックを最大にしても逃げられないだろう。


「せいっ」


 裂帛の声と共にジャンヌが抜き振ったツヴァイヘンダーは、美しい円弧の軌道をえがき奴隷級の腕を切り落とした。


「ばふうううう!!」


 痛みは感じていないが、鼻息を荒くして奇声を上げる。


 すると――、


「ぶほ」「ぐう」「げほ」「ふぎぃ」


 周囲で適当な得物を漁っていた他の奴隷級達が、ジャンヌを狙い一斉に集まって来たのである。


「ま、不味い」「掛かれ!」

「無用」


 奴隷級に包囲された副師団長を救えと動き始めたベルニク兵に対し、ジャンヌはさらに先を指し示し叫んだ。


「進めっ!!」


 先を急ぐトール・ベルニクは、逃げる天秤の背を斬り捨て、迫る奴隷級を撥ね退けながら愚直にセントカロリーナ広場を目指し続けていた。


 ――この背を見せられ滾らぬ兵卒が在ろうかッ!


 ジャンヌは地に転がった腕を蹴り飛ばし、右側面より迫る奴隷級へ剣先を叩き込んだ。

 反動を利用して後背の敵にも突きを繰り出す。


「ぎゃほっ!」


 そして、時は来た。


 側面から忍び寄った奴隷級がジャンヌの左腕を掴み、逃がさぬ様にと渾身の力が入る。

 動きの鈍った彼女の足下へ別の奴隷級もしがみ付いた。


「くふぅ――」


 ジャンヌは狂った笑声を抑えきれない。


 待ち望んだ瞬間だったからだ。


「――喰えや」


 左前腕装甲が爆ぜ、内部から砕け四散する。


 直後、肘から先が硬化した刃先となり伸びて、唾液を垂れ流す奴隷級の口腔を貫き後頭部を突き抜けた。


 刃となったジャンヌの前腕が機械音と共に高速旋回すると、下顎骨が砕かれ血泡を吹かせゲル状に溶解していく。


 次いで、彼女の無慈悲な左腕は粘性の糸を引きながら、足下にしがみつく奴隷級の脳天へと下された。


「良きっ」


 頭部装甲の中でジャンヌは満の笑みを浮かべ快哉の声を上げた。


 些か変則的ながら、彼女は二刀流となったのである。


 ◇


 こうして――、


 数刻が過ぎた後も戦いは続いているのだが、アヴィニョン大通りからセントカロリーナ広場に至る制圧をほぼ終えていた。


 ベルニクの進軍速度を奴隷級の投入が早めたのは皮肉な話である。


 剣戟の末に聖堂へ押し入ったトールが最も恐れたのは、レオ・セントロマが逃亡しているのではないかという一事のみだったが幸いにも杞憂となっていた。


 内陣で祈り続けたレオは、首筋にトールの血濡れた剣先を感じてもなお、ラムダ像に跪いて無防備な背を見せている。


 外で繰り広げられる剣戟とは無縁の静けさが漂っていた。


「取引――いや、招待をしよう」


 その言葉に、トールの剣先が止まった。


 古典時間においては未来、認知事象面では過去から来たと告げる少女の忠告に繋がったからである。


「私は――」


 無防備な背を向けたままレオが立ち上がった。


「――間違っていた」


 何を言っているのだろうかと、トールの表情が曇る。


「ベルニクを滅ぼし、卑しく下らぬ女は道化を使い害し、私は教皇として全ての不道徳を廃する。そして乱れた帝国はエヴァン・グリフィスにより救われる」


 それは、トールの知る物語だった。


「だが後年、私は失脚しプルガトリウムに堕とされる――」


 原理主義に傾倒した幼馴染を切り捨てる主人公の決断に、心震わせて読み進めた記憶がトールの中に蘇った。


「――その未来を私は待ち望んでいた。プルガトリウムにて私の原罪が赦される刻が訪れるのをな」


 だが、彼の焦がれた未来は姿を現さなかった。


 ベルニクは勝ち続け、教皇はアレクサンデルとなり、女帝ウルドは今も生きている。

 オビタル帝国は二つに分かたれたとはいえ、群雄割拠する状況には至っていない。


「こうして私は、失意と焦燥の日々に在ったが――」


 首筋に当てられた剣先を意に介さず、レオは振り向き笑んだ。


「――長い夢見の果てに黒髪の女と出会い、そして福音を耳にした。私の罪は既に赦されているとな」


 自死を果たせなかった彼は病床に在り、過去を遡り続けていた。


「故にこそ、全てのしるしが揃いながら、全ての事象は生じなかったのだ。私は赦されており、私は自由であり、つまり私こそがであるのだと示された」


 とは何なのだと問うかのようにトールが目を細めた。


