13話 帝都合唱団。

 トールがノルドマン家にて因果の邂逅を果たし、フェオドラは邦許で奮闘し、ドミトリはオリガへ跪き、テルミナはグリフィス潜入を決し、グリンニスは奸臣に苛立ち、ロベニカは同窓のパープルロッジを招集し、ジャンヌがロイド家にて不死兵を目撃していた――頃より一週が過ぎている。


 帝都フェリクス――。


 オリヴィア宮の大聖堂に設えられた鐘塔から鳴り響く鐘音が、帝都フェリクスに早朝の訪れを告げていた。


 荘厳な音色は広大なオリヴィア宮の敷地内のみならず、周辺ハイエリアから観光客が集うサウス・ベルツ地区まで響き渡る。


 この鐘音を単なる騒音と解し異議を唱える者も居たが、侍従長シモン・イスカリオテは祈りを捧げ心清らかにする機会と捉えていた。


 当初は、女帝ウルドへ抱く恨みや怯えを軽減する為に通っていた心理療法士より薦められた手段に過ぎなかった。


 だが、いつしか他者を思う祈りこそが、脳内でオキシトシンの分泌を促し、GABAニューロンを活性化させるのだという体験的気付きを得たのである。


 かような次第で、早朝の祈りはシモンの日課となっていた。


 ――お労しいレイラ嬢の為にも祈らねばな……。


 偉大な父の喪失に心痛める名誉近習レイラ・オソロセアは、未だ居室にこもり姿を見せていない。


 ――三日後には、お見送り頂く役目ある御方なのだ。


 あらゆる腐敗を防ぐエンバーミング処理を施されたロスチスラフの遺体は、オソロセア領邦からフェリクスに向けて遥かな葬列を進んでいた。


 帝国葬の当日ともなれば、宇宙港からオリヴィア宮の大聖堂に至る沿道は、追悼する者達の群れで埋め尽くされる事だろう。


 十年前、英雄と女帝の婚儀を祝ったと同じ道が、奸雄などと揶揄やゆされながらも新生派を影日向に支え続けて来た男の辿る黄泉への往路となる。


 ――いかなる英雄も、そして奸雄もやがては死ぬ。

 ――大事を成しても死に、小事すら成せない私とて死ぬ。

 ――ならば、果たして現世とは――、


「おおい、シモン殿」


 諸行無常な物思いに沈み大聖堂前の階段を登っていたシモンの背に、あまりに庶民的な宮人みやびと――などと評され大衆受けの良い男の声が掛かった。


「あ、これはこれは。トジバトル子爵」


 意外な邂逅と感じつつも、シモンは心軽く会釈をする。


 籠城戦における活躍、オリヴィアの名を冠したコロッセウム建立などの功績が認められ、トジバトル・ドルゴルは一代貴族とはいえ子爵位を授かっていた。


 黒髪とモンゴロイド系の風貌に対する反発を懸念し本人は固辞していたのだが、珍しくトールが強引に事を進めてしまったのである。


「おや――近衛隊の視察ですかな?」


 トジバトルは近衛隊の平装に身を包み、尚且つ数名の若者を従えていた。


 近衛隊長自らが若輩の隊員を引き連れ、重要事を控える場所の検分に訪れたと解釈したのである。


 新生派発足当初、女帝の守護を担っていた近衛兵は、公領時代の帝国兵で占められていた。

 旧帝都エゼキエルの禁衛府と女帝が完全に切り離されてしまった故である。


 トールはこれを危惧し、自身が信頼する者の手で再編させようと企図したのだ。


 そして、その大役を任せるに足ると彼が判断した相手は、剣闘士にして商売人、尚且つプール清掃員だったトジバトル・ドルゴルなのである。


 とはいえ、未だ直属の艦隊を擁しておらず、兵数も師団規模には達していない。


 あくまで宮中や行幸先における女帝の安全を確保する、という役割に徹していた。


「いや、視察と言いますか――」


 頭を掻くトジバトルの背後を、シモンは改めて見やった。


 ――ん? 近衛兵にしては若すぎるか……。


 トジバトルの後ろに並ぶ若者達は、幼年学校の後期生――、あるいは大学生と思しき風貌だったのである。

 つまりは、社会を知らぬ甘さが残っていた。


「――ヴォルヴァ幼年学校の社会見学――ですかね」


 ◇


 前夜の事である。


 帝国葬に合唱団として招じられたヴォルヴァ幼年学校後期生の選抜組は、帝都フェリクスのサウス・ベルツ地区に手配されたホテルに宿泊していた。


 総勢五十名となる若者の一団は、歌唱力に基いてその大半が選出されていたとはいえ、何名かは家柄と政治的配慮の結果という点は公然の秘密である。


 というのも、名門ヴォルヴァ幼年学校はベルニクの飛躍に伴い、他領邦の有力家が子息を預ける寄宿学校として人気を博していたのだ。


