挨拶。

 世紀の婚礼前夜より、話は少し遡る。


 聖都における戦いを終え邦許に戻ったトール・ベルニクは、休む間もなく秘かにアラゴン領邦へと旅立っていた。


 なお、トールが向かったのはアラゴンの邦都ではなく、フィオーレ家が半自治権を持つ惑星シュガールの軌道都市である。


 クラウディオの姉であるプロイス領邦の方伯夫人が安全を保障しているとはいえ、威風堂々敵地に乗り込んで来た男へ敬意を表すべく、当主フランチェスカ・フィオーレ自ら宇宙港にて出迎えていた。


 ――噂に違わず豪気な方ね。


 フランチェスカの顔貌に自然と笑みが浮かぶ。


 ベルニクの領邦専用機から降り立った軍装の男は、モンゴロイド系とおぼしき大男一名のみを従え降り立ったのだ。

 特段に身構える様子もなく、タラップから長く伸びる赤絨毯の上を歩いて来る。


「――非武装船で呑気に訪れた上、お付きは――何者でしょうな?」


 副官のアルジェントが不思議そうな声音で呟いた。


「軍属では無さそうですが――」

 

 当の本人も未だ不思議さを拭えていない。


「私で良かったんですかね?」


 トールの斜め後ろを歩くトジバトル・ドルゴルは、馴れぬ妙な服に違和感を抱きながら道中で繰り返した質問を再び口にした。


「プライベートな非公式訪問でクラウディオさんを刺激したくないんです。彼ってナイーブですからね」


 首席補佐官であれば政治的動きと邪推され、将校や軍高官であれば大きな反感を買うだろう。

 七つ目の姉に対してクラウディオが抱く畏怖を、歪んだ反骨心が凌駕する可能性もある。


「それに、トジバトルさんの今後を考えると実績を作っておいて欲しいんです」


 インフィニティ・モルディブの事後処理を委ねたフリッツと同様の話である。


「ですから当面の間はボクを護って下さい」

「そいつは光栄ですがね――」


 と、応えながらも、剣闘士上がりの野良剣士に護られる柔な男ではないと理解しているトジバトルは釈然としない。


 ――だとすると例の話は本気だったのか?

 ――冗談かと思って聞き流していたが……。


「閣下」


 かような会話を交わす二人がゲート前に辿り着くと、フランチェスカを陣頭に居並んでいたフィオーレ家の兵卒達が一斉に敬礼をした。


「あ、どうも」

「ぅあぅ」


 両名ともに、ぎこちない仕草で答礼をする。


「初めまして、フランチェスカ准将。ええと、ボクがトール・ベルニクです」


 その名を知らぬ者は、もはや存在しない。


「でもって、こちらが――」


 緊張から口をへの字に結び中空を見詰める大男を振り返った。


「付き添ってくれたトモダチです」


 ◇


 臆病な先方の望んだ会談場所は復活派勢力圏の領邦だった。中立領邦やヴォイド・シベリアすら足を踏み入れるのを怖れていたのである。


「今回は本当に助かりました」


 宇宙港から小一時間程の距離に、フィオーレ家の広大な屋敷があった。


 方伯夫人の計らいとフランチェスカの好意により、臆病な先方が納得し、尚且つトールの安全を確保できる場所が用意されたのである。


「いいえ、私の方こそお目もじ叶い光栄に感じております」


 フランチェスカはしんからの思いを伝えた。


 武門の生まれとして、トール・ベルニクに対する興味は尽きない。


 EPRネットワーク上に流布する聖都揚陸戦の映像は、残虐無比なれども彼女の心を捉えて離さなかった。


 合理性を度外視して常に先陣を切るさまが実に子気味良いのである。


 刻が許すならば二人で膝を突き合わせ諸般を語り尽くしたいところだったが、残念な事に本日の彼女は場の提供者であるに過ぎなかった。


 屋敷に用意した会談の間へ案内するまでの僅かな時間のみが、交流を図れる唯一の機会なのである。


 故にこそ、彼女は何らかの形でフィオーレを――否、己という存在をトールの中に僅かでも刻んでおきたいという情動を抑えられなかった。


 屋敷へ至る車中でトールから漏れた言葉は、ジャンヌ・バルバストルと双璧を為す運命の戦乙女フランチェスカ・フィオーレに天啓を与えたのである。


 ――確かに聞こえたわ。運命共同体――と。


「不躾ですけれど――」


 会談の間が近付くに従い、幾分か緊張し始めている男に語り掛けた。


「は、はい?」


 何かを練習するかのように独り言を呟いていたトールは、心ここに在らずといった風情で応える。


「――その指輪」


 右手の薬指に着けた鉛色の指輪は、光の加減によっては七色に輝く。


「運命共同体――」

「わわっ。な、ナイショですよ」


 車中でフランチェスカに問われたトールは、思わず途中まで真実を語っていたのである。


「はい、無論です」


 フランチェスカは華やかな笑みを浮かべ頷いた。フィオーレとは古典言語で花を意味したという説もある。


「ですが、フィオーレは存じ上げております。その指輪は運命共同体的契約関係と呼ばれ、太古のテクノロジーが生み出したものであると」

「え?」

「当家には幾つかの伝承が残っています」


 銀冠を抱かぬ家門とはいえ、帝国開闢にまで血筋を遡れる名家である。


「我等の開祖――よりさらに遡った先祖が残したとされる記録があるのですが、指輪について多くの事柄を述べています」

「ひょっとして、これを開発した人ですかね?」


 EPR通信に依らずに光速度を超える通信を実現した指輪である。少女艦隊の利用する超弦ちょうげんネットワークに類するものと推測していた。


「いいえ。技術者ではなく武人であったようです。とはいえ先史からオビタルに至る歴史にはミッシングリンクが多く不確かな点はあるのですが――」

「なるほど。では、どんな記録を?」


 トールの尽きぬ好奇心が刺激され、最前までの緊張感など吹き飛んでいた。


「ふふっ。大変に勇ましいご先祖様だったようですが、指輪に関する記述の多くは愚痴、あるいは泣き言でした」

「な、なるほど」


 その理由はトールも見当がつく。


「そんな閣下に朗報です」


 人差し指を立てたフランチェスカは悪戯っぽい表情となった。

 