「黙示録の告げる危機を乗り越え、新しき世のことわりを招じる礎石――」


 レオは新しき世へ人々を導く為に、罪を赦された己の手で他者の罪を払おうと企図したのである。


「だが、それもまた異なっていた」


 再び己の誤りを認めた。


「此度の好機においてなお忌むべき相手を害せず終わるのだ。私は礎石などではなく路傍に転がる石に過ぎぬと悟った」


 トール、アレクサンデル、そしてウルドは、かつてレオが望んだ世界を否定する墓標なのである。


「故に、招待しよう」


 ――レオ・セントロマ枢機卿の招待を必ず受けて。必ずよ。


「クルノフの秘蹟へ」


 その言葉に、トールは奥歯を噛んだ。


 プロイス領邦の方伯夫人の言によるならば、エヴァンの真名を知らねば入れない場所なのである。


 だが、タルタロスに繋がれた本人から真名を聞き出す前に、ミセス・ドルンが止めを刺してしまった。


「クルノフにて私を殺め、エヴァンと共に埋葬してくれ。あの男の亡骸はお前の手許に有るのだろう?」


 正確に言えばミセス・ドルン預かりとなっていたが、何れも旗艦トールハンマーの客人ではあった。


 十分に受け入れ可能な招待、あるいは取引だろう。


 だが、彼は逡巡している。


 レオ・セントロマが気に入らない。


 ヴァルプルギスを演じる遥か以前から気に入らなかった。我欲を滅したと己と周囲を誑かしておきながら実際には誰よりも欲深い男なのだ。

 あまつさえ母子を盾とした事で、負の感情は絶対的なものとなっている。


 レオの抱く願いなど、何一つとして聞き入れたくなかった。


 ――ええ、そうなの。けれど、あなたは断り――そして後に悔やむ。大いにね。


 悔やむであろう理由は予想がつく。


 秘蹟が必要となる局面が訪れるのだ。船団国との対立か、あるいは七つ目と反駁する未来が待っているのかもしれない。


 故に――、


「――」


 トールは受諾するつもりだった。


 但し、彼の脳内に大音声が――余りに強烈な想念が響き渡るまではである。


 ――待てっ!


 レオより「卑しく下らぬ女」と評された女だ。


 ――待て、トール!


 いかなる障壁があろうとも、彼女はトールの強い感情を共有している。戦いの興奮も、恐怖も、怒りも、肉体的な痛みすら伝わっていたのだ。


 ――む、娘の忠告を受け入れる度量は褒めて遣わす。


 それは度量などではないとトールは思った。

 未来に対する畏怖と怯えに過ぎない。


 ――それでも良いが、ともあれ良く考えよ。ひたと振り返れ。己の生き様を。


 いかなる生き様であったのだろうか。


 ――手前勝手に全てを巻き込み、我欲のみを求め進んで来たのであろう?


 理想や正義ではない。


 ――ならば、ヴァルプルギスを生んだ男を笑んだまま死なせるなど、お前の――トール・ベルニクの流儀と我欲に反しよう。


「だけど、オリヴィア」


 内陣に入り初めて発せられたトールの言葉に、レオは訝し気な表情を浮かべる。


 他方、いかなる風が吹いたのかと、旗艦トールハンマーに座する女帝ウルドにしてオリヴィア・ウォルデンは背筋を伸ばし少しだけ頬を朱色に染めた。


「な、なに?」


 名を呼ばれた彼女は、期せずして言葉遣いもひらとなる。


「怒られないかな」

「誰に?」

「何だか気が強そうだったし――」


 なぜ忠告に従わなかったのかと詰問される未来が容易に浮かんだ。彼女の好奇心旺盛な弟は面白そうに後ろから眺めるのだろう。


「――怒られたら――いいと思う」

 

 それでこそトール・ベルニクではないか?


「嫌われちゃうかも」

「信じて」


 オリヴィアは父の自覚を欲した。


「私達の娘を」

「そっか」

「そう」

「よしっ!」


 トールは、うんうんと頷き笑みを浮かべた。


「――ええと、招待は断ります」


 聖剣の柄を握り手に力を込めた。


 ――初志貫徹!


「貴方の埋葬先はペレグリン孤児院長マーリン・セントロマの墓となるでしょう」

「なっ――」


 目覚めて以来、レオの顔に初めて苦悶の表情が浮かぶ。


「さようなら」


 ヴァルプルギスの夜に別れを告げた。

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