 また、エゼキエルからフェリクスへの遷都によって、帝立幼年学校が喪われたのも理由の一つなのだろう。


 何れにせよ、幼少期から幅広い知己を得させようと考えるなら、現状ではヴォルヴァ幼年学校が最も妥当な選択肢なのである。


「つ、遂に分かったわよっ! ディオ!!」

「――うわっ」


 突然室内に入って来た赤髪の少女に驚いたディオは、思わず声を上げベッドに並び座る友人と顔を見合わせた。


 折角の帝都ながら、夜間はホテルから出る事を禁じられていた為、男同士で下らない話しをしていた頃合いだったのである。


「あら、ミハイルも居たのね」


 ディオの部屋に遊びに来ていた銀髪の少年に気付き、少女は嬉しそうな様子を見せた。


「う、うん――。寝るまで、は、は、話でもしようかなって――やる事も――なななないし」


 明朗で押しの強そうな少女とは対照的に、オソロセア出身の少年は気弱な口調で応えた。


 少年は銀冠でありながらも生来の控え目な性格が祟り、ディオと出会うまではヴォルヴァ幼年学校で辛い学園生活を送っていたのである。


 吃音という彼の特徴も、他者に付け込まれやすい隙となったのかもしれない。


「ちょうど良かったわ。あんたも呼ぼうと思ってたの」

「そ、そう?」


 言われた少年――ミハイルは照れ臭そうに顔を伏せた。


「で、それはそうと、キャロル」


 ディオは――美少年と言って差し支えない顔貌だが――努めて怖い表情を作り自身のベッドから飛び降りて告げた。


「用向きも気になるけど、どうやって僕の部屋に入ったんだ? まさかまた金の力に飽かせて――」


 恩人であり保護者でもある幼女――否、女性と同じ髪色という点は好ましかったが、あらゆる対象を買収しようとするのは如何なものかとかねてから考えていたのだ。


 ――まったく、碌な大人にならないぞ。


「違うわよ、バカ言わないで」


 キャロルは腕を組んで頬を膨らませた。


「このホテルのオーナーというだけよ」

「え?」


 想定外の解答に、思わずディオは崩れ落ちそうになった。


「お祖父様から数年前に頂いたの。妙な研究を適当に褒めただけなんだけど――ま、老人なんてチョロいものよね」

「ふう――。君はいつか――まあ、いいか」


 桁外れな富豪の家に生まれてきた者の正気など、浮浪児上がりの自分に理解できるはずもないのだ。


 諦観にも似た思いを抱き、ディオはベッドに再び腰を下ろした。


「僕はホテルを君が自由に出来るという事が分かったよ。それで、君の方は何が分かったんだい?」

「そう、それよそれ! んもう大変よ! ええと――ああ、待って。誓いが必要だったわ」


 興奮した様子のキャロルが右手を差し出した。


「今こそパープルロッジの誓いが必要よ! 決して誰にも明かさないと誓うの」


 ◇


「頼まれちまいまいしてね。あ、彼は昔馴染みの少年で――」


 そう言ってトジバトルは、自身の後ろに立つ少年を手招きながら言った。彼の両隣には弱気そうな銀髪の少年と、燃えるような赤髪の少女が並んでいる。


「――いや、そうだ。シモン殿も、テルミナ長官はご存じなのでは?」

「あ、ああ。なるほど、ベルニクの――」


 余り接点は無かったのだが、偶に見かけると大抵は口汚く悪態をついていた幼女の記憶が蘇ったシモンは少しばかり顔をしかめた。


 そこへ手招かれたディオが、前へと進み出る。


 テルミナの名を聞き身構えたシモンの予測に反し、ディオはヴォルヴァ仕込みの礼法に則った所作で名乗りを上げた。


「ディオ・ニクシーと申します。シモン様」


 実際の姓は異なるが、尋ねられたならニクシーを名乗る事にしていた。

 

 他者が何を言おうとも彼は誇りを抱いている。


 次いで、ディオに肘をつつかれたミハイルが、多分に緊張した面持ちで口を開いた。


「ぼぼ、みみみ、ミハイル・ロマノフ――」


 ロマノフの名を聞いたシモンは、ケルンテン、いやオソロセアか――と小さく独り言を呟く。


「何びびってるのよ、ミハイル。しっかりなさい!」

「ご、ごめん」


 赤髪の少女に尻を叩かれたミハイルは、恥ずかしそうに頭を下げた。


「シモン様、お目通り叶い光栄です」


 声音と口調を見事に切り替えたキャロルは、非の打ち所がない屈膝礼カテーシーを披露する。


「私、キャロル・ロイドと申します」


 少女は切れ長の瞳を瞬かせ、優雅な笑みを浮かべた。

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