86話 英雄の少年期は去りぬ。

 聖都アヴィニョンの戦いより三月みつきが流れた。


「帝国簒奪の野心を抱く者が聖教会の権力闘争を利用し――」


 戦いの傷痕が未だ残る教皇宮殿を背景に、漆黒のローブ・デコルテを纏い大衆に語り掛ける姿こそ、人々が待ち望んだ為政者の姿なのかもしれない。


「――あまりに多くのモノを喪いました」


 近衛師団が警護するセントカロリーナ広場に大海の如く聴衆が集まっており、人の群れはアヴィニョン大通りの半ばまで続いていた。


「偽りの教皇レオ・セントロマの災厄は、私にも刻まれているのです」


 そう言ってイドゥン太上帝は、Λラムダの印を結び暫し天を仰いだ。


「故にこそ――」


 レオの死後、復活派勢力圏メディアが最も注力して伝えたのは、ベルニクと共に去った教皇アレクサンデルや、ケルンテンから撤収した連合艦隊についてではなかった。


「愛する弟の遺志を、私は受け継がなければなりません」


 レオ・セントロマに最後まで抵抗し異端の濡れ衣を着せられながら民を護ろうとした英雄エヴァン・グリフィス。


 聖教会の権力闘争を煽動した挙句、女帝に続き教皇までも攫った奸雄トール・ベルニク。


 天秤の枷を解かれた宰相アダム・フォルツは、家臣ウォルフガングの書き上げたナラティブを連日のように報道させていた。


「弟は慈悲と信仰の力で帝国を正道に戻そうとしましたが、レオ・セントロマの振るう暴虐によって彼の志は打ち砕かれました。レオに従わざるを得なかった天秤達もまた犠牲者なのです」


