幕間:真祝編

Dorn's night.

 帝都フェリクス郊外に、ミセス・ドルンの小さな屋敷がある。


「慶事のついでと言っては非礼に当たろうが――」


 無役の禿翁とくおうラニエリ・パッツィは、貴婦人に対する恭しい仕草でミセス・ドルンの手を取った。


「――隻眼の姫君の許へ立ち寄らせて頂いた」

「そうかい」


 ドルンは鼻を鳴らし目を細めた。

 

「御託は良いから、そこへお座り」

 

 彼女が目の前の椅子を顎で指し示すと、ラニエリは無毛の頭頂部を撫でながら腰掛けた。

 

「まずは、礼を言うよ。あの子を無事に旅立たせてくれたんだ」

「ヴォイド・シベリアの務めなれば」


 貴族制度に依らない政治システム、独自の金融政策、さらには量子煉獄プルガトリウムを擁する事で、帝国内において孤高の立場を確立した領邦である。


 新生派勢力に与すると宣しているが軍事行動には協力しておらず、結果として復活派勢力との貴重な外交窓口となっていた。


「依頼通り、連環のへ――」

「あ、あの――」

 

 不意な客人の訪問に、最前から離席の機会を窺っていたサラが立ち上がった。

 

 昼下がりの午後、常ならばドルンと茶を愉しむ時間だったのだが、己の身分には相応しくない会話の始まる予感がしたからである。


「いいんだよ、サラ。お前はいいんだ」

「ですが――」

「ほう?」

 

 ラニエリは初めて気付いたという風を装ってサラに視線を向けた。

 

「彼女が噂のレディかな?」

「――まったく――、誰の噂なんだい」

 

 奴隷とされていた記憶が抜け切らないサラは、レディという言葉に身を縮こまらせている。


「愛すべき愚かな友柄より」

「ちっ」

 

 他方のドルンは、淑女には相応しくない舌打ちを披露した。


 帝国開闢より営々と項を増やし続けて来た儀礼百般に通じ、古今東西あらゆる礼儀礼法を習得した隻眼の老婆だが己では実践しない。


「――そっちの件も礼を言っておかないとね」

「いや」


 ラニエリが首を振った。


「頼まれずとも動いた」

「エゼキエル慈恵医療院から出すのは苦労したんだろ」

「権元帥の働きで、さほどの労は要しておらん」


 レオ・セントロマの死によって、天秤衆の権勢は著しく低下していたのである。

 

 また、天秤衆総代ガブリエル・ギーの行方が分からぬ点も混乱に拍車を掛けていた。

 少女艦隊の制圧する宙域を抜け逃亡したと目されてはいるが――。


「とはいえ、こちらが少しばかり――」


 そう言ってラニエリは、頭頂部を指差した。


「べドラムゴラ医療センターへは入れた――が、さほどの期待は出来ぬだろう」

「そうかい」


 ラニエリから視線を反らせたドルンは窓へ顔を向け小さく呟いた。


「――飲みたい気分だね」


 酔わずに眠るには、帰らぬ昔日の輝きが眩し過ぎたのだ。


 ◇


「信じられない――明日、明日なのよ!」


 オリガ・オソロセアは二人の姉を前にいきり立っている。


 不断の努力を続けた彼女は、胸元が大胆にカットアウトされたドレスを殊更に好むようになっていた。


 努力は見せるべきではないが、成果はおおやけとすべきなのである。


 かような妹に掛ける言葉を選ぶべく、レイラは暫し考えた末に口を開いた。


「オリガ、あなたの努力は素晴ら――」

「バカね」

 

 気遣うレイラを遮った長女フェオドラが、あっさりと妹を両断してしまった。

 

「まだ諦めてなかったの?」

 