「回避策も記述されておりますから」


 ◇


 会談の間では、生真面目そうな男がソファに腰掛けていた。


 銀冠を戴いているとはいえ一切の豪奢が感じられず、その容姿をオビタルの美醜で判断するなら余りに凡庸という評になるだろう。


 その男は、フランチェスカの案内でトールが入って来たのに気付くと慌てて立ち上がり、どう対応して良いのか分からぬ風情で頭を掻いている。


「――では、私は」

「はい。ええと、例の件は後ほど――詳しく」

「畏まりました」


 そう言い残しフランチェスカは去り、豪奢な居室に二人の男が残された。


「座って下さい――」


 トールは男の正面に位置するソファへ向かい、少し躊躇った後に言葉を続けた。


「父上」

「――え? う、うむ?」

「あ、いや、そう呼ぶのは早いのかな。難しいですね。アーロン公爵」


 アーロン・ウォルデン公爵。


 名家ウォルデン領邦の領主である。

 希代の美女シャーロットを妻とし、美の極みと詩人も謳う娘のオリヴィアは女帝となった。

 また、故エヴァン・グリフィスの盟友ともされている。


 ――にも関わらず、存在感の希薄さが凄いよね。

 ――巨乳戦記でも活躍した記憶が無いしなぁ。


 ヴァルプルギスの夜以降も目立った動きを見せていない。


 捕縛されたエヴァンを救うでもなく、さりとてレオに与するわけでもなかった。

 聖都奪還軍やフォルツ防衛においても、一切の軍事協力をしていない。


 つまり、何もしていないのだ。


 かといって捨て置いて良い相手とは言い切れなかった。


 観戦武官ハンス・ワグネルの記憶を信ずるならば、カッシウスの使徒にアーロン・ウォルデンも含まれているのだ。


 そして何より遺伝的繋がりの真偽は兎も角として、オリヴィア・ウォルデンの父なのである。


「今日は公爵にお伝えしたい事と、お聞きしたい事があって来たんです」


 この会談に、女帝ウルドは難色を示していた。


 ――放っておけば良い。

 ――部屋に籠って益体やくたいもない駄文を書くだけの男だ。


 そう彼女には言われたが、トールは危険を冒してでも会いに来た。

 筋を通すべきであると考えていたし、人となりを直に確かめたかったのである。


「本来なら二人で参るべきところですが、政治状況と立場が許しません」


 トールは頭を下げ、そして告げた。


「オリヴィア嬢を妻とします」


 この言い回しが貴族の流儀、しかも女帝に対して適当とはトールも考えていない。

 とはいえ、他の伝え方も浮かばなかった。


「既に求婚し、彼女の同意は得ています」

「その――伯は正気か?」


 娘に対して無礼の過ぎる表現ではあったが、トールも彼の言いたい事は分かる。


「はい。正気です」


 だが、ともあれ元気に応えた。


「し、しかし、伯」


 アーロンは腰を浮かせ、幾分か前のめりとなった。

 

「父から見ても癇気かんきなところがある。かつての内裏だいりにおける悪評も凄まじい。どうにも性悪のへきが垣間見えるのだ」


 ――ボクも巨乳戦記を読んでいた時は嫌いだった。


「おまけに帝国は二つに分かたれ盤石とは言い難い。かような状況で王配など重荷となるだけではないか?」


 生まれた時から傍観者の立場に甘んじて来たアーロンからすれば、火中の栗を拾う愚挙としか思えない。


「ええ、でも」


 ――意地悪で、我儘で、残酷で――だけど――、


「彼女が好きなんです」


 ――誰よりも正直だ。


 いつから好いていたのだと本人から問われた時、トールは答えに迷わなかった。


 あの夜からである。


 全ては、あの夜から始まったのだ。


「勿論、好悪のみで結ばれて良い身上でも無いのですが、幸いな事にボク等の結婚には政治的メリットもあります」


 復活派勢力が喧伝しようとしているナラティブを慶事で打ち消し得るうえ、互いの権力基盤を強める効果が生ずるのである。


「それらを公式発表する前に、ご挨拶へ参じた次第です」


 暫しの沈黙を経た後に、アーロンはようやく口を開いた。


「――なるほど」

「お許し頂けますか?」

「伯もご存じだろう。私の立場では許すも何も――いや――」


 彼の胸に去来するものが何かは分からなかったが、力無く首を振った後に言葉を続けた。


「――私に許す以外の道などあるまい」


 アーロン・ウォルデンは気付いていない。

 その言葉こそ、彼が果て無き傍観者から踏み出す最初の一歩となる事に。


「ありがとうございます!」


 トールは満の笑みで応えた。


「いやぁ、やっぱり緊張するものですね。あ、でも、これで心置きなく父上と呼べますね。父上」

「う、うむ」

「さて父上。お伝えしたい件は以上です。ただ、少し下らない質問もあるんです」


 トールはかねてより、アーロンに対して尋ねたい事があったのだ。


 部屋に籠っているという彼の噂、船団国にまで流通するセバスの愛する物語、そしてソフィアの許へ届いた謎のメッセージ。


 ――”あなたの書いている伝記を手伝わせてくれ。"


「シンゾウという名前に心当たりは?」

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