 全ての悪事はレオによるものである。


 ヴァルプルギスの夜、グリフィスの異端審問、タルタロスに繋がれた廷吏や無辜の民達――だけが被害者ではない。


 諸侯、聖職者、天秤衆、そしてイドゥン太上帝自身すらも、いつの間にか被害者の行列へ身を滑り込ませていた。


 兎も角、全てレオが悪い。


 そして――さらなる悪が依然として存在する。


「そのレオもまた世を去りました。悪鬼ベルニクの無慈悲な暴虐が、彼を上回ったからにほかなりません」


 彼女が使った悪鬼という表現は、セントカロリーナ広場に集った人々にとって決して大仰な言い回しではなかった。


 多くの者がアヴィニョン大通りの戦いを至近で目撃したうえ、戦後に築かれた死体の山を片付けるべく徴用されたのである。


 むせかえるように充満した鉄錆てつさびの匂いと、狂相を浮かべ語らぬ肉塊の記憶は生涯消えぬ悪夢として残るのだ。


「この非道を看過する事など出来ませんが――暴虐に飽いた我々には安らぎこそが必要となりましょう」


 イドゥン太上帝による聖都行幸は、復活派勢力がえがく企図の総仕上げだった。


 彼等は、宰相エヴァン・グリフィスという政治的支柱を喪い、さらには教皇アレクサンデルが新生派勢力へ逃れた為に宗教的正統性においても分が悪い。


 政治、宗教、何れも統御し得る象徴を必要としていた。


「我等より弓引く事はありません」


 そう言いながら浮かべる彼女の微笑みは、慈愛の中に真摯な決意を滲ませているかのように見えた。

 壁に繋がれたラムダ像の浮かべると通ずるものがある。


「慈愛と友誼にて相対あいたいし、来たるべき刻を待つのです。エゼキエルとアヴィニョンへ正統なる銀冠が戻る日を――」


 アダム・フォルツ並びに復活派に与する選帝侯達は、彼等の作り出した都合の良いナラティブが、メディアを通じて新生派勢力の民衆へも伝搬する事を強く望んだ。


 両勢力共、武力衝突による決着をつけられる状況では無かったからである。


 復活派勢力はレオと天秤衆の後始末に追われていた。


 他方の新生派勢力は、アラゴン、フォルツ、ファーレン、バイロイトという四選帝侯が抱える兵力を鑑みるなら、未だ決戦に持ち込む機ではないと判断している。


 レオの死によって招来された奇妙な均衡状態の中で、トール・ベルニクの政治的価値を貶めようと躍起になっていたのだ。


 故に彼等は、新生派勢力圏のメディアに対する働きかけを強め、莫大な人と金を投じて工作をしていたのだが――、


「今朝も、この話題から――」

「やはり本日も、この話題は外せ――」

「次は――」


 首席補佐官ロベニカ・カールセンの忙しい朝は、身だしなみを整えながら行うメディアチェックで始まる。


 月面基地へ出張中とはいえ、そのルーティンは変わらない。


 部屋中を照射モニタで満たし全メディアの報道に目を通すのだ。


「帝都フェリクスでは来たる――」

「既に宿泊予約で埋まっており――」

「現場の――」


 ロベニカは小さく息を吐いた後、全ての照射モニタを消した。


 直後、無音となった彼女の部屋に、自らの頬を打つ音が響く。


「――がんばれ」


 両頬に手を添えた美しい女の瞳は、鏡面を通してなお少しだけ紅い。


「わたしっ!」


 ともあれ――、新生派勢力メディアに対するアダム・フォルツ等の工作は功を奏さなかった。


 別の話題がメディアを席巻していたからである。


 ◇


「こんな所にいたのかよっ!」


 遠慮という無駄な概念をモルトケ一家では躾けられない。


「探したぜ。ったくクソが」

「フリッツ殿、ここは――」

「おい、フリッツ」


 大きな声を張り上げ屋敷の聖堂へ入っていくフリッツを、家令のセバスとプール清掃員トジバトルが止めようと手を伸ばした。


 彼等の背後には冷めた目付きのテルミナが腕を組んでいる。


「ちっ――バカ野郎が――」


 舌打ちして呟いた彼女の視線の先に在るのはフリッツではなかった。


 ラムダ像を見上げて佇む女――女男爵メイドのマリである。聖堂の片隅ではブリジットがひっそりと立っていた。


「早く来いよ。間に合わねぇぞ」


 留守役となった不運な者以外は、屋敷の使用人全てが帝都フェリクスへ招かれている。


「――ごめん」


 と、謝罪の弁を述べながらも、マリは振り返らなかった。


「ああああ、もう辛気くせえええっ」


 苛とした声をフリッツが上げる。


 ――こういう時は、あの欲深女が懐かしくなるぜ。


 天秤に魂を奪われず、奴隷に堕とされてなお立ち上がり、自家の再興を目論んでギャンブル依存症になりかけた元臨時秘書の顔貌がんぼうが脳裏に浮かんだ。


 幸運に恵まれ領邦領主の娘となった彼女は、父を助けるという名目で傍若無人に領内を引っ掻き回しているとも聞くが――。


 ――とはいえウジウジしてねぇからな。あいつは。


 そこが良いと彼は思った。


 サピエンスより遥かな長命を得たとはいえ、オビタルに与えられた時間とて有限なのである。


「いつまで、テメェは――」

「フリッツ」


 彼が屋敷の中で最も苦手とする女の声が響いた。


「――ぃ」


 唾を飲みこんで、ゆっくりと振り返った。


「相変わらず駄目な子ね。――いいから先にお行きなさい」


 嫣とした笑みを浮かべる統帥府報道官ソフィア・ムッチーノである。