 人は良いが多分に現実的な彼女は、遥かな高みに至ってしまった相手への淡い思いなどとうの昔に絶ち切っていた。


 元々が絵物語の登場人物に憧れを抱いたようなものである。


 ならば、無駄な事に時を費やすよりも帝都フェリクスの暮らしを愉しんだ方が良い――と考え実際にそう行動していた。


 女帝の傍で常に仕えるレイラとは異なり気儘の効くフェオドラは、結果として帝都における幅広い人脈を築きつつある。


「私は違うもの」


 オリガの表情が少しばかり曇った。


「夜遊びに夢中なフェオドラ姉様とも違うし、陛下一筋かと思っていたら、いつの間にか親しい殿方を作っていたレイラ姉様とも違うのっ!」

「んん」


 フェオドラの瞳が好奇の輝きを帯びた。


「――その話、私は聞いてなくてよ――親しい殿方? ん、レイラ?」

「あ、あら、そうだったかしら」

「誰なの? 教えて、ねえ。お願い。誰にも言わないから」


 このたぐいの話題こそが、フェオドラの大好物なのである。


「嫌よ。姉様って口が軽いし――それに、お付き合いしている訳ではないのよ。何より私では――」

「待って」


 途端に張り切り始めたフェオドラが手を上げてレイラの言葉を制した。


「続きは夜に聞かせて頂戴」

「夜?」

「傷心の妹を元気づける為にも、今夜は三人で街へ繰り出すべきね」


 妹達は不審な表情を浮かべているが、既にフェオドラの視界には入っていない。


くだんの殿方についても詳しく教えて欲しいし――」


 ◇


「良かったわ。聞いていた通り静かな店で」

「うん」


 ロベニカ達が連れ立って入った店内は、落ち着いた照明と静かな音楽が外の喧騒を忘れさせてくれる。


「つーかよ、稼ぎ時にこんなりで大丈夫なのか?」


 テルミナは案内されたテーブルのソファへ飛び乗るようにして座った。


 世紀の慶事を目前に控える帝都フェリクスは多数の観光客が訪れており、常にも増して賑わいを見せていたのだ。

 夕食を取る場所にも困る状況だったのである。


「会員制なのよ」


 そう言ってソフィアは足を組みかえた。


「プライベートサロンよりもカジュアルに――が、コンセプトと聞いたわ。夜遊び好きな子息令嬢を客層にしようとしているのでしょうね」


 普段とは異なる交流も図れるよう考えての事か、各テーブルは絶妙な距離感で配置され、尚且つセパレートは観葉植物のみとなっている。


「はぁん、トジバトルの野郎。こっちでも妙な商売を始めてやがるんだな」


 外見とは裏腹に商魂逞しいトジバトル・ドルゴルは、コロッセウム建設を推し進める傍ら帝都フェリクスで既に幾つかの飲食店を買収している。


「――」

「マリ、どうしたの?」


 プール清掃員の話題には加わらず、マリは入口付近に気を取られていた。


「あの人達――」

「へえ」


 途端にテルミナは意地の悪い笑みとなる。


「G.O.Dのお転婆姉妹じゃねぇか」


 オソロセアの至宝、と父が主張する三姉妹の姿がある。


「レイラ様はお忙しいはずだけれど――」


 ロベニカは首を傾げた。


 女帝ウルドの最側近となったレイラは、慶事を前に多忙を極めているはずである。


 実際、遠目で眺めても、彼女の顔貌には疲労の色が浮かんでいた。


「他の二人は暇人だからな。フェオドラなんざ社交界の有名人になってるぜ」


 帝都フェリクスにも長手を張り巡らせつつあるテルミナは、当然ながらオソロセア三姉妹の動向とて本人達以上に把握していた。


 ――警戒心の欠片もないせいか、妙な野郎とも繋がってやがる。

 ――そいつが吉と出るか、凶と出るか――微妙なところだが。


 ◇


「あそこに座っているのは――」


 レイラが、姉の腕に触れた。


「ベルニク所縁ゆかりの方々ではなくて?」

「あら?」「え――」


 気付いたフェオドラとオリガも声を上げる。


 ロベニカやマリ、そしてソフィアに覚えがなくとも、テルミナ・ニクシーは彼女達にとっては恩人と言えよう。

 不埒な若者に襲われたフェオドラを救った幼女なのだ。


 後に彼女がトールの側近であると知り、大いに冷や汗を流したのである。


「でも、テルミナ様以外は分からないわ」

「他は統帥府高官の方々よ。ロベニカ首席補佐官とソフィア報道官ね。もうひと方は――ええと――女男爵のマリーア卿だったかしら」


 他領邦の要人の名を諳んじる次女を、オリガは尊敬の眼差しで見る。


 レイラは立場上メディアの報道に触れる機会が増えただけではなく、事情によりベルニクの政治状況に詳しくなっていた。


 ――ガウス様から帝都へ参られるとは聞いていたけれど、こんな場所で遭遇するとは思わなかったわ。


 諸般の事情でオソロセアの士官学校へ留学した男、ガウス・イーデンの顔貌を思い起こしていた。


「姉様、折角の機会ですし、同席をお願いしてみませんこと?」

「いいけど――」


 と、フェオドラが言い掛けた時の事だ。


「ここかい? 気取った店構えの割には小娘ばかりじゃないか」


 遠慮の無い老婆の声が響いた。


「そこが良いとこ――あ、いやいや。貴女好みの演目もあるので御案内したまで」

「まあ! 何て素敵なお店なのかしら。私、夢みたいですわ」


 ミセス・ドルン、無役の禿翁とくおうラニエリ、そしてサラである。


「今からでもアドリア様を――」

「ば、婆っ!!」


 アドリア・クィンクティを気遣うサラの意見は、テルミナの上げた大音声で遮られてしまった。


「エヴァンをかっぱらった挙句、厄介者だけは押し付けやがって」


 ソファから立ち上がったテルミナは、ドルンへ詰め寄るように近付いた。


 熊の息子ジェラルドの身柄については既にマクギガン家が廃されているが故に、仕方はなくベルニクの屋敷で預かっていた。

 トジバトルが二代目プール清掃員とすべく教育中である。


 他方のテルミナは怒鳴り込むつもりでドルン邸を探っていたのだが、無警戒な外観とは裏腹に七つ目が厳重な警戒を敷いており断念していたのだ。


 果実に見合わないコストを要すると判断したのである。


「お前には、まだ成長の余地があるというわけさ。ま、そんな事より――」


 と、悪びれもせずに応えたドルンは、ロベニカ達とオソロセア三人娘を隻眼で見回した。

 そのさまは、童話に出て来る悪い魔女を思わせる。


「――なかなか面白い面子が揃ってるじゃないか」


 過ぎさりし日々の郷愁に溺れそうな夜は、若者達の抱える下らぬ繰り言を笑い飛ばして発散するに限ると考えた。


「今夜は特別に聞いてあげるから、洗いざらい話すんだね」


 誰も頼んでなどいないのだが、不要な節介を断らせない圧が老婆にはある。


しつけてあげるよ」

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