 報道官は邦都におけるメディア対応に追われており、彼女も未だフェリクスへ発っていなかったのだ。


「こういう時って」


 今日の彼女には不思議な説得力がある。


「大人の女が必要なの」


 ◇


「いやあ、なかなか良い事言いますね」


 月面基地発着場へ向かい通路を歩くトールは、イドゥン太上帝の映る照射モニタを消して頭を掻いた。


「そうですか?」


 隣で同じ映像を見ていたロベニカは、同意できないといった表情を浮かべる。


「――レオを止める権力を持ちながら座視していた方です。何を今更――と、私なら思います」


 弟エヴァンの身を案じ動きが鈍ったという筋書きになっているが、復活派勢力が喧伝するナラティブの急所ではあった。


「まあ、理屈より感情の方が強いですから」


 イドゥン太上帝の慈愛に満ちた眼差しと声音は、見聞きする者の感情に強く訴えかける。


 また、弟の遺志を継ぐという言い回しは絶妙であるし、争わないという姿勢も戦いに飽いた大衆には受けが良いだろう。


「どうにも、やり難そうな人です」


 エヴァンやレオ、そして船団国より手強い相手とトールの直感が告げていた。


「でも――」


 トールならば、とロベニカは思っている。


 それを告げようとしたところで、ケヴィン・カウフマンの声に遮られた。


「閣下」


 発着場ゲート前には、ケヴィン中将やジャンヌ大佐など、中央管区艦隊所属の軍高官が居並んでいた。


 白い正装を纏った軍人達が一斉に敬礼をする。


「お待たせしました」


 常の調子で軽く答礼をしたトールは発着場ゲートへ向かう。


「じゃあ、行ってきますね。ロベニカさん」

「はい、お気をつけて。私は領邦専用機にて後ほど」


 旗艦トールハンマーに乗船するトールを見送った後、ロベニカはバスカヴィ宇宙港へ急ぎ移動しなければならない。


 帝都フェリクスにて、マリやテルミナ、そしてソフィアと飲む約束を交わしている為に遅刻は御法度である。


 ――ジャンヌが遅れるのは残念だけど、

 ――ともあれ、泣ける夜になりそうね。


 ロベニカに手を振ったトールがゲートを出ると、その後にケヴィン達が続く。


 広大な発着場を歩くトールの背を見詰め、ロベニカは強い既視感に襲われていた。


 蛮族に立ち向かうべくトールが月面基地を発ったあの日――。


 ゲートから真直ぐに進んだ先に在ったのはホワイトローズの白い艦艇だった。


 発着場に並ぶ艦艇の数は現在よりも遥かに少なく、その多くはルチアノグループから借り受けた商船である。


 だが今――、


 新規建造や購入により駆逐艦の艦艇数は大幅に増えている。


 蛮族から鹵獲した旗艦トールハンマーの威容はベルニクの誇りと言えよう。


 太古のテクノロジーが生んだとされる少女艦隊までが集っていた。


 そして何より、余りに強い絆で結ばれた臣下を従え、軍神の如く彼を崇拝する兵卒達を率いる男となったのだ。


 故にこそだろうか。


 巨大な人工物と比して、かつては小さく見えたトールの背が、ロベニカの目には大きく映った。


 その背が、あの日と同じく遠ざかって行く――。


「あ――」


 彼女は短い悲鳴を上げる。


 何か障害物でもあったのか、トールが転んでしまったのだ。

 ケヴィン中将の手を借りて起き上がっている。


 頭を下げて礼を言っているのも分かった。


「もう!」


 胸が締め付けられそうな思いと、可笑おかしみが混ざり合い、気が付けばゲートを出ていた。


 ゲート付近にいた基地職員が、スーツ姿で現れたロベニカを戻そうと近付いてくる。


 思いきり息を吸い彼女が名を呼ぼうとした瞬間、トールが背後を振り向いた。


 笑みを浮かべ大丈夫だと頷いた後――、


 彼は制帽を取り、少し照れくさそうに敬礼をした。



 かくして少年は、大人となるのだ。


起転承[乱]結Λ.....了


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―― 起転承[乱]結Λ あとがき――


 [乱]章は長かった……。


 と、皆様も思われておりましょうが、書いている本人が一番そう感じております。

 ホントに長かった!


 そして、あまりに多い登場人物、同時進行するストーリーライン、そんなの覚えてねーよという過去の伏線。


 全てがWEB小説のNGリストであり、素人が開けてはならぬパンドラの箱だったのですが――、


 開けちゃいました~(アホ顔で


 と、それはさておきまして、カクコン8ではコミックウォーカー賞を頂きました。


 ポイント数で決まってしまうカクコン中間選考を生き残れたのは、まさしく皆様方のフォローと評価のお陰ですので改めて御礼申し上げます。


 ありがとうございました!


 さてさて、次は[結]章となります。


 多くの事柄に一応の結論が下される章となりますでしょう。

 

 とはいえ、次章は時間が飛んでしまう為、その前に書いておくべき事と書きたい事を幾つか出しておきたいと思います。


 [結]章の前に、「幕間:真祝編」を数話ほどお届け致します。

 

 色んなモノを救済しないと駄目ですからね!


 それでは、多くの皆様と次章で再会できますように。


S.M. / S.S